第2話

「契約成立です。それでは、1年後に。」


ピピピピッピピピピッ ピピピピッピピピピッ

「う…うーん。」

目覚ましを止め、もう一度目を閉じる。たった今、見ていた夢を思い出そうとする。さわやかな甘い香りと… 、誰かがいたような……。

しばらく寝ぼけたさえない頭で思考をめぐらすが、時間とともに薄れていく一方だ。諦めて、体を起こしベッドに座り込む。それと同時に、なれた動作で枕もとのスマホを拾い上げる。

七月六日火曜日。

「一限からか。」

ため息交じりにつぶやく。

座ったまま首を動かし視線を順に、時計、窓へと向ける。カーテンの隙間からかすかに見える様子、音、じめじめした空気。

「雨かよ。」

再び、ため息交じりに不満をこぼし、ベッドに倒れこむ。休もう。その決断に至ることに何のためらいもなかった。入学当初の俺ならば、憂鬱とは思えどこの選択はしなかっただろう。でも、今は違う。無意味だということが分かった以上、何をするにもやる気が起きない。

「いかないのですか?大学。」

部屋の隅からあきれたような声で問われる。実は、この部屋には俺ともう一人、女性がいる。俺は彼女のことをほとんど何も知らない。名前や年齢すら。見た目から鑑みるに俺と同じくらいの年齢だろうか。だが、小柄な体型やショートヘアー、童顔な顔つきから高校生にも見えなくはない。自分のことはほとんど明かさないくせに、おせっかいな物言いをしてきたことがなんとなく癇に障った。それが、もともとあった憂鬱さに加算され、俺は無視してスマホをいじる。

雨音が大きくなってきた。こんな日は家にこもって、一日中読書でもしようか。そう考えたとき、ふいに何かが頭の中をよぎる。…読書……本……!!!まだ少し残っていた眠気が即座に吹き飛ばされ、俺は慌ててスマートフォンのメモ帳を開く。

本、返す、7/6

学校で借りた本の返却期限。授業を休むのは自分の責任だが、こういうルールは破りたくない。残りの人生、自分が誰かの役には立つことはなくても、せめて迷惑はかけないようにしたいと思っている。しかたない。

「行くか。」

そう声に出すと、さっそく立ち上がり顔を洗いに行く。決断、行動が早いところは自分の長所だと思っている。顔尾を洗い終えるなり、すぐに洗面所を出て、あっという間に着替えまですます。朝から無駄な時間を過ごしてしまった上に、今日の天気は雨だ。学校までは片道徒歩20分くらいの距離だが、早めに動くに越したことはない。時短のため朝食は軽くバナナで済ませる。授業に出る義理はないが、どのみち学校に行くなら、ついでに授業も出ておこうか。間に合いそうだし。そんなことを考えながら歯磨きを済ませ、返す本と授業道具を準備する。

無視されたことを根にもっているのか、準備中も彼女は一切声をかけてこない。玄関で傘をとり、俺は無言で家を出る。しかしそれは、俺もまだ彼女の態度を根に持っているからではない。ただ「行ってきます」と言う必要がないだけだ。なぜなら、彼女も当然のようについてくるから。家だけでない、学校でも、どこへ行くのにも四六時中俺は彼女と一緒にいる。  

初めのころは、正直相当神経をすり減らしたが、最近は、彼女を空気だと思うことによって、自分の空間を保っている。この生活に慣れるまでには相当の時間を必要とするだろうが。

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