35.それぞれの道
少し歩いているとどこからか呼ぶ声が聞こえて、辺りをきょろきょろしていたら更に大きく「おーい!」と呼ぶ声が聞こえてきた。声の持ち主は声色と同じように元気に両手を振って私のところに駆け寄ってくる。
「おはようさーん! ゆっくりできたか?」
「おはよう。ハルバは……すごく元気だね」
「俺んとこあんま大変じゃなかったのよ」
他の部隊と同じように少し濃いめの霧の中を歩いたそうだけれど、同伴した騎士やクロセル国の人が強くまた神官の人もどんどん防御の魔法を使ってくれたから何一つ怪我をしなかった。とあっけらかんと、でも少し物足りなさそうに唇を尖らせながらそう言うハルバに思わず苦笑をもらす。きっとハルバ的にはもっと暴れたかったんだろうなぁ、と。
「サヤは大活躍だったらしいじゃん」
「わっ、私はそこまで……リクやフェデルタさんたちがすごかっただけだよ」
「クロセル国の人がガッツリ同伴だったんだってな?! ちょっと羨ましい~! どうだった? かっこよかった? すっげぇ強かった?!」
「う、うん、かっこよかったし強かったよ……」
「マジか~! 見てみたかった~!」
ハルバの圧に押されつつ、少し引き気味で感想を述べる。本当にハルバにとっては憧れの人なんだなとつくづく思う。そんなハルバと会話しながら「そうだ」と朝食の時のカミラとの会話を思い出した。
「ハルバはフェネクス国に戻るの?」
「うん? おー俺も戻るわ。ついでにちょっと故郷に帰ろうかな~とか思ってる」
「そうなんだ?」
「まぁ今回ので儲かったしな」
前と同様指で丸を作ったハルバに思わず苦笑する。隠すことなく堂々とするなんてある意味清々しい。でもやっぱり故郷のためだったんだとわかって改めてハルバの故郷への愛を感じ取った。そんなハルバを微笑ましく見ていたんだけれど、なぜか急にハルバの方がハッとさせて顔を強張らせている。
「わりっ、サヤに故郷の話はあんまりだよな……」
「え? いいよ、気にしないで。故郷の話をしている時のハルバ嬉しそうで、見ていて笑顔になるよ?」
「マジ? お、そうだよ。今度サヤも遊びに来いよ。一応名産品とかもあるしうまいもんもあるし。ちょっと遠いけどカミラと一緒に来れば護衛も兼ねて一石二鳥だろ――あ、ごめんリクの方がいっか」
「なっ?! も、もう! ハルバ!」
「ついでに探してたの俺じゃなかっただろ?」
「っ……!」
ニカッと笑顔でとんでもない発言をしたハルバに、図星だからこそ何も言えなかった。顔を真っ赤にさせて口をパクパクさせるしかない私に楽しげな笑い声が聞こえる。いつもなら「こら」って言ってくれるカミラがいるけれど、今のハルバはもうやりたい放題だ。
「もう!」
「アッハハハ! ごめんごめん! リクなら王様となんか話し込んでたけど、そろそろこの辺り通るんじゃねぇかな?」
確かに美咲さんのところに行ったあと、ちょっとリクとお喋りしたいなと思って探してはいたけれど。私ってそんなわかりやすかったかなと自分の顔をペタペタと触ってみる。美咲さんはとても元気だったけれど、対して私はそんなに感情表現豊かじゃない方だったと思うんだけれど。
ハルバはにこにこと笑ったあと「そんじゃ飯食いに行ってくる」と手を振ってこの場を去ってしまった。あとでカミラにちょっと告げ口しちゃおうかな、と思いつつハルバとは別方向に向けて足を進める。色んな人が寛いでいるのを眺めながら王座に続く中庭を歩いていると、前の方から目的の人が歩いてきているのが見えた。
「リク!」
向こうも私に気付いて笑顔で軽く手を振ってくれた。駆け寄ってみれば「おはようございます」と挨拶され「おはよう」と笑顔で返す。少し話をしたい私のことを察してくれたのか、木陰のある場所に指を差されて近くにあったベンチに腰を下ろした。
サブノック国の『聖女』としてこの城にいた時は限られた行動範囲だったため、今こうして改めて見るとこの城ってこんなにも広かったんだなと今更ながらに気付く。こんな安らげる場所があるだなんて知らなかったし、きっとまだまだ私の知らない場所はたくさんあるはずだ。
そんなことを素直に口にしたり朝食がメリーさんのご飯で嬉しかったとそんな会話をしていると、不意に笑顔で聞いていたリクの表情が小さく曇る。どうしたんだろうと首を傾げるとそっと右手を取られて一瞬だけ心臓が跳ねた。
「怖かったでしょう。しっかりと守れずすみません」
ずっと、気にしてくれていたのかな。カミラとハルバとお喋りしたり、メリーさんのご飯でホッと安堵したりと色々と誤魔化していた。でもやっぱり、あの生々しさが中々拭えない。
「……私ね、今までみんなに甘えてたんだと思う。私のいた世界じゃ魔物なんていないし、友達と喧嘩したりしても殴り合うなんてこともなかった。でも……この世界じゃ、魔物は出てくる。みんな、自分の身は自分で守って当たり前」
そんな世界で私は自分が何かを傷付けることなく、周りにいる人に頼ってしまっていた。戦えないから、戦える人が戦うのは当たり前だと言ってくれるその笑顔に甘えていた。
しっかりしないと。私はもう元の世界には戻れない。きっとあれはこの世界で生きていくための私にとっての洗礼だったんだ。
そう思うようにしようとぎゅっと手を握りしめれば、その上に重ねられていた手がゆるく私の手を包み込む。心配そうに見つめる目に思わず鼻先が痛くなった。リクはいつも心配してくれて、そして絶妙にいつもこうして手を差し伸べてくれる。
「そっ……そういえば、みんなフェネクス国に戻るんだよね?」
ずっとその瞳を見つめていたことに気付いた途端恥ずかしくなって、それを誤魔化すように話を切り出した。重ねられていた手のひらが離れたことを寂しく思いつつ、ちょっと自分勝手すぎじゃないかと自分に怒りつつ視線を地面に落とす。
「サヤも戻りますか?」
「うん、メリーさん待ってると思うし私はもう『聖女』じゃなくなるから。カミラとハルバも戻るって。ハルバは故郷に帰るって言ってた。リクも戻るよね?」
何も疑うことなく、そう思っていた。きっとフェネクス国にいた時と同じように私は修理屋を営んで、ギルドに在籍しているリクがお店に顔を出して。そして一緒にメリーさんのご飯をいつもの席で食べるんだって。
さぁっと風が吹き抜ける。木の陰にいたから落ち葉が風に乗って舞っていた。なびく髪の間から見えた瞳に、私は息を呑んだ。
「俺は、フェネクス国には戻りません」
声ははっきりと聞こえたはずなのに、言葉がしっかりと頭に入ってこない。意味を理解して、そこでやっとヒュッと喉から情けない音が出た。
「それを伝えようと思ってサヤを探してました」
「戻ら、ないの……?」
「はい。フェネクス国に戻れば、きっと今まで通り楽しい毎日だったと思います。ギルドで働き、サヤと一緒に楽しくメリーさんのご飯を食べて……でももう、そうは言ってられません――俺には、やるべきことができたので」
その眼差しと声色からリクの意志の強さを感じ取った。そんなリクに対し私は情けない顔をしていたと思う。真剣だった眼差しが私と目が合った瞬間困ったように眉をハの字に曲げた。困らせるつもりはなかったのに、そんな顔をさせることなく私はその背中を見送るべきなのに。
俯いた私の背中を優しく撫でる温かい手。ずっと助けられてきた、ずっと守られてきた。それが当たり前だと思ったらいけないってついさっき思ったばかりなのに。
「サヤ、手紙を書いていいですか?」
優しい声色にコクコクと頷くことしかできない。出会いがあれば別れもあるし、私も今まで何度も経験してきた。泣きながら友達と「また会おうね」と別れた時もあったのに。この世界に召喚されて無理矢理家族とも別れさせられたのに。今までの別れの中で一番、胸が苦しくて切なくなる。
一緒にフェネクス国に戻れないというのであれば、ここでただ涙ぐんでいるわけにはいかない。鼻をすすり涙を堪えて顔を上げて、綺麗な青色の瞳を真っ直ぐに見つめた。
「あの……あのね、私、この世界に来てからたくさんの人に助けられたの。メリーさんにカミラにハルバ、セシルさん、他にもたくさん。たくさん大切な人ができた。でもね……私、私っ……」
今のこの状態でうまく言葉にできる自信がない。でも、ちゃんと言葉にしないと。もう二度と後悔しないように。
「私にとって、リクが一番大切な人だよ」
一瞬見開かれた瞳が柔らかく弧を描く。嬉しそうに微笑む顔に私の気持ちは伝わったんだとホッとした。
「再会した時にサヤの気持ちが変わらなければ、俺からも伝えたいことがあります。待っていてくれますか?」
「うん、待ってる」
「……尚更頑張って手紙を書きますね。忘れられないように」
「ふふっ、私からもお手紙書いていい? 面白く書ける自信はないけど……」
「そんなの気にしなくていいですよ。サヤから貰えればなんでも嬉しいので」
「……それだと私が困る」
次にいつ会えるかきっとリクもわかってはいない。でも今からそんな嬉しい言葉を言ってくるだなんて。お手紙送る時にしおりか何か同封できればいいなとか考えていたのに。
でも私もリクから貰えるものはなんだって嬉しい。このネックレスだってずっと大切に持っておく。送られた手紙だってくしゃくしゃにならないように大切に箱に保管つもりなんだから。
「サヤ」
「ん?」
「抱きしめても?」
いつも私の意見を尊重してくれるけれど、こうして抱きしめることを聞いてきたのは初めてだ。顔が熱くなっていることを自覚しつつ、でも恥ずかしさだけじゃなくてどこか楽しさもあふれてきた。
「ダメって断ったら、どうするの?」
「それは……無理強いはしたくないので、引くしかないですね」
「リク」
「なんですか?」
「……ぎゅっとしていい?」
言い出すのは結構恥ずかしかったけれど、でもちょっと言ってみたかった。チラッと様子を伺ってみるとリクは優しい笑顔で「どうぞ」と両手を広げて待っている。
いつも私のことを支えてくれた腕、私を受け止めてくれた胸、私を守ってくれた身体。私はそこに迷わず飛び込んだ。
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