第21話 一時の休息

 汗水流しながら、かれこれ一時間。

 日焼けしないようにつば広帽子と、通気性のいい長袖を着ているが、それでも灼熱の陽光は容赦がない。


「はひー……あちぃ」


 頭の先から足の先までぐっしょりだ。

 たまにやってくる潮風でなんとか凌いでいるが、そろそろ限界が近い。


「みなさーん!」


 ボランティアスタッフの女性が、水色のビーチテントで手を振っていた。

 テーブルには飲料水の入ったペットボトルが並べられている。


「休憩しましょー!」


 ちょうどよかった。

 隆吾は汗だくになった服をパタパタと扇ぎながら、駆け足になった。

 スポーツドリンクの一本を手に取り、喉に流し込む。すると、冷えた液体が脱水しきった体内に染み込んでいく。

 まさにオアシスに飛び込んだかのような気分だった。


「ぷはぁ……」


「いい飲みっぷりだね」


 遅れてやってきた春義も、若干急ぎながらフタを開けて、半分まで一息に飲んでしまった。

 そんなに乾いてたか。


「うまい!」


「そりゃ、こんだけ汗流せばな……」


「僕の……ほら、背中びしょびしょ。ヤバイってこれ」


「くっきり汗が沁みてるな」


「絞ったら出るかな」


「やめろよ汚ねえから」


 上着を脱ごうとした春義を諫めた。


 美里はペットボトルを受け取ると、隆吾たちから離れた位置で飲み始めた。

 あまり関わりたくないのだろうか。

 その割にはボランティアの同行を承諾した理由が謎になるが。


「――なんか掃除してんじゃん」


 やや遠くから聞こえてきた声に、自然と意識が吸い寄せられた。


 上体をひねって、背後の道路側に視線を寄越す。

 すると、そこには軽薄そうなふたり組の青年が歩いていた。

 大学生ぐらいだろうか。大人びてはいるものの、そこに社会人らしい雰囲気は見られない。

 手には近くの店で買ってきたであろうポテトやハンバーガーを持っていた。


「めっちゃえらいな~」


「これも掃除してもらうか?」


「おー、いいね。仕事与えてあげっか」


「いや、マジ優しいわ俺ら」


 と、彼らはゲラゲラ笑いながら、持っていた包み紙や、中身のなくなったコーラを浜に投げ捨てた。

 ボトボト、と音をたてて砂に沈むゴミたち。

 風にさらわれる紙くず。


 隆吾を含め、ボランティアの人たちみんながそれを茫然と見ていた。

 まさか、人前で捨てる奴がいるとは。

 人の社会に住む猿――と呼んだら猿に失礼か――を発見した衝撃で、しばらく動けなかった。


「肝が据わりすぎだろ。バカかアイツら」


「注意したほうがいいんじゃないかな」


 春義の提案に、隆吾はうなずいた。


「あぁ。ちょっと行ってくるわ」


「僕も行くよ。ああいう手合いにはひとりだと危険だ」


「サンキュー」


 ふたり揃って、猿以下の生物の調教に乗り出す。

 ボランティアスタッフの人たちが止めようとしてくるが、振り切る。これを見逃すことはできない。

 立ち去ろうとしている背中に、隆吾は怒鳴った。


「おい! おまえら! ゴミ捨てんな!!」


「あぁ?」


 苛立ちをあらわにしたバカ二人組が振り返った。


「うっせえな、ガキ。じゃあどこに捨てろってんだよ」


「その歳でゴミ箱も知らねえのか。それとも猿だから人の住む場所に来たのは初めてなのか?」


「喧嘩売ってんのかおまえ!? たかがゴミなんだから、おまえらが拾ってどっか捨てとけばいいだろうが! ぶっ殺すぞ!!」


 あまり頭の良くなさそうな返しだ。

 体育会系だろうか……偏見だという自覚はある。だが、こういう手合いは往々にして……。


「……おいおい」


 春義が耳打ちしてきた。


「怒らせてどうするんだよ」


「どうすっかな」


「どうすっかな、じゃないでしょ。このままだと喧嘩になるよ」


「そんときはそんときだ」


「一応加勢はするけど、言い訳はタヌキが考えてくれよ」


 最初から交渉がうまくいくとは思っていなかった。


 この大学生たちは自分のおこないが悪いことだという自覚はあるだろう。

 けれど、名も知らぬ年下に注意され、幼稚な反抗心が芽生えたのだ。

 この場合、説得はほぼ無理となる。

 どれだけ正論を重ねようと、彼らは自己を正当化するために、まるで意味をなさない詭弁を弄するだけだ。

 挙句には暴力に訴えてくるだろう。


「さあ! ゴミを拾え! 警察に通報するぞ!」


「なんだと……?」


 大学生たちがこぶしを握った。

 剣呑な雰囲気があたりを包む。


 こうなることは想定していたので、あらかじめセットしていた催眠を実行する。

 後ろ手でスマホをタップし、彼らと目を合わせた。


「……………………っ」


 大学生たちは一瞬呆けたかと思うと、


「あ……まあ、俺たちが悪かったっす。すいません」


「うっす……」


 さっきまでとは真逆の反応を返してきた。

 彼らは恐縮そうに頭を下げたかと思うと、さきほど投げ捨てたゴミを拾い集め始めた。


 隆吾がかけたのは『態度』の『後輩』だ。

 こういうタイプの人間は上下関係に弱い。

 そんなものに縛られない一匹オオカミ的な生き方をする者もいるだろうが、極めて稀なことだ。


 ちなみに『催眠可能人数2人』ではあるが『命令』はまだ実行されていないため、こうして追加でふたりに催眠をかけることができる。

 裏ワザだ。


「いやあ、話が通じる相手でよかった」


 隆吾がにっこりと笑顔を浮かべると、大学生たちは恐々と首をすくめた。


「はい……すみません」


「もう二度と捨てるなよ。誓え」


「ち、誓います! 誓わせてもらいます……」


「じゃあ、さっさとゴミ拾ってどっか行ってくれよ」


「は、は、はいぃ!!」


 彼らは蒼褪めながらゴミをかき集めて、大慌てで去っていった。

 よっぽど先輩が恐怖の対象だったのだろうか。

 ネズミも顔負けの遁走とんそうっぷりだ。


 それにしても、成功してよかった。

 もしもこの催眠で大学生たちが変わらず敵意を向けてくるなら、警察に通報するしかなかっただろう。


「すごいな、タヌキ」


 春義が感心したように拍手を打った。


「あの人たちを説得するなんて」


「たまたま話を聞いてくれる人たちだったってだけでしょ」


「そうかな……まあ、そうか……。意外と素直だったしな」


 まさか洗脳していたとは思うまい。


 それよりも奇妙なのは、春義の行動だ。

 誠人と一緒にいるのだから相応のクズだと考えていたが、躊躇いもせずに加勢してくれた。

 彼自身にも降りかかる問題だったとはいえ、判断の早さはそういう利己的な考えによるものではない気がする。


「なぁ、おまえってさぁ。なんで誠人とつるんでるんだ?」


 隆吾の疑問に、彼は不思議そうにしつつも即答した。


「面白いから」


「どこが?」


「本心ではもっと自由になりたいのに、愛羅に従うしかないところ。いくらでも別の道はあったのに、ずっと悪い方向に進んでるんだよね。水は低きに流れるとは言うものの……すごく興味深い行動だよ」


「人間を観察する宇宙人みてえな思考してんな」


「それと、キミと彼の小競り合いはとても楽しめたよ」


「おまえが笑ってた理由、それかよ……」


 その後――。

 海岸のゴミ掃除を終えた隆吾たちは、ボランティアスタッフの人からいくつかおみやげをもらい、帰路についた。

 三人、夕日を背に駅へと歩く。

 ダムが決壊したような汗は乾いても不快感を発しており、そよ風が吹くたび、嫌な冷たさが背中を駆け抜けていく。


「明日には日に焼けて、肌黒くなってそうだなぁ」


 隆吾はやや赤くなった腕を見ながら、美里に話しかけた。


「私は日焼け止め塗ったから関係ないけど」


「持ってんなら貸してくれよ」


「貸す理由なんかないでしょうが!」


「肌を焼きたくなかったからに決まってんだろ」


「貸してほしい理由じゃなくて、私がアンタに貸さないといけない理由を聞いてんのよ!」


「金貸してやったろ?」


「しれっと過去を捏造すんな!」


 からかいすぎると、また頬をぶたれかねない。

 ここまでにしとこう。


「キミら、面白いね」


 春義が貼りつけたような微笑みを浮かべていた。


「面白くないわよ!」


「面白いさ。別に喧嘩なんかしなくてもいいのに、わざわざ強い言葉を使ってる。はたから見てても、じゃれあってるようにしか見えないね」


「それのどこが面白いっていうのよ」


「滑稽でしょ?」


「テメェェェ……!」


 喧嘩に発展しそうだが、知ったことではないのでスルーする。


 それにしても、美里を一日観察してみたが、スマホを手にとることはなかった。

 こちらを警戒してのことだろうか。

 だとしたら、やっぱり彼女が所持者なのか?


 春義に関しても同様だ。

 彼はこちらに注意を向けている様子はなく、熱心にゴミ掃除をしていただけだった。


 謎の解決にはまるで寄与しない一日だったが、最低限の報酬はあった。


 催眠レベル『54』


 一日で十以上のレベルが手に入ったのは僥倖だ。

 正直、五ぐらいが限度だろうと考えていただけに、これは嬉しい誤算だった。


 追加されたのは『態度:怯え、敵意』そして『命令:レベル2』

 さらに上位の命令がおこなえ、低レベルの命令に必要な消費レベルが軽減される。


 できることなら命令に頼らず進めたいが、使い勝手の良さは魅力だ。レベルを消費したとしても使わねばならない場面は出てくるだろう。


 隆吾たちは電車で自分たちの住む町へと戻った。


「そうだ。タヌキ」


 駅前を歩いていると、春義が名案とばかりに手を叩いた。


「この先のゲーセン行かない? 新しいの出たらしいけど」


「唐突すぎんだろ」


「いや、ひとりで行くのもアレだし、って思ったから」


「まあ別にいいけど」


「美里は?」


「私はいい。帰る」


 彼女は早口で答えると、反対に向かって歩き出し、すぐ人ごみに紛れてしまった。

 誘われてもああいう態度をとるのに、よく愛羅の取り巻きができるもんだ。


「んじゃ、行こうぜ」


「オッケー。あ、こっち近道だから」


 春義に案内され、パイプの通っている狭い路地裏を進む。

 誰かと遊ぶなんて久しぶりだ。

 ほんの数か月前なのに、はるか昔のことのように感じられる。


 愛羅たちがクラスを牛耳る前は、いつもおれと光輝とあいつの三人で――


「……三人?」


 ――誰だ?


 頭に浮かんだ光景。

 それは三人で肩を並べて遊んでいる姿だった。だが、記憶にない三人目の誰かはぼやけており、顔かたちが定まらない。

 そこだけが消されてしまったような感覚。

 大事な……忘れてはいけないはずの……。


「タヌキィイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイ!!」


 右前方から聞こえてきた絶叫で我に返り、眼前に迫った鉄パイプへの反応が送れた。


「がっ!?」


 ガツン、という骨と鉄がぶつかる固い音がして、肩に焼けるような痛みが走った。

 衝撃で吹き飛ばされ、ゴミ袋の山に突っ込む。なかに入っていたペットボトルや箸などの類が背中に突き刺さり、更なるダメージとなった。

 激痛に思考をしびれさせられながら、隆吾は襲撃犯を見止めた。


「テメェ……誠人……!!」

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