第12話 違和感、頭痛、大嫌い
舞い戻ってきた女子の自室。
愛羅を改心させるという目標を忘れつつあるが、いまはこのまま進んでいった先にあるものを見てみたいという衝動に駆られる!
「ベッドに座って待ってて」
「はい!」
腰かけて背筋を伸ばす。
心持ちとしてはこれより試合をおこなう武士である。
遠からず開始される床上の打ち合いは一合で終わるとも限らず、なれば一睡もせず、
愛羅は部屋の棚をガサゴソと漁ると、なにやら鈍色の物体を手にした。
「あったあった。綿貫くん、寝転がって手足を伸ばしてくれる?」
「はい!」
指示に従って大の字になると、
カシャンカシャン
と両手に手錠がかけられ、ベッドの脚と繋げられた。
「これでよし」
「質問よろしいでしょうか!」
「いいよ」
「なぜわたくしは拘束されているのですか!?」
「なんでって……」
愛羅が隆吾の耳元に口を寄せて、鼓膜から脳までを
「……これから朝まで愛羅のおもちゃにされるからだよ?」
「ホアッ……!?」
「だって、綿貫くんを自由にしたら、愛羅の好きなようにできないじゃん。言ったでしょ? 愛羅は愛羅のやりたいことしかやりたくないの」
なるほど道理である。
隆吾が自由ならば、愛羅が望んでいないこともしてしまうかもしれない。それが嫌なのだろう。
そういう女であることは再三確認してきたはずだというのに、自分はほんとうにマヌケだ。
「くそ……油断した! 卑怯だぞ!!」
「いや、手錠を繋げる前にいくらでも抵抗できたでしょ」
「そういうプレイなのかな、って……」
「バカかな?」
「……事実だから何も言えねえ」
「まあ、そういうことだからさ。愛羅はお風呂入ってくるから、そこで大人しくしてるんだよ~?」
部屋を出て行く愛羅を見送り、ぽつねんと時が過ぎるのを待つ。
「…………もしかして、また嘘だったりしないよな?」
このまま朝まで放置されでもしたら、それこそ本当に泣いてしまうかもしれない。
そうして数分たった頃。
ふいにピンポーンとチャイムが鳴り響いた。
誰かが来訪してきたのか?
いまは非常事態だから帰ってほしい。こんなところを見られでもしたら自殺してしまう。
「…………!」
階下からなにやら愛羅の話し声が聞こえてくるが、遠すぎて判然としない。相手は女性の声のようだが、いったい誰だ。
母親が帰ってきたのだろうか。
やがて、ふたたび静寂が降りる。
だんだんと、昼にあちこち歩き回った疲労がいまになって眠気へと変換されてきた。
寿司を爆食いした際の糖分も原因のひとつだろう。
もうこのまま睡魔に身を委ねようか、
そんなことを考え、ふと徐々に近づいてくる足音に気づいた。
「愛羅か?」
にしては、なにやら怒りの混じったような荒々しい音だ。
まっすぐにこちらへと向かって来ている。
「……?」
ガチャッ、と乱暴に扉が開かれ、
「え?」
隆吾は虚を突かれた。
「……………………美里?」
そこにいたのは、毎日のように見る顔。
藍色の瞳には呆れと侮蔑が混ぜ込まれている。
「なにやってんの?」
苛立ちの混じった刺々しい雰囲気の少女を前にして、隆吾は惑乱を禁じ得なかった。
なんで美里がここにいるんだ?
彼女の格好はいまだ制服のまま。
よほど急いでいたのか玉のような汗を流していた。
偶然にも見つけてしまった、というにはおかしい。まるで知っていたかのような冷静さである。
もちろん、とんでもない状況にある隆吾を見て、いったいどのような経緯なのか勘繰る色はあったが。
さきほど押し入るように乱暴に開いたのも明らかに、何か、もしくは誰かを捜してのことだろう。
――まさか、おれか?
ありえないことだが、この状況を説明するにはそれしかない。
美里が部屋に踏み込み、ベッドに張り付けにされた隆吾を見下ろす。
「タヌキ……なんでこうなった?」
「詳しくは言えないが、ちょっとした約束だ」
「いや、言えよ。どんな約束をしたらそうなるわけ?」
「……ひとときの戯れ」
「おもんな」
ひどい。
「そっちこそ、なんでここにいるんだよ」
「偶然遊びに来たら、愛羅がここにアンタがいるって教えてくれたのよ。んで、驚いて駆け上がってきたわけ」
「嘘をつけ」
「どうとでも思ってくれていいけど、さっさとここを出た方がいいわ」
「どうして?」
「愛羅はね、人目につかないところだとなにをするか分からないの。指の爪ひとつふたつ剥がれる覚悟はしたほうがいいんじゃない? ペンチとか鞭とか、ハンマーとか持ってくるかも」
「マジかよ……」
あの女ならやりかねない、と本気で思わされるのが愛羅である。
なにせ人を殺しかけて笑っていたような人間なのだから。
「ちょっと待って」
と、美里がどこかへと小走りで向かい、一分ほどで戻ってきた。彼女の手には小さな鍵が握られている。
「ほら、手錠の鍵。開けてあげるからじっとしてて」
「ありがとう。でも、よく場所が分かったな」
「愛羅はこういうのはキチンと持っておくタイプだからね。風呂場にあるんじゃないかと推理しただけよ」
自由になった両手首を労わりながら、いまさらになって訝しむ。
「っていうか、なんでおまえがおれを助けてくれるんだ?」
その言葉に、美里はほんの一瞬だけ――
「フン、アンタが愛羅に逆らえなくなったら、あの子どこまでも暴走するじゃん。光輝はいないし、円華はふだん教室にいないし」
「おれをストッパーとして見てんのか?」
「そりゃそうよ。っていうか、私からしたらアンタが愛羅に懐柔されてることのほうが疑問。どうせくだらない理由だろうけど」
「おっぱい見せてもらえることになっただけだ!
あ、言っちゃった!」
「…………………………………………死ねっ!」
「死なねえ! まだヘソしか見てねえんだぞコッチは!」
「お寿司を奢ってもらったって聞いたけど」
「ああ、高いやつな!
あ、言っちゃった!」
「心の弱いやつだよアンタはほんと昔からさぁ」
「……と、とりあえず、外に出るか。実際、あいつがおれをおもちゃにしたら、エスカレートしてなにされるか分かったもんじゃないわな。だいたい、おれはああいう無理やりされるのは嫌いなんだ」
「本音は?」
「エッチなのが終わってから助けてほしかった!
あ、言っちゃった!」
「その口が二度と開かないよう溶接しとけ」
「はい……」
言い返せない
「そうだ」
と、催眠アプリで『恋人』を解除した。
忘れなくてよかった。
あとで捜しまわられたら面倒なことになる。
これで、明日にはいつもの愛羅に戻っているだろう。決してそれが良いことではないが、いつまでも恋人面させていると不審がられる。
というか、美里に愛羅の奇行がバレたのは非常にまずい。すでに崖っぷちの可能性はあるが。
だが、収穫はあった。
愛羅の母親に対する怒り。
彼女も私生活で嫌なことがあるから、いじめをして発散しているのかもしれない。それを解消さえできれば、あるいは改心も可能かも。
ひとまず、きょうは退散だ。
愛羅家を出た隆吾たちを覆う夜空。
地を見晴るかすように浮かぶ銀色の月は高く、時刻はとっくに午後八時をまわっている。
夏にしては氷のように冷たい夜気がスッと伸びてきて、肌身に障った。
「じゃあ、おれは帰るけど……美里はどうするんだ? おれを逃がしたんだから、愛羅になにされるか分かんねえぞ」
「あー……私はだいじょうぶ」
「は? なんで?」
「なんでって……」
美里は一息して、逡巡するように視線を泳がせた。
「まあ、あの子と私の仲だし?」
「嘘つけ。明らかに手下二号って感じだったろうが」
「手下じゃねえし! だいたい、タヌキこそ愛羅の家にホイホイついていって、いつもの反抗心はどこ行ったのよ」
「んなこと言われても、おまえには関係ねえだろ」
「……まあ、そりゃ関係ないだろうけどさ」
「きょうのおまえ、なんか変だぞ。妙におれに優しいし」
パシィン――――
不意の平手打ちが隆吾の頬で小気味良い音を鳴らし、夜の街に消えていく。遅れてやってきた痛みに驚き、目を
「え……? は?」
美里は犬歯が浮くほどに怒りをあらわにして、まくしたてた。
「優しい? ハッ、舐めんなよクソダヌキ。私はね、昔っからアンタのことが大嫌いだったのよ。
光輝と一緒に正義を気取って、悪さしたヤツに食ってかかったり! 困っている人がいたら助けたり! そういうことにいつも私を巻き込んできて、ずっと迷惑してたんだから!!」
「は? なんの話……」
パシィン
「いたいです……」
「いい? 二度と、私に“優しい”だとか“ありがとう”とか言わないで。アンタと私は敵なの! 分かった?! じゃあねサヨウナラ!!」
侮蔑を吐き捨てると、美里は背を向けて足早に愛羅の家へと戻っていった。
じんじんと
「なんだよアイツ……」
急なことに釈然としないものを感じつつ、帰路についた。
美里のセリフ、違和感があった気がする。
いつも巻き込んでいた、ってなんだ?
「……っ!」
瞬間、ビキッと割れるような頭痛が走った。
まるで頭から出てこようとしているものを、誰かがハンマーで殴りつけたような感覚。
いや、気のせいだろう……。
ふと、隆吾は空を見上げた。
「あ、そういや愛羅に借りたハンカチ……どうやって返そう……」
◆
美里は愛羅の部屋のベッドに腰かけながら、さきほど平手打ちした手のひらを見ていた。
わずかに赤みがかっているが、痛みはすでに雪解けのように痕跡すら残さず消えている。
……あいつと久しぶりにあんな長く会話した気がする。
そんな感慨にふけっていると、
「あれ?」
開いた扉の向こうにいる愛羅が小首を傾げた。
彼女は下着姿だった。
脇高の桃色リボンブラで、ストラップも安定感のある太め。機能面で選んだのだろう。それでも隠し切れない豊満なふたつの
ふっくらと肉の満ちた太ももの曲線は艶美で、春雪に覆われた丘を思わせる。火照ったゆえに差している朱色の輝きは、女の目から見ても良からぬ感情を喚起されそうだった。
脇にはパジャマを抱えているが、それ以外に持参しているものはない。
「美里ひとり?」
「うん。タヌキが帰りたいって言うから、私が帰した」
「あー……そっかぁ」
愛羅は気のない返事をすると、隣に座った。
「まあ……………………いいけどさ、別に」
「怒らないの?」
「怒ってるけど、明日学校でお返しする。なにも言わずに帰るなんて愛羅のことをバカにしてるよね」
と言いつつも、彼女の横顔は湿気っていた。
それは怒りではなく、逆に
「で、美里はなにしに来たの?」
「遊びに――」
と、スマホの通話音が鳴り響き、美里は慣れた手つきで素早く応答した。
「もしもし」
『合格』
それだけが聞こえ、ブツッ、と通話が切られた。
ふぅ、とため息をつき、つばを飲み込む。
「誰から?」
愛羅の問いに答えず、美里は重い腰を持ち上げた。
「帰るね」
「ちょっと待ってよ」
「なんで?」
「ひとりじゃ寂しいから……」
まるで無垢な少女のように哀訴する愛羅に、美里は苛立った。
――アンタは知らないだろうけど、私はアンタが大嫌いなのよ。
そんな
「もうちょっとだけ一緒にいて……」
「……分かった」
いまはまだ、愛羅を突き放すタイミングじゃない。
役目が残っている。
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