49.クロセル国
「ところでサヤ、二年前に言ったこと覚えていますか?」
「えっ?」
一度軽くぎゅっと手に力が込められて、赤くなっていることを自覚したまま顔を上げる。穏やかな微笑みに少しドキドキしながらも二年前のあの時のことを思い返した。小さく頷くと真っ直ぐな目が私に向かう。
「貴女の気持ちが変わっていなければ、俺の隣にいてもらいたい。でも俺は王という立場になってしまいましたし、その隣にいるということは今までのサヤの生活を一変させるということもわかっています」
「……それって、リクも私のこと大切だっていうことだよ、ね……?」
「そうですね。母の形見を手放すぐらい、とても大切です」
少し動けばちゃり、と胸元から音が鳴る。リクがずっと私がプレゼントしたピアスを付けていてくれていたように、私もリクからもらったこのネックレスとピアスをずっと肌身離さず付けていた。
今の生活は、とても気に入っている。私はこの力で色んな人の思い出の品を直すことができる。お店にやってきたお客さんが笑顔で去っていくのを見るのがとても好きだ。それにカミラやハルバという友人がいて、この世界の母のような存在であるメリーさんのご飯を毎日食べれている。もうこれ以上の贅沢はないっていうぐらい充実している。
それを手放さなきゃいけないかもしれない。そしてリクは、自分の気持ちよりもそのことを心配している。
「……突然言われても、困りますよね」
そっと離されそうになった手を急いで掴みに行く。ここで離してしまったら、もしかしたら次はないかもしれない。
「あのっ……その、少し時間を貰っていいかな……? 前向きに、考えたいから」
「もちろんです」
少し照れてしまうけれど、リクの笑顔を見るとそんなことも小さなような気がした。突然のことだしだからと言って勢いに任せて決めていいことじゃない。真髄なリクに同じようにしっかりと考えて返さなきゃ。
「少し城内を見て回りますか?」
「そういえば、お仕事はいいの?」
「はい。寧ろフェデルタからはちゃんと休めと言われていまして」
苦笑しながらも歩き始めたリクの隣で私も同じように足を進める。前に私もお世話になったそのフェデルタさんだけれど、リクが言うにはリクのお父さんがもっとも信頼していた人の一人だったらしい。リクが他国に見つからないように逃げていた時に、代わりにクロセル国の人たちをまとめてくれていたのだと教えてくれた。
「彼には感謝しかありません」
「フェデルタさんは、今はリクの配下っていうことになるの?」
「立場的には……そうなってしまうのかもしれませんね。でも俺は今でも彼を頼りにしていますし、俺にとっては素晴らしいお目付け役ですね」
それを直接本人に言ったら嫌な顔されたんですけど、と付け加えられた言葉に私もつい笑みをこぼす。多分だけれど、フェデルタさんにとってもリクは大切な人で。そんな人にそんな風に言われるのはあんまり嬉しくなかったんじゃないかな。きっとお目付け役、じゃなくて見守っているつもりだろうから。
それから色んなことをお喋りしながら城の中を歩く。こんな穏やかな気分でこのお城の中を歩くなんて思ってもみなかった。
「そういえば聖女の部屋ってどうしてるの?」
「ちゃんと綺麗にして保管してあります。この国はもう聖女を召喚することはないでしょうが、ですが大切なこの国の歴史ですからね。それと年に一度は今までの聖女の敬意を表して催し物をする予定です」
「そうなんだ。いいと思う」
夢で見た彼女たちは百年に一度ということもあって、物凄く楽しそうに宴をしていたからそういう催し物をしてくれたら彼女たちも喜ぶかもしれない。お酒を飲んで喜んでる彼女たちが脳裏に浮かんでつい笑顔になっていると、聞き慣れた声が私たちを呼び止めた。
「お久しぶりです、サヤさん」
「セシルさん! ここに残っていたんですね」
「はい、王のご厚意で。しかも私、碑石の管理の責任者に任命させていただいたのです」
両手一杯に資料を持っていても誇らしげに胸を張るセシルさんはあまり二年前と変わらない。ただ唯一変わったといえば、前のように疲れきった顔ではないこと。どことなく肌ツヤもよくなっていて活力に溢れている。
「碑石の様子はどうですか?」
「何一つ問題はございません。定期的に巡礼にも行っているのでご安心を!」
「ですがしっかりと休んでくださいね?」
リクが苦笑しつつセシルさんの腕に抱えられている資料に目をやって、そのセシルさんはというとなぜか笑顔で頷いた。
「王が休んでくださればこちらも休みを取りやすいです!」
という言葉付きで。リクはフェデルタさんから注意されたりセシルさんからもこう言われたり、一体どれほどの仕事量をこなしているんだろう。はっきりとそう言われたものだからリクはそれ以上何も言えなくて苦笑するだけで、一方セシルさんはにこにこと笑顔だ。アルフレッド王ならきっとこんな風に言えなかったはず。それだけそれぞれの関係性が良好なんだ。
「……わかりました。近々休みを取ります」
「そうしてください。皆心配しておりましたので、どうかご自愛を」
「はい……」
「……ふふっ」
「……笑わないでください、サヤ」
「あははっ、ごめんね?」
微笑ましい光景につい笑顔になってしまう。困り顔のリクににこにこ笑顔の私とセシルさんの姿を見て、すれ違う人たちは目を丸くしながらも少しだけ破顔していた。
セシルさんと別れてしばらく廊下を歩いていると、遠目からわかるほどの肉体の持ち主が騎士のような人と談笑をしていた。こんなところにいたんだ、と私たちが声をかける前に先に向こうが気付いてこっちに軽く手を振った。
「おう、城内デートか」
「デっ……?!」
「どうですかカイゼルベルク王、改善点はあるでしょうか」
「いいや今のところはねぇ。随分と開放的になって過ごしやすい」
カイゼルベルク王のデート発言に照れたのは私だけで、リクとカイゼルベルク王は普通に会話していてとても居た堪れなくなる。リクは真剣な顔して会話しているし、邪魔できないよねって少し縮こまってると視線を感じた。まさか、と思いチラッと視線を上げてみれば案の定、ニヤニヤ顔のカイゼルベルク王の顔がそこにある。私だけからかわれた……!
「騎士の訓練の折り合いはどうだ?」
「そうですね、やはりクロセル国の人間でない人たちは中々訓練についてこれず……同じように鍛えるのは無理なんでしょうか……」
「お前らは小さい頃からの英才教育があるからな。基礎が全然違ぇのよ。まったく同じようにやれっていうのは中々難しい話――」
「お取り込み中すみません、リクルス王。少々よろしいでしょうか」
「失礼」
カイゼルベルク王に一言断りを入れたリクはやってきた人と何やら混み合った話をしている。カイゼルベルク王は特に気にした様子はなく気長に待っているけれど、私はやっぱりどこか立場の違いを感じてしまう。それほど、この二年の間どれだけリクが頑張ってきたかの証拠なんだけれど。
「更に男前になったアイツに惚れ直したか?」
「なっ、も、もう! からかわないでくださいよっ」
「寂しそう~に眺めてるもんでついな!」
つい、でからかわれた方は堪ったものじゃない。頬を膨らませているとその頬にブスッと指を刺されて口から空気が漏れた。
「だがまぁ、アイツは元から素質があったのよ。昔からどこまでも貪欲で勤勉だった」
刺された頬が少し痛くて軽く擦りながらカイゼルベルク王の言葉に耳を傾け、そして頷く。確かにリクはいつでも冷静で、色んなことを知っていて、その時最も最善の方法を選んでいた。タイミングも場の空気を読む力も長けていた。
「それがただの騎士で埋もれるなんざ、もったいねぇだろ?」
「……カイゼルベルク王の言葉は、私もよくわかります。リクの助けがいる人がきっとたくさんいるんですよね……でも」
その重圧だけを背負ってつらくないわけがない。一方的な期待はたまにとても苦しいものになる。私も『聖女』としての立場で経験しているから、それが少しだけわかる。
「だからお前さんが必要なんだろ」
ぽん、と背中を叩かれて顔を上げれば笑顔のカイゼルベルク王と目が合う。そう、なのかな。私も少しはわかるから、リクの大変さもわかってあげることができるのかな。
「すみません、お待たせしました」
いつの間にかリクは戻ってきていて私の目の前に立っていた。色々と考え事をしていたから咄嗟に言葉が返せなくてただ立っていた私に、リクは笑顔で首を傾げる。
「リクルス、サヤを例の場所に連れて行ってみたらどうだ?」
「そうですね。サヤ、連れて行きたい場所があるんですが、大丈夫ですか?」
何も喋らなかったから私が疲れたと思ったのかもしれない。慌てて「行く」と言って首を縦に振る。まだ城内を見て回るというカイゼルベルク王から笑顔で見送られて、再び私たちは歩き始めた。
カイゼルベルク王も言っていたけれど、本当に解放的になった。復興のためにあらゆる人たちに協力を得ているから、より情報交換しやすいように居心地のいい場所を目指していたらこうなったのだとリクは緩く笑う。本当に、お城って王様の内面を表しているみたい。
しばらく歩くと一旦城の外へ出てしまった。どこへ行くのだろうと思いつつ、いつの間にか繋がれた手に引かれるように後を付いて行く。前見た時、ここもこんなに舗装されてはいなかった。雑草も生え放題でそういえばすれ違ったサブノックの騎士がサボる場所に適している、と言っていた場所も今は綺麗に整理されていてベンチなども設置されている。サボる場所が普通の休憩場所になっていた。
たどり着いた先は門が設置されていて、特に鍵がかかっている様子もない。リクは軽くフェンスの門を押してすんなり中へ入っていく。どこなんだろう、という疑問は中に入るとあっという間に解決された。目の前に広がる、あらゆる墓標。ところどころにお花が置いてあって誰かがやってきた痕跡もあった。
その一番奥、他のものとは違って一際立派な墓標が設置されている。書かれている文字は聖女の力のおかげで読むことができる。そこに書いてあった文字は、何度もリクの口から聞いたことのある名前だった。
「ここもアルフレッド王の時は荒れ放題だったんです」
「そうなんだ……あの人が故人に手を合わせるなんて想像できない」
「その通りです。サヤの想像通り、一度もアレキサンドル王の墓標に花を添えることはなかった――それが許せなくて、わざと立派なものに建て替えたんです」
目を丸くしながらリクに視線を向ける。彼は墓標から目を離すと私の方を見て微笑んだ。
「サヤが思っているようないい人間じゃないですよ。俺は結構、根に持つタイプです」
ほら、と彼が指差した方向はアレキサンドル王のものとはまったく違う、物凄くこじんまりとした墓標。距離も離れていてよく目を凝らして見てみると、そこにも見覚えのある名前が彫られていた。
「本当は同じ空間に埋葬するのも嫌でした」
「……それだけリクは、アレキサンドル王のこと慕っていたんだね」
「そうですね……実は、アレキサンドル王も彼の右腕であり俺の恩師でもあったスクワイア様も、『呪い』に侵されました」
「えっ……」
「今はカイゼルベルク王が他国から解術師を呼び寄せることができましたが……スクワイア様は、間に合わなかった」
それだけ解術の方程式を構築するのが難しいのだと教えてくれたリクの声は、少しだけ震えていた。
「もう誰も『呪い』に苦しむことがない、そんな国にしたいです」
自分のことをいい人間じゃないって言う、根に持つタイプだと言う。王として頑張っているリクに寂しさを覚えたのも本当で、少しだけ距離が空いたような気もした。
でもリクは変わっていない。いつも誰かのために行動しようとする、優しい人のままだ。この世界に一人放り出されて不安になっていた私を支えてくれたように、きっとこれからも色んな人を支えようとしてくれる――そんなリクを、私も傍で支えてあげたい。
リクのことを守ってくれていたアレキサンドル王と、そしてその隣に立っているスクワイアさんという人の墓標に向かって手を合わせる。きっとこの人たちもそんなリクのことを想って守っていたんだろうから。
少し墓標の前で談笑して、そしてリクに習って頭を下げてその場を去る。そこから去る時もリクは私の手を繋いだ。
「ねぇリク……その、王様の隣にいる人って、何をすればいいのかな?」
「そうですね、貴族社会を廃止したので社交の心配はありません。あとは政治について少しの教育と作法など……と、お世継ぎ……」
「お世継ぎ?! あっ……」
とんでもない言葉が飛び出してきて咄嗟に変な声を出しちゃったけど、でも、そうだよね、お世継ぎ。うん、お世継ぎ。王様の跡を継ぐ人がいなきゃいけないから、そうだよね。
「別に世襲制というわけでもないので、優秀な人材を跡継ぎに指名すれば問題はないですよ?」
アワアワしている私のことを気遣ってそう言ってくれるリクに対してますます恥ずかしさに襲われる。別に、リクのことが嫌だからって慌てているんじゃなくて。ってなんだか視界が滲んできた。そんな滲んでいる視界に笑顔のリクが見えた。
「焦らずに、ゆっくりとやりましょう? 色々と一気に教えられたら混乱するでしょう?」
「あ、う、そ、そうだね……あの……お手柔らかに、お願いします……」
立ち止まると手を繋いでいたリクの足もつられて止まる。尻窄みになってしまった私の言葉はちゃんと聞こえただろうか。
ふと顔に影が差す。それは一瞬で、目を丸くして口をパクパクするしかない私に顔を離したリクはくしゃりと笑顔を浮かべていた。
「お手柔らかに、ですね。少しずつ慣れていきましょう」
「ひゃ、ひゃい……」
二年の間に、じゃなくて。元よりリクは男前で、私のペースにずっと合わせていてくれていただけに過ぎなかった。顔も耳もあちこち真っ赤になってギクシャクとしか動けない私の手は優しい手に思いきり引っ張られて、その胸に飛び込んだ。
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