38.藍晶石の記憶③
ここ最近、ずっと騒がしいとは思っていた。でもそんな毎日が続いて感覚が鈍っていたせいで、その騒がしさにもいつの間にか慣れてしまっていた。
例えば、食事を取りに来る客が増えたもんだから色んな話が耳に飛び込んでくる。向こうの国が今どうなっているのか、どことどこが戦っているのか。こんなのばっかりでどこの国も変わらないと思っていたけど、あたしが失念していたのは配膳をリクに任せてしまっていたことだ。
小さい子どもに色んな話を聞かせてしまっていた。それに気付いて急いで手伝いをやめさせようとしたけど、リクは微笑んで「大丈夫です、勉強になります」と言うだけだった。客は子どもが怯えるような会話も平然と口にしている。それをリクの耳に入れさせてしまったことに後悔した。
そんなある日のことだった。一段と騒がしい客の声が厨房のところまで聞こえた。内容まではわからなかったけどせめてもうちょっと声量を落としてもらおうと、厨房から出た瞬間何を喋っていたのかを知った。
「王が討たれた?!」
「ああ、何やら『兵器』とか呼ばれる魔法石を付けている武器でやられたとか」
「噂には聞いてたが威力が魔法よりもやばいってやつだろ? 流石にそうなると近接武器は太刀打ちできねぇか……」
「あのクロセル国が」
ガシャンッと大きな音を立てたのは客じゃない。唖然と棒立ちしていたリクが手に持っていた皿を落とした音だった。その音にハッと気付いて「すみません」と小さな声で謝ったリクは散らばった破片を手で拾い上げている。あたしは急いで厨房から出てリクの元へ駆け寄った。
「すみません……」
「いいって。ほら指怪我しちまうよ……」
けどあたしの忠告が遅かったせいか、リクはすでに指を切っていてそこから血がにじみ出ていた。痛いだろうに、一言も痛いともなんとも言わず黙々と破片を拾ったリクはそのまま立ち上がり厨房に向かって歩き出す。あたしはそんなリクに慌ててついていって、その間も客たちは嘘か本当かわからない話ばかりをしていた。
厨房に入った頃タイミングよく旦那も顔を出してくれて、リクの手に気付いて急いでその手から割れた食器を受け取りシンクの上に置いた。そしてリクの手をそっと掴み自分の手で包み込んでくれている。旦那の心配げな顔と合わせ、小さく「何があったんだい」という言葉にさっき客が喋っていた内容を伝えた。
クロセル国。あたしも旦那も行ったことがあったことがあった。霧があって魔物も出るから危険だとわざわざ忠告してくれた国だ。あの国には神官のような職種がなく、魔物が出ては自分たちの手で倒すという方法を選んでいた。けれど国の人たちは人当たりがよくみんながよく王を慕っているのを感じていた。その王が、他所の国に討たれたなんて。
リクの肩が小刻みに震えることに気付き、まだ細いその肩にそっと触れる。顔は俯けていて表情がわからない。でも。
「っ……父上っ……」
小さく聞こえた声に息を呑んだ。この子が一体どんな子なのかまったく知らない。でも何かしらの訳有りだろうとは思っていた。けどどうして思い出さなかったんだろうと奥歯を噛みしめる。この子の銀色の髪や顔立ちなんて、まさにクロセル国の人間の特徴だったのに。
声を上げるわけでもなく、肩を震わせて涙をこぼす子どもにこっちの涙があふれてくる。どうしてこんな子どもが、感情のまま泣き喚くこともできずこんな声を押し殺して泣かなきゃいけないんだろうか。
この子のこんな大きな悲しみをあたしたちが癒やしてあげることはできない。でもせめて、少しでもと旦那と一緒にその震えている小さい身体を抱きしめた。
「お騒がせしました」
目と鼻を真っ赤にさせた子どもが真っ先に言った言葉がそれだった。スンと鼻を鳴らしながら、頬に流れてた涙を拭ってあたしたちに頭を下げる姿をもう一度強く抱きしめたかった。
「……俺は周りの人たちに助けられて、逃げてきたんです。ですが途中で見つかってしまって……命かながら、ここに」
「こんな小さい子どもまで殺そうとするなんてッ……!」
「それが争いだと言うことを、俺もわかっています」
そんなことわからなくてもいい、そう思ってもわかってしまう立場なんだろう。まだこんな子どもなのに、もうずっと大きなものを背負ってしまっている。今ならあそこまで警戒していたことも、自分の名前を告げるのに言い淀んでいたのも納得できる。
「うまく逃げてきたつもりなので、この場所は知られていないと思います。でも……ご迷惑であれば、すぐにここから出ていきます。お二人を危険な目に合わせるわけにはいけません」
「それは困ったなぁ」
強く言い返そうとする前に旦那ののんびりとした声が聞こえた。どうするつもりなんだいと視線を向けると、穏やかに微笑んで旦那はリクと向き合った。
「君がここに来てくれて、僕も妻もとても助かってる。君がいなかったら食材調達も難しかっただろうし、僕もほら、こんな身体だからメリーにばかり負担をかけさせてしまって心苦しかったんだ。でも、頼りになる君がここを出てしまったら……僕たちはとても困るなぁ。なぁ、メリー」
「……! ああ、そうだね。今は客も増えてあたし一人じゃ捌き切れないよ。唯でさえどこも人手不足なんだ、簡単に誰かを雇うなんて難しいだろうね」
「……しかし」
「リク、あんたはちゃんとうまく逃げてきたんだろう? そしたら大丈夫さ」
根拠なんてない、でも今のところ誰かがクロセル国の王子を探してるだなんて噂何一つ聞かない。リクもうまく逃げてきたっていうんなら心配もないだろうとニカッと笑うあたしとふんわりと微笑む旦那、そして目を丸くするリク。あともう一押しだとズイっとリクの顔と距離を縮める。
「それに、クロセル国の人間だったら腕に覚えがあるんだろう? 食材調達だってへっちゃらな顔してやってんだからさ」
「……! はい。まだ力は弱いですが、戦えます」
「あんた! 護衛までついたよ!」
「それは心強いなぁ」
喜ぶあたしににこにこ顔の旦那の顔を交互に見ているリクの目は相変わらずまん丸い。話が自然とあたしたちの望む方に流れていることに気付いたんだろう、口を小さくぱかりと開けたリクは困ったように眉を下げた。
「……いいんですか?」
「子どもは大人に頼るもんだよ、リク」
「そして僕らは君を頼りにしてる。持ちつ持たれつだね」
くしゃりと顔を歪ませたリクはグッと息を呑み込んだあと、顔を上げて「よろしくお願いします」とはっきりと口にした。あたしと旦那はにっこりと笑ってみせて、クシャクシャとその髪を撫でてあげた。
リクはそういう立場だったこともあってか、歳のわりには随分と賢かった。配膳の手伝いをしてくれていた理由もしっかりとあったようで、心配していたあたしたちを他所にリクは「情報収集に最適な場所です」とあっけらかんと言った時は口をパカンと開いたもんだった。穏やかな顔で、人当たりのいい笑顔をしながらやることはしっかりやっていたってことだ。
けど逆にそこまでしても警戒してたんだろう。本当か嘘かわからない噂話が飛び交う中で、何が本当なのかを判断しそして追手が来ていないかの確認をしていた。もしクロセル国の王が討たれてなかったら、国が滅んでいなかったら、これとないしっかりとした跡取りで国の安寧をもたらしていただろうに。
それから国の情勢がよくなるわけでもなく、だからと言ってリクに追手がかかることもなくあまり変わりのない日々を過ごしている時だった。厨房で料理をしていると入り口辺りがワッと騒がしくなる。ここ最近の傾向であたしも特に驚くことなく顔を上げる。ただこの時間にやってくるのはめずらしいなと思いながら。
「誰か来たんですか?」
食材調達から戻ってきたリクはあたしに籠を手渡しつつ、入り口の方に視線を向ける。ここに来て半年ぐらいは経ったけど子どもの成長は早い。まだ幼さは残るけれどたった半年で身長は伸びて身体もしっかりしてきた。
「ああ、最近巷で人気の客だよ。この時間に来るのはめずらしいけどね」
「そうなんですか。あ、アレクさんのところに食事持って行きますね」
「ありがとね」
半年の間に旦那の容体は徐々に悪くなっていって、等々ベッドから出ることができなくなった。起き上がれる日があるのはまだいい方、食事を取れたら『まじない』で少しは体調も回復する。でも一日寝ているとあっという間に体力が減っていっているように感じた。
リクは本当によく動いてくれている。宿屋の運営で忙しいあたしの代わりに食材調達に配膳、そして旦那の世話。一つも文句を言うことなく手伝ってくれることに本当に感謝してる。「きつくなったらいつでも言っていいんだよ」と言ったところで今のところ一度もきついと言ってこない。成長期ということもあるだろうけれど、予想以上にタフだった。
旦那に食事を持って行ったリクは旦那がどんな調子か、そして食事も完食できたことを報告してくれる。空になっている器を見てホッとしているあたしにリクがいつも気遣わしい視線を向けていることに気付いている。子どもに心配をかけさせるわけにはいかないってのに、情けないったりゃありゃしない。
「配膳に戻りますね」
「ああ。そうだ、例の人気の客は放っておいて大丈夫だよ。どうせ近くの奴らが勝手に飯やら飲み物やらやってるだろうからね」
「そうなんですね」
あの客が入ってくると寄ってたかってあれ食えこれ飲めと周りが色々とやっちまうもんだから、あの客がこの店で何かを頼むのはあんまりない。たまに水一杯をそれに見合わない金額を渡して飲むぐらいだ。ちなみに酒も提供したいところだけど、国の情勢が情勢のもんだからそもそも酒が民のところに出回っていない。どうせ貴族共が買い占めて自分たちだけで飲んでるんだろう。
あたしが言っていた通り、リクも例の客に気にすることなく周りの客に注文を聞いて配膳をしている。子どもがせっせと働いてるってことは今じゃすっかり周知の事実だ。顔見知りの客はリクに挨拶したり他愛のない話をしたりするようになっていた。それに対してリクも笑顔で当り障りのない対応をする。
作った料理をテーブルに置くとタイミングよくリクはそれをスイっと手に取ってすぐに客の元に持っていく。無駄がなくて、要領がいい。そんな仕事ぶりを見た客がたまに「うちに来ないか」と誘っているのも何度も見たし、あたしに直接言ってくる客だっていた。確かにここにいるにゃもったいない子だってのはわかるけどさ。
相変わらず食堂の一角は騒がしいし、それに構わずあたしたちはせっせと仕事してるけど。流石に騒がしすぎて一喝してやろうかと厨房から顔を出した時だった。タイミングよく戻ってきたリグはその一角にジッと視線を向け、そして口を開いた。
「メリーさん、あの人のこと#知っているんですか__・__#」
聡い子だ、きっとずっとあたしより頭の回転が早くて賢い。周りの客が気付いていないことにだってすぐに気付いてるはず。
「あたしたちはあの客のことを『カイ』って呼んでるよ」
「……そうですか。わかりました」
それだけ言うとスッと料理を持っていく。言葉の通り、#わかった__・__#んだろう。
だが残念なことにあたしの頭は普通で、頭の回転もそこそこで胸を張って賢いなんてことも言えない。あの人気の客と、リクの顔を合わせていいのかの判断はあたしにはできなかった。
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