第11話 愛羅の家へ

 隆吾たちは電車を乗り継ぎ、ふたつ隣の駅まで来ていた。

 ここに愛羅の自宅があるらしい。


 きょうは帰れるか分からないということもあり、両親には友達の家に行くと電話を入れた。

「楽しんでらっしゃい」と言った母の声はやや浮かれているようだった。


 光輝が転校してから、隆吾は学校でひとり。

 家に誰も連れてこず、友人の話すらしなくなった。

 そんな息子が友人と遊ぶというのだから、さぞ胸を撫でおろしたことだろう。


 嘘をついてしまったことに罪悪感を抱きつつ、愛羅邸に到着した。


 住宅街でひときわ目立つ、石段の上にある真っ白な豪邸。

 前栽せんざいの緑に囲まれていながら、その豪奢ごうしゃな外観は微塵も埋もれることなく、巨大の印象のままそこにある。

 重厚感のある広壮な三階建て。

 外壁が一部ガラス張りになっており、エントランスらしき空間が外から筒抜けになっている。

 なかには螺旋階段があり、上階と繋がっているようだった。


「ちょっと待ってね。鍵開けるから」


 愛羅が取り出したのはよくある合金で、先端に凹凸のあるタイプだった。しかし、それを差し込む穴が玄関扉には無いように見えるが。


 彼女が扉の前にカギをかざすと、ピッ、と電子音が鳴って扉が横にスライドしていった。

 洋画でしか見たことないぞ、その電子ロック。


「入っていいよ」


 明らかに高そうなふわふわスリッパを履いて、暖かみを感じすぎてむしろ萎縮してしまうほどの高級空間に踏み込む。


「愛羅の部屋は三階なの。あの階段上がってね」


 これが金持ちの家か。

 たしかに、こんなところで生活して甘やかされて育ったなら、あんな性格になるのも仕方ないのかもしれない。

 ……などと考えてしまうのは、ほかの金持ちに失礼か。


「ここが愛羅のお部屋でーす!」


 屋内プールぐらいはありそうなほどの広い空間には、可愛らしいグッズが所狭しと並べられている。マスコットキャラの描かれた壁紙と、絨毯。ベッド。それを彩る無数のぬいぐるみたち。

 壁には液晶テレビがかけられており、そのすさまじい大きさは200インチぐらいは余裕でありそうだ。机にはパソコンもしつらえてあったが、確認せずともこちらも高級品だろう。


 ふんわり漂う甘い香りに鼻腔をくすぐられながら棒立ちしていると、


「ベッドに座っていいよ」


 先に座していた愛羅が手招いた。

 隆吾は恐々としながらも従い、たずねた。


「掃除とか大変そうだな……」


「あぁ、家政婦さんとか来るからだいじょうぶ」


「金持ちだなぁ。さっきから遠慮しちゃって歩きにくいわ。おれって、他人の家だと借りてきた猫みたいになるからさ」


「別にくつろいでくれていいのに。それより、晩ご飯はなににする? 配達してもらうけど」


「寿司!! 大トロ!! 高いやつ!!」


「うん。綿貫くん、さっき自分が言ったセリフを刹那で忘れたみたいだね」


「寿司!! 寿司!! 寿司!!」


「それはもう珍獣の鳴き声だよ」


 愛羅は注文の電話をすると、おれを食卓へと案内した。


 一階のダイニングキッチンは、エントランスと同様に壁がガラス張りになっており、町の夜景を眺望ちょうぼうできる。

 皓皓こうこうとした月明りに照らされた町々は未だに活気があり、通りを行く人たちも多かった。


「うまい! うまい!」


 が、隆吾は目もくれず豪勢な食事に舌鼓したづつみを打っていた。

 届いた寿司は、二人前で三万円超えの高級セットだ。

 色どり豊かな海の幸が敷き詰められ、宝石箱のようである。

 どれでもひとつ口に含めば、しっとりとしたシャリとネタの味わい深さが融合し、舌までとろけるかのようだ。


「はぁ、他人に奢ってもらって食う寿司は格別だなぁ!」


「それ、本人を前にして言ってはいけないセリフ第一位じゃない?」


「細かいことは気にすんなって!」


「五万は細かくないと思うけど」


 ぺろりと寿司を平らげ、満足げにお茶を飲み干す。


「にしても、愛羅が身銭を切って他人に飯を奢るとは。明日は地球が割れるんじゃないか?」


「え、災害を通り越して天変地異レベル? っていうか、愛羅のじゃないよ。パパのクレジットカード使ったからね」


「親のカードを自由に使えんの?」


「うん。使っていいよ、って渡してもらってる。まあ、あんまり無駄遣いしないし。使い道も聞かれたことない」


「へえ。やっぱ金持ちは違うなぁ」


 愛羅ならクレジットカードを限度額まで使い切りそうな気がしたが、意外とそういうところはわきまえているのか。

 まさか、親が怖くて渋っているわけではあるまい。

 この暴慢の極みのような女が。


 いや、奢ってもらっておいて、心のなかとはいえ相手を貶すのは道理に反するか。謝っておこう。ごめんなさい。


「ごちそうさま! うまかった!」


「そりゃ高いの頼んだし」


「礼は言っておく。ありがとうな」


 食事の後片づけを済ませて、


「で、なんで親がふたりとも家にいないんだ?」


「直球! デリケートな問題かもしれないんだからクッション挟めよ!」


「??? 挟んだだろ?」


「もしかして寿司のことを言ってる?」


「ちなみに、面白くなかったら帰る」


「最悪すぎる」


「んで、どうなんだ?」


「……ふたりとも、きょうは忙しいだけだし」


「本心ではないな」


「なんで分かんの?」


「親のクレジットカードを持たされてるだけなら、念のために貸したんだなって思う。でも、おまえはカードを使うのが当たり前みたいな言い方をしてた。いないのはきょうだけじゃないだろ。そもそも、たまたま今日だけふたりともいませんでしたって、そんな偶然があるか」


 愛羅は逡巡するような顔で自分の爪に視線をやった。


「綿貫くんも知ってるでしょ。愛羅のママは芸能人で、パパはCEO。忙しいんだ。でも、最近はそれだけじゃない」


「っていうと?」


「ママと喧嘩した。芸能界に入れ、って言われて拒否ったから。なんで愛羅が他人になにか指図を受けないといけないの? って言ったらさ、ママが『あなたを美人に産んでやって、不自由なく育ててきたのに、命令も聞けないの?』って。っつーか、産んでほしいなんて頼んでないし」


「それで喧嘩?」


「うん。っていうか、ずっとママの命令に従う人生だった。

 ピアノを習わされて、水泳やらされて、ダンス、茶道、歌、演技、バカみたいに習い事ばっかさせられた。

 でも、どれを頑張っても中途半端な才能しかなくて、ママはそのたびに失望してた。たぶん、どれが良くても芸能界に入れさせられてたんだろうね。

 だから、なにかにつけて『美人なんだから芸能界に行け』ってばっか言って、才能がないって分かったら、顔さえよければ受かるようなとこに入れようとしてきた」


 愛羅はだんだんと怒りを抑えられなくなってきているようだ。


 それでも“なんとも思ってない風”を装っているが、愚痴は活況に達しており、すでに破裂寸前の風船の如し。


「だから、中学んときにふざけんなって怒ったんだ。

 んで、大げんか。

 ママは意地でも愛羅を芸能界に入れよう、って。それが嫌で嫌で、さっさと彼氏作れば諦めるだろうな、って思ってまーくんと付き合い始めたの。若手女優でも彼氏いるだけでマイナスじゃん?

 でもさぁ、なんか若手のイケメン俳優あてがってやるから別れろ、とか言うんだよ!? マジ死ねよ! 犬かなんかかなぁ愛羅は!? あてがう、ってなんだよ!! 娘に対して使う言葉じゃなくね!? 愛羅はね、愛羅のやりたいことしかやりたくないの!!」


 やにわに爆発した怒声を、なんとも言えない気分で受け流す。


「おお……」


 ただひとつ言えることは、誠人が憐れに思えてきたということだ。愛羅が火の粉を避けるために付き合わされ、ていのいい奴隷として扱われ、私物を壊され、人前で土下座させられ……。


 話がズレてきた。

 本題に戻そう。


「で、なんでパパさんはカードを貸したんだ?」


「……仕事が忙しいし、家にいたら愛羅の愚痴を聞かされるからね。カードを渡して自由にさせておけば、親の責任は果たしてるって考えてるんでしょ。どっちも遅くまで帰ってこないし。最近はずっと家にひとり」


「大変だな、おまえも」


「この話、人に初めてグチった気がする。聞いてくれてありがと」


「まあ、寿司のお返しとしては安いもんだけどな」


「……あ、そうだった。お返し忘れてた」


「何が?」


 隆吾が合点が行かず首をかしげると、


「ほら」


 愛羅がくちびるに指をあて、制服の裾に手をかけた。

 わずかに持ち上げられた布の下から、透徹とうてつの地肌――生白い腹部と小さなヘソが顔を覗かせた。


「……見せてあげる、って約束」


 目を細め、口を小悪魔的に歪める。それは恥ずかしさの裏返しだったのか、耳までホオズキのように紅くなっていた。


 そういやそんな約束をしていたな。

 寿司が美味くてすっかり記憶の彼方に追いやっていた。


 醒めた思考が隅へと追いやられ、感情の鐘が揺れる。


「行くよ……ちゃんと見ててね? 愛羅の、服の下」


 だんだんと持ち上げられていく愛羅の服に、おれはそぞろ興奮を抑えられず、穴が空くほどに見つめる。


 彼女の服はくびれのある腹部を完全に露出させ、なおも飽き足らず上昇し、その柔らかく豊満なバストに引っかかった。裾で乳房が持ち上げられ、その形をわずかに変化させる。

 愛羅の肩に力が入り、秘められた熟実うみみがあと少し、たった一押しで姿をあらわす。


 期待に胸と鼻を膨らませた瞬間、


「はい、服の下見せてあーげた」


「……は?」


 愛羅がバッと服を下ろし、希望が砕かれ、世界は暗黒に包まれた。


「恥ずかしいから、見せるのはここまでですっ」


「嘘だ……」


 隆吾は絶望に胸を焦がし、哀叫あいきょうした。


「よ……よくも騙したなアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!」


「えぇ~……。そんなに愛羅の胸、見たい?」


「見たいッッッ!!!!」


 血涙を垂れ流して慈悲を乞う。


「ふーん、そんなに見たいんだぁ~」


 愛羅が目を細めて、扇情的に舌なめずりをした。


「じゃあ……お部屋に行こっか?」


「ふぁい!」


 口臭改善のため余った生姜ガリを口に詰め込む。

 すっぱい味が舌を痺れさせたが、期待と興奮を静めるには至らなかった。

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