34.束の間の休息
一番重要な碑石の修復ができたおかげか、辺りの黒く濃い霧は霧散され他の人たちも碑石の修復に捗ったそうだ。続々と城に戻る人たちにカイゼルベルク王は労りの言葉と共に笑顔で迎え入れた。セシルさんの部隊は怪我人が出てしまったようだけれど、危機的状況の中霧が晴れたおかげで事なきを得たとのこと。それは他の部隊もそうだったらしい。
私も城に戻って、先に戻っていたカミラとハルバと再会を喜んだ。二人共怪我がなくてホッとしたのもつかの間、身体の力が抜けて崩れ落ちそうになったところリクがサッと受け止めてくれる。魔法具のおかげで力が増幅されたけれど、身体の負担が軽減されたわけじゃない。今日はもう休んだ方がいいという言葉を素直に受け止め、割り当てられた部屋に入ると私は泥のように眠りの世界へと入っていった。
ちょっと不思議な光景をだった。色んな女性たちが噴水を前にしてピクニックをしていた。それぞれお弁当を持ち寄って、お互い楽しげに交換しながら食べている。ほうれん草のおひたし、きんぴらごぼうに卵焼きにからあげ。色んなおかずにお弁当箱の形があって、重箱なんてものもあった。その重箱の一段にお稲荷さんがぎっしりと入っていて、それを見て歓声が上がった。
女子会のような、遠足のような、運動会でのお昼休憩のような。とにかく感じたのは『懐かしさ』だった。ああやってみんなで食べると美味しいよね、と遠くからその楽しそうな光景を眺めそして自然と笑顔になる。
「何をしておる」
「きゃっ?!」
突然話しかけられて思わず肩を跳ねさせた。びっくりして振り返れば見覚えのある装いの女性が、目を弧に描き口元を扇で隠している。
「今日は宴ぞ。おんしも楽しむが良い」
「う、宴、ですか?」
「そうじゃ。百年に一度のな。ほれゆくぞ」
「わわっ」
そんなに動きにくい着物を着ているのに、腕を引っ張る力は意外にも強い。そのまま引っ張られて噴水の前まで来てしまった。その場にいた女性の視線が一斉に私に向く。もしかして私って招かねざる客、というやつじゃないだろうか。そう心配していたけれど杞憂に終わった。彼女たちはパッと笑顔を浮かべると手招きしたり、同じように腕を引っ張ったり私を招き入れた。目の前にはお皿に取り分けられたご馳走が置かれる。
「酒もあるぞ」
「お酒あるんですか?!」
なんでもあるんだ、とあんぐりと口を開けた私に盃が手渡される。お正月とかで使うものとそっくり。周りを見渡してみるとお猪口や臼、小さなコップなど各々好みの器でお酒を楽しんでいた。
「……お酒なんて、久しぶり」
この香り、日本酒だろうか。しかもいいもの。クッと仰げば周りから歓声が上がりトクトクと次が注がれる。
ここがどこなのかわからない。夢にしてはお酒も食べ物も美味しいし、何より見知ったものに囲まれてとても安心した。風が吹けばさぁっと桜の花びらが舞って、とても美しい風景だった。
「おはようサヤ。いい夢でも見た?」
「……カミラ? おはよう」
目を開けてみるとそこには見覚えのある天井。ぼーっとしている私にクスクスと笑いながら声をかけてきたのは、同室で休んでいたカミラだ。カミラはすでに起きていたようでテキパキと動いている。朝食持ってくるね、とまだまだ呆けている私にそう告げるとパタンとドアは音を立てて閉じた。
あれって、やっぱり夢だったんだろうか。色んな女性たちと美味しいものを食べて、美味しいお酒を飲んで。中には琴を弾ける人がいてびっくりした。その音色を聞きながら桜を眺めるなんてとても贅沢なことをしていたような気がする。
そういえば、会話の中で女性たちの名前を聞いたような気がする。一つずつ思い浮かべて、ハッとした。聞いている時、どれもなんだか聞き覚えがあるなと思っていたけれどそれもそうだ。
聞いた名前はすべて、聖女の部屋に置かれていた歴代の聖女が書いたと思われる記録に記入されていた名前だった。
「サヤ? あ、まだ着替えてなかったんだ。それだけ疲れたのね」
「あ……ごめんね、カミラ」
「いいのいいの。ようやくゆっくりできるんだから今日ぐらいダラダラしても誰も文句は言わないわ」
ふと窓から外を眺めてみたら、色んな人が思い思いにのんびりと過ごしていた。霧なんて何一つない空の下で談笑したり、中には身体を動かしている人もいる。カイゼルベルク王が数日間全員に休息を言い渡したのだと、朝食をテーブルに置きながらカミラが教えてくれた。
カミラがいるけれど女同士だからいいか、とのそのそと着替えを始め終わったら顔を洗いに立ち上がる。すっきりして部屋に戻ればしっかりと準備を済ませてくれいて、お礼を言いつつ正面に座った。朝食はパンに野菜たっぷりスープ。お腹は確かに減ってはいるけれど夢の中でいっぱい食べたおかげか、そこから情けない音が出てくることはなかった。
両手を合わせて「いただきます」と早速ご飯を頂く。パンはふんわりとしていてバターの香ばしさが食欲をそそった。次に野菜たっぷりスープ。こっちはみんなの疲労を考えて作ってくれたことが伝わってくる。スプーンで掬い一口、口に含んだ。
「……あれ」
とってもホッとする味、私はこの味を知っている。でもどうしてだろう、と目を丸めながら視線を上げれば楽しそうなカミラの笑顔が飛び込んできた。
「今日の朝食、わざわざフェネクス国から取り寄せたらしいの」
「……! そしたらこれやっぱり、メリーさんの料理……?!」
「わかる人にはわかるわよね」
そうだ、この味は慣れ親しんだ味。この世界に来てから私が一番好きな味だ。今この城にいる人たちはほとんどフェネクス国からやってきた人たちばかり。慣れ親しんだ味の方がいいだろうというカイゼルベルク王の配慮が感じられた。それにこの料理にはメリーさんのおまじないがかかっている。だからか、一口食べるたびに身体の疲れが取れていっているような気がする。
「疲れを取ったらみんなフェネクス国に戻ることになっているらしいの」
「そうなんだ」
「希望があればここに残れるって。サヤは? どうする?」
カミラの言葉にうん、と小さく頷き笑みを浮かべた。
「私もフェネクス国に戻ろうかな。きっと、この国にはもう『聖女』は必要ないから」
碑石の要となっていた初代聖女の銅像を修復した。霧は晴れ、他の碑石もきっとすぐには朽ちない。資料によればあと百年は持つはず。私が今から百年生きられるとは思えないし、効力の切れる百年後には再び聖女が召喚されるかもしれない。もしくは百年も経てばフェネクス国のように別の案が出されて聖女を召喚しなくても、別の方法で碑石が維持されるかもしれない。
「この世界に召喚されて、居場所も故郷もなくなったけれど。でも今の私はメリーさんが待っていてくれてる。だから、そこに帰ろうと思うの」
「うん、いいんじゃないかしら」
「カミラはどうするの?」
「私もフェネクス国に戻るわ。故郷には……帰らないだろうけれど。しばらくまたギルドで働くつもり」
だからもし依頼があったら私に指名してもいいわよ、と楽しげに笑うカミラに同じように笑顔を浮かべ頷いた。依頼がなくても一緒にご飯食べたりお出かけしたりしたいな、と小さくこぼした私の言葉にカミラは素早く反応して「いいじゃない!」とパッと顔を輝かせた。メリーさんは今の私にとって帰る場所で、そしてカミラは私の大切な友人だ。
朝食を取り終えて「ごちそうさま」と言って立ち上がった私にカミラが首を傾げる。今日一日ゆっくりすると思っていたらしい。私もできればそうしたいけれど、それよりも気になることがあった。
「ちょっと行ってくるね」
「うん、いってらっしゃい」
カミラは一日部屋でゆっくりすると言い、笑顔で私を見送った。部屋を出れば色んな人とすれ違う。騎士の人もいればギルドの人や神官の人たちも。それぞれが協力して大きなことを成し遂げた後だからか、目が合えば自然とお互いに会釈をしたり手を振ったりした。
私たちのいた部屋からわりと歩いたけれど、城内の王座の近く、他の場所に比べて扉がきらびやかな部屋の辺りにたどり着いた。一室はもう使われてはいない。どうなっているのかは知らないけれど勝手に入るのは駄目だろう。今頃カイゼルベルク王の命令を受けて整理しているのかもしれない。
その部屋の隣の扉をノックする。中から返事が聞こえて「失礼します」と一言声をかけて扉を開けた。
「いらっしゃい、来ると思ったわ」
「おはようございます」
「おはよう」
ベッドの傍らにもう二人は張り付いていない。手招きされて近付いてみれば、穏やかにすやすやと寝息を立てている美咲さんが横たわっていた。
「よく寝ていますね」
「解術には成功したわ。ただ一つ、問題発生したけれど」
「えっ」
短く声を上げる私に「まぁ座って」と椅子に進められる。美咲さんがこの部屋で飲食をしていたのか、ベッドの他にもしっかりとテーブルと椅子が設置してある。部屋の中にある扉の向こうにはお風呂もあるらしい。この部屋から一歩も出なくても食事さえ持ってきてもらえれば十分に生活できる。
逆に言うと、いくらでもこの部屋に閉じ込めておけるという意味だけれど。
大人しく椅子に座れば目の前にティーカップが置かれた。とても爽やかな香りがする。何の茶葉だろうと思っていたら「私たちが自製したのよ」と誇らしげに説明せれて目を丸くした。本当に、この人たちは自分たちで何でも作れる人だ。対面する形で私の前には女性が座って、男性はソファの方で回収したブレスレットの確認をしていた。
「それで、問題とは……?」
「あの子の中にあった『呪』は取り除くことはできた。ただ継続的に『呪』を受けていたせいか……『呪』にかかりやすい体質になっちゃったみたいなのよ」
「そんな……」
「本来なら『呪』に対しての免疫が上がるはずなんだけどね」
男性がちらりと女性の方に視線を向ける。二人は視線で何やら会話した後、女性の方が再び私の方に視線を戻した。
「だからあの子の身柄、私たちが引き取ろうと思うの。カイゼルベルク王にはすでに許可を得ているわ」
解術だけでもありがたいのに、美咲さんの今後のためにそこまで手を貸してくれるなんて。二人には感謝しかない。頭を下げようとした私に女性がスッと手でそれを制する。前にも思ったけれど、彼女の所作は洗礼されていてとても綺麗だ。狩人をしていると言っていたけれど、どちらかというとカイゼルベルク王のような人たちに近いような気がした。
「あの子のことは気にしないで。治るまで私たちがちゃんと面倒見るわ。それに……」
「それに……?」
「……あの甘ったれた性格の矯正もしてあげようじゃないの」
「へっ?」
「あの子一度目を覚ましたのよ。ところが自分の治療をしてくれた先生に対して地味だの眼鏡だの王子様がよかっただの、舐め腐ったことばかり言っていたから腹が立ってちょっと気絶……こほん、眠っていただいたの。ほほほ」
穏やかじゃない言葉が聞こえたのは気のせいだろうか。それに彼女もどことなく殺気立っている。無意識に男性に助けを求めるように視線を向ければ彼も彼で困った顔で彼女を見ているだけだった。どうやら止めるつもりは更々ないらしい。
「まず最初に言う言葉は『ありがとう』の感謝の言葉でしょう?」
「そ、そうですね……」
「見た目だけで先生の魅力にまったく気付かない小娘にはそれなりの教養を施してあげないと。連れて帰って畑の厳しさを教えてあげるわ」
「は、畑?」
「エリーさん、彼女にも手伝わせたらとても騒がしくなるのでは……」
「シャルルはあそこまでおバカではないわ?!」
何が何やらで目を点にしつつ、だからと言って口を挟めるわけでもなく大人しくお茶をすする。自製していたと言っていたけれどとても美味しい。まるで高価なお茶みたいで味わって飲みたいけれど、でもたくさん飲みたいような、そんな二つの感情に板挟みにされる。
女性が落ち着く頃を見計らっている間にティーカップの中が空になった。様子を探りつつ、今まで気になっていたことを口にする。
「あの、気になっていたんですが……あなたはとても綺麗に『紗綾』と『美咲』って発音しましたよね」
そしてその音の響きが懐かしいとも言っていた。
「どうしてですか?」
私の問いかけに彼女は一度目を丸くし、そして薄っすらと口角を上げる。あまりにも様になっていてまるでどこぞのお姫様のようだった。
「世の中って、不思議なことで溢れてるってことよ。日本人のあなたがこの世界に召喚されたように」
今度は私が目を丸くして、そして破顔した。彼女はとても綺麗な人だけれど、だからか尚更秘密のある女性って魅力的だ。
「そのうちあなたに手紙を出すわ。この子がどうなっているか気になるでしょうし」
「ありがとうございます。あの、あと一ついいですか?」
「何かしら」
「お名前、お伺いしてもいいですか?」
美咲さんの恩人に今でも名前を呼ばないなんて失礼だ。手紙も出してくれるとのことだから、お二人の名前をしっかり聞いておかないと。
女性は持っていたティーカップを置いて、笑みを浮かべた。その傍らに男性が寄り添うように立っている。
「エリー・ヘスティアよ」
「私はセイファー・オリアスです。今まで名乗っていませんでしたね、失礼しました」
丁寧に自己紹介してくれた二人に私も笑顔で自分の名前を告げた――「榊原紗綾です」と。
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