第3話

「お誕生日おめでとう」


 僕の目の前に立っている僕は、下手な拍手をして不自然に口角を釣り上げている。ぎこちない笑みを浮かべるその姿は間違いなく今の僕。袖が少し長いトレーナーも、膝に穴の開いたズボンも、お気に入りの赤い靴下も全く同じものだ。


 食器棚のガラスに反射する自分の姿を確認する。僕は僕だ。それは間違いなかった。じゃあそこにいるのは誰なんだ。僕は後ずさりをしながらその人に視線を戻した。


「驚かせちゃったかい?僕は君だよ。この世界には君しかいない。だから僕は君になったんだ」


 その人は話しながらゆっくりと僕から離れて歩き始めた。距離を取りながらついていくと、先ほどまで料理が並べられていたテーブルの前で足を止めた。


「この世界は気に入ったかな?」


 その人は当然のように僕の席に座ってしまった。僕はまだテーブルから少し離れたところに立ち尽くしている。


「どうしたんだい?座りなよ」


 その人はそう言うが、僕の席には先客がいる。僕は仕方なく窓際のソファに腰掛けることにした。


「料理、美味しかったかい?」


 僕が頷くとその人は少しだけ嬉しそうにしていた。


「料理っていうのは食べてもらうためにあるものだからね。食べられて美味しいって思われるならそれが一番だ」


 確かにそうかもしれないが、僕はその意見を全面的に肯定はしない。料理に意志があるわけでもないのにそれが正しい姿だと思うのは人間のエゴでしかない。


 それに食べられる動物や植物が美味しく食べて欲しいなどと思うだろうか。もし意志があるというのなら食べられたくないと思う可能性もあるだろう。


「確かにそう考える事もできるね」


 僕はハッと頭をあげると、その人と視線が合った。その目は何度も鏡で見たことがあるが、なんだか心が見透かされているようで気味が悪かった。


「僕は君なんだから君が考えていることくらいわかるさ」


 でも僕はその人が考える事は分からない。


「それはそうさ。僕は君だけど、君は僕じゃない」


 何が違うというんだろう。


「僕は何にでもなれるという事さ」


 何にでもなれる?


「そう。何にでもなれる。でもこの世界には君しかいないから僕は君になったんだ」


 意味が分からない。


「何者にでもなる可能性があるけど、君しか選択肢が無かったんだよ」


 僕にはなりたくなかったんだ。


「選択肢が無いのになりたいもなりたくないも無いだろ」


 じゃあなりたかったの?


「選択肢が無かったんだよ」


 そう。


「さっきの料理の話と一緒さ。動物や植物は意思に関係なく料理になるしか道が無かったんだ」


 それはおかしい。世界は可能性に満ちているんだから、それらが料理にならない可能性だってあるはずだ。


「でもそれらが料理になった世界から見れば、それらが料理になるのは決まっていることだよ」


 そんなのは悲しい。運命によって未来が定められているのであれば、何をしたって無駄ということになる。僕はそんな世界は嫌だ。


「大丈夫だよ、僕。この世界にはもう僕らしかいないんだから」


「そう、僕らは自由なんだから」


 テーブルの左奥、母の席にもう一人僕が座っていた。

 


 

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