43.藍晶石の記憶⑧
口元に手を添えて、嗚咽を抑えている者もいれば縋るように泣き崩れている者もいる。
アレキサンドル王が急死した。宰相であるスクワイア様が姿を現さないアレキサンドル王を不審に思い、寝室に向かってみれば眠るように息を引き取っていたそうだ。その知らせは瞬く間に城内、または国内に広がり現在葬儀が執り行われていた。一人息子であるアルフレッド王子は先程から墓標の傍で蹲りひたすら泣き叫んでいる。
まるで王を慕っていた人々の想いを表すかのように先程から雨が止まない。ずぶ濡れになりながらも未だこの場に立っているのは王に恩義を感じている者と、そして王子とその取り巻きだけ。貴族は雨が降り始めた頃に早々に退散した。
蹲る背中にジッと視線を起きる――あまりにも不審な死だ。王は重症を負っていたわけでもなければ病に侵されていたわけでもなかった。母やアレクさんの傍にいたため、病に侵された人間がどのように弱っていくのか俺は知っている。
あまりにもわざとらしい泣き方に、疑念が段々確信へと変わっていく。だが証拠がない。
「少しいいか」
スクワイア様に軽く肩を叩かれそう小さく呟かれた声に頷き、その後ろ姿についていく。少し離れた場所で木の陰に隠れながら彼は口を開いた。
「どう思う」
「証拠がない、ということは……『呪い』である可能性があるかもしれません。どういった『呪い』かまではわかりませんが……それに」
真っ先に駆けつけたスクワイア様が寝室で見たものは、いつもと変わらない風景であったもののベッドサイドにはティーカップが置かれていたとのこと。毒の反応がなかったためそれは証拠とはならなかったが、アレキサンドル王は寝る前にお茶を飲む習慣がなかったことをスクワイア様が誰よりも知っている。
毒でなければ考えられるのは『呪い』。本来魔物に含まれているそれは、処理していない魔物を口に含まなければ決して人に移るものではない。だが、それを知っている人物がいたとすれば。例えば貴族に、例えば……最近王子の周りをうろついている魔導師に。
それを手に入れようと思えばいくらでも手に入る。城周辺はそうでないにしろ領地の端々の方では霧が濃くなっている場所もある。そこに行って、魔物を狩ればいいだけ話しだ。
だがそれを誰がやったのか、誰がティーカップに淹れたのか、誰が飲ませたのか、その証拠が何一つない。ただ俺は以前、アレキサンドル王が寂しげな表情で「息子の淹れたお茶を飲んでみたい」という言葉を聞いたことがあった。だからこそ、王子の起こす動きすべてが嘘で塗り固められている気がしてならない。
「……実の父を殺してまで、手に入れたい地位なのか。俺にはわかりません」
「君にはわからないだろう。だが、そういう者もいる……フェネクス国はまだ生易しかったな」
一年前にフェネクス国の王が実の息子にその地位を剥奪されたという知らせが入った。その息子たちがどういう処遇を受けたのかはわからない、だが最後まで弟の殺害を企てようとし、または兵を差し向けたという話からして生易しい処遇では終わらなかったはず。一方フェネクス国の前王は、僻地に幽閉されたとのこと。
だが殺害までには至っていない。そこはカイゼルベルク王子の最後の情けだったのだろう。あの人ならそうするだろうなと、知らせを受けた時は小さく笑みをこぼした。その甘えが今後どうなるかわかっているだろうに、それでもその選択をあの人はするだろう。
「君にもう一つ、知らせたいことがある」
「それはッ……!」
黒の手袋をしていたスクワイア様は先程俺の肩に触れた手ではない方を外し、そして息を呑んだ。無骨で傷も多々あった手だったけれど、その手が今は黒く変色している――『呪い』を受けた証拠だ。
「王の書斎を整理している時に『呪い』に触れたようだ。私も狙われていたということだな」
「ッ……」
「……私ももうここには長居ができない。周囲に『呪い』を移してしまう」
王座を奪い、そして優秀なその右腕すらもこの城から追い出す計画だったのか。サブノック国に平和をもたらしていた先人たちを追い出してまで、そんなにも権力が欲しかったのか。そんなにも、己が彼らよりも優秀だと思っていたのか。
久しく忘れていた人に対する怒りが込み上げてくる。人を貶める行為が如何に滑稽で醜悪なものなのか、それに気付いていない者が王になるなど。
『呪い』を受けていない手が俺の肩に触れる。別にもう片方の手で触れられようとも、『呪い』を移されようとも、俺が彼を恨むことなど決してない。それほど俺はスクワイア様を敬愛していた。アレキサンドル王と共に、俺にとってあらゆることを教えてくれた二人は父親のような存在でもあった。
「君がこの国の行く末を憂うことはない。今後どうなろうと、滅びの道を辿ろうとも。私たちが君に望んでいることは、君が祖国で再び立ち上がることだけだ。民を憂い慈悲の心を持って手を差し伸べる、その器を君はしっかりと持っている」
「……しかし、俺は……貴方方から数えきれないほどの恩を受けました。それを返さないなどと……」
「パトリックのような立派な男になってくれ。それが私たちに対する恩返しだ」
普段笑みを浮かべないスクワイア様が穏やかに微笑み、俺の髪をくしゃりと撫でる。アレキサンドル王もスクワイア様も、俺が俯きそうになった時いつもそうしてくれた。父がしてくれたのと、同じように。
手袋を付け直したスクワイア様は「ではな」と一言こぼし、他の者たちとは別の方へ歩み始める。なぜこうも、彼らの背中は強いのだろうか。幼い頃いつも見ていた父の背中、そして民のことを想い国を動かしていあアレキサンドル王とスクワイア様。広くたくましく、ああなりたいと憧れた姿だ。
「スクワイア様! 今カイゼルベルク王が解術の方程式を探っております! 完成次第、必ず、必ず! 貴方の『呪い』を解いてみせます! なのでどうか、それまでご健在で……!」
「……君の武運を祈っているよ」
声をかけた後ろ姿が振り向き、微笑みと共にその言葉を俺に送る。そんな彼に深々と頭を下げて見送ることしかできなかった。
危惧していたことが、どんどん現実になっていく。
新しく王となったアルフレッド王は、最初こそはその手腕を振るっていたがそれが徐々に雲行きが怪しくなってきた。アレキサンドル王が信頼していた重臣たちは尽くその職を解かれ、僻地へ飛ばされた者もいれば自ら城を出て行く者もいた。そしてアルフレッド王を囲んでいた貴族たちが空いたその席に座る。
民のためにと蓄えていたものもすべてその貴族たちの懐に入っていく。徐々に貴族と貧困層との差が開き民たちの不満の声が大きくなるものの、王の耳には届かない。まるで民たちは己のためにあるものだと、そういう認識をしている王は一体どういう教育を受けたのだろう。アレキサンドル王の憂いが今こうして目の前でまざまざと見せつけられる。
王がそうであるように、城に仕える者たちの意識も徐々に変わっていく。彼らは自身の仕事に誇りを持っていたというのに、今では胡座をかいている状態だ。サブノック国が『兵器』を持った国を討ち破ったという事実が悪い方へと作用していた。
自分たちには力がある、どの国も逆らえることなどできないだろう、まるで自分の手柄のように彼らはその事実を利用し周囲を見下している。『兵器』を打ち破ることができたのはアレキサンドル王と、そして自らを顧みずに戦場へと赴いた先人たちのおかげだというのに。人の手柄をまるで己の手柄とばかりに胸を張る彼らにもう何も言葉が出てこない。
こんな国など、もう長くは保たない。
アレキサンドル王が、スクワイア様が愛した国が滅びの道を辿ろうとするのを見ているだけなどと、そんな耐え難いことはない。だが俺はこの国では騎士の一人でしか過ぎない。アレキサンドル王の善意で身を置かせてもらっているとはいえ、俺はこの国の人間ではないしもちろんこの国の王族でもない。ただの「リク」だ。王に謁見できる立場でもない俺にできることなど限られている。
恩に報いることすらできないのかと奥歯を噛み締める。スクワイア様はただ見ているだけでいいと言っていた。手を出すな、これはサブノック国の問題なのだからと。だが、それでも。どうか少しでも貴方方の恩に報いることを許してくれないかと願ってしまう。
濃くなっていく霧に大した対策もできず放置する国。隣国のフェネクス国に協力を仰げば配置されている碑石に神官を送ることだってできたというのに、それすらやらないのは民よりも己のプライドのためか。アレキサンドル王が殺害されて三年、もうアレキサンドル王の死を不審に思う人間がいないこの国で、ただただ衰退していく様を見ていた。あんなにも栄えて美しかったサブノック国などもうどこにもない。
クロセル国が滅ぼされたのは一瞬だった。圧倒的な武力に抗うこともできず、瞬き一つで状況が変わってしまっていた。だが、こうして国が徐々に弱っていく様を見ているのも胸が苦しくなる――どちらにしろ、自分が無力だということを痛感させられるのに変わりはないが。
そしてアルフレッド王は等々、足を踏み出してしまった。自分ではどうにもできない状況を、異世界の者に押し付ける手段に手を付けた。アレキサンドル王は、そういうことがないようにと策を巡らせていたがそれももう瞬く間に燃やされてしまい、何も残されてはいない。残っているのは、『聖女召喚』の伝承だけだ。
あらゆる人間の目に晒されながら、『聖女』は召喚された。顔付きは雰囲気などこの国の者とはまったく違う、どう見ても異世界の者だとわかる容姿。突然見知らぬ場所に喚ばれた戸惑っている彼女に、アルフレッド王は仰々しく両腕を広げ高らかと『聖女』と宣言した。
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