26.耳飾り
「そうか、それは大変だったね」
お客さんも少しずつ減っていく中、メリーさんの声が静かに響く。コップを握りしめている私の手を温かい手が包み込んで、そして柔らかく笑ってくれた。
「サヤ、あんたって子は頑張ってばかりだね。ちゃんとしっかり休むんだよ?」
「ありがとうございます。あの……メリーさん」
「なんだい?」
「……これなんですけど」
そう言って胸元に収めていたネックレスを取り出し、メリーさんに見せる。何度見ても中の宝石はそこにはもうないし、フレームはくすんでいる。
「リクの大切なものだったんですよね……?」
ネックレスに視線を落としたメリーさんはスッと顔を上げ、私に微笑んだ。
「ちゃんと役割を果たしたようだね」
リクも同じようなことを言っていた。役に立った、それはまるで道具のような物言いだけれどそれにしてはとても綺麗なネックレスだった。ただの道具には思えない。
「……それはね、リクの母親の物だったのさ」
「えっ……?」
「前に旦那とあらゆる国を巡ったって言っただろう? その時に出会ったんだ」
私たちの目の前にそれぞれカップが置かれる。顔を上げると私がさっきまで使っていたコップを下げながら従業員さんが微笑んで一度軽く頭を下げた。メリーさんもお礼を言い口を付け、私も同じように温かい飲み物を喉に通した。何かのハーブだろうか、香りもよくてとてもホッとする。
「あたしの一族はちょいと特殊でね、魔法石に『まじない』と称してあらゆる効果を付加させることができるんだ。旅先で知り合ったリクの母親にも大切な息子の為にとお願いされてね。一つは反射魔法。そしてもう一つは、万が一にでも魔法石が破壊された場合持ち主の元へ行ける転移魔法、その二つをまじないとして掛けたのさ」
そしてリクからももっと強力なものにしてほしいと頼まれたこともあったね、と苦笑したメリーさんに私は思わず固まる。メリーさんのその言葉はあまりにも見に覚えがありすぎた。魔導師から放たれたあの禍々しい力を反射してくれた、魔法石が壊れた時に目の前にはリクが現れた。
「……あの、リクの、お母さんは……」
「……随分前に亡くなったよ。だからこそリクは大切にあのペンダントを肌身離さず持っていた」
「っ……! わ、私っ……」
「そんな大切なものをサヤにあげたということは、そういうことだろう。それが壊れたからといってサヤが自分自身を責める必要なんてまったくないんだよ。負い目に感じるより、ペンダントをあげたリクの気持ちを汲み取ってはくれないかい?」
勝手にポロポロと涙が溢れてくる。本当にこの世界に来て私は泣きすぎだ。泣いたらきっとメリーさんだって気を遣ってしまうのに、止めよう止めよう思ってもまったく止まってくれない。
リクはきっとわかっていた。貰った私が気にするからって、だからこのネックレスがお母さんの形見だということを黙っていたんだと思う。リクのお母さんが、我が子を守るようにと作ってもらったネックレス。同じようにまた、リクも私を守ってくれようとしてくれていた。
どうしよう、メリーさんだけじゃない。リクには数えきれないほど本当に助けられている。私は何一つ恩を返せてはいないし、きっとリクのことだから恩を返すと言っても「大丈夫ですよ」と笑顔でやんわりと断るに決まってる。恩を返して欲しいために助けているんじゃないって、言うに決まってる。
丸まった背中を擦ってくれるメリーさんの手が温かくて、しばらくの間涙は止まらなかった。グスグスと鼻を鳴らし、涙が引っ込んだ頃には目も鼻も痛くてメリーさんからは「随分腫れちまったねぇ」と言われてしまい温かい濡れタオルをもらってしまった。疲れただろうし、もう休みなという言葉に甘えて真っ赤になった鼻を押さえながら自室に向かう。
一体どれほどの期間離れていたのかはわからないけれど、自室に入って身体の力がスッと抜けた。私はすっかりこの部屋でリラックスできるようになっているんだ。
ベッドの上に身を投げるようにボスンと横たわる。私にできることってなんだろう。物を直すことと、防御の魔法を使えること、そして傷を少しだけ治せること。それ以外にできることなんてない。その中で、私にできることってなんだろう。
目を閉じると太陽の光に透けるキラキラと光る銀色が脳裏に浮かんだ。髪も綺麗だけれど、瞳も穏やかな海のように綺麗な色をしている。右耳には風に揺れるピアス。
「あ!」
ガバッと身体を起こす。あった、私にできることあったかもしれない。今までもらった恩に比べればとても小さなものだけれど、でも、小さいながらもでも少しずつでも返すことができるかもしれない。
朝起きて急いでメリーさんの元へ向かう。まだお客さんがどっと入る前だろうから時間はあるはず。そう思ってやや駆け足で厨房にいるであろうメリーさんの姿を探す。予想していた通りまだまったりしているメリーさんの姿を見つけた。
「おはようございますメリーさん!」
「わっ?! 今日は随分と早いんだねぇ! おはよう、サヤ。どうしたんだい?」
「メリーさんにお尋ねしたいことがあって。あの……魔法石って、手に入りにくいですか?!」
目を丸くしたメリーさんだったけれどそれも一瞬で、すぐにくしゃっと楽しそうに破顔した。
「大きい物ならそうだけど、小さい物なら身近にあるよ。鍛冶屋の近くに装飾屋があっただろう?」
「えっと……」
言われて頑張って記憶の奥から引っ張りだしてみる。あったような、なかったような。私のこの街での行動範囲が狭く鍛冶屋さんにはよく行っていたものの、その奥にはあまり行かなかった。リクに案内された時も「そういうのあるんだ」と思っただけで記憶に留めていなかったかも、しれない。
そんな私に気付いたのか、メリーさんはクスクスと笑って「鍛冶屋の二つ隣だよ」と付け加えた。
「あそこは装飾に使う魔法石も置いてあるんだ。ただやっぱりちょいと割高になってるよ」
「そ、そうなんですね……! 早速行ってみます!」
「待ちな! ちゃんと朝食は食べていきな、いいね!」
「は、はい!」
メリーさんに言われたのと同時にくぅ~と情けなくお腹が鳴って、つい羞恥に襲われる。勢いのまま出るところだったけれどメリーさんの言う通り、ご飯はちゃんと食べていったほうがいい。いつもの席に座ってメリーさん特製のオムライスを黙って待つ。そわそわとしながら待っていたら目の前にコトリと置かれ、出来立てホヤホヤを証明するかのように湯気が立っていた。
「今日リクは一日部屋にいると思うから、ゆっくりしておいで」
「はい!」
一日部屋にいるほど疲れてるんだ、と少し落ち込みつつ温かいうちにオムライスを食べきって、メリーさんにお礼を言った後急いで隣にある自分の店に向かう。ずっと閉店しっぱなしでお客さん困っているかも、と思っていたらドアの入り口にはメリーさんの字で「しばらく休業」という看板が立てられていた。細やかな気遣いに感謝しつつ、鍵を開けて店内に入る。あまり埃っぽくないのはメリーさんが定期的に掃除してくれていたかもしれない。
店内の少し奥まった場所まで移動して、鍵付きの箱の前にたどり着く。このお店の売上が入っている所謂『金庫』だ。低価格でやっていたけれど修理の仕事は意外にも多くて、それなりの売上を出していたけれど特に欲しいものもなくてほぼ手付かずの状態だった。
相場がどれほどのものかわからないため、そこそこの金額を取り出す。足りなかったら取りに戻ってくればいい。金庫の鍵をかけて、そしてお店の入り口の鍵もかける。確か鍛冶屋さんの二つ隣、と視線を動かしてみれば確かにそこにはしっかりと『装飾屋』の看板が下がっていた。結構身近にあったのになぜ私は視界に入れなかったのか。
初めて入るお店だったからちょっとドキドキしながらお店のドアを開けてみた。中はもちろん鍛冶屋さんの内装とはまったく違う。装飾屋、という名の通りあらゆる装飾品が並べられている。中央の方には店主さんなのか、モノクルをかけたおじ様が顔を上げて「いらっしゃい」と穏やかに告げた。
「あの、魔法石って置いてありますか……?」
「ああ、あるよ。すでに加工されたものとそうでないものがあるが……見てみるかい?」
「はい、お願いします」
店主さんにショーケースに収められている装飾品のところまで案内されて、視線を向ける。意外にも色んな種類があって思わず小さく声を上げれば店主さんは「ギルドの人間もよく来るからね」と説明してくれた。魔法石に効果を付加させて装備することはめずらしいことではないらしい。
本当に、装飾品だけでなく魔法石にも色んな色がある。燃えるような赤もあれば、自然を思い浮かべれるような澄んだ緑など。でも私がイメージしているのはその色じゃなくて、と端から端までジッと見つめる。白もいい、淡い紫もいいけれど、でももっとこう……と視線を隣に向けてピタリと止めた。
「あの」
「いいのがあったかい?」
「はい。あのこれって、ここで加工もできるんですか?」
「小物だったらできるよ。どれ、この石かい? どんな風に加工しようか?」
店主さんに要望を口にすれば「それくらいお安い御用だ」と快く引き受けてくれた。ただし魔法石ということで普通の装飾品に比べてちょっとお高めだよ、と続けられた言葉に力強く首を縦に振る。これで足りますかと見せた硬貨に店主さんも「十分だ」にこやかに頷いてくれた。
小物ということと、店主さんの腕がとてもよかったおかげでお願いしたものはあっという間に出来上がる。私は何も言わなかったのだけれどプレゼントということがわかったのか、手渡す時の笑顔がやや緩やかだった。店主さんにお礼を告げて大切に両手で受け取った私は急いで宿屋『マオ』に戻る。
「いいのがあったかい?」
「はい! メリーさん、お願いがあるんですが……」
「おまじないだろう? かけてあげるよ、ほら」
店の奥の方、お客さんにあまり見られないような場所まで移動してメリーさんに手に持っていたものを渡す。それを見た瞬間「なるほどね」と呟かれた声に少しだけ頬を赤くした。やっぱり、わかるよね。
「どういうおまじないがいい? 強化系か、防御系か。まぁあの子は普通に腕がいいからね」
確かに戦う人ならば強化系が役に立つんだろうけれど、それでもやっぱり私は。
「防御系でお願いします」
その人の身を守ってくれるものを望んだ。私の言葉にメリーさんは笑顔で頷き、左手にそれを乗せると右手で上から包み込み聞いたことのない言葉を紡ぐ。魔法石の色と共鳴するかのように同じ淡い光が発せられ、徐々に手の中に収まっていった。はい、と手渡されたそれはさっきよりもキラキラと光っているように見える。
「ありがとうございます、メリーさん!」
「お安いご用だよ。忘れずにちゃんと渡すんだよ?」
「は、はい!」
多分、渡す時に私が緊張することをメリーさんはわかってる。鼓舞するかのように背中をバシンッと叩かれて、身体が少しだけ前のめりになった。こんなに力強く背中叩かれたの初めて、と思わず苦笑をもらす。
それからリクが姿を現したのは夕食を取る時だった。本当に一日中部屋で休んでいたみたいで、いつもの席で夕食を待っているとリクは少し慌てた様子でやってきた。
「すみません、休み過ぎました」
「ううん、ちゃんとゆっくりできた?」
「はい、それはもう。サヤは休めましたか?」
「うん、久しぶりにゆっくりした」
午前中はちょっとバタバタしたけれど。午後はわりとゆっくりと過ごした。と言ってもこの席でボーッとしているとメリーさんがおやつやら何やら色々と持ってきてくれて、それをまったり食べて時間を過ごすという、ちょっとグーダラな時間の使い方をしてしまったのだけれど。でもメリーさんはそんな時間こそ必要だ! って力強く言っていたから、多分今日ぐらいはそんな時間の過ごし方をしてよかったのだろう。
ちなみにメリーさんのおまじないは料理にも微弱ながら掛かっているようで。だからメリーさんのご飯を食べるとリラックスできるんだと納得した。やってきたリクの頬の傷も薄くなっているところを見ると、治癒のおまじないもかかってるのかもしれない。
目の前に料理が運ばれてきて、リクとまったりしながら夕食にする。お店の周辺にあるお店、あんまり覚えてなかったと正直に告げればリクは微笑みながら「意外にお店ありますからね」とフォローしてくれたり。色々とお喋りしていくうちに料理はどんどん減っていて、お皿が空になるのも時間がかからなかった。
ごちそうさま、と手を合わせてお皿を引いてくれる従業員さんにお礼を言って立ち上がる。この時間帯はお客さんも多いからあまり長いはできない。他のお客さんのためにもすぐに立って席を空かす。明日どうするかは決めてないけど、もう少しゆっくりしてもいいかもしれないとリクと喋りながら自室に向かって歩き出す。
リクの部屋は二階、私の部屋はその下の一階だ。「おやすみなさい」と二階に上げるリクを呼び止めようとして、なかなか上手くいかない。正直、緊張していて喉がカラッカラだった。そうこうしているうちにリクは階段を登り終えて角を曲がろうとしていた。急いで階段を駆け上り、廊下を歩くリクの背中を呼び止める。
「えっと、あの! リク、あのね」
「どうしました?」
「こ、これを、受け取ってほしいの。あっ、い、嫌だったら別にいいの! うん、あの、いつも、本当にありがとう。そのお礼」
我ながらしどろもどろ過ぎる。もう自分の情けなさに泣きたくなってきて、落ち込みながらもポケットに入れていたものを取り出してリクに差し出した。突然そんなことを言われたリクは目を丸くして、その目のまま私の手元に視線を落としている。気恥ずかしさにそっと逸らした視界の端で、リクが動いたのが見えた。
「貰っても?」
「う、うん」
「ありがとう、サヤ」
私の手にあったものがリクの手に渡った。よかった、受け取ってもらえてとホッと一息つく。小さな袋に入っていたそれをリクは「開けていいですか?」と一つ断りを入れて袋を開けた。ちゃり、という音が聞こえて持ち上げられたのがわかる。
リクにプレゼントしたものは、綺麗な藍の色をした円柱状のピアスだった。装飾屋で見た時この色を見た瞬間「これだ」と直感で選んだ。この藍色が、リクの瞳の色と似ていた。だからこれを選んだっていうことをメリーさんは目ざとく気付いたはず。
「藍銅鉱……サヤが選んだんですか?」
「うん、そう」
「そうですか……本当にありがとうございます、サヤ」
リクの右耳に向かう。まさか目の前で付け替えてくれるとは思っていなくて、恥ずかしいやら照れてしまうやら嬉しいやら、感情がわちゃわちゃになりながらもその様子を見守る。リクの耳に付けられたそのピアスは、とても似合っていた。
「大切にしますね」
嬉しそうな笑顔に、思わずキュンと鳴った胸を押さえる。こんなに喜んでもらえるなんて、あのネックレスのお詫びに近かったけれどでもプレゼントしてよかったと心から思った。これからもこうして少しずつでもリクに色んなものを返せたら。
「そうだ。サヤ、これいりますか?」
そう言って目の前に持ち上げられたのはさっきまでリクが付けていたピアス。
「これにもおまじないが掛かっているので役に立つとは思います。そのペンダントに比べて効果は低いですが……」
「も、貰っていいの?!」
「サヤさえよければ」
「い、頂きます!」
つい敬語になってしまってリクにクスクスと笑われてしまったけれど、でも嬉しさのあまりに両手を差し出してしまった。遠慮がなさすぎると頭の隅で冷静な私がツッコんでいるけれど、手のひらに置かれたピアスにそのツッコミは遥か遠くに弾き飛ばされる。薄い藤色の魔法石は私の手のひらでキラキラと輝いている。
後でこのネックレスに付けれる方法をメリーさんに聞いてみよう、と両手でギュッと握りしめた私をとても温かい目で見ているリクの視線には気付かなかった。
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