第10話 鬼はどこまで行っても鬼
死に瀕した体を前にして、隆吾は混乱の窮みに陥っていた。
まずはなにをするんだっけ。
頭の中で過去に学んだ緊急時の対処法がぐるぐると再生される。
周囲を見渡したが、誰も通報している様子はない。遠巻きにスマホを向けていたり、連れとぼそぼそ囁き合っている。
事故という非日常的な光景を、彼らは楽しんでいるのだ。
人が死にかけているというのに、ここまで淡白になれるのか。
アテにするべきではなかった。
これが自分の住む世界なのかと思うと、ゾッと寒気がする。
車の男性も相当に狼狽えているようで「どこだ? す、す、スマホ……」と同じところを何度も探っていた。
こっちも使えないらしい。
「だいじょうぶですか? 聞こえますか?」
隆吾は瀕死の青年の肩を叩いて応答を呼びかけながら、声を張り上げた。
「愛羅、救急に通報してくれ!」
「なんで?」
その返答に、隆吾は愕然として振り返った。
愛羅はつまらなさそうに前髪をいじっている。
およそ、人の死を目の当たりにしている人間のする表情ではない。
「だってソイツ、愛羅を轢こうとしたじゃん。綿貫くんにぶつかったじゃん。そのまま死ねばよくない?」
そうだった。
こいつはこういうヤツだった。
先ほど彼女の評を改めようとしたのが間違いだったのだ。
自分の愚かさに
人並みの価値観すら持たない悪鬼が、たまたまそばにいるだけだ。
災害が人に忖度するか?
暑い暑いと不遇を
愛羅とは、そういう次元にいる存在だ。
「分かった。もういい」
隆吾は諦念を込めて愛羅を睨むと、スマホを取り出した。
期待した方がバカだった。
「待ってよ。やるから」
突然、愛羅がすがるように声を発した。
「なにを?」
「救急車。だから、そんな目で見ないでよ……」
愛羅は通話を救急に繋げると、
「もしもし? いま、人が車に轢かれて……」
よどみなく現在の状況、事件の起きた住所などを述べた。
やればできるじゃないか。
できるのにやらなかったことがなお腹立たしいが。
それを見届けて、隆吾は間断なく続けていた肩叩きに注意を戻す。昔教わったとおり、まずは青年の意識を取り戻さなくては。
「だいじょうぶですか? 聞こえますか?」
すると、青年がうっすらと目を開けた。
「あ……あ……」
「……っ! 聞こえますか? 話せますか?」
「う……い……ぃた……い……きこえ……」
「苦しいですか? 仰向けにしましょうか?」
「た……のみ……ます……」
男性と力を合わせて、青年を仰向けの姿勢に動かす。彼の調息はさっきよりもマシになったが、予断を許さない状況だろう。
これ以上、できることはない。
「このまま、救急車を待ってください。意識を失わせないよう、何度も話しかけて」
隆吾の言葉に、男性は何度も首肯した。
差し当たり、青年がすぐに死ぬことはないだろう。胸を撫でおろせるような状態ではないが、これ以上は手出ししたくてもできない。
それにしても……、
「妙だな」
あの男性はこんな視界の開けた道路で、人を轢いてからブレーキをかけた。普通、ぶつかる前じゃないか?
スマホを弄っている様子はなかった。
そもそも、スマホをどこに置いたかもとっさに忘れている状態ということは、手元にはなかったのだろう。
ならば、よそ見をしていたのか?
こんな人の往来が激しいところで?
にしては、まっすぐ進んでいたように見受けられたが。
ならば発想を逆転させて、男性があの青年を轢き殺そうとしたと考えてみる。
しかし、ありえない話だ。あまりにも取り乱しすぎている。
演技には見えない。
そもそも、こんな殺し方をする意図が分からない。
隆吾は汗を拭い、無駄な考えを締め出した。
ここにいると面倒に巻き込まれそうだ。退散しよう。
暮れなずむ空。
まだ夏日は高い位置にある。
さきほどの介抱によって、なんと催眠レベルが『24』にまで急上昇していた。
スマホを見た瞬間に声をあげてしまい、ごまかすのに少々手間取った。
人命救助に成功したおかげで、その報酬も莫大なのだろう。
得られたのは『態度――大嫌い・後輩・先輩・兄姉・弟妹』などのなんとも言えないものから『命令・レベル1』『好感度の閲覧』と有用そうなものまでいろいろ揃っていた。
が、レベル24にしては手に入れたものが少ない。
いままではレベルごとに項目が解放されていたはずだ。
その疑問を解決するのに時間はかからなかった。
探してみれば、ヘルプに新しく説明が追加されていた。
RPGゲームの魔法やスキルのように、レベルが上がったら毎回手に入るわけではないらしい。
っていうか、最初から書いておいてくれ。
「すずしー」
愛羅が仰いで、空調から送られてくる風に涼む。
カラオケ店のなかはまるで楽園のような心地の涼風に満ちており、汗が肌から消えて、空気に溶けていく。
平日の昼間だけあって、人の入りはあまり多くない。
入店もスムーズにできた。
流れている人気ポップソングを聞きながらドリンクバーで飲み物を補給し、用意された個室に入る。
愛羅は持っていたバッグと、首を絞めつけていたリボンを無造作に投げ捨てた。
当然とばかりに荷物で座席スペースを占有した彼女は、悪びれもせずにこちらを見上げた。
「なんで突っ立ってるの?」
「おまえはもう少し遠慮を覚えるべきだな」
「ん? なに? 隣に座りたいの?」
と、愛羅は陣取っていたカバンをどかすと、空いた席をパンパンと叩いた。
「おいで、綿貫くん。一緒に座ろ?」
まるでペットを相手にするかのような物言いに、もはや言い返す気力もなく従う。
「どれにしよっかな~」
愛羅が隆吾の肩に頭を乗せながら、曲を選ぶ。
どっちが先に選ぶか、などの相談はなかった。まあ、予想していたことだ。相手は愛羅なのだから。
さすがに「ずっと歌うからタヌキは曲を入れるな」とは言われなかった。そんなことになったら頭をブッ叩いて退出も辞さないつもりだったが。
「あぁ~神様おね~が~い~♪」
愛羅はマイクを握り、人気の恋愛ソングを気持ちよさそうに歌っている。意外にも上手く、透き通るような高音が耳を抜けて気持ちがいい。
歌詞の要所要所でチラチラとこちらを見ているが、どういう反応を期待しているんだ。っていうかその歌、失恋ソングだぞ。
「はい、次は綿貫くん」
「んっ……」
マイクを手渡され、喉の調子を確かめる。
良好だ。
愛羅の期待のまなざしを横に受けながら、歌い出した。
「クリームの空にぴゅあぴゅあハートがマジマジ上陸~」
「え、なにこの曲は」
「時は戦国、世は戦乱。大和の日の出に悪しき影。悪鬼魔性が闊歩するこの時代。それでも、侍たちは
「待って、イントロと違いすぎない!? ほんとに同じ歌!?」
呆然としている愛羅を完全に置いて行き、このために鍛え抜かれた舌を口内で縦横無尽に駆けまわす。
歌いきると、胸中に久々の充溢感が生まれていた。
やはりカラオケはいい。
好きなように歌い、腹から大声を出すことで、底に沈殿した毒素を発散できているような気がする。
「ふぅ……で、点数は『98点』か。まあまあだな」
「謎に上手いし謎に高いんだけど……。っていうか、さっきのマジで何!?」
「次は魔王少女ブッコリンのオープニングでも歌うか」
「困惑してて曲入れるの忘れてた! 待って!」
「すまん、もう入れちゃったわ」
「早過ぎない!?」
「ぴろぴろりん♪ しゅわしゅわる~ん♪ 萌え萌えハートにずっきゅんピョン♪」
「しかも歌がキモい!!」
選曲機を奪い合う争いを繰り返し、お互いに疲れ切ってカラオケ店を退出した頃にはもう六時を越えていた。
外に出れば、暮色に染まった焼けた空が見える。
入道雲は遠く、日ははるか彼方へと潜っていく。清涼を運ぶ風が、夜の到来を告げていた。
部活を終えた学生。残業していないサラリーマン。
夕飯の買い出しをしている主婦。
諸々が影を濃くした街並みを往く。
隆吾はぐっと伸びをして、ぷはぁと息を吐いた。
「んじゃ、帰るわ」
「えー、綿貫くん。
「ご両親に挨拶はしねえぞ」
「しなくていいよ。きょうはふたりとも帰ってこないし」
「へぇっ!?」
脳裡を千通りのいかがわしい妄想が駆け抜けていく。
いいや、ほだされてはダメだ。相手は愛羅で、この好意も催眠アプリによるもの。欲に負けては畜生も同然。
「こ、断る!」
「じゃあ、さっきのジュースのお礼……」
愛羅が制服の胸元を広げて、そこにおさまっているたわわな果実を覗かせてきた。
「服の下を見せる、って約束は……どうする?」
「そ、そんな誘惑に負けるわけねぇだろ!」
「目がめっちゃ下見てますけど」
「待て待て待て待て……心と精神と頭の準備が……」
「いいじゃん、ね?」
愛羅の小さな手が隆吾の両手に絡みつく。
耳元に口を寄せられ、悪魔のように甘美な囁きが鼓膜に絡みついた。
「……きょうは朝まで愛羅といっぱい楽しいこと、しようね」
「へいッ! 一名様ご案内!!」
理性が二度目の敗北を喫した。
「こっちだよ。ここから歩いて五分ぐらいかな」
欲望のきびだんごに釣られた犬猿雉の気分で引っ張られていると、
「ん?」
ふと、視線を感じて振り返った。
もちろん、往来には人が大勢いるのだから視線があって当たり前。
だが、そんな雰囲気とはまた違った視線が背中に刺さったような気がした。
道行く人々のなかに、怪しい姿はない。
気のせいだったのだろうか。
◆
私は、嘘が嫌いである。
どれくらい嫌いかというと、嘘をついた日には自己嫌悪で吐き気がするほど。
だから、ここ最近はずっと吐き気をこらえている。
真夏日を往くふたり組を遠目に眺めながら、影に隠れて様子を見張る。いったい、どういう成り行きによって彼らがデートをしているのか疑問だったが、それを問おうにも答えてくれる人間はいない。
もちろん、私が通話している相手もそうだ。
どれだけ不遇を嘆いたとしても、歯牙にもかけてはもらえないだろう。もとより、そんなことを期待できるような人間でもないけれど。
「いま、事故の現場から離れていきました」
隆吾と愛羅を見送り、スマホに報告する。
『私も確認した』
抑揚のない声が返ってきた。
相手もどこかで様子を見ているのだろう。
『建物内に入ったら、追って』
簡単に下知を飛ばしてくれる。
愛羅だけでも顔を合わせたくないのに隆吾までいるのだ。こっちだって、発見される可能性が上がる屋内になど行きたくない。
しかし、断れるのならそもそもこんなことをしていない。
「了解」
そう短く告げて、私は忍び足で追跡を再開した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます