32.真っ黒な霧の中
しっかりと休んで、体調を整えて準備を済ませる。いつもスカートを穿いていたけれど今回ばかりは邪魔になりそう、とカミラにお願いして一着お借りした。カミラって、やっぱりスタイルいいんだとエリーさんのおかげでたくましくなったウエスト周りを触りつつ、パンツスタイルになって不備はないか確かめてうんと頷く。
ポーチには神官の人たちからもらった体力回復の薬と、腕には解術師の男性からもらった力を増幅させるためのブレスレット。腰には女性からもらったダガーナイフ。ブーツにグローブはとても巡礼に行く『聖女』の姿には見えず、苦笑をもらす。
準備を終えた私は門に向かって歩き出す。出立前にみんなそこで最終チェックをしているようで、歩いていると色んな人が私と同様に門へ向かって歩いている。前に視線を向ければ幾つかの部隊の姿が見えた。その中に、見慣れた姿を見つけ駆け寄る。
「お待たせ」
「いいえ、そこまで待っていませんよ」
リクはいつも通りの格好に、そして腰にはいつもと同じ日本刀。それはもう見慣れたものだったけれど、私が驚いたのは後の二人の姿だ。フェデルタさんが持っているものは、明らかに薙刀。そして息子さんのウェスコットさんが持っているのは弓矢だ。
フェデルタさんは白髪で、ウェスコットさんは黒髪。どこか感じる既視感。
「足を引っ張らないよう、頑張ります!」
つい何かを言おうとして開いた口だけれど、それよりも早く隣から聞こえた言葉にびっくりして口を閉ざす。ウェスコットさんが元気いっぱいにキラキラとした瞳で私たちに頭を下げていた。
「……申し訳ございません。長子や他の倅は里のために置いてきたのでこれも置いてこようと思ったのですが……付いてくると言うことを聞かず」
「まだまだ若輩者なので、経験を積みたいのです! なので父に我が儘を言って付いてきてしまいました!」
「はははっ」
父親として頭を抱えるフェデルタさんに、まったく悪びれのないウェスコットさん。遠慮することなく楽しげな声を上げたのはリクだった。ほぼ初対面の人にこうやって気を許した笑い声を上げるのはめずらしいな、と思いつつ同じように私もウェスコットさんによろしくお願いしますと頭を下げた。
「では俺たちも行きましょう。サヤ、準備はいいですか?」
「はい! みなさん、よろしくお願いします!」
「こちらこそ」
「よろしくお願いします!」
それぞれが頭を下げ、他の部隊と同様に私たちも出立した。
途中までは他の部隊の人たちがいるということと、あと城の周辺はまだ霧が薄いから薄いから大丈夫だけれど。ある程度歩いた先でここからだと小さく息を呑む。私たちの視線に先にはもう黒く濃い霧しかない。今からこの中に入って、目的の場所に向かうしかない。
「行きましょう」
「うん……!」
リクの言葉に背中を押され、足を踏み出す。途端に悪くなる視界に息苦しさも覚える。それぞれの位置が何とかわかるのは、視界の悪さを考慮して前もって目印になる魔道具を貰っていたからだ。それぞれの胸に付けている小さなバッジが光ってこの濃い霧の中でも位置を教えてくれる。
でもこんなに霧が濃いと魔物がどこから飛び出してくるかわからない。三人ともそれがわかっていて常に警戒しながら歩いている。私の前には碑石までの道筋を覚えているリク。霧のせいでどこを歩いているかわからなくなりそうなのに、進む足には躊躇いがない。
私たちの足音以外に音が聞こえた。地を蹴るような音と、そしてバサバサと羽ばたかせている羽音。
「きゃっ?!」
霧の中から突然飛び出してきた魔物に驚いてつい声を上げる。突進してきたけれど私たちの真横を通り過ぎた魔物は方向を変え
、こっちに向き直る。再び突進してくる、と身構えた私の前にサッと現れたのはフェデルタさんだった。フェデルタさんは手に持っていた薙刀のようなもので間髪入れずその魔物を真っ二つに引き裂き、別の方ではウェスコットさんが弓で羽ばたいていた魔物を射落としていた。
「我々は濃い霧の中でも戦い慣れております。ご安心を」
「は、はい」
今ならカイゼルベルク王が言っていた言葉が理解できる。騎士の人たちが弱いわけじゃないけれど、確かにこの人たちは強い。無駄な動きもなければ迷いもない。視界が悪くても気配を察知してすぐに反応している。ハルバがあれだけ目を輝かせて興奮していたわけだ。
この距離でよくよく見てみると、薙刀だと思っていた武器だけれど私が想像していたものと違った。よく部活などに使っているものと似てるかなとは思ったけれど、フェデルタさんのは明らかに刃の部分が大きい。軽々と扱ってはいるけれど多分、私だと振り回すどころか持てないかもしれない。
スッと腕を引かれ自然と身体がリクに引き寄せられる。二人の動きに関心して足が止まっていた私に気付いたらしい。リクに謝りつつ再び歩き出す。その間魔物はずっと襲いかかってきて、正面から来るものはリクが。その他別方向から来るものはフェデルタさんとウェスコットさんが対応している。ウェスコットさんは私より年下で身体も小さいのにまったく怯えていない。経験を積みたいからと理由で付いてきた彼は、私からしたらもう十分に経験を積んでいて立派に見える。
「あ、向こうの方少し晴れてきましたね」
ウェスコットさんが指差した方向は、私の目ではその変化がまったくわからない。でも二人にはちゃんと見えているらしい。
「他の部隊も頑張っているようですね」
「僕たちも負けてはいられませんね!」
「何の勝敗を気にしているんだ、お前は」
「言葉の綾ってやつだよ!」
この会話だけ聞いていたら、なんだかのんびりとピクニックに来たみたい。特にフェデルタさんとウェスコットさんの親子の会話は微笑ましい。わーわー言っているウェスコットさんに呆れながらも窘めているフェデルタさんに、リクも微笑ましく見守っている。こんな黒く濃い霧の中だというのに和やかな雰囲気だった。
心に余裕が出てきたからか、ふと湧き出た疑問に首を傾げる。国の中心部に重要な碑石があるのはわかる。でもその存在をどうして今まで神官の人たちは知らなかったのか。そして、次の聖女に繋ぐためのあの資料がなぜあんなにも探しにくいところにあったのか。
リクに「どうしました?」と聞かれて思っていたことをそのまま口に出す。話を聞いたリクは前を向いたまま少し考え込み、そして口を開いた。
「魔導師の仕業かもしれませんね」
「魔導師? なんでそんなこと……」
「彼らにとって『争い』というものは己の力を誇示する絶好の機会です。別に魔導師全員がそうではありませんが、サブノック国に限ってはそんな考え方に歯止めをかけるような働きかけを王がしなかった」
「……魔導師にとって、神官や聖女は邪魔だったってこと?」
「重要な資料が隠されていたということならば、そうでしょうね……」
ただ破棄されるかもしくは燃やされるなんてことがなかったのは不幸中の幸いですと付け加えられた言葉に、確かにそうだけれどとあの資料を思い出す。今思えばあの資料はなぜか淡く光っていて、なんだかとても清いものにも見えた。魔導師たちも破棄しなかったんじゃなくて、できなかったのかもしれない。
後ろから矢が飛んできて目の前にいた魔物の目を射抜いた。怯んだところをリクが構わず刀を振り下ろす。見事な連携を当人たちは然も当たり前のようにやってみせ、実はこれが普通で驚いている私がおかしいのかな。と少し思ったりして。
例え霧が濃くなろうとも魔物が増えようとも、あっという間に三人が蹴散らしていく。私もできる限り防御の魔法とか使おうとしたんだけれど、それよりも早く倒されてしまうのだから役に立てることが何もない。治癒の魔法だって、ここに至るまで三人共かすり傷一つも付いていなかった。
「何か見えてきました」
リクはそう言いながら指差してくれるけれど、残念なことに私の目にはまだ霧しか見えない。でもフェデルタさんとウェスコットさんは見えているらしく、しっかりと確認している。この人たちの目はどうなっているんだろう。
でも言っていた通り、しばらく進んでいると少しだけ霧が薄く開けている場所に出た。そこは広場があったような雰囲気だけれど瓦礫などがあって舗装されていたであろう道も崩れてしまっている。躓かないようにと手を取ってもらい足元に注意しながら更に奥へ進む。霧がなくて、こんなにも朽ちた状態じゃなかったからこの場に噴水などがあっても違和感がなさそうだった。
「サヤ」
「あっ……!」
急いで駆け寄り確認する。広場の中心部にあったのは碑石ではなく、銅像のようなもの。それが台座と足元だけを残し後は綺麗さっぱりなくなってしまっている。
身を屈めて台座の方に視線を向ける。砂を被っていてよく見えなかったら軽く手で払えば、確かにそこには文字があった。なぜか読めるこの世界の文字。この時ばかりその仕様に感謝しながら文字を目で追っていく。
「“初代聖女の御霊、ここに眠る。名はヤエ”……ヤエ?」
日本名っぽい響き、と思いつつもう一度足元の方に視線を向ける。もしかしてここには初代聖女の銅像があったのだろうか。そしてそれが、この辺りの霧を晴らす碑石の役割を果たしていたのかもしれない。こうも大きく崩れてしまっては碑石の効力なんてまったくない。
「リク、私この銅像の修復をするね」
「わかりました」
そっと銅像に向かって両手をかざした瞬間だった。今までに聞いてことのない耳を劈くほどの雄叫び、咄嗟に耳を塞いだけれど身体が強張りこれが『恐怖』なのだと本能的に察知した。顔を上げれば見たことのない、巨大な何か。確かにこの世界はファンタジーとは思っていた、元いた世界では信じられなことがこの世界にはたくさんあったから。目新しいものばかりで楽しく思ったときもあった。
でも流石に。黒く濃い霧の中からこんな巨大なドラゴンのようなものが出てきたら、そんなこと恐ろしさのあまりに何も言えなくなる。
「随分と大物が出てきましたね」
「邪龍ですか、腕が鳴ります」
「僕も頑張ります! あのウロコ剥がして持って帰っていいですか?」
「どこで土産を調達しようとしてるんだお前は」
そんな呑気なこと言ってられないんじゃないですか?! と叫びたかったけれど歯がカタカタとなっていてまったく声が出せない。すっかり腰が抜けた私に前に立っていたリクは、振り返って一言「大丈夫ですよ」と笑顔で口にした。
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