36.藍晶石の記憶①
「あんた、本はちゃんと持ったのかい?」
「え? ああ、忘れてた」
「しっかりしな! それが一番大切なもんじゃないかい!」
「はははすまないすまない」
あたしとあたしの旦那はあちこちを旅して回っている。あたしの故郷は小さな集落であたしもそこで暮らしていたんだけど、そこに旅好きの旦那がやってきた。狭い世界しか知らなかったあたしに旦那の知識はとんでもないものに思えて、同時に世界がパッと広がったもんだ。それから一緒にいる時間が長くなって、そこそこにいい仲になった頃にプロポーズされてそのまま故郷を出た。
旦那との旅は思っていた以上に楽しい。そりゃ今はどの国も情勢があまり落ち着いてなくて、危険なところもたくさんあったけど。でも旦那と一緒なら乗り越えられたし、今だって乗り越えながらも旅を続けている。
「そういえばさっきの女性、綺麗だったねぇ」
「本当だね。あたしはどこぞのお姫様かと思ったよ」
「確かに身奇麗だったし着ていた物も上質だったなぁ」
「そうなのかい? そういうとこ相変わらずよく見てるね」
とある小さな国に立ち寄ったんだけれど、そこはよく魔物が出るようでそこの人たちからも長居はやめたほうがいいと忠告された。一週間という短い滞在。親交を深めるだけ深めたつもりだけど、その中でもあたしたちの印象に強く残っているのはとあるとびっきりのべっぴんさんだった。
綺麗だったから覚えてる、っていうのもあるけれど。その女性にだけ、あることをお願いされたんだ。
「すみません。もしかして『おまじない』が使えますか?」
今までこう聞かれたのは初めてだったもんだからそりゃとてもびっくりしたもんだ。なんでわかったんだい、とつい無粋なことを聞いちまって女性を少し困らせてしまった。
ただあたしだって見知らぬ誰かにお願いされたからってホイホイ『おまじない』をかけるわけじゃない。最初は断ろうとしたけれど、あたしはその口をすぐに閉じた。べっぴんさんだったからじゃない、その女性は魂までも随分綺麗なように感じた。だから、お願いとやらを承諾した。
「いいよ。どれにかければいいんだい?」
「このペンダントにお願いしてもらってもいいでしょうか?」
「お安いご用だ。何を『おまじない』としてかける?」
「……反射魔法と、そして……転移魔法をお願いします」
反射の方はわりと簡単だから断るつもりはなかったけれど、もう一つの転移魔法の方は難しい。このペンダントが砕けた時にプレゼントした人物を転移する、というものだったから尚更。
転移魔法の方は無理だよ、とはっきりと断った。条件付きならば尚更難易度が上がって難しいと。この魔法石がどれほど耐えられるかもわからないし、かけた瞬間に砕ける可能性だってある。それをはっきりと口にした。ところがだ、それでも女性は引かなかった。逆に無理を承知でお願いしますと頭を下げられてしまうじゃないか。
あたしは渋って、でもそれ以上に相手の方が根気強かった。等々折れたあたしは「ダメ元だよ」と一言告げ渡されたペンダントにおまじないをかけた。
結果、まじないは成功した。見た目に反してその魔法石はかなりの純度の高い高級品だったみたいだ。ペンダントを受け取った女性はそれはもう「もういいよ」って言いたくなるぐらい頭を下げ、しかもとんでもない金額で礼をされた。
「ありがとうございます。息子のために何かをしてあげたくて……」
それを最初に言ってくれたら、あたしだってそんな意地悪な言い方をしなかったのにとは思ったさ。でも息子のために頭を下げてかなりの金額で払って、本当に大切にしているんだということがひしひしと伝わってくる。ちょっと羨ましくも思った……あたしと旦那の間には子宝に恵まれなかったから。
「あの女性のことも日記に書いておこう」
「なんだい。あんたもああいうべっぴんさんがよかったって言うのかい」
「僕はあの女性と一緒にいるよりも、毎日君のご飯を食べていたい」
旦那の答えに満足して満面の笑みでその背中をバンバンと叩く。「痛い痛い」と言いながら背中を擦ってはいるけれど、まんざらでもない顔をしていた。あたしだって、はっきりと気持ちを口にしてくれるところに惚れてるんだ。お互い惚れた弱みってやつだ。
忠告通り短い滞在でその国を出たあたしたちは次から次へと国を渡り、そしてとあるところに落ち着いた。別に旅に飽きたってわけじゃない――旦那の病気が発覚したからだ。
旦那は私と会うよりもずっと前から旅をしている。医者に診てもらったらどこかの国で病をもらってきたんじゃないかってことだった。どんな病気なのかわからない、そういうわけでも治療法もわからない。医者を恨みたい気持ちもあったけれど、今のこのご時世じゃ診てもらっただけでもありがたかった。あちこちで争いが起こっている中、医者の手が足りていない。神官や治療を使える職業はこぞって国に持って行かれていた。街にいるのは軽く医療をかじった者だけ。
「すまないメリー、こんな情けないことになってしまって……」
「情けないなんてこと何一つない! あたしはこんなご時世でも旅をやめなかったあんたを誇りに思ってるだ! 自分を下げないでおくれよ!」
「……ありがとう。結婚したのが君でよかった」
今いる国はフェネクス国と言って、この国もあまり周りの国とは変わらなかった。あちこちと争いをしていて、しかも国全体は霧で覆われている。争いなんかやるよりも、先にこの霧をどうにかしてもらいたいところだがそれはどこの国も一緒だ。霧で覆われ、危機的状況だからこそ隙を狙って領地を拡大しようとしてた。
そんなことよりも、もっともっと大事なことがあるんじゃないのかってあたしは思うし、あたしだけじゃなくて王族は貴族じゃない人間は誰だってそんな考えをしているはずだ。自分たち生活が脅かされている時に、なんで他所の国と争うのかって。
「メリー、ちょっといいかい?」
「どうしたんだい?」
宿屋の一室を借りて一緒にご飯を食べている時だった。こんな状況のせいで宿屋からの料理の提供はされていない。そんな余裕がないからだ。だから調理場を借りて市場で買ってきた野菜を自分で調理して、部屋まで運んできた。
「君、料理屋開いてみたらどうだい?」
「……料理屋? あたしがかい?」
「そう。君の料理はとても美味しいし、しかも食べたら元気になる。今こんな状況だからこそ、君のような人が必要なんじゃないかな」
あたしが旦那に作ってあげた料理に『まじない』をかけていたことに気付いていたんだろう。治療法がないのならせめて『まじない』で、と思っていたけれど顔色はよくなっても段々体力がなくなっていっているように見えた。『まじない』じゃ旦那の病気は治せない。自分自身に失望していた時に、旦那からのこの言葉だった。
「……あたしが作る料理は、あんたの病気も治せないんだよ?」
「病気は君のせいじゃない。僕はね、知っていると思うけど君の料理が大好きなんだよ。君の料理を他の人にも知って食べてもらいたい」
「っ……! 泣かせること言ってくるんじゃないよ!」
いつもならあたしが旦那を尻に敷いてるけど、こういう時はいつも旦那があたしを支えてくれてる。あたしが支えなきゃいけないってのにだ。何を食って、どういう子ども時代を過ごしていたらこんな優しい性格になるんだろう。
そしてあたしは旦那に背中を押されて、料理屋を開いた。場所はなんと泊まっていた宿屋をそのまま譲り受けてしまった。確かに店主は随分と年配で、歩く時も杖をついていたから大丈夫かと心配していたけど。心配していた通り、だいぶ無理して店を経営していたらしい。このご時世、色んな人が色んなものを抱えて流れ込んでくる。せめて宿にいる間だけでもゆっくりとしてほしいとの心だったと教えてくれた。
「でも、あたしたちはこの宿を買い取るほどの金は持ってないよ」
「いいよいいよ。金の代わりにあんたが儂に毎日美味しいご飯を作っておくれ。あんたの飯はうまい。亡き妻を思い出してほっこりするんじゃ」
「……早速お得意様一名ってとこだね」
そうして料理屋並びに宿屋『マオ』として開いた店は、それなりに繁盛した。他所の国から流れてくる人間が多いからだ。これはある意味よくない。それだけあちこち国の情勢が不安定だっていう証拠だ。それはこの国も例外じゃない。
料理を提供する食材だって毎日探しに行かなきゃいけないほどだった。市場になくもないが、料理屋で提供するにはとてもじゃないが足りない。それぞれが生きていくために必死に食料を買い足している中、それを横から奪っていくわけにもいかない。そうなると、料理の提供は夕食時のみ。宿も夕方だけ受け付けて、仕事が終われば食材の調達だった。
「あんた、無茶しないでおくれ……食材探しなんてあたし一人で行ってくるよ」
「何を言ってるんだ。女性を一人歩かせるわけにはいかないよ。それにこのくらいの距離なら大丈夫」
「……何かあったらすぐに言うんだよ」
朝も早くから食材を探しに出ていたんだけど、時々こうやって旦那も付いてきてしまう。確かに街の中だから安全ってわけじゃないし、外に出れば魔物だっている。そんな中探さなきゃいけないけど、心配だからついてくる旦那のことをあたしが心配していた。でもこうして頑固なところがあるから、その時ばかりは強く言い返すことができない。これから何年生きていけるかわからない、だから旦那の好きなようにさせたかった。
街から少し出ると近くに森がある。こんなところに森だなんて邪魔だなって思うけど、万が一攻められた時の目隠しとかなんとか客が言っていた。ついで、食べられそうなものもあったと。それを探しにやってきたんだが、霧もあってよく見えない。これは探すのに時間がかかると重く息を吐きだした。
どれほどあちこちを見て回ったんだろう。時間に対して収穫した食材の量が見合ってないと思いつつ、腰を上げた時だった。
「メリー! メリーちょっと来てくれ!」
「あんまりでかい声出すと身体に障るよ?!」
「いいから早く!」
こんな焦って呼ぶだなんてめずらしい。あたしも慌てて旦那の声がする方に向かって草木を掻き分け急いで駆けつける。少し小枝で腕を切ってしまったがそんなこと気にしない。旦那の姿を見つけて、そして旦那もあたしに気付いて手招きした後になぜか視線を足元に落とした。なんだなんだと草を跨いで旦那につられて視線を下に向けて、ギョッとした。
そこには一人の子どもが顔を真っ青にして、倒れていたからだ。
「こ、子ども?! なんだってこんな場所に……!」
「息は……してるね。メリー、この子急いで宿に連れて行こう。このままじゃ危険だ」
「そ、そうだね……あ! あんたはこの籠を持っといておくれ! この子はあたしが抱えるから!」
病弱な旦那に子どもと言えど重い物を抱えさせるわけにはいかない。食材が入っていた籠を旦那に渡し、あたしは急いで子どもを背中に抱える。意識を失ってぐったりしてるけど思っていたより軽い。あちこち怪我もしているけれど、それよりもこのままじゃ衰弱してしまう。
そうしてあたしたちは街に入る頃にはすっかり食材のことなんて忘れちまって、弱っている子どものことしか頭になかった。
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