41.藍晶石の記憶⑥

 カイが着々と作戦を進めている間、それは突然だった。

 いきなり入ってきた頭までフードをすっぽりと被った、体格的に男が二人。賑わいを見せている食堂の中をきょろきょろとしていた。物珍しさで見ているのかと思いつつも、そもそも顔が見えていない時点で怪しさ満点だ。客たちもお喋りをしながらもそれとなく視線を向けたり様子を伺っていたりした。

 ここはみんなが少しでもホッと身体の力が抜けれるようにと運営している。そんな場所で騒ぎなんて起こされたくはない。でももしかしたら、ここに出入りしているカイが気付かれたんじゃないのかって警戒してしまう。

 ところがだ、その男二人はきょろきょろしたかと思えば食堂の端の方の席に座って普通に注文して、飯を食って出て行っただけだった。肩透かしもいいところ。その場にいた全員はホーッと息を吐いて一体なんだったんだってつい愚痴をもらしていた。

「何かあったんですか?」

 入れ替わるように戻ってきたリクに「おかしな客だった」と苦笑いで返すしかなかった。

 ただその珍客はその日だけじゃなかった。不思議なことにその翌日、そのまた翌日と姿を現した。また食堂の中をきょろきょろして、端の方に座って飯を食って店から出て行く。この食堂は確かにいつでも開いちゃいるがやってくるのは大体宿に泊まっている客か、はたまた近所に住んでいる人間が食べに来ているかだ。こうして宿に泊まっているわけでもなく飯だけを食いに来る客は今までいなかった。

 しかもいつも同じ時間じゃなくてバラバラだ。朝早く来たかと思えば、夜閉店間近ギリギリでやってきたこともある。妙な動きに近所に新しくできた鍛冶屋のオヤジに相談したぐらいだ。この宿には色んな人間が泊まっているが、病弱な旦那にまだ成人していないリク、そしてあたし。何かあってからじゃ遅い。リクは戦えるから大丈夫ですよって言っていたがそれはそれ、これはこれだ。

「悲鳴が上がったらすぐに助けに行ってやるよ」

「頼んだよ」

 鍛冶屋のオヤジにそんなこと頼みつつ、今日も来るんじゃないんだろうねと厨房で料理を作る日々。チラチラと入り口の方に視線を向けていると、それはやってきた。

 丁度昼飯が終わって人がはけている時間帯だ。相変わらず顔まですっぽりフード、ローブ姿でその下に何を隠しているのかまったくわからない。その男二人組はいつもと同じようにきょろきょろと店内を見渡した後、客がいないにも関わらずいつも通り端の方の席に座る。

「メリーさんが前に言っていた客ですか?」

「ひっ?! リ、リク! あんたいたのかい?!」

「今戻りました。注文聞いてきますね」

「あ、あっ! ちょ、ちょっと待ちなっ! って早いねあの子?!」

 背負っていた籠を置いたかと思えば手を洗ってする~っと食堂に方に行ってしまった。慣れているとはいえ一連の流れが完璧すぎる。止める間もなく客の前に顔を出したリクは特に警戒している様子でもない。リクが警戒していないってことは、そんなヤバい客じゃないってことかい? とドキドキしながらあたしも厨房から顔を出して見守ってみる。

「こんにちは。ご注文はお決まりですか?」

「ッ……! ……、……た……」

「え?」

「生きておったのだな?!」

 片方の男が立ち上がって、急に大声を出してリクの両肩を力強く掴んだ。咄嗟にフライパンを持って厨房から飛び出す。

「さ、探しておったのだっ――」

「その子に何するんだい! 離れなッ!!」

 急いで駆けつけてフライパンをリクを掴んでいる男に向かって振り上げた。この子は確かに強いかもしれないけど、だからって危ない目に合いそうになっていて黙っているわけにもいかない。

「ッ、待ってくださいメリーさん! この人はッ――」

 思いきり振り下ろしたフライパンは鈍い音を立ててもう一人の男の腕に当たった。けどそこまでの威力がなかったのは当たる直前にリクがあたしの手を掴んだからだ。突然もう一人の男が目の前に現れてびっくりしたとか、なんでリクは止めたんだとかいっぺんに色んなことが起こって頭が混乱する。

 リクがそっと息を吐きだしたのと同時に、腕にフライパンが当たった男がローブの中から何かを取り出し突き出してくる。それが剣だという認識をした瞬間あたしは短く悲鳴を上げ、咄嗟にリクが庇うようにあたしと男の間に割って入ってきた。

「やめないか。先に無礼を働いたのはこちらだ」

 それをやんわりと制したのは最初にリクに掴みかかった男の方で、その男の言葉を聞いてまるで渋々といった様子で剣は収められていった。

 男が立ち上がって顔をすっぽり隠していたフードに手をかける。ほんの少しだけ見えた顔にあたしは……首を傾げた。一体誰だ。

「突然申し訳ない。私はアレキサンドル・ウィス・パイロープと申す」

「アレキサンドル……? ……ん? パイロープ……どこかで聞いたことがあるような」

「……隣国の、サブノック国の王です。メリーさん」

「……王様?!」

 思わずでかい声を出してしまったあたしにリクともう一人の男が素早くサッと口を押さえる。けど、驚くなと言う方が無理って話しだ。いつも店内をきょろきょろして飯だけ食っていた客が、まさか隣国の王だとは思いもしないだろう。っていうか王様が目の前にいるなんて一体誰が予想できるってんだい。

 まぁカイも似たようなもんだけどそれはそれこれはこれ。親しみが全然違うから比べようがない。

「なんかあったか?!」

 そしてこれまた飛び込むように突然やってきたのは、何かあったら頼むとお願いしていた鍛冶屋のオヤジ。金槌を持って勢いよくやってきた鍛冶屋のオヤジに王と名乗った男は素早くフードを被り直し、剣を突きつけてきた男が視界を遮りリクは苦笑した。

「大丈夫です。ゴキブリが出てお客さんと一緒に退治していただけなので」

「なんだそうだったのか。なんかあったら遠慮なく言えよ」

「はい、ありがとうございます」

 鍛冶屋のオヤジはリクの言葉に疑問を持つこともなく、金槌をヒラヒラと振って宿屋から去っていく。パタン、とドアが閉じて人の気配がなくなったのを確認するとそれぞれが息を吐きだして肩の力を抜いた。

「……メリーさん、奥の部屋にご案内してもいいでしょうか」

「あ、ああ、そうだね、うん」

「こちらへどうぞ、王」

「すまない。騒動になるところだったな……」

 少し肩を落としながらリクについていく姿が一国の主に見えなくて、思わず目を丸くする。何をしに来たのかまったく検討つかないけど、王様ならもっと堂々としているもんだと思った。まぁ、ここがサブノック国じゃなくて隣国のフェネクス国だからこういう格好をするしかなかったのかもしれないけど。

 一応客室からも遠い、あたしたちの部屋に近い場所の部屋まで案内する。一応近くの部屋で病弱の旦那が寝ているから静かにしてほしいと言えば王は一瞬目を丸くして、そして穏やかな表情で頷いた。王という言葉で身構えていたけれど、思ったより人当たりがよさそうだ。

 部屋に入ってパタン、とドアを閉じるともう一人の男が何やらブツブツ言って一瞬で膜のようなものが張ったような気がした。

「これで大丈夫です」

「ありがとう。では改めて、騒ぎを起こして申し訳なかった。私はアレキサンドル・ウィス・パイロープ、隣国であるサブノック国の王だ」

「は、はぁ……あたしはメリー・ペリドット、この宿屋のもんだけど……なんで隣国の王様がこんなところに……?」

「彼を探しておったのだ」

 そう言って視線を向けた先にいるのはリクだった。確かに肩を鷲掴みしながらそんなことを言っていたような気がする。

「親友の忘れ形見だ。どうにかして保護したいと思っておってな。遅くなってしまってすまない」

「探知できるようなものは何も残さなかったはずですが……もしかして父から何か貰っていましたか?」

「うむ、互いにそれぞれナイフを持っておったのだ。そこから探知魔法で探ってこの場所を見つけた。死体が出てきた時は驚いたがあ奴がそう簡単に息子を奪われるわけがないと思っておったからな」

「それにしても自ら動くとなるとかなりリスキーだったのでは」

「心配だったのだ」

 よくわからない話がトントン拍子で進んでいく。なんだか最近もあったような気がする。王族ってやっぱりこういうものなのかねと目を動かすとドアの前に立っていた男とパチンと目が合ってしまった。今この場にはあたしたちしかいないせいか、すっぽりと被っていたフードは今は外されている。ハンサムな顔立ちだがローブの下に隠れている身体はたくましい。なるほど王の護衛ってやつかい。そんな相手にフライパン振り下ろしたなんて、ちょっとした武勇伝になるんじゃないか。

 下手したら不敬罪で首飛ぶけど。

「ご婦人」

「なっ、なんだい?!」

 話を振られるとは思っておらずびっくりして声が裏返った。そんなあたしを怒鳴るわけでもなく、穏やかに微笑んだサブノック国の王は小さく頭を下げる。突然の行動に慌てたのはあたしだけじゃなくて護衛の男もだった。

「彼を保護してくれたこと、感謝する」

「そんな、感謝だなんて。大人として子どもを守るのは当然のことだろう?」

「……そうだ、ご婦人の言う通り。だが今のこの世でその当然のことをできぬ者が増えておる……残念なことにな」

 王の言葉に何も言えなくなる。この街はカイのおかげである程度持ち直してきたとは言え、他国はまだまだ争っているところが多い。滅んだ場所もあれば着実に領地を広げている国もある。自分たちの生活で手一杯で、隣国がどうなっているのかはわからないけど王がこうして動けているのであれば、ある程度落ち着いてきたのかもしれない。

 いやでも、親友の子どもが心配だったからって、わざわざ危険を起こしてまで隣国に行く必要はあったのか? そこにいる護衛にだけ行かせて報告を受ければそれでよかったんじゃ……王様という立場なら尚更。

 その王がリクの前で身を屈め、少し骨張ってきた手をそっと取る。その仕草や表情はどこまでも柔らかい。

「どうだろう、おぬしさえよければサブノック国に共に参らぬか? ここだと学ぶことにも限界があるのではないか?」

 王の言葉にリクが生きていくにはここは環境が整っていないことにハッと気付く。リクが今後どうしたいのか今まで一度も聞かなかったあたしが悪い。ここに置かせてほしい、その言葉だけを聞き入れて、あたしはこれからもずっとリクはこうして手伝っていてくれるものだと思っていた――あの子はただ、子どもだから動くに動けなかっただけなのに。

 どうするんだとリクに視線を向ければ、そこにある表情は思ったより晴れやかじゃない。寧ろ、何かを迷っているようだった。それを王も感じ取ったんだろう、苦笑してみせると立ち上がって自分よりも下にある頭をくしゃりと撫でる。

「……時間をください」

「無論だ。意思が固まったら連絡をするといい。あれを」

「はっ」

 ドアの前に立っていた護衛が直ぐ様王の元に歩み寄って何かを差し出す。一見普通の手紙のようなものに見えたけど、もしかしたら魔法か何かかかっているのかもしれない。あたしもそういうのがちゃんとわかるわけじゃないけど『まじない』を使うこともあってか、なんとなく感じ取ることだけはできる。

「色よい返事を待っておるよ」

「……はい」

「では失礼しよう。ご婦人、邪魔をして悪かった。後で詫びの品を持ってこさせよう」

「い、いいよわざわざそんな! こっちは驚いただけで……」

 断ったけど王はにこっと笑っただけで、部屋から護衛と共に出て行く。あの顔、あとで何か贈られてくるかもしれないと若干顔を引き攣らせる。別に新しいお鍋とかフライパンならありがたいんだけど、その辺りの王族の感覚がわからないから何が来るかわかったもんじゃない。

 一応リクと二人で王とその護衛を見送り、パタンと宿のドアを閉じる。この時間帯客が来なくてよかった、と一瞬思ったけどいつもならまったく来ないわけじゃない。もしかしてそれもあの護衛が何かしてたんじゃ、と思わずゴクンと喉を鳴らした。

 それよりも、とリクに向き直る。あたしはてっきり王の言葉にすぐに頷くと思っていたんだけど。そのリクは相変わらず何か考えこんでる顔をしてる。

「よかったのかい? 王について行かなくて。別に知らない仲ってわけでもないんだろ?」

 寧ろ父親の親友なら信頼できるだろう。この場にじっといるよりも、王についていった方がリクのためになるとあたしもわかっている。あたしがわかっているんだからリクがわからないわけがない。

「……一先ず、カイゼルベルク王子に話しておこうと思いまして」

「カイに? なんでまた」

「取りあえず知らせを送っておきます」

 そう言ってリクは食堂の奥の方に消えていく。別にカイに断りを入れる必要もなさそうだけどねぇ、とその背中を見送っていると目の前に急に客が現れた。そりゃそうだ、あたしは今店のドアの前に立っていたんだから。お互いそこに人がいるとは思わずにマヌケな声を上げてびっくりしてしまった。


「おう」

 カイが現れたのはその日の夜だった。いや知らせが届くのも早いしだからと言って来るのも早い。未だにこの国の王は彼の父親だから動きに制限がかかっていそうなもんなのに、相変わらず人目を避けて行動するのが上手い。片手を上げて気さくに入ってきたカイにリクもすぐに椅子に勧めた。

 リクは早速昼間にあった出来事を包み隠さずカイに告げた。サブノック国の王が自分の父親の親友ってとこまで伝えて、それ言っていいのかい? って思ったけどそれを言ったらカイも似たようなもんだ。この二人お互い結構暴露してる。まぁ、そこまで相手を信頼している証だろうけれど。

 黙って耳を傾けていたカイはすべてを聞き終えた後腕を組み、背凭れに体重を乗せた。

「まぁいいんじゃねぇの? 行ってこいよ」

「いやあんた、えらいあっけらかんに……まぁ、あたしもそう思ってるんだけどさ」

「メリーだってこう言ってんだ。何も気にする必要はねぇよ」

「しかし……」

 一体何をそこまで心配してるんだ、と首を傾げながらリクにそのまま言ってやったら、少し困ったような顔をして口を開いた。

「俺はこのフェネクス国の内情を知りすぎています。それなのに何の誓約もないまま隣国に行くのは……」

「……へ?」

「自分がもしフェネクス国のことをサブノック国に言っちまったらどうすんだー、ってそういう心配をしてんだよ。前と立場が逆転したな」

 つまり、リクが持っている情報はサブノック国がフェネクス国に攻め入るチャンスを与えてしまうんじゃないかって、そういうことだろうか。いや何を、そんなおっかないことをサラッと。この国の王子は。そりゃリクだって心配するわってあたしだって呆れちまう。

「お前だって今の状況に甘んじてるわけにもいかねぇだろ。今後のことを考えたら王のとこに行って色々と学んだ方がいい。こっちじゃまだ状況が落ち着かねぇしな」

 落ち着いてたら俺から色々と教えたかったけどよ、と続いた言葉に目を丸くしたのはリクの方だった。周りから見てもカイがリクのことを気に入っているってことはわかっていたけど、どうやら当人はそうじゃなかったらしい。一方通行だったねと苦笑をもらしたあたしにカイは頭をガシガシと掻いた。

「まぁ、それにだ。クロセル国を滅ぼした国に報復したのはサブノック国の王だ――あの国はすでに存在していないし『兵器』の規制もいち早く行われた。よっぽど腹立ったんだろうな」

「……アレキサンドル王が?」

「その辺の情報規制をあのバカ親父がしていたせいでお前の耳まで届かなかったんだな。今頃サブノック国が恐ろしくて震えてんだろ。ハハッ! ざまぁねぇな」

 魔物と真正面から戦っていた国を滅ぼした『兵器』を持っていた国を、これまた滅ぼしたサブノック国の王。一体どれだけの兵力があったのか。そんな国が隣にあっていつ侵攻してくるかわからない、となると確かに震えるかもしれない。

 けど実際会った王には、無闇やたらと周辺国に攻め入るような王には見えなかった。寧ろ親友を滅ぼした国に報復してしかも親友の子のことを憂う、あたしの目にはそんな人情溢れる王のように見えたけどこればかり実際会ってみないとわからないもんなんだろう。

「カイゼルベルク王子、誓約は……」

「する必要はねぇ。その代わり俺が困った時に助けてくれればそれでいい。でかくなったお前に期待してる」

「……ありがとうございます」

「立派な男になりな」

 立ち上がったカイはリクの頭をワシワシと手荒く撫で、にっかし笑ってみせる。これでリクの心配事がなくなって、好きなように選択ができればいいと心の底から思った。

 ただそれは、新たな旅立ちと別れを意味しているものだったけれど。


 頭を深々と下げたリクを見送った。あの子は最後の最後まであたしと、そして旦那のことを気遣っていた。あたしの『まじない』のおかげでまだ命があるものの、その世話があたし一人じゃ大変だろうと心配していたけど。従業員を雇うこともできたしカイが『ギルド』とやらを立ち上げてくれたおかげでそこから手伝いを頼むこともできるようになった。

「あたしのご飯を食べたくなったら、いつでも帰ってきな」

 ここはあんたの家でもあるんだからと続けた言葉に、久々にぐしゃっとさせた顔を見た。父親が討たれたと聞いてから、あの子は一度も弱音を吐くこともなければ泣くこともなかったから。だからあの子の感情を動かせる存在になれたことが少し誇らしかった。

「いってらっしゃい!」

 あたしに支えながらも見送りのために起きてきた旦那。旦那と一緒に、そんな言葉をあの子の背中に送った。

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