第8話 デート

 隆吾は愛羅とバラバラのルートを通って教室に戻ることにした。

 愛羅はあの調子では、放課後にも絡んできそうだ。

 タイミングを見計らって催眠を解除しなければならないが、いつがよいのやら。


 本校舎に戻った直後、


「タヌキくんっ」


 背中から声をかけられて、振り返る。

 円華だった。


「昼休みに別校舎にいるなんて珍しいね?」


「あぁ、ちょっと……」


 頭に“図書館で調べ物をしていた”という嘘が思いついたが、とっさに口を閉ざした。もしも円華がそこにいたら、すぐにバレる。

 下手だと分かっていても、誤魔化すしかあるまい。


「用事があって……」


「ふーん。どんな?」


 円華が体ごと傾けて、顔を覗きこんできた。その透き通るほどの深紅しんくの瞳に映された隆吾の顔は、動揺を隠しきれていなかった。


 いまさら用事の内容なんぞ思いつかない。平々凡々な脳みそでは、多事多端たじたたんに対応できないらしい。

 惚けるにも限度があるな。

 プランBだ。


「こっちの使われてないトイレでエロ動画見てた」


 恥も外聞もかなぐり捨て、拙速せっそくな言い訳を捻りだした。

 もはや、円華の隆吾に対する印象は地に堕ちるどころか貫通してマントルを通り過ぎて反対側にまで突き抜けていることだろう。


「えぇぇぇっ!?」


 円華は首から耳までを朱に染め、目を白黒させた。


「あわ、あわわわ……や、ちょ、えっと……た、た、タヌキくん! 学校でそそそそそういうのはぁ! いけないと思いますっ! ダメです! ダメ!」


 手をブンブンと大きく振ったり、両手をクロスさせてバツマークを作ったり、とにかく大慌てしている。

 しかも、なぜか敬語。

 あれ? もしかしてこういう話に弱いのか?


 隆吾は試しに“なにも映っていないスマホの画面”を彼女に向けた。


「ちなみにこういう動画」


「ひょわあああああああああああああああああっ!?」


 円香はぐるぐると目を回転させると、ぷしゅうと頭から湯気を立ち上らせた。

 どうやらよっぽど免疫がないらしい。腰を抜かしてへたり込んでしまったところを見るに、演技をしているようにも見えない。


 ミステリアスな雰囲気がある円華にも、こんな弱点があるとは。


「ごめん。からかいすぎた」


「うぅぅぅぅぅぅ……ひどい!」


 手を掴んで立ち上がらせると、円華はムスッとした顔で言った。


「タヌキくんのバカ……」


 簡素な罵倒だったが、それが逆に可愛かった。


 彼女はスッと腕を伸ばし、隆吾の両の頬を指でつまんだ。


「うにうにぃ~……反省しなさい!」


「ひゃ、ひゃめへっ! ほへひゃいっ!」


「そういう反応が可愛いから続けます」


「ひょええ……」


          ◆


 放課後。


 真夏だけはあって太陽はまだ高い位置にある。

 もちろん、午後四時も昼時だと言えなくもないが、それでも夜はずっと遠いように感じる明るさだった。


 隆吾はスクールバッグを担いで、そそくさと教室を出た。

 隣で美里が怪訝な顔をして見ていたが、特になにも声はかけられなかった。昼休みにおれと愛羅が同時に姿を消したことを怪しんでいるのだろう。


 地味な失敗が疼痛とうつうとなって響いてきている。

 もっと丁寧に行動を起こすべきなのだろうが、そんな芸当ができるほど頭の出来がよろしくない。


「はぁ……レベルはまだ“3”か」


 手に入れた『超愛してる』の催眠。使いどころがまるで分からない。『恋人』はだいたいどうなるか予想はつくが、これに関しては未知数だ。相手が暴走するようなことになったら非常に困る。


「とりあえず、明日にでもテキトーな誰かを実験台にするか……」


 危ないことを考えながら、校門を出る。

 愛羅の催眠はかかったままだが、解除した瞬間に敵意を向けられては困る。時間切れを狙ったほうがいいだろう。


 学校周辺にまばらにいた学生たちも、住宅街方面に来れば、とんと見かけなくなった。みんな電車で通っているのだろう。

 隆吾と光輝は「近いから」という理由で高校を選んだが、大概の人はそうではないはずだ。


 車が轆々ろくろくと走行する音を聞き、道を往く。


 どうやってレベル上げをするべきか。

 あてもなく歩き回ったところで助けを求める人はそうそうあらわれまい。駅前にでも行ってみるか。

 道に迷っている人ぐらいはいそうだ。


「綿貫くんっ!」


 何者かに後ろから抱き着かれて、隆吾はたたらを踏んで振り返った。


「誰!?」


「ひどいよ~。愛羅を置いていくなんて」


「げっ……」


 愛羅だった。


 走ってきたのか、顔にしっとりと汗をかいていて、頬が赤く上気している。第二ボタンまで外されたシャツの隙間から、汗ばんだ胸の谷間がわずかに覗けた。


 愛羅は調息を繰り返しながらも、こちらを見上げていた。逆徒を尋問する主君のような鋭い目つき。

 一切の嘘を許さない、光の抜け落ちた鈍い虹彩の瞳。


「なに? げっ……、って」


「いや……」


「へぇ~。やっぱり愛羅から逃げてたんだ。だからさっさと学校から出て、帰ろうとしたんだ。へぇ、そう」


 刻みながらぶつけられる言葉に、背筋が凍った。


 追及から逃れる糸口を探る。脳みそが雑巾であったなら、いまは千切れんばかりに知恵という水を絞っていることだろう。

 だが、現実は現実としてあり、それを誤魔化す材料は手元になかった。


 そもそも、なんでこいつに気を遣ってやらねばならんのか。

 もちろん、邪険な態度は催眠解除後に恨みを買う可能性だってあるが、どう転んでも結果はそう変わらないだろう。

 と、隆吾は安易な答えに帰結した。

 つまりは思考の放棄。


「おれはひとりで帰りたいんだ。帰っちゃ悪いか」


「悪い」


「にべもない返事……」


「そっちこそ」


 昼間の殊勝な態度はどこへやら。


「綿貫くんも少しぐらいはみんなみたいに構ってくれてもいいんじゃない? 愛羅はね、ひとりにされると……」


「寂しくて死ぬのか?」


「怒りで我を忘れるの」


「おまえの名前、愛羅じゃなくて阿修羅だったりしない? ごめんごめんごめん謝るから首を絞めないで!!」


 これが破滅的暴力衝動に駆られたツンデレならまだ可愛げはあっただろう。


 しかし、隆吾を害しているのは笑えないイジメの主犯格であり、天上天下唯我独尊を地で行くクソ女だ。

 おまけに反省の色無しと来れば、百点の可愛さはマイナス一億点にまで下落する。


 愛羅の腕がおもむろに首からほどけて呼吸が楽になった。


「言うこと聞いてくれる?」


「死ねクソ女!! 暴力振るったら相手がなんでも言うこと聞くと思ってんだろ! 他の奴はともかく、おれはもう痛みや恐怖には屈しないぞ!!」


「じゃあ、一万円あげる」


「わぁい」


 さすが金持ちだ。ありがてぇ。

 あっさり金に屈したところで、愛羅が再度訊ねてきた。


「これからなにをするのか教えて」


「…………人助けです」


「反骨精神だけでなくボランティア精神にも目覚めたの?」


 本来の目的を懐に忍ばせ、もっともらしい空言を吐いた。


「円華のマネをしてみようと思っただけだ」


「なんでそんなことするの? あの子のことが好きなの? 同じことをやって気を惹こうって?」


「……いや、ただの気まぐれ。なんとなく、人助けをすれば円華のように万人に好かれる人間になれる気がしたんだ」


 背中のかゆくなる嘘を吐くと、愛羅はフンッと鼻で笑った。


「誰にでも好かれるってすごい話だよねぇ。愛羅もムカついたことないし」


「そんなわけで、これから街に繰り出して人助けに明け暮れようと思う。面白味のかけらもないけど、それでもついてくんの?」


「うん! 綿貫くんと一緒にいたいもん」


 なんて健気で可愛らしい返事だろうか。

 それを吐いたのがこいつでなければよかったのに。


「……だけど、おまえに人助けなんてできるのか?」


「なんで愛羅がしないといけないの?」


「そうだよな。おまえはそういう女だった。この場合、責められるべきは無駄な質問をしたおれだよな。ごめんなさい」


「分かればいいの」


「むかつくぅ」


          ◆


 駅前は平日の昼間でありながら往来が激しく、夏の日差しにプラスして人熅ひといきれすら感じられそうな人の群れに溢れている。

 誰もが汗に手をやり布をやり、はたまた流れるがままにしている姿さえ、暑さを呼ぶかのようだった。


 駅と線路に分けられた飲食店やコンビニ。その他諸々はお互いを睨み合うように建ち並び、往来から外れた人々を呑み込んでは吐き出す。

 あのなかはさぞ涼しいのだろう。

 清涼感を求めるなら最適の空間だ。


 トラ模様の遮断機が鳴り始めるのを横目に、隆吾と愛羅は雑踏を見渡した。

 はたして、困っている人などいるのだろうか。

 いままでの人生でそういう場面に出会ったことがないわけではないが、かといってなかなかのレアイベントでもある。


 ここは学校の最寄り駅の、ひとつ隣の駅だ。

 連れの姿を同校の生徒に見られたくない以上、こうして遠くに足を伸ばすほかなかった。


「ねぇ、暑いよ綿貫くん……」


 愛羅が細い柳眉りゅうびを下げて、げっそりしていた。髪が汗でひたいに張り付いている。

 解放されている胸の谷間を手で扇ぎ、微風を送っていた。


「死にそう……」


「我慢しろよ。嫌なら帰っていいぞ」


「じゃあ、せめて日陰に行こうよ。熱中症になるよ」


「それもそうだな」


 駅の東側出口が見える商店街にまで行き、そばにある建物の陰へと避難する。アパレルショップらしく、レディースの服が無数にあった。

 内部から漂ってくるクーラーの冷気が首筋を撫で、一時の安らぎを得る。


 隆吾は近くに自販機を見つけて、サイフに手を伸ばした。

 ちょうど喉が渇いていたところだ。


「飲み物買ってくるけど、おまえもなにか飲む……」


 とまで言って、自分の愚かさに気づき頭を叩いた。


「なんでこいつのために働かないといかんのだ。バカかおれは」


「買ってきてくれないの?」


「嫌だね」


「えぇ! ひどい!」


「おまえに恨みはあっても優しくする義理はねえんだよクソ女。そこで脱水症になって死んどけ」


「お礼に服の下、見せてあげるけど?」


「しょうがねぇなぁ!! 女の子が喉が渇いたって言うならよぉ、動かなきゃ男が廃るわ!! しょうがねぇッ!!」


 優位を保っていたはずの理性が性欲に惨敗し、脳内でリビドーのファンファーレが鳴り響いた。

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