44.藍晶石の記憶⑨
巡礼に行くということは、霧が濃くなっている中を突き進むということだ。当然聖女の護衛は付くものとばかり思っていたが、どうやらそんな雰囲気ではないようだ。あまりにも気の引き締まっていない騎士たちを横目に見つつ、アルフレッド王に騎士の指示を任されている騎士団長の元へと赴いた。
「騎士団長、少々お時間よろしいでしょうか」
「何だ」
如何にも迷惑そうな顔をしていたが彼は大体普段からこういう顔だ。恐らく俺のことをよく思っていないのだろう。だがそんなことは気にせず口を開く。
「聖女の護衛はどうするんでしょうか」
「巡礼は聖女と神官の役目だ。騎士が動く必要はない」
「魔物が出現する場所に聖女と神官だけで行けと言うのですか」
「王から何も指示は出されてはいない」
これだ。この人は常に王の命令しか聞かない。言われた職務だけ全うすればいいと思考を放棄している。そんな人物に何を言っても無駄だと思い、「失礼します」とだけ言ってその場を後にした。恐らく俺が勝手に動いたところで気にも留めないだろう。だがそれがかえって都合がいい。
話によると聖女は一通り神官から聖女のことについて学びその後すぐに巡礼のために出立。俺も急いで準備をした方がよさそうだと自室に戻る。身軽に動けるように必要最低限の物だけ、とは思ったが旅に不慣れな神官と……恐らく聖女の方もそうだろう。彼らにもしものことがあった場合にと薬などもホルダーに収めていく。
一通り準備が終え門の方へ向かってみればすでに人影が数人。最初に俺に気付いたのは巡礼の責任者だろう、軽く目を見張っているところを軽く頭を下げる。そして次につられるように俺に視線を向けたのは、右も左も分からないまま巡礼に赴くことになった聖女だった。微笑んで、軽く頭を下げる。
「初めまして、リクと申します。この巡礼に騎士として同行致します。俺一人では不安だと思いますが」
「い、いえ! ありがとうございます! えっと……榊原紗綾、と申します。よろしくお願いします」
丁寧に自己紹介をし頭を下げる彼女に「こちらこそ」と返す。しかし異世界の名前か、少し発音がしづらい。それを彼女も察したのか「サヤと呼んでください」と付け加えた。
「わかりました、ではサヤ様と」
立場上呼び捨てなどはできないと咄嗟に敬称を付ければ彼女は戸惑ったような表情を見せた。言われ慣れてない反応だ。少し神官の方に視線を向ければ彼も困ったように少し眉を下げた。正直異世界からの客人ということもあってどう扱っていいのか神官もわからないようだ。
一体どこまでこの世界の常識が彼女に通じるのか、そして彼女の常識が果たしてこちらで通用するのか。国が変わればルールが変わるように、それが世界規模となるとまたまったく違ったものになるだろう。それを如何にお互い照らし合わせられるかだ。
ともあれ、どこか緊張している彼女に少しでも肩の力が抜けるよう、そっと背中に触れると小さく肩を跳ねさせたものの彼女は小さく笑顔を作った。
責任者のセシルさんの采配か、魔物など見たことがない彼女のことを考慮して最初はなるべく近場の碑石に向かうことになったようだ。とは言っても風化している碑石に向かうものだから、霧も若干濃くなっていく。突如として出現した魔物を迷うことなく横に薙ぎ払えば後ろから小さな悲鳴が聞こえた。刀に付いた血を払いながら後ろを振り返ってみれば、そこには口元を押さえ真っ青になっている顔。
ああ、彼女の世界ではこういうこともなかったのだとすぐに察しがついた。今度からはなるべく視界に入らないように気を付けるしかない。彼女に歩み寄り少しだけ身を屈める。
「すみません、怖かったですよね」
「い、いえ……あの、少し……びっくりしただけで……」
「今後気を付けます」
「なっ、慣れるように頑張りますっ」
怖かっただろうに気丈に振る舞う彼女になんだか申し訳なくなってくる。確かにこの世界に召喚された以上、もう慣れるしかない。神官さえも魔物と対峙することはままあることで、そして倒すところも何度も見て慣れている。しかし血生臭さなど、彼女とは縁遠いようにも思えた。
それから魔物はあまり出てくることなく、もし出た時は神官たちにさり気なく彼女の視界を遮ってもらいそのまま碑石へと突き進んだ。王から馬の支給などもなく歩きでここまで来たが、俺にとって大した距離でなくても神官たちの息は上がっている。神官ですらこうなのだから、彼女はどうだろうと視線を向けてみると明らかに疲労の色が見えていた。その体調で碑石の修復をしても大丈夫なのだろうかと心配するほど。
しかし彼女は碑石の前に膝をつくと両手を掲げ、碑石の修復に勤しむ。肩で息をし汗が頬を伝う中、集中を切らすことはなかった。やがて光が碑石に収束したかと思うと辺りの空気が軽くなる。視界がクリアになり辺りを漂っていた霧が消えた。息を深く吐き出し腕をダランと下ろした彼女に近寄り、労るように肩を叩く。
「お疲れ様でした。ではここで休憩しましょう」
「え……? でも、すぐ次に行った方がいいんじゃ……」
「今進んでも疲労で倒れるだけです。一旦休み、息を整えてから行きましょう。そうでないと彼らも大変ですから」
チラッと視線を向けてみれば汗を掻き、水分補給をしている神官の姿。中には両手を膝について中々立ち直れない者もいる。このまま進めば死屍累々だなぁ、と少し不謹慎なことを思いつつももう一度彼女に視線を戻せば疲れている神官のことを思ったのか、小さく頷く顔がそこにあった。
一旦休憩の旨を伝えると彼らも頷き、各々地面に腰を下ろす。セシルさんは他の神官と霧の状況と範囲を確認しているようで、真剣な顔付きで言葉を交わしている。あそこに騎士である俺が割って入っても邪魔なだけで、そして彼女もその辺りはセシルさんに任せているようでぽつんと座っていた。自然と、俺も彼女の隣に腰を下ろしホルダーから瓶を一つ取り出し彼女に差し出す。
「どうぞ、回復薬です。少しは疲れが取れると思います」
「あ……ありがとうございます」
両手でしっかりと受け取った彼女は頭を下げ、そして瓶の蓋を開ける。迷うことなく口に含んだのには流石に少し心配になった。別に怪しい者ではないけれどほぼ初対面の人間から貰ったものを、疑うことなく簡単に口に入れて大丈夫だろうか。あとで少し注意しておこう、と思いつつ視線を彼女から外す。
「栄養ドリンクみたいなものかな……」
「栄養ドリンク?」
「あっ、えっと、飲んだら疲れが取れるっていうか、元気になれるっていうか……? うんと、まぁ、そんな感じ? のものです」
「サヤ様の世界にもあるんですね」
「似てる、っていう感じですけど」
「他には? この世界にあって、サヤ様の世界にないものなどありますか? その逆なども」
「そうですね……」
少しずつ、話しているとリラックスしてきたのか彼女は俺の問いかけに色々と答えてくれた。彼女の世界には魔物はいないし彼女の国では争いもない。霧は発生するけれどそこから魔物が出てくるなんて絶対にないと目を丸くしながらも、逆に魔法の類も一切ないとのこと。怪我をした時などどうしているのかと尋ねてみれば、薬やガーゼ、包帯なので手当てするのだそうだ。この時に聞き慣れない「手術」という単語も出てきた。重度の場合は人の手で肉を切り糸で縫うのだと聞いた時、割りとグロテスクなことをするんだなと笑顔を浮かべながらも彼女の言葉に耳を傾けていた。
そうして、時間があれば彼女の世界のことを聞きそしてまたこちらの世界を彼女に教えることが増えた。やはり違うところも多々あったものの、彼女の物事の考え方はどちらかというとフェネクス国に近いものだった。これならばサブノック国に身を置くのは彼女にとってつらいものかもしれない、そう思いながらも巡礼の護衛を務める。
幾度か碑石を回ったが、人手不足もあって霧が広がるスピードに対し碑石の修復が間に合わない。せめて王がもう少し協力的であれば、と彼女も思ったのか直談判に行ったようだが一蹴されてしまったのだと肩を落としていた。このままだと、神官とそして俺の負担が大きすぎると危惧していたようだった。
神官は確かにそうだが、俺のことは気にしなくてもいいのに。それを言っても彼女なら気にするか、そう思っているところ袖を小さく引かれた。どうしたのだろうと首を傾げ視線を向けてみると、少し言いづらそうな小さく口を開閉している姿が目に入る。
「どうしました?」
「リクさんって……私とそう歳変わらないですよね?」
「そうですね、同じぐらいだと思いますが」
月日の経ち方がこっちの世界と向こうの世界と一緒なのかはわからないが、彼女とこうして話していると歳はあまり変わらないように俺も感じていた。それがどうしたのだろうと再度彼女に視線を向ける。
「えっと、あの……これから、リクって呼んでいいですか? それと、もう少し言葉遣いも砕けたものでいいでしょうか……?」
彼女の立場を考えたら断るべきなのだろうけれど、この場には神官と俺と彼女しかいない。そしてその神官たちは随分と彼女と親しくしているようで、言葉遣いことは丁寧だが最初に比べて随分とフランクになっていた。
まぁ、この場には咎める騎士団長もいなければ王もいない。気にする者などいないか、と彼女の言葉に承諾した。そもそもこの世界では向こうの世界のように彼女の親類も親しい友人もいない。寂しさを少しでも拭えることができるのならば、断る理由もない。
「いいですよ、サヤ様」
「あとそれとですね!」
「なっ、なんでしょう」
めずらしくもあまりの勢いに押されていると、彼女はそのままズイズイと距離を縮めてくる。我に返れば恥ずかしがるだろうに、と気付いていない彼女に内心苦笑をもらしつつ言葉を待つ。
「できれば、サヤと呼んでもらいたいです! そんな、『サヤ様』なんて、私そんな風に呼ばれる人間でもないですし……」
リクさんが困るのもわかるんですが、と肩を落としてしょんぼりとする彼女につい小さく吹き出してしまう。そんなことをこんなにも申し訳なさそうにお願いしてくる人なんて初めて見た。
「わかりました。王など上の方々が見ていないところでこっそりとそう呼びましょう。サヤ」
「……! ありがとうございます!」
「敬語も結構ですよ。ついでに俺のことも『リク』と気軽に呼んでください」
「うん……! あ、ありがとね、リク」
恥じらいがあるのか若干しどろもどろなサヤの姿を見ていると、微笑ましくてつい顔が綻んでしまう。不思議な人だ、打算や謀略など何一つ知らない純粋さを持っている。貴族や王族が持っているそんな腹が黒いものを、今後も知る必要はないとすら思えてしまう。
喜んでいるサヤを眺めているとはたと何かに気付いたようにピタッと止まり、俺に視線を向けてくる。今度はなんだろうかと楽しみにしながら首を傾げるとサヤはほんの少しだけ困惑顔をした。
「えっと……リクも私に敬語なんて使わなくていいからね……?」
「それは困りましたね。俺は常にこれなので……」
「むむむ無理はしなくていいから! ごめんね!」
「ははっ、こちらこそすみません、サヤ」
パタパタと手を動かしている様子がまるで小動物だ。ほんの少しからかった形になってしまったことに謝ると、今度は小さく頬を染めてか細い声で「もう……」とこぼしていた。
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