第6話

 静かになった知らない部屋で、僕は僕の言葉を考える。


 僕はこの潰れたケーキをどう考えるか。その質問に僕は答えられないでいる。


 二人の僕を見ても仕方がない。彼らは僕ではなかったのだから。


 姿形は同じでも彼らは僕じゃない。見た目は問題じゃないんだ。僕は僕の意思をもって僕であり、僕の行動が僕たらしめるのだ。彼らとはそもそもが異なる。


 その人は、僕にしかなれないから僕になったと言った。じゃあ僕はどうなんだ?なぜ僕は僕なんだ?選択肢が無いから?


 そうじゃない。僕は、僕だったから僕なのだ。僕という人間は、僕というという存在が僕の意思と行動を蓄積して作られたものだ。蓄積のない、存在だけ同じの僕は僕じゃない。


 彼は、僕の世界には自動販売機はないと言った。だが彼は飲み物を持っていたじゃないか。彼は僕を夜の外に連れ出して、先頭を歩いて、道端の自動販売機でジュースを買って、知らない家に入っていった。

 

 それが彼の選択なら、それが彼の意思の形なら、彼が僕のはずがない。彼は僕の知らない世界の僕だ。


 もし僕ならば何と言うだろう。この潰れたケーキに何と答えを出すだろう。


「僕は」


 潰れたケーキの前に膝をつき、消え入るような声を出す。


「僕はこのケーキを知らない。誰が作ったのか、誰のための物なのかも知らない」


 彼らは黙って僕の話を聞いている。


「でもそれって普通の事だろ。僕はこの家の人を知らない。この家の事も知らなかった。この世界にそんなものがあるなんて知らなかったんだ」


 僕はテーブルの下へと転がった一粒のイチゴを拾って、形の崩れたケーキに乗せた。


「僕の世界ならこんなものは無いんだ。でも世界は僕だけの物じゃない。色んな人の色んな世界が混ざり合ってるんだ。作った人も食べる人もそれを知らない人もいる」


 僕は視線を上げて椅子に腰かけるその人を見る。


「このケーキに意味はあったよ。こうやって僕はいま考えさせられてる。君に言わせればそれは決まっていたことなのかもしれないね」


 その人は何も言わない。


「でもこのケーキっていう意思の形は、色んな世界の色んな人の意思が、選択が混ざり合って僕の目の前にあるんだ」


 僕は反対側に立つもう一人の僕を見上げる。


「僕はケーキを落としたくなかった。僕の選択した行動でケーキは落ちたけど、僕は落とそうとしたわけじゃない。それは僕の意思と呼べるの?」


 彼もまた何も言わない。


 こんなに話をしたのはいつぶりだろうか。この世界では僕と二人の僕だけだからこんなにも気兼ねなく話すことができたんだと思うと、ここに来たのも悪くはないと少しだけ思う。


「僕は答えたよ、このケーキの在り方を。だから君たちも答えてよ」


 僕は少しだけ下がって立ち上がる。左側に座るその人と右側に立つ僕の両方が見える、ちょうど三角形の頂点になる位置で彼らに問う。


「君たちは、誰?」


「「僕らは」」



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