2章 もうひとりいる!

第13話 第二セット開始

 いつもの朝はひどく憂鬱で、しかし両親に心配もかけたくないので平気なフリをして登校していた。

 光輝の件もあってふたりがかなり心配性になっていたからだ。

 無理からぬことだと思う。


 以前までは、夏の到来を告げる青空に浮かぶ白雲の鮮やかさに比例して、心の影が濃くなっていくような気分だった。

 だが、きょうは違う。


「おれは強い!」


 クラスの王を僭称せんしょうする愛羅に対抗する術を持っている。


 いつもの三十分前に目覚めると、朝飯を勢いよく平らげ、歯を力任せに磨き、朝風呂で歌い、すっかり着慣れた制服に袖を通す。


「行ってきます!」


 怪訝な顔をする両親を背に、隆吾は気分よく登校した。

 股間のチャックが開いてることに気づいたのは校門に着いてからだった。


 教室の雰囲気に違いはなかった。


 昨日の出来事でなにかしらの良い変化を期待していたが、そこにあったのはいつものように談笑する愛羅のグループであった。

 下品な大声を上げて、他人の目も憚らず卓を囲んでいる。


 ふいに、愛羅がこちらを見止めた。


「…………」


 すぐに視線を戻されたので感情を読むことすらできなかったが、ほんとうになにも変わっていないのだろうか。


 この催眠アプリは記憶を引き継ぐ。

 つまり、現在の彼女は昨日のデートを覚えているはずだ。それにどのような感情を持っているのか、いまはまだ定かではない。

 けれど、あの様子を見るに大した影響を与えられていないだろう。


 美里はどうか。昨日の彼女の妙な態度は気にかかるが、普段どおりと言われればそのようにも感じる。

 懸念すべきは、昨日の一件で鬱憤の溜まっている誠人だろう。こちらへの仕返し、ないしは他者への八つ当たりが想定される。


 一限目の授業を終え、周囲に気を配っていると、


「タヌキくんっ」


 円華に声をかけられた。

 きょうは長い髪をサイドテールにしている。ふだんの怜悧な彼女と違って、どこか活発な印象を与えてきた。


「ちょっといいかな?」


「どうしたの?」


「ここじゃ他人の耳に入っちゃうから、ついてきてくれる?」


 聞かれたくない話題ということだろうか。


「いいよ」


 隆吾は快諾して席を立った。


 別校舎まで連れて行かれて、少し怖いぐらいの静寂が辺りを包む。ここならば落ちた針の音さえ百メートル先まで届きそうである。


 まさか告白でもされるんじゃないかという期待が矢のように翔けたが、そんなわけないと正気に戻る。

 実際、円華の細面ほそおもてには甘酸っぱい雰囲気はなく、こちらを心配する色ばかりだった。上目遣いにも遠慮が感じられる。


「タヌキくん、昨日……愛羅さんと一緒にいたよね?」


「え、ああ……いたけど」


 校門で愛羅と合流したところを見られたのだろうか。遠出していたとはいえ、十分に人目につく場所であったため、微塵もおかしくない話である。


「なにかあったのかな……って心配になったの」


 明眸めいぼうに憂いを滲ませた円華に、隆吾は少し胸を痛めた。


 普段からこちらを気遣ってくれて、仲裁もしてくれる彼女だ。隆吾と愛羅の関係はよくよく熟知している。

 だというのに、まさか圭角の取れた会話をしていたとは夢にも思うまい。その原因が催眠アプリであることも。


 正直に話すわけにもいかず、かといって愛羅が悪いと押し付けるのも気が咎める。


「話したくないのなら、無理には訊かないよ。でもね、もしもなにか嫌なことをされたのなら、正直に言ってね。私、絶対にタヌキくんの力になるから」


 円華のあまりにも健気な言葉に胸打たれ、感涙がこぼれそうになったが、なんとか堪える。

 ……いや、やっぱり無理だった。


「うぅぅぅぅ……ありがとぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ……!!」


「泣くほど!?」


「こんなに優しい言葉をかけてもらったの、いつ以来だろうって……教室にはろくなやつがいないし……」


「ごめんなさい。私の力が足りないから……」


「円華が謝ることないよ。ひとりに負担をかけることをヨシとするほど、おれも腐ってねえし」


「そっか。ありがと」


「こっちこそ、いつもありがとう」


 何気ない感謝のつもりだったが、円華は悲しげに面を伏せた。


「お礼なんていい。私、全然役に立ててないもの。教室はまだいじめがあるし、いくら注意しても改善しない。まるで賽の河原だね」


 諦念の色をあらわす彼女に返す適切なことばが見つからなかった。

 打っても打っても響かない相手に、どうすればいいのか困り果てる。よくある話だ。こういう場合はアドバイスしようにも、ほとんど本人がすでに考え、実践していたりする。だから、外野は黙るしかない。


「おれにはどうすればいいか分からないけど、一緒に頑張ろう」


「……いつか、平和な教室を作れたらいいね」


「どうしたらいいと思う?」


「手っ取り早い方法は、原因を取り除くこと。でも、それはとても荒っぽいことになりそう。愛羅さんたちを追い出して作る平和は、なんていうか……違う気がするし」


「そうだよなぁ」


 相手が人間のクズとはいえ、打ち倒して追い出すのは安易な解決だ。

 もちろん、それ以外に方法がないとなれば迷いなく実行に移すつもりだ。けれど、そうなると愛羅たちに光輝へ謝罪させることができない。


 あぁ、ダメだダメだ。


 目的を明確にしよう。まずやるべきことを決めなければ、流れに任せて、降りかかる火の粉を払うだけになってしまう。


「問題点は、トップに立っている愛羅。

 従う誠人。

 逆らえないクラスメイト」


 そして、催眠アプリのレベルだろうか。

 こちらはまだまだ足りていない気がするが、片手間にやるにも限度があるだろう。専念すべきかもしれない。


「ねえ、タヌキくん」


「なに?」


「いじめ、ってね。だいたいがグループの輪に入れない人を排除したいっていう気持ちから始まるの」


「ん……まあ、そうだね。たしかに」


「だから、もしも解決したいのならいじめグループこそが輪を乱す存在だとおおやけにして、クラスメイトたちに糾弾させればいい」


「なるほど。でも……」


「そうね、あの子のやっていることはちょっと違う。あの子はグループなんてことは全然考えていなくて、自分の快不快で横暴をおこなってる。たぶん、周りから白い目で見られても止めないと思う」


 つくづく厄介な女だ。


「だから、止めるのは至難の業だよ」


「……いや、そもそも愛羅ひとりだけなら脅威にならないのでは?」


「えっ?」


 相手は所詮は非力な女の子であり、攻撃は他人任せ。つまり、暴力を担当する誠人を抑えることさえできれば、他者を害することは難しくなるだろう。結果的に愛羅は孤立し、いじめをし辛くなる。

 敵はひとりと分かったクラスメイトたちも怯えるだけでなく、言い返すことだってできるようになるはずだ。


「……見えた、円華。クラスを救う神の一手が」


「ほ、ほんとに!?」


「あぁ!」


 隆吾はあごに手を当て、たどり着いたひとつの答えAnswerを高らかに喝破した。


「おれと誠人が『恋人』になればいいんだッ!!」


「……………………は???」


「え?」


 ん?


「う、うーん……つまり、どういうこと?」


「だから、実際に手を下してるのは誠人なんだから、あいつを抑えればいじめはやりにくくなるわけだよね」


「うん、だから?」


「おれと誠人が付き合えばいいッ!!」


「????????????????????????????????????」


「????????????????????????????????????」


?????????????????????????????????????


「なるほど……?」


「じゃあ、ちょっとホモになってくるわ」


「いってらっしゃい……? いや、ちょっと待って!!」


 円華の制止を聞かずに走り出し、本校舎へ。


 徐々に教室に近づいてくると、外のやかましい蝉の声に混じって、不穏な騒ぎが聞こえてきた。

 隆吾はスライドドアにある小窓から中の様子を覗き込み、その光景に怒りを覚えた。


「だからさぁ~。ちょっと弁当箱貸してくれるだけでいいって言ってんじゃん」


 誠人が麻実を恫喝していた。


 彼は机の脚をトントンと威圧的に蹴りながら、明らかにこの状況を楽しんでいる様子で笑っている。


 対して、背の小さい麻実は見ていて胸が痛くなるほどに震えていた。

 俯き、やや長めの前髪がカーテンのように双眸をおおっている。

 彼女は気が弱いから、目を離すといつも愛羅たちの標的にされていた。今回も例には洩れなかったようだ。


「なぁ? 毎朝お母さんに作ってもらってるんだよなぁ?」


「な、なんで……こんなこと……」


「ん? 理由いるか? 愛羅がちょっとおまえの態度がムカついたって言ったからさ、反省してもらおうと思ったんだよ」


 誠人は昨日の失態を取り戻すために、愛羅に従順な様子を見せたいようだ。反吐が出る。所詮は使われているだけの奴隷だというのに。

 悪鬼め。おれが因果応報の意味を教えてやる。


 催眠アプリを起動し、誠人に向かって使用した。


 ブ――――――――ッ


 直後、耳障りな電子音がスマホから鳴り響き、隆吾は目を瞠った。

 クイズ番組で不正解だったときのような、玄関のブザーのような、聞いた人を慌てさせる不快な単音の叫び。


「……え?」


 画面に目を落とすと、こう書かれていた。


『対象はすでに催眠中です!』


「……………………は?」

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