11.黒い霧
「サヤちゃん、この間はありがとう」
「いえいえ! その後は大丈夫ですか?」
「ああ、ちゃんと綺麗な状態で持ってるよ!」
メリーさんのところでご飯を食べていると、最近ではこうやってよく声をかけられるようになっていた。相手はお店に来てくれるお客さんでたまに顔を合わせたりしたら「あのときはありがとう」と言ってもらえる。たった一回直しただけのときもあれば、たくさんの思い出を抱えてやってくる人もいる。でも決まってみなさん「ありがとう」と口にしてくれる。
ただごくたまに「今日は一人なんだね」とか言われて顔を赤くするときもある。夕食は大体リクと食べているから、色んなお客さんがいるこの場所ではそれを見ている人も多くいる。なんだかセットにされちゃってリクに申し訳ないな、と思いつつもいつも通り端の席でご飯を食べていた。
「今日もメリーさん忙しそうだな……」
お昼時間ということもあって、厨房の方ではメリーさんが忙しなく動いている。一人ではなく従業員さんを雇って二、三人で回しているようだけれどとても声をかけられる雰囲気ではない。前にお皿洗いぐらいはできるから手伝わせてほしいとお願いしてみたら、「あんたを過重労働で倒れさせるわけにはいかないよ!」とこれまた言われてしまった。この街はとってもホワイトだ。
だから今の私にできることは、メリーさんの愛情たっぷり注がれたご飯を一つ残さず食べきって元気でいること。最近お腹周りに付いてきたお肉は後で筋トレするとして、目の前にある食事を美味しく頂こうと口に運んだ。
「なぁ、最近マズいよな」
「ああ」
ふと聞こえてきた声に、まさかメリーさんのご飯がマズいとでも?! と物凄い勢いで振り返った。そんな会話をしていた男性二人はそんな私に気付くことなく会話を続ける。
「霧が濃くなりすぎて国境の辺りは流れてきてるらしい」
「今のところ害はないらしいけどな……門兵も気が気じゃないだろ」
「魔物が流れてくるなんてことあったら国家間の問題だぞ」
え、と小さく声が漏れる。あの人たちはさっき「霧」と言っていた? このフェネクス国には王の政策のおかげで霧が発生することはない。一体、どこから霧なんて。
国家間、霧が流れてきている、門兵が気が気じゃない――こっちに来るときに気さくにサラッと通してくれた門番の人たちの顔が脳裏に浮かぶ。
「霧ってどこからですか?!」
「うぉっ?!」
突然二人の会話の間に割ってきた私に驚きながらも、私の顔を見て「ああ修理屋の」と納得しながら互いに顔を見合わせてそして再び私に向ける。
「サブノック国との国境からだよ。最近向こうはやたら霧が濃くなってるようでな」
「ちょっと用で行ってみたんだけどよ、なんか前より酷くなってるような気がしてな。王様に報告しておこうか悩んでたところなんだ」
なんで、という言葉が真っ先に出てきた。なんで。だって向こうには『聖女』がいるはずでしょう? 霧を晴らすための碑石を直せる聖女が、巡礼として各地巡っているはずなのにどうして霧が濃くなってるの。
教えてくれた男性二人にお礼を告げて急いでお店を飛び出す。自分の店に戻って、必要な分だけを手に持ってはたと我に返った――今更、向こうに行ったところで私に何ができるの。
そもそも向こうは私が役立たずだったからって勝手に追い出したのに。代わりの聖女もいるし、私が行ったところで邪魔者扱いにしかならない。それに、あんな王とまた顔を合わせなきゃいけないほど向こうに愛着なんてあった? 話を聞いてもらいたくても聞いてもらえず、手伝ってもらいたいと願っても一蹴された。
「サヤ?」
ベルが鳴ったのにも気付かず突然聞こえた声に肩を跳ねさせた。振り返ってみればリクがやってきたようで、私の様子に首を傾げている。それもそうだ、荷物を持って呆然と立っている人間がいたら誰でも不審に思う。
「リク……」
でもどうすればいいの。放っておいていいの? 確かに向こうの王なんて好きじゃない、でもサブノック国にはきっと今でも魔物に怯えている人たちが大勢いるかもしれない。私が巡礼で訪れた村で、ありがとうございますと涙目で頭を下げていた人たちが危険に晒されているのかもしれない。
「……サヤ、大丈夫ですよ、落ち着いて……何かあったんですか?」
「さ、さっき、メリーさんのところで、霧が、濃くなってるって……国境にまで、来てるって」
「……サヤ、深呼吸をしましょう。ゆっくりで大丈夫なので」
「う、うん、すー……はー……」
知らず知らずのうちに動揺していたみたいで、リクが肩を擦りながらゆっくりと深呼吸を促してくれる。酸素が頭に巡ったのを感じて下ろしていたまぶたをようやく持ち上げた。そしてリクにしっかりとさっき男性二人から聞いた会話を伝えた。
「……国境に行ってみますか?」
「え……?」
「だってサヤ、気になるんでしょう? 最低限の荷物だけを持って飛び出そうとしたんじゃないんですか?」
「うっ……」
「様子を見るだけです、国境は跨がない。いいですね?」
「……うん」
私は今フェネクス国の人間だ、別の国で勝手なことをすれば問題になる。リクの言葉に大人しく頷いて、国境に行くのも明日ということになった。今から行っても日が暮れてしまうししっかりと休んでいた方がいいと。
その日の夕食、サブノック国のことが気になって食事をする手の進みが悪いことにメリーさんが気付いてとても心配されたけれど、代わりにリクが説明してくれた。リクの話を聞いて、メリーさんはたった一言だけ「無茶はしないようにね」と微笑んだ。
お店にクローズの看板を掛け、しっかりと準備をした私は街の入り口に来ていた。朝から出発すれば日帰りで帰って来れるはず、そう思っていた私の視線の先に現れた人物に目を丸くした。
「リク?」
でもそこにいたのはリクだけじゃない、リクの隣は大人しくお馬さんが並んでいてしかも荷物のようなものも見える。
「ついでに国境の門兵への物資を運ぶ依頼も受けてきました」
ギルドとしてやるべきことをやろうとしているリクに手ぶらの自分が恥ずかしくなる。霧が濃くなっていつ魔物が出てくるのかわからず、気が気じゃないという話をあの男性二人はしていたのに。少しでも気が晴れるようにとリクはせめて物資を運ぼうと思ったのだろう。
私ってなんて浅慮なんだろう、そう頭を垂れる私の頭上からリクの穏やかな声色が聞こえてくる。
「サヤ、馬は乗れますか?」
「……え? 馬? えっと、乗ったことがない、です……」
「そうですか」
「わっ?!」
馬にも乗ったことがないし私が行きたいと言い出したのに流石に足手まとい過ぎる、そんなことを考えている間に身体がふわっと宙に浮いた。一体何事と目を丸くしている私の身体はぽすんと馬の上に降り、すぐ後ろにリクが飛び乗ってきた。
「俺が落ちないように両腕で支えているので安心してください」
「う、うん、ありがとうリク」
「いいえ。では行きましょうか」
歩いてきたものだから馬で行くという発想がなかった。何から何までリクに任せっきりで申し訳ない。お馬さんはパッカラパッカラとゆっくりと走り出し徐々に速度を上げていく。少しお尻が痛かったけれどよく見てみれば少し厚めの布が敷かれていて、一体どこまで配慮が行き渡っているのだろうとリクの繊細な気遣いにただただ驚くばかりだ。
私が馬に慣れてないことと落ちないようにということで、背中の方にピッタリとリクの身体が付いている。やっぱり剣を握っている人だけあって身体つきはたくましい。ちょっとドキドキしつつ、馬はあっという間に国境沿いに向かっていく。けれど徐々に近付く国境に、ドキドキするなんてことは言ってられなかった――遠目でもわかるほど、霧が濃くなり過ぎている。
「霧が……」
唖然としている間に馬を近くに寄せたリクは真っ先に降りて、そして次に私に手を差し伸べて私を下ろしてくれる。門兵の人たちに近付くと物資の依頼の事を言っているのか、彼らはすんなりと運んできた物資を受け取った。そんな様子を眺めながら以前よりも門兵の人たちの数が増えていることに気付く。
視線を彼らから国境の門の奥に向ける。私がいたときも確かに薄っすらと国全体を霧が覆っていたけれど、それにしても、目の前にある霧はあのときよりもずっと濃くなって……そして。
「黒くなってる……」
まるで排ガスを吸ったかのように黒くなっている霧にゾッと背筋が凍る。何をどうしたらこんな状態にまでなってしまうのだろうか。聖女が例え巡礼に行く場所がめちゃくちゃになっていたとしても、少しでも碑石の修復をしているのであればここまでなることはないはず。
「リクがいたときもここまで酷かったの……?」
「……いいえ、確かに霧が濃くなっていましたが、ここまで黒くは……」
「どうして……聖女はいるはずなのに」
「……神官たちはどうしているのでしょうか」
確かに、神官の人たちは聖女ほどの力がなくても碑石の修復はできる。だからセシルさんの協力を得てみんなで修復していたのに。その神官の人たちはどうしたのだろうか。あのセシルさんが、果たしてこうなるまで碑石を放っておくだろうか――もしかしたら、放っておかざるを得ない状況になっている……?
一体サブノック国に何があっているのだろう。予想していた以上に酷い状況に唖然とするしかできなくて、そうしている間に門兵の人たちが門の向こうへと消えていった。聞き覚えのある雄叫びに霧から魔物が発生したのだと気付く。このままだと本当に魔物がフェネクス国まで流れてきてしまう。
いいえ、それもあるけれど。もしかしてこの門の向こうはすでに魔物が蔓延っているかもしれない。そしたら騎士がいない村や街はどうなるの? 悪い方向へ想像をしてしまって急いで頭を左右に振った。
「……フェネクス国の王に謁見してみますか」
「え……?」
「サブノック国とは違ってフェネクス国は申請すれば王に謁見できます。どうしたいのか悩んでいるのであれば、まずは誰かに話を聞いてみるのも手だと思いますが」
ですが、とリクは僅かに表情を浮かべて言葉を続ける。
「そうすると貴女が自分が何者であるか、説明する必要があります。ただの『サヤ』ではいられなくなるかもしれません」
ただの『サヤ』でいるとき、とても楽しかった。色んな人が声をかけてくれて頼ってくれて、「ありがとう」と言ってもらえる仕事に誇りを持てる気がした。リクが言っているのは、それを捨てなければいけないということ。
でも私は今どうしたいのかわからないでいる。もしそのままサブノック国の『聖女』でいたのであれば、急いで碑石のある場所に向かって修復をしていた。でも私はもうサブノック国の聖女じゃない。でも、碑石を直せる力はある。
聖女じゃないからって、苦しんでいる人たちを見過ごしていいの? 私には助けられる力があるというのに?
でも私はフェネクス国の人間で、きっと勝手にこの門の向こうに飛び込んでいくことはできない。何かあった場合、私を止めなかった門兵の人たちが何かしらの罰を与えられるかもしれない。今の私は、進むことも戻ることもできずに立ち止まっているだけ。そんな私に、リクはまたそっと手を差し伸べようとしてくれている。
「……私、会ってみる。フェネクス国の王様に。他の国だからって、このまま見て見ぬ振りはできないよ……」
「……わかりました。では俺が申請しておきますね。一緒に行きましょう」
一人だと不安でしょうから、と微笑むリクにゆるく頭を縦に振る。あの王のせいで城にいいイメージがない。そんな場所と似たようなところで果たして自分の考えをはっきりと物申せる自信がなかった。でも隣にリクがいてくれるのであれば、安心できる。
「では急いで戻りましょう。街から王都は少し距離がありますから」
「うん、わかった」
門の向こうに行っていた門兵の人たちが続々と戻ってくる。見たところ誰一人怪我がなくて持ってきた物資に早速手を伸ばしていた。一先ずホッと安堵したけれど、彼らはずっと気が抜けない状況が続いている。
そんな彼らのためにも、せめて国境近くの碑石だけでもまず修復をしたい。王様に、そう進言してみようと行きと同様にリクに馬に乗せてもらって私たちは急いで街へと戻った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。