37.藍晶石の記憶②

 急いで宿屋に連れ帰ってベッドの上に横たわらせた子どもは、最初こそは生気のない顔だったけど翌日は熱を出した。苦しげに吐き出される息になんとかしてあげたいって思っていても、意識がないからご飯も食べれない。せめて何か少しでも口に入れることができれば、『まじない』をかけて症状を和らげることもできるんだけど。

 そうして宿屋と料理屋を回しつつ、空いた時間で食材調達に子どもの世話と忙しなく動いていたある日。いつもと同じ時間帯に様子を見に行くと、子どもの目が開いてこっちを見ていた。子どもを見つけて五日経った後だった。

「あんた目が覚めたのかい?! 大丈夫かい? どこか痛かったりしないかい?」

「……ここは、どこですか」

 意識がない時はわからなかったけど、初めて聞いた声はまだ子どもらしさの残るものだった。けれど、そんなことよりもと持っていた薬を近くのテーブルに置く――この子は、あたしを警戒している。

 怪我をして倒れていたのだから何かしらの事情があったんだろう。悲しいことにあちこちで争いがあっているせいで親を失い、行き場を失った子どもが大勢いる。きっとこの子もその一人だろう。

 なるべく警戒させないよう、ゆっくりと近付いてベッドの近くで腰を下ろす。子どもを見上げ、にっこりと笑ってみせた。

「ここはフェネクス国の領土内にある街だよ。あんたは近くにある森で倒れていたんだ」

「フェネクス国……」

「それよりも五日間ずっと寝ていたんだ。腹は空いてないかい?」

 くぅ、とタイミングよく可愛らしい音が聞こえた。目の前の子どもは目を丸め、ぎこちなく自分のお腹を擦っている。腹が鳴るまで空腹だったことに気付いていなかったのかもしれない。料理を持ってきてやるから待っときなと言い残し急いで厨房の方へ向かった。

 起きたばっかりだから、身体に負担のかからない消化のいいもの。そう思いながら作っていると物音が聞こえて顔を上げる。どうやら今日は身体の調子がいいみたいだ。旦那が部屋から出て厨房に顔を出していた。

「あの子は目が覚めたかい?」

「ああ、起きたよ。腹を空かせていたから今から飯を持って行こうかと思ってね」

「それはいい。メリーのご飯を食べればあっという間に元気になるさ。僕が保証する」

「あんたに保証されてもね」

 苦笑しながら返せば「ひどいな」と笑顔で言葉が返ってくる。未だに旦那の病気はよくなっていない。確かにあの子が眠っていた五日間あたしの手伝いをしてくれていたけど、でも夜になればフッと身体の力が抜けたように眠ってしまう。旦那に言ったことはないけれど、あたしはあの瞬間が一番怖い。

 ふやかした米が入っている鍋の中に小さく切り刻んだ野菜も入れる。子どもだから栄養はしっかりと取らないと。熱々のお鍋をスプーンと共にトレイの上に乗せて、子どもが寝ている部屋へと急ぐ。両手が塞がってノックができないため「入るよ!」と一言言ってから旦那にドアを開けてもらって中に入った。

「あたし特製のあったかリゾットだよ! たんとお食べ!」

「こんにちは。妻が作った料理はとても元気になるよ」

 あたしの顔を見て、旦那の顔を見て、そして膝の上に乗せられた鍋を見る。しばらくそのまま止まって、そしてようやく「いただきます」とスプーンに手を付けた。一口食べて、黙って咀嚼してゴクンと喉が動く。

 それから黙って黙々と食べていたけれど、この子もしかしたら普通の孤児じゃないのかもしれない。傷だらけだったし必死で逃げてきたのか衣類も汚れていたけど、その服も安物には見えなかった。それに、食べ方が随分と綺麗だ。

「……あの」

 カチャンと音が聞こえて子どもが食べ終わったことに気付いた。明後日の方向に向いていた意識を戻して子どもに目を合わせて、なんだいと笑顔を作る。

「食事、ありがとうございました。しかもこんなに野菜もたくさん……食料を調達するのも、大変でしょうに」

 疲れているせいでまだその顔には表情が浮かんではいなかったものの、あたしは唖然とした。子どもが、そんなこと気にしなくていいのに。場所を聞いてきたってことはここがどこだからわからないまま逃げてきただろうに、見知らぬ場所で不安に思うのが当然なはずなのに。

 それなのにこの子はお礼を言って、こっちを気遣ってくる。言葉遣いだってきちんとしていて、あんまり子どもらしさを感じられなかった。

「……あたしはメリー。そんでこっちが」

「僕はアレク。僕たちは夫婦なんだ」

「この場所はあたしたちが営んでる宿屋だよ。まだ体調が万全じゃないんだ、しばらくここにいな」

「でも金品を所持していません。お支払いできるものが何も……」

「子どもがそんなこと気にするんじゃないよ!」

 今にもベッドから下りようとしているのを止めるためについ大きな声を出してしまった。隣にいた旦那がビクッとしたにも関わらず、子どもは動きをピタッと止めただけだ。

「あたしたちは子どもに金をせびるほど業突く張りじゃないよ。いいから甘えておきな、まだ怪我も治ってないんだから」

「……はい。ありがとうございます」

 ベッドから下りることをやめた子どもはペコっとあたしたちに頭を下げてきた。しつけがしっかりと行き届いている。にしても、ちょっと子どもらしくない。あたしたちが子どもを持ったことがないからそう思うだけなのかは知らないけれど。

 綺麗に完食して空になった器を旦那が下げ、そのまま持って行こうとするから代わりにあたしがそのトレーを受け取った。ゆっくり休んどきなと言い残して二人揃って部屋を出る。直前にチラッと後ろを振り返ってみたけれど、子どもはあたしたちの後ろ姿をただじっと見ているだけだった。

 それから二日ぐらいは子どものところに食事を持って行ってたけど、その次の日は子どもの方から部屋を出て厨房にいるあたしのところに顔を出した。動けるようになってよかったとホッとしたのと、あと何かあったのかと心配の半々だったあたしに子どもは小さく頭を下げた。

「あの、いつも食事ありがとうございます」

「いいってもんよ。子どもはたくさん食べて大きくなんなきゃね」

「……失礼を承知で、一つお願いがあるんですが」

「なんだい?」

「しばらく、ここに置かせてもらってもいいですか?」

 そんなお願い、別に失礼でもなんでもない。寧ろ子どもなんだからもっと甘えてもいいと思いつつあたしは承諾した。ただ今使っている部屋は客室で、あとで余っている部屋に移動してもらわなきゃいけないってこと伝えると子どもは首を縦に振った。掃除も自分でしますと言って。

「……リクと言います。しばらくお世話になります」

 ちょこっと言い淀んだところを見てみると、偽名なのかもしれないってのが頭を過ぎったけれど。でもリクと名乗ったのであれば今あたしの目の前にいる子どもの名前は「リク」なんだろう。名前を知ることができてよかったと早速今日の朝食を手渡した。


 リクを拾って、一ヶ月。怪我も治ってあの子の顔もすっかり無表情じゃなくなった。にこにこってわけでもないけどいつも穏やかな笑顔をしていて色々と手伝ってくれるようになっていた。

「食材調達なら俺が行ってきます。あの森周辺にあるんですよね?」

「あることにはあるんだけど……魔物も出てきて危険だよ? 子ども一人じゃ危ないだろう?」

「大丈夫ですよ。アレクさんが行くよりもいいと思います」

 旦那が病気だということも知って、積極的に動いてくれてる。あたしの心配をよそに朝も早くからあの拾った森に向かって、何事もなかったかのように籠いっぱいの食材を拾って帰ってくる。魔物に襲われたんじゃないのかって心配したあたしにリクは笑顔で返すだけだった。

 この子の笑顔、多分人との線引きの意味もあるんだろう。相手に嫌な思いをさせないようにしつつ、自分の線の内側にも入らせない。子どもがなんていう処世術を使ってるんだと言いたくなったけど、そうせざるを得ない環境だったのかもしれない。

 食材調達だけじゃなくて店の手伝いもしてくれるようになった。色んなことに時間を裂いて夕方しか受け付けられなかった宿屋も、その時間をリクが補ってくれたおかげで一日受け付けが可能になって客も増えた。食事の提供も朝、昼、晩と今はやっている。前までは厨房から配膳へと一人でやらなきゃいけなかったことも、配膳をリクがやってくれるおかげで厨房で次々に料理を作ることができる。

「あんた子どもなのに働き者だねぇ」

 客が落ち着いた頃を見計らって、リクと旦那と三人で食事を取ってる時についそうこぼした。何も言わなくてもこっちのやってもらいたいことを察知して先に動いてくれる。旦那もそんなリクの働きっぷりに関心してたまにおやつをあげているのをあたしは知っている。

「置いてもらっている身なので。その分働かないと」

「しっかりしてるねぇリクは。リクみたいな子がいたら僕だったらあちこち自慢しちゃうよ」

「そりゃあたしだってそうだよ」

 子どものいないあたしたちにとて、まるでリクが我が子のようだった。リクにとってはいい迷惑かもしれないけど、色々と面倒を見たくなるほどリクが可愛くて仕方がない。ご飯を食べている時だって大きく成長してほしいから色々と自分たちの分まで分けてしまう。

 少し困ったように笑いつつも、礼を言いながらそれを大人しく受け取っていた。本当に、リクみたいな子があたしたちの間にいたのならこんなの楽しかったんだろう。そんなことを思いながら『まじない』をかけているご飯を口に運んでいた。

 リクの事情なんてまったく知らずに。

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