45.藍晶石の記憶⑩

 文化も何もかも違う、けれど不思議と言葉が通じるのはサヤが言うには聖女の力が働いているのではないかということ。二人で「そんな便利なことがあるんですね」と言いながら、彼女との会話は増えていった。

 こうして彼女と話すようになってわかったことがある。確かに今まで過ごしてきた世界が違うとは言えど、彼女は至って俺たちと変わらない人間だということだ。楽しいことがあれば笑うし、悲しいことがあれば涙を流す。寧ろ彼女……サヤは、見知らぬ世界に召喚され一方的に聖女を押し付けられただけなのに、それでも苦しんでいる人々の為にと必死で聖女としての責務を全うしようとしていた。

 自分には関係ないと放り出してもよかっただろう。途中で逃げ出すことだってできたはずだ。それでもそのような手段を取ることはせず、日々努力しようとしている姿はあまりにも健気だった。健気で、優しい女性だった。

「サヤは、あまりの理不尽さに腹が立ちませんか」

 道中で会話の途中、突然そのようなことを聞かれても困るだろう。けれど口からぽろりと出てしまった言葉は今更なかったことにできるはずがなく、それならばもういっそ聞いてしまおうと彼女に視線を向ける。

「……正直に言うとね、なんで異世界の人に押し付けるんだろうって思ってはいるよ。自分の国なのにって。王だって非協力的だし……でも」

「でも?」

「困ってる人は確かにいて、その人たちのことを放ってはおけないかなって」

 然も当然のようにそう言えるのは、彼女が心優しい人だからだ。なんとなくわかっていた答えに愚問だったなと内心苦笑をもらす。

 俺は理不尽さに怒りを覚えざる得なかった。いつも大切なものが奪われていく。奪っていく奴らももちろんのこと、簡単に奪われてしまう自分に怒りが込み上げてきてそれを必死に押し留めていた。なんとか耐えてこれたのは俺を支えてくれる人たちがいたからだ。

 俺もその人たちのように彼女を支えることができるだろうか。最近そんなことばかり考えてしまう。理不尽に怒りに任せて当たり散らすわけでもなく、不安な中でもそれでも自分にできることを必死でやろうとしている彼女に。少しでも心に余裕が持てるように支えてあげたいと思ってしまう。それは同情から来るものなのかはわからない、けれどできることなら彼女にはいつも笑っていてほしかった。


 世の中自分の思うように動くことなんてまずない。そうであれば父は討たれることもなかったし祖国が滅ぼされることもなかった。アレキサンドル王や、スクワイア様が『呪い』にかかることもなかった。メリーさんの夫であるアレクさんだって、あそこまで弱ることもないだろう。

 今回もそうだ、支えてあげたいと思っていた人がまた不条理な思いをさせられる。あれだけ、自分とは関係のないサブノックの人たちのためにと必死に役目を全うしようとしていたのに。もし王が協力的であれば、霧が広がる速度も落とすことができたというのに。あの王は、自分の思う通りに動かないという理由だけですべての責任を彼女に負わせる。

 例えここで王の首を刎ねたところで国内が増々混乱するばかりでなんの解決にもならない。なんの地位もない、ただの一人の騎士である俺が止められるわけがない。彼女も周りの迷惑になるぐらいならと国から追放しようとする王の言葉に頷いてしまった。それでも引き止めようとする俺に、ゆっくりと顔を上げたサヤの表情は笑顔でもどこか痛々しい。

 突然王の元にやってきた新しい聖女には視線を向けることなく、王のあまりの態度の違いに唖然としているサヤを見つめる。あんまりだろう、ここまで理不尽な思いをさせる必要なんてまったくないというのに。どんどんこの国に嫌気が差している自分にも嫌になってくる。あれだけアレキサンドル王が愛した国に、そんな感情を抱くことになるなんて。

 王たちが去ったこの場所にはサヤと共に巡礼に向かっていた者たちだけが残っている。彼女がどんな気持ちで聖女として立っていたのかわかっているからだ。誰もが表情を歪め、頭を下げる。例えサヤにもういいと言われてもその頭は上がることはなかった。

 俺たちに一礼して立ち去るサヤの背中を見送り、俺も急いで自室に戻る。子どもの頃俺が一人で逃げていた時とはまた状況が違う。この世界のことをよくわからないまま放り出されることになってしまうサヤが、果たして無事に生きていけるだろうか。

 部屋にたどり着き真っ先に机に向かい、引き出しに入っている便箋を取り出す。この便箋はアレキサンドル王がまだご存命だった時にもしもの時にと頂いた魔道具だ。内容を書いて受け取って欲しい人の元へとほんの少し魔力を込めればそのまま瞬時に届けてくれる。前に、アレクさんが亡くなったと聞き一度フェネクス国へ戻った時にメリーさんへこの手紙が届くようにと魔法を設置しておいた。

「まさか、こういうことに使うとはな」

 次に使う時は俺がまたフェネクス国に行く時だろうと思っていた。日にちを書いてその日にまた顔を出すから、とそういう内容になると思っていたと表情を歪める。

 紙にこれから向かう女性のこと、その女性がどんな人でどういう経緯で向かうことになってしまったのかを綴る。そしてしっかりと保護してほしいと最後に付け加えた。ほんの少し魔力を込めれば手元にあった便箋がスッと消える。手紙を送れば今度は別の紙に必要なものを書き、その紙をポケットに入れる。

 意外にもサヤは行動が早いからもうすでに行ってしまっているかもしれないと、急いで俺も先程までいた場所へ向かう。サヤの持ち物は異世界の私物であって、それがこの世界で役に立つとは思えない。ほぼ何も持たない状態でまだ霧が発生している場所に女性一人を歩かせるわけにもいかない。門のところにたどり着くとその姿はやっぱりすでにそこに来ていた。

「サヤ」

 振り返った彼女は悲しく歪んでいる表情ではなかったものの、どこか疲れを感じさせるものだった。それもそうだ、勝手に聖女を押し付けられ必要でなくなったからと勝手に追い出される。あまりの理不尽に怒りを感じなくとも疲労は感じるはずだ。

 そんな彼女になるべく不安な思いをさせないよう、笑みを浮かべて歩み寄りポケットに入れていた紙を取り出す。そして落とさないようにしっかりと、戦いなど知らない女性らしい細い手に乗せた。

「隣国であるフェネクス国に向かってください。どの国よりもそこは安全なはずです」

 メリーさんなら必ずサヤを助けてくれるはず。気骨があり優しいメリーさんのことだ、もしかしたら彼女を気に入るかもしれない。フェネクス国ならサブノック国のように霧が発生しているわけではないから、魔物に遭遇することもない。それに、カイゼルベルク王ならすべての事情を知った上でもきっと保護してくれるだろう。

「リク……」

「ここに書かれている宿屋の主人を頼ってください。俺の知人です。きっとサヤの手助けをしてくれるはずです」

「……ごめんね、わざわざここまでしてくれて……」

「……この程度のことしかできなくて、申し訳ない」

 できることなら、彼女に付いて行ってしっかりとメリーさんの元へ送り届けたい。けれど、アレキサンドル王のことを思うとまだこの国を離れることはできない。多く貰った恩をまだ返しきれてはいない。

 サヤを送り届けたいと思う気持ちとアレキサンドル王への恩返しのことで板挟みになり、心苦しくなる。どちらか片方を選ばなければいけないけれど、どちらを選んでもきっと俺は後悔する。

 そんな気持ちをサヤに悟られまいと首の後ろに手を回し、ホックを外す。首から離れていくそれにほんの少しの寂しさがあるが、けれど今俺が彼女にできることはこれしかない。

「これは……?」

「お守りです。サブノック国は霧が濃く、魔物に遭遇する確率も高いです。なのでそれを身につけておいてください。きっとサヤを守ってくれるはずです」

 これには反射魔法もあるし、何より転移魔法もある。万が一魔法石が壊されることがあっても俺はサヤの元へ転移できる。そんなことあってほしくはないが、けれど何かあっても彼女を守ることができる。

「ありがとう、リク」

 微笑む彼女に同じように笑顔で返し、城を去っていく背中を見つめた。

 不意に胸元に手を当てる。母が亡くなってからずっと肌身離さず身につけていたものだ、そこにあるのが普通だった。それが今はなく、まるでぽっかり穴が空いたようにも感じる。けれど後悔はない、あのペンダントは今まで俺を守ってくれていたようにきっと彼女のことも守ってくれるはずだ。

「……傷付いてほしくない相手に送るのは、間違いじゃないですよね……母上」

 手元に残ったたった一つの形見を手放してでも、俺はこれ以上彼女に理不尽な思いも傷付いてほしくもなかった。

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