18.前兆①

「実は追い出されたのは私だけではないんです。他の神官も何か理由をつけられて城から出されたはずです」

 細くて白い腕でせっせと物を運ぼうとしているセシルさんが、プルプルした状態で思い出したかのようにそう口にした。セシルさんの言葉も気になるけれど、でも先にそのプルプルしているのが気になって話が頭に入ってこない。「持ちますよ」と申し訳なさそうにしているセシルさんから物を受け取ったけれど、私の腕はそうプルプルすることはなかった。

「彼らを集めて更に周辺の碑石の修復に当たるのはどうでしょう。確かに我々はサヤ様のように力があるわけではありませんが、それでも神官としての役目を果たすことは出来るはずです」

 それだと少しはこの村に襲い掛かってくる魔物も減らせるはずです、と鼻息を荒くしているセシルさんに水を差すようで悪いんだけれど。

「でも、それって霧の濃いところに行くってことですよね? 神官さんたちだけじゃ危険なんじゃ……」

「あ……いえ、でも、防御壁の魔法でなんとか塞いで……」

「ギルドの人間に護衛を頼むのはどうでしょうか?」

 持っていた荷物がヒョイと取られる。隣を見てみればしっかりとした腕が荷物を落とすことなく受け止めている。笑顔のリクは悩んでいるセシルさんにそう提案した。

「ギルドからまた人材が派遣されるようで、彼らは皆腕利きです。護衛の依頼が来たら寧ろ喜んで受けると思いますよ」

 血盛んな人が来るようなので、と付け加えられた言葉にセシルさんの顔が若干引き攣った。セシルさんがこの村に来て数日経ったけれど、ちょこちょこフェネクス国の人たちに驚いていた。彼は神官という職業だから、周りにもきっと物静かな人が多かったんだろう。今思えば巡礼している時も神官の人たちはみんな物静かで丁寧だった。

 フェネクス国からやってくる人たちはほとんどがギルドの人たちだから、リクの言う通りとっても元気がいい。農作業に嫌な顔することもなく、重たい木材もヒョイヒョイ運んでいく。だからと言ってサブノック国の騎士のように近寄りがたいイメージというわけではなく、寧ろ近所のガテン系のお兄さんという感じで気さくだった。ただ、セシルさんは未だにそれに慣れていない。

「そ、そうですね! 彼らに頼んでみます! ま、まだ少し怖いですが……!」

「取って食うわけではないので安心してください。言葉遣いが荒いと思ったら注意してください、きっと改めてくれますよ」

「そ、そうなのですね。わかりました」

「あの、セシルさん。私が把握していない碑石ってありますか?」

 一応この周辺にある碑石はある程度は覚えているけれど、すべて覚えているかと言われれば自信がない。でもセシルさんなら覚えているはずだと聞いてみれば、彼は顎に指を当てて「ふむ」と思い返すように視線を上に向けた。

「……いいえ、この辺りはサヤさんもご存知だと思いますよ。ただ少し離れた場所で、優勢順位で巡礼から省いたところがあったのでそこに行ってみようかと」

「そうなんですね……」

 すべてを巡るには人手も時間も足りなかったから、確かに省いた場所はあった。この国に来たばかりの頃だったからその場所がどこだったかちゃんと覚えきれてない。そしたらここはそういう場所もしっかりと把握している人に任せた方がいいのかもしれない。

 ちなみにセシルさんや村の人には私のことを「聖女様」や「サヤ様」などで呼んでいたから「様なんて付けなくていい」と言ってある。私はもう聖女でも何もない、ただのサヤとしてこの土地に手伝いに来ているんだから。最初こそは戸惑っていたけれど最近徐々に「様」は取れていって、それと同時に少し砕けた言葉遣いにもなってきている。

 他の村にいる神官さんたちはセシルさんがギルドの人と一緒に迎えに行くということになって、そこから碑石の修復に行ってきますねと彼は笑顔で告げる。酷使させているような気がして無茶はしないでくださいね、と言ったんだけど。

「何も出来ずにいるよりずっといいです」

 笑顔でそう言ったセシルさんにグッと言葉が喉に詰まった。私が追い出された後一体どういう仕打ちを受けていたんだろうか。ずっともどかしい思いをしながら城にいた彼らのことを思うとやるせない気持ちになる。


 そうして徐々に徐々に、そして着実に周辺に霧は薄くなってきた。それと同時に村の人口も増えていて、今やもう立派な一つの街だ。ギルドの人たちのためにと元から村にいた人たちが鍛冶屋や食事処を作ってくれた。その村の人たちへのお礼にとギルドの人たちは更に精を出す。街の雰囲気はとてもいいものになっていた。

 そして、少し離れた村から人が少しづつ流れてきた。噂を聞きつけてやってきたという人たちがほとんどで、最初彼らは霧の薄さに驚いていた。こんな視界がクリアなのは久しぶりだ、空気が美味しい、魔物に怯えなくてすむ。そう口々にする村の人たちをここの人はみんな受け入れた。自分たちもその苦労がわかっているからこそ、その人たちを追い出すことなどしなかった。

「それ持って行きますね」

「ああ、いつもありがとうございます」

 畑に行けば収穫されたばかりの野菜が積まれていて、手の空いた人がそれを運んで洗うということをしていた。私も例外じゃない。他のところの手伝いが終わったため畑に顔を出してそう言えば、ギルドから派遣された人がにこやかに挨拶してくれた。この人は他のギルドの人と違って戦えるわけじゃないけれど、こういう作物系の知識に長けている人。今もこうして無事に収穫できるのもこの人の功績が大きい。

「今日もたくさん採れましたね」

「ええおかげ様で。最初は違う土地なのでどうなるか不安でしたが、この国の人は勤勉ですね。自分に割り当てられた仕事をしっかりとこなすのでとても順調にいっています」

 前にリクが言っていた、この国の人の特徴だ。柔軟性に少し欠けているけれど割り当てられた仕事はちゃんとする、この国が成り立っている理由はそういうところにあるんだと深く理解した。それは決して短所じゃないし、そして他の村から来た人たちも同様に積極的に動いている。

 今ではすっかりギルドからの支援に頼ることなく、自分たちで賄うことができている。私たちが食べている食事も、ここの畑で採れた野菜だ。

 街にいる人の数はあまり変わってはいない。他の村から来た人たちはそのまま滞在して、そして村を支えるために滞在していたギルドの人たちが徐々にフェネクス国に帰っている。未だに残っている人たちがいるのは、万が一にでもこの街が襲撃された際すぐに対応できるようにだ。

「だいぶここも賑やかになってきたわね」

「そうだね。ところでカミラは戻らなくて大丈夫なの?」

 頃合いを見計らって順番に自分の家に必要な物を取りに戻っているようだけれど、今のところカミラとハルバが戻っている様子はない。ずっとこっちにいるから自分の家が気になってくるんじゃないかと思ったんだけど、そう言ったら「それを言ったらサヤもじゃない」と苦笑されてしまった。

「私は大丈夫よ。ただ埃が積もってるかなぁって心配だけしてる」

「そっか。何か大切なものが壊れた時は言ってね?」

「ええ、その時はサヤに直してもらうから」

 今も私はこの街で「修理屋さん」と呼ばれるようになっていた。それは大切に持っていた物が急に壊れたり、また他の村から来た時に割れてしまったりした人たちを放っておくことができなくて積極的に修理をしていたから。

「お姉ちゃん! これも直せる?」

 わりと離れている村から必死に逃げてきたのだという親子の子どもが、足元から可愛らしいおもちゃを私に差し出していた。唐突だったものだから私も思わず「わっ」って驚いた声をあげちゃって、その子のお母さんが慌てて走って頭を下げた。

「すみません急に。ほら、いきなり言ったらお姉ちゃんびっくりしちゃうでしょう?」

「ねぇ、これ直せない……?」

 子どもが精一杯背伸びをして差し出してきた馬のおもちゃは木で作ってあるもので、もしかしたら手作りなのかもしれない。ところどころ馬の足の長さが合っていない。

「すみません……これ、私の夫がこの子のためにって作ったものなんです……」

「あの、失礼ですが……旦那さんは……」

 確かこの親子がやってきた時は母と子、二人だけだったはず。その数日後に男性が一人だけやってきたという話は聞いていない。目を丸くして私を見上げている子の傍らで、そのお母さんは顔を小さく歪め目の端に涙を浮かべた。

「城に行くと行ったきり、帰って来なかったんです……あの時はすでに霧が濃くなっていて、でもあの人一人じゃなかったから大丈夫だと、思って……」

「すみません、辛いことを言わせてしまって……このおもちゃ、直してあげるね?」

「ほんとっ? このお馬さん元気になる?」

「うん、元気になるよ。落とさないようにしっかり持っててね」

 馬のおもちゃをしっかりと持っている小さな手の上に、自分の手をかざす。淡い光が生まれて一本折れていた足にその光が集中する。このくらい小さな破損ならすぐに直る、そう思っている間に光はフッと収まって同時に目の前から嬉しそうな声が上がった。

「お馬さん直った! 直ったよお母さん!」

「そうね、お馬さん直ってよかったね」

「お姉さんおもちゃのお医者さんだ! ありがとうお姉ちゃん!」

 直ったばかりのおもちゃを落として壊さないよう、片手でしっかりと抱え込んでいるその子は空いているもう片方の腕を元気いっぱい振ってくれた。その隣でその子のお母さんが深々とお辞儀をしている。物を直してお礼を言われるのはこれが初めてじゃないはずなのに、純粋に真っ直ぐに向けられる好意がなんだか照れくさい。小さな子どもに手を振り返している私の隣で、きっとカミラは生暖かい目を私に向けていた。

「な、何、カミラ」

「ううん。そうね、物にとってサヤは『お医者さん』ね」

「もう……からかってるでしょ?」

「褒めてるのよ?」

 クスクス笑う声に頬を膨らませる。カミラとは今ではすっかり打ち解けている仲になっているし、こうやって私をからかうのも普通になってきた。からかわれるのは恥ずかしいけれど、こうしてクスクスと笑う彼女は美人で、ある意味眼福。頬を膨らませている私が可愛いと言っていたカミラに、私だって楽しそうに笑うカミラが美人だとひっそりと思ってる。

「いい雰囲気よね、街としては大成功よ」

「そうだね……このまま、霧も晴れて魔物が出てこなければいいのに」

「……本当に厄介なのは、魔物じゃなくなるかも」

「え?」

 不意に暗い表情をしたカミラに聞き返そうとした時だった。急に街の入り口が慌ただしくなる。いつもは聞かない声に何かあったんだとカミラと目を合わせて、急いで入り口の方に向かった。

「アンタら急にやってきて突然何なんだ!」

「黙れ! 何だこの場所は! 何をコソコソとやっている!!」

 街に入れさせないようにと立ち塞がっている街の人たちの前にいるのは、馬に跨がり上から高圧的にものを言っている――二人のサブノック国の騎士だった。

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