39.藍晶石の記憶④
「メリーばあさん、ちょいと話がある」
「口の利き方には気を付けな」
「おっと、これは悪ぃなメリー姐さん」
キッと睨めば口では謝ってるけど肩を軽く上げた仕草はまったく悪いと思っちゃいない。まぁあたしも別にそこまで気にはしてないから鼻を鳴らして許してやった。
随分と夜も更けて客もそれぞれ自分の部屋に戻っていった。食堂はガランとしていてあたしは食器洗いをしたりと片付けに勤しんでいた中、あの人気者がひょっこりと顔を出してきた。あんたまだいたのかい、と驚くあたしに向こうは「まぁな」と頬杖をつく。
「めずらしいね、こんな時間に来るなんて」
「時間によって客層が違うだろ? 色々と話を聞きたいもんでね――ところで」
いつもは太陽みたいに明るくて人を寄せつける魅力、って言っていいのかそういう不思議な力がこの客にはある。そいつが腕を組んであたしをジッと視線を向ける。
「配膳してたガキがいただろう? ちょっくら会わせてくれねぇかな」
ドキッとして思わず手が止まった。拭いていた皿を落とさなかったのを褒めてもらいたいところだけど、それどころじゃない。今のところリクの正体を知ってるのはあたしと旦那だけ。客は何一つ知らないしあの子のこと孤児であたしたちが拾って面倒を見てる、としか思っていない。別にそれはめずらしい話じゃない、少し余裕のあるところはそういうことをしているのは意外にも多かった。
ただこの客は、そうはいかない。ジッと見てくる視線が肌に刺さって痛い。まるで罪人になったような気分だ。
だからと言って本当のことは言えないし、あたしはあの子を守ってやりたい。なんで会いたいかは知らないけど簡単に会わせていいとも思えない。もし旦那が動けていたなら、すぐにあの子を隠すかどこかに逃がすがお願いできたんだけど。
どうしようか、あの子は人見知りだから会いたがらないよと言っても配膳の仕事をしてるからそれは無理がある。今この場にいないよ、そう言っても先にあたしのほうがバカ正直に反応しちまった。どうしようか、実は何か察知してこの宿から去ってるんじゃないか、そうであってほしい。
「どうしました、メリーさん」
ああ、でもあたしの願いも虚しくあの子はこの場に現れてしまった。早く逃げなと言うべきなのに、あたしの足はなんでか力が入らない――逃がさないと。この子を逃さないと。だってこの客は。
「おう。配膳してたガキだな」
「メリーさんを怖がらせないでください。怯えてしまってます」
「ん? ああ、悪ぃなメリーばあさん。なぁに別に取って食いはしねぇよ」
「メリーさん」
二人の間に挟まれてどうしようもなかったあたしの腕に、そっとリクの手が触れる。それだけで強張っていた身体の力がスッと抜けた。そこでやっとあたしは怖がっていたことに気付いた。
「――初めまして、カイゼルベルク・ジルコン王子」
「なんだ、知ってたのか」
「貴方が『カイ』と呼ばれているようだったのでもしかしてと思いまして」
合っていてよかったです、と何事もなくしれっと言ったリクにあたしは開いた口が塞がらないし、『カイ』の方も目をパチパチと動かしたあと豪快に笑い声を上げた。
「ハッハッハ! まぁそうだよなぁ! さてはて賢い坊や、お前の正体はクロセル国の坊やで間違いねぇか?」
「ご想像にお任せします」
「おう、そうかそうか」
二人でトントン拍子に話を進ませて、これが王族の駆け引きってやつなのかいって頭が痛くなってくる。あたしたち庶民には全然わかんないよそういうのは。
頭を抱えたあたしにカイは笑いながらこの宿がいい場所だと説明してくれる。何がどういいんだって思ったけど、そういえばリクが情報収集に適してるとかなんとか言ってたっけ。人が休める場所をって提供してんのにあちこちから人が来るせいか、こういう人らにとっちゃ宝の宝庫ってわけかい。なんだか不服だ。
「追っ手は」
「今のとこは」
「だろうな。クロセル国の王子の死体が出てきた。これで奴らもいもしない奴を探そうとはしないだろ」
「ッ……!」
「何が何でも生きていかなきゃなんねぇことになったな、お前も」
リクの握り拳がふるふると震え、今にも血が滴り落ちそうになっている。あたしは王族の駆け引きなんてものはまったくわかんない。けどリクは生きてここにいる、ってことは……もしかして、身代わりってやつかい。しかも大の大人が子どものフリなんてものはできない。
「貴方の望みはなんですか」
子ども特有の声の高さのはずなのに、なんだか声色は子どものようには感じない。海の底みたいに冷たく、底知れない何かを感じる。
「俺はとにかく情報が欲しい。つってもそう毎日ここに来れるわけじゃねぇ、一応俺にも兄たちが寄越した面倒くせぇ見張りがいるからな。動きに制限がかかる」
「情報提供、ということですか」
「お前はここで毎日働いてるからな」
「……そりゃあたしじゃダメなのかい」
「アンタだと俺が欲しい情報がどれなのかわかんねぇだろ」
苦笑しながら言われちまってぐうの音も出ない。あたしにはリクみたいにどれが嘘で本当かの綺麗に区別がつくわけじゃない。きっといくらか間違えて受け取ってしまうし、判断がつかないから『ただの噂』で聞き捨てることもかなりある。その分リクはしっかりしてる。
「わかりました、お受けします」
「おう、話が早くて助かる」
話はそれだけだと言って何も頼んでないくせにいくらかの金を置いてカイは店を出て行った。まぁ貰ったものはありがたく受け取るけど、それよりもとリクに視線を向けた。
「いいのかい、受けちまって」
相手はこの国の王子だ。数多くいる兄弟の一番下っ子だけど。リクより十ぐらいは歳が上で力で勝負しようもんなら子どもと大人だ、結果は火を見るより明らか。分は明らかにリクの方が悪いしあんな風に言われちまったら断りづらかったのかもしれない。でもあの王子なら、断ったら断ったで別に無理強いはしなかったはずだ。
ただただ心配になったあたしにリクはいつも通りに小さく微笑むだけ。その評定が何を示しているのかあたしにはわからない。
「受けるしかなかったと思いますよ」
「え……?」
「互いの正体を知って、有利なのはあちらの方です。敵国に俺が生きているという情報を流し、見返りに『兵器』を所望するという交渉が使えます。彼も王座を狙っているのであれば、力は付けていた方がいいですからね」
「なっ……!」
子どもの口からおっかない内容が出てきて言葉を失ったけれど、それだけじゃない。
「カイが暴力でこの国を乗っ取ろうって思ってんのかい?!」
兄弟の一番下っ子で、あの子は王から見捨てられていた。基本的な教育をしてくれる人はいるらしいが城じゃほぼ一人だったらしい。そんな子が自分の足で街に出て、自分の目で色んなものを見て自分の耳であらゆることを聞いて、そうやって成長してきた。そう昔からこの街に住んでいるじいさんが教えてくれた。
あたしたち民にとってあの王子は希望だった。あたしたちの声を全然聞いてくれない、貴族の利益と自分のことだけを考えてる今の王を追い出してくれるんじゃないかって。あの子はあたしたちの声を聞いてくれる、心を砕いてくれる。きっと立派な王様になってくれる、そう信じてみんなで支えようとしていた。
この子はこの国の出身じゃないからそういうのを知らなくて当たり前だ。けどそう思われるのは心外だった。そんな卑怯な手を使う、今の王やあの子の兄弟と同じだと思われたくはなかった。
そんな気色ばんだリクは謝るわけでもなく、怯えるわけでもなく真っ直ぐにあたしに視線を向ける。その視線を受けて思わず小さくたじろいてしまった。
「俺はあの人がどういう人なのか、詳しく知っているわけではないので。でもそういう手も考えているとは思いますよ。切り札は多い方がいいですから」
「ッ……!」
「今俺が生きていると知っているのは彼だけです。そして俺は……俺のために犠牲になった者の命を無駄にするわけにはいきません。なので彼の提案に頷くことしかできないんです――俺に、力がないばかりに」
誰よりも歯がゆい思いをしているのは一体誰なのか。
ハッとしたあたしは冷静になるために一度目を閉じて深呼吸した。吸って、吐いて。今周辺の国は争いが起きていて、私利私欲に走る馬鹿もいれば力のない民の為にと奔走する真面目だっている。人を足蹴にして高笑いする奴もいれば……歯を食いしばって、ただじっと耐えている奴だっている。
大人であれば、まだ自分で立ち向かえる力がある。そんな人間についていこうと思う人間だって出てくる。でも、子どもは? 子どもは守られる対象だ。立ち向かう力も小さくて、子どもの背中についていこうと思う大人はそうはいない――それを一番誰よりも知っているのは、誰なのか。
「すみませんメリーさん、嫌な思いをさせてしまって」
その誰かは人の気持ちを察して先に謝ってくる。頭を下げてくる。子どもに、なんてことをさせてるんだいと自分の頬を引っ叩いてやりたくなた。
「でも俺も、この国に必要なのはあの人だと思いますよ。人を惹きつける力があって、何より民想いだということは伝わってきます」
父親を殺され国を滅ぼされ、ただ子どもなばかりにこの場にじっとするしかないこの子をあたしはすべてわかってあげることはできない。でもだからこそ、それを支えてやるのが大人ってもんだろう。しっかりしな! と自分の頬を両手で挟むように思いっきり叩けば、成長しているとはいえまだ幼い顔は目を丸くさせた。
しっかりしな、しっかりしなあたし。今このご時世で誰もがもがきながら毎日必死に生きてる。だからと言って子どもに苦労をさせる大人がどこにいる。子どもは子どもらしく元気に伸び伸びと生きるべきなんだよ。
何かに恐れるよりも憤るよりも、この子をちゃんと守れるようにせめて胸を張って背筋をピンッと伸ばして毎日を生きていかなきゃね。
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