第3話

教室につき、俺は後ろから四番目、左から二番目の席に座る。彼女はその左後ろ。授業を受けるときは毎回そこに座っている。本当は一番後ろの席に座りたいのだが、後ろはなにかと人口密度が高い。かといって、前のほうに座る積極性も俺にはない。よって必然的に、周りに人がいないこの席に座ることになる。そして、席に着くなり今日返す本を取り出す。やっぱり授業を受ける気にはならない。

「エントロピーの増大は自然界の摂理である、しかし、生物はその形を保つことができています。それはなぜでしょう?それは、生物はエネルギーを摂取して、常にエネルギーを放出しているからです。そして、死んだら体が朽ちるのはエネルギーのやりとりが行われなくなり、エントロピーが増大するからです。」

この時間は俺の好きだった立月教授の物理学だ。受ける気を失った今でも、彼女の授業は好奇心をくすぐる。おれは立月教授の研究に興味があり、この大学に入ったくらいだ。しかし、空の青さを訪ねる子供のように、無邪気にその好奇心の首輪を外すと、今度はそいつが俺の首を締めあげに来る。だから、おれはそいつを躾なければならない。自己を律するために俺はそいつに言い聞かせる。俺のエントロピーは着実と、増大する方向に向かっている、いまさら知識をつけたって何にもならないのだ、と。

なぜなら、俺の寿命はあと残り一年もないのだから。

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