第5話 催眠の結果

 授業が終わり、隆吾は愛羅からの視線を感じて立ち上がった。

 ここで彼女に話しかけられるのはまずい。周囲から不審がられるのだけは避けなくてはならないのだ。

 とはいえ、解除して誠人に狙われるのも困る。まだ安全とは言えない状況ゆえ、愛羅の庇護が必要だ。

 いまは教室を出て、状況を俯瞰ふかんしたい。


「ねえ、タヌキ」


 美里が頬杖をつきながら話しかけてきた。


「な、なんだよ……」


 ヒヤリとしたものを覚えつつ応える。


 そういえば、誠人を殴ったせいで美里の机を吹き飛ばしたんだった。

 あれで怒らないはずがない。彼女の所持品もいくつか吹っ飛んだのだ。壊れたものだってあるだろう。

 まさか、仕返しでもするつもりだろうか?

 いち早く教室を出たい身としては、無視して出て行くことも考えた。しかし、後で騒がれては余計な荷物を抱えるだけだ。

 要件だけでも聞いておこう。


 戦々恐々としていると、意外にも美里は落ち着いた様子で言った。


「大人しくしとけばいいのに、なんでわざわざ反抗するのよ? バカなの?」


「なんでって……ムカつくからだろ?」


「はい?」


 隆吾の素直な感想に、美里は目を白黒させた。


「あいつらはおれの親友を……光輝こうきを殺しかけた。報いを受けさせたい」


 掃除用具入れに押し込められ、脱水症状を起こして入院。愛羅の親と学校側の圧力で転校してしまった友人、内川光輝。

 正義感で抗っているわけではない。

 そんな高尚な考えではなく、ただの勝手な復讐なのだ。

 親友は理不尽に傷つけられ、理不尽に奪われ、理不尽に追放された。これが恨まずにいられようか。


 美里は一転して口を尖らせた。


「じゃあ、私の机をめちゃくちゃにした報いは受けてくれんの~?」


「するわけねえだろボケ」


「なんだとクソダヌキ!! やんのか!?」


「テメェ……今おれが出せるのは二千円までしかねぇぞゴラァ!!」


「脅し文句垂れながら示談にしようとすんなよ!?」


「机めちゃくちゃにしてごめんねゴラァ!!」


「情緒不安定か!?」


 催眠アプリのおかげで完全に気が大きくなっている。

 目の前にいる女に今までどおり頭を下げてやろうなんて殊勝な考えは完全に失せていた。

 まだ牙があった頃に戻りつつあるのだろう。


 ジリジリと火花を散らして睨み合っていると、


「なにしてるの?」


 円華が横から話に入ってきた。

 慈母のような笑顔と優しい声音にあてられ、隆吾の怒りはスッと消えていった。


「ふたりとも、喧嘩はダメだよ~?」


「あ、あぁ。ごめん……」


 無駄に熱くなったせいで彼女に気を遣わせてしまったようだ。


「もうしないよ」


「ならオッケー! ふたりとも、仲直りして? ね?」


 円華に手を取られて、美里との握手を促される。


 いくら円華の頼みでも、こんなヤツとお手て繋いで仲良しこよしはごめんこうむる。

 だいたい、美里だっておれを嫌っているのだから応じるわけがない。


 そう思っていたが、


「……?」


 美里は目を丸くして、取られている手と円華の顔を交互に見ていた。その表情はまるで“ありえない”ものを見ているかのようだった。


 なんだ?

 どうした?


「美里ちゃん?」


 円華の催促に、


「……………………分かった」


 美里はやっと観念して、手を差し出した。

 ぎこちなく、遠慮がちに隆吾と彼女の手が組まれる。その手のひらはしっとりと汗で濡れていた。

 美里の五指から伝わってくる緊張。


 そのあいだも、美里の注意は円華に向いていた。

 顔色をうかがうような眼差しで。


「よかった。これで仲直り成立だね」


 円華が晴れやかに笑った。


「もう喧嘩しちゃダメだよ? じゃあねっ。私は次の授業の準備があるから」


 去って行く彼女の背中が廊下に消えるまで見送って、手を離した。


 円華がいると、誰も喧嘩できないな。

 以前も、こうやって喧嘩の仲裁をされたことがあったっけ。


「……………………」


 美里が考え込むようにうつむいて、手を口に当てている。さっきまでの威勢が嘘みたいに静かだ。

 円華に注意されたのがよっぽど効いたのか?


 そういえば、彼女が円華の前で喧嘩したことはなかった気がする。そのせいもあるかもしれない。

 どちらにせよ、大人しくなってくれて幸いだ。


 目先の問題は片付いた。

 これから善行ポイントを溜めなくては。


 校内を探し回ったところで、困っている人などそうそういない。そもそも、普段から周りを助けていない隆吾がいきなり「手伝いますよ」と言ったところで、不審がられるのがオチだ。

 しかも、ついさっき怒涛の追いかけっこをしたとなれば、見た人間からすれば隆吾は紛れもない要注意人物。

 まず話は通らない。


「はぁ……どうしようか……」


 廊下でひとり、ため息をつく。


 レベルを上げなくてはいけないのに、上げ方が分からないとは。

 愛羅や誠人に反抗してばかりで、人を助けるということをしてこなかったツケが回ってきたわけか。


「……そうだ。円華がいる」


 彼女は毎日のように学校で人助けをしている。そんな彼女を追いかければ、なにかヒントが見つかるかもしれない。


「いまは授業の手伝いだっけ。じゃあ、職員室か?」


 一階に降りて、職員室の扉から中をちらりと覗く。整列された長い机の周りを教師たちが右往左往と忙しく仕事をしていた。机上に雑多に置かれた本やフォルダは授業に使うものだろう。


 奥のほうに目的の人物が見えた。

 円華と養護教諭――保健室の先生である柏木ユカがなにやら話をしていた。


 そういえば保健室の扉はどうなったのだろう。おそらく、誠人によってぶち破られたのだろうが、その相談をしているのかもしれない。


「どうやって入ったもんかな」


 扉の修理ならば出番があるだろう。手伝う理由もちゃんとある。これならイケるかもしれない。


「よし……入ろう」


 と、足を踏み込もうとして、後ろから服のすそをぎゅっと掴まれた。


「ん? ……え?」


 振り返ると、


「げぇっ! 愛羅っ!?」


 そこに立っていた少女を見て、おれは慌てて飛び退いた。心臓が口からまろび出るんじゃないかと思うぐらい、心底ビックリした。


 なんでここにいるんだ、コイツ!?


 恋人の催眠がかかっているとはいえ、どのていどまで性格に影響があるか分からない。

 さっきの言い合いの続きでもする気だったりしたら面倒だ。


 そんな思惑とは違い、愛羅は仏頂面のまま、視線を逸らしていた。


「……タヌキ」


「な、なんだよ……?」


「……話があるの」


「はぁ?」


 なんのことかさっぱりだが、こいつとはいま『恋人』ということになっている。どうせ傍若無人な愛羅のことだ。あれをしろ、とか、これをしろ、とか好き勝手に命令してくるに違いない。


 ここで逆らったら後が怖い。

 ひとまず応諾しておくか。


「いいけど……」


「こっち来て」


 腕を引っ張られて、別校舎に連れて行かれる。こんな人気のないところで、いったいなにを話す気なんだ?


 別校舎には図書館や多目的室など、生徒たちが使用する教室が入っている。もちろん、中休みの時間には、図書室を使うような生徒ぐらいしか通わない。そこ以外にめったに人は通りがからないのだ。


 ここまで生徒たちのざわつきは聞こえてこない。

 風の音、鳥の声、互いの呼吸音……ちょっとした怖さすら感じる蕭々しょうしょうたる雰囲気がある。

 人の眼はない。

 つまり、学校の死角だ。


 隆吾は常に曲がり角を意識しながら、いつ敵が飛び出してきてもいいように構えていた。

 しかし、いつまでたっても出てこない。


 愛羅は隅にある階段の踊り場まで来ると、上目遣いで言った。


「……スマホ出して」


「なんでだよ? さっきの誠人みたいに、おれのスマホでなにかする気か?」


「ちがっ……違うもん! 絶対違うから!」


 やけに必死になって否定してくる。


 顔を上げた愛羅は、うっすらと頬を赤く染めていた。瞳は潤んでおり、持ち前の可愛らしさを遺憾なく発揮していた。


「……連絡先、交換してください」


 恥ずかしそうに、彼女のピンクのスマホを差し出してくる。

 女の子らしいデコレーションがされたそれを見て、おれは言葉に詰まった。


「……へえっ?」


「だ、だから! タヌキの……綿貫くんの連絡先を……教えてくださいぃ……」


 こんなにしおらしい愛羅は初めて見た。

 しかも、タヌキと呼ばずに綿貫と呼ぶなんて。

 これが恋人に対する彼女の態度か。


 こんなにも絶世の美少女に「連絡先を教えて」なんて言われれば一秒もかからずに教えているとも。

 コイツでさえなければ。


 だが、今教えたとして、催眠が解除された後はどうなる?

 どんな悪事に使われるか分かったものではない。


「いやだ」


 隆吾が断固とした口調で言うと、愛羅は悲しそうに眉を落とした。


「……どうして?」


「なんでおまえみたいなクズとそこまで関わらなきゃいけないんだ……」


「じゃ、じゃあ今日から良い子になるから! 愛羅、もう誰もイジメないよ? だから、ね? 綿貫くん、愛羅と……」


「いや、証明できないだろ? あと綿貫くんって呼ぶのやめろ」


「……うぅぅぅぅぅ」


 愛羅はポロポロと涙を流し始めた。

 ひっくひっくと嗚咽をあげて、顔を手で覆ったが、それでも指の隙間からしずくが零れ落ちていく。


 号泣している。


「だってぇ! いきなりそんなこと言われても分かんないもんっ! みんなが愛羅のムカつくことするから! 愛羅だって怒るしかないの! 腹立つことするバカが悪いんだもん! うわぁぁぁぁん!!」


「なんだこいつ。邪知暴虐の王か? 取り除くぞ?」


 性格が変わったように見えたが、中身はやっぱり愛羅だ。

 この“自分は悪くない、他人が悪い”というネズミのクソにも劣る醜悪な性格。


 だんだん腹が立ってきたが、これ以上はまずい。言い過ぎた。

 催眠を解除した後でも記憶が残る。

 催眠中の出来事を不審には思わない仕様であるものの、覚えている以上はどこかで引っかかる可能性があるのだ。

 ここで邪険にした結果、恨まれでもしたら大変だ。


 虎口から脱するために別の虎口に飛び込まなくてはならないなんて、人生とはつくづくようとして先が見えないものだ。


「……交換する」


「ほんとっ!?」


 パァッ、と愛羅は無邪気に笑顔を咲かせた。

 ……やはり、ウソ泣きだったらしい。


「あぁ、だからもう騒がないで」


「ありがとう!」


 と、抱き着いてきた。


 顔の可愛らしさに似つかわしくない、豊満な乳房がぶつかる。柔らかいながらに弾力のある感覚。開かれたボタンの隙間から、胸の谷間が見えた。

 髪から香ってくる桃のような匂い。背中に回された細い腕。どれもこれも男の本能を猛烈に刺激する魅力に溢れている。


 相手が仇敵であると分かっていながら、隆吾はどうにも興奮や嬉しさといった感情が湧いてくるのを抑えられなかった。

 見た目だけでいえば、アイドル界でトップを取れるほどの美貌だ。

 見た目だけ……なら。


 それにしても、この懐きっぷり。

 これが催眠『恋人』の効果か。

 

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