2.聖女の仕事
聖女だからとても強い力を持つことができると思いきや、実はそうでもなかった。こう、漫画やアニメのようにパァッと明るい光りで辺り全体を包み込んで碑石も一気に直せる、そんな想像をしていたけれど。歴代の聖女が使っていたと言われるこの部屋に残されている資料には、各地にある碑石に自ら赴いてそして一つずつ修復するしかない、と書かれていた。
尚更神官では駄目なのだろうかと思ったけれど、修復時間がまったく違うらしい。聖女だと一分にも見たない作業でも神官では下手したら半日掛かるかもしれないという。それならば、聖女が行くしかないのだと小さく息を吐きだした。
ただ驚きはこれで終わらない。霧を濃くしないために碑石の修復に向かうんだけれど、その碑石が本当に防御壁の役割を果たしているみたいで初めて向かったときはギョッとした。霧がすぐ目の前まで差し掛かっていたからだ。ということはいつ魔物が出てきてもおかしくない状況だった。想像していたよりもハードな仕事だとゴクリと喉を鳴らしたのだけれど、本当に恐ろしかったのは騎士が同伴するつもりがまったくなかったということ。
いつ魔物に襲われるかわからない状況で、私と神官だけしか行かないなんてとても心許ないと騎士の人に一度言ってはみたんだけれど。
「なぜ我々がわざわざそんなことを?」
その言葉に開いた口が閉じなかった。騎士の言い分は、自分たちは城を守るのが仕事であって聖女や神官を守ることは仕事でないということだった。じわりじわりと、何かが私の中を支配していく。
「大丈夫ですか? サヤ」
声を掛けられてハッと我に返る。目の前には風化していた碑石がしっかりと元の姿に戻っていた。顔を上げると穏やかな表情が私を見てにこっと笑顔を作ってくれる。その顔を見て私はまたホッとした。
彼だけだった、騎士の中で唯一この巡礼に付いてきてくれたのは。「リク」と名乗った彼は屈んでいる私に手を差し伸べて立ち上がらせてくれた。水色掛かった透けるような銀髪が綺麗、と思いながら彼にお礼を告げる。
「碑石は元に戻りました。いつも付いてきてくれてありがとう、リク」
「いいえ、俺がサヤの手助けをしたかっただけですから」
穏やかなリクにこっちの心も自然に凪いでいく。数回こうして碑石の修復に赴いて、今ではすっかりお互いの名前を気軽に呼び合える仲になっていた。リクは神官の人たちにも怪我がないことを確認して、手早く帰り支度を整えようとしてくれている。神官の人たちもそんなリクにすっかり信頼を寄せていた。
リクと隣に並んで、チラリとその顔を見上げてみる。リクも、神官の人たちも、私のことを大変だろうとサポートしてくれている。それなのに。
碑石は本当に各地にあって、場所によってはお城から離れたところにもあった。徒歩で移動するにも数日掛かってしまい、せめて馬車は貸してくれないだろうかと最初に私のことを仰々しく「聖女!」と言っていた、王子と思っていた実はこの国の王、アルフレッド・ヴァン・パイロープにお願いをしたことがあった。そしたらだ。
「巡礼は聖女と神官の仕事だろう。いちいち俺の手を煩わせるな。報告もする必要はない、お前の仕事だからな」
頭を鈍器で殴られたかのような衝撃だった。この国が大変だから、自国の人々が魔物に襲われることがないように聖女を召喚したものだと思っていたのに。
王の言い方はあまりにも関心が薄く無責任のように感じた。
「あの……リクに言うべきじゃないってわかっているけど、私どうしても王様たちの考えに付いていけないっていうか……」
口にするべきではないとわかっているけれど、どうしてもどんどん私の中を支配しようとしている感情に歯止めが利かなかった。わかっている、この国は大変で聖女の力を頼らざるをえないということは。
それにしてもあまりにも『聖女』にすべてを投げっぱなしだった。呼び出すだけ呼び出して、仕事をしろと一方的に言って押しつけて協力しようともしない。責任を押しつけられたような気がして、ずっとモヤモヤとやるせなさに襲われていた。
自分の国なのに、他人任せにしないで自分の手で大切にしようとは思わないの、と。
歩いていたリクの足が止まって自然と私の足も止まる。お互い視線を合わせて、リクは小さく「そうですね」とこぼした。一度止まった足は再び動き出す。
「この国の、城で働く者たちの特徴は『己の仕事だけを全うする』という考えが根強いです。別にそれが悪いと言っているわけではありません、各自割り当てられた仕事をしっかりとこなすことは間違いではないです。だからその者たちにはしっかりとした休みがありますし、誰かに一方的に負担が強いられることもありません」
「そう、よね……」
「ただその一方で、柔軟性が欠けています。今回の巡礼もそうです。魔物が出るにも関わらず『その仕事の指示は受けてはいない』という理由だけで、誰もサヤや神官たちを守ろうとはしなかった。俺もそこには、納得できません」
リクも巡礼を共にすると言ったら周りの騎士から「物好きだな」と笑われたらしい。なんでわざわざ自分から仕事を増やすのかって。
この国の騎士たちの剣は西洋の剣に似ているけれど、リクが腰に下げている剣は他の騎士たちと違って日本刀によく似ている。もしかしたらリクは元は別の国の出身なのかなとふと思う。この国の人たちとものの考え方が違うから私の言葉に否定することなく、私が納得できていない部分にも同調してくれたのかもしれない。
「リクは……もしかしてこのサブノック国の出身ではないの?」
ポロッと出た私の疑問に、リクは嫌がることなく笑顔を浮かべた。
「そうですね」
「そしたらどうしてこの国の騎士に?」
「先代の王に恩があるんです。それを返している最中ですね」
「そうなんだ……」
今の王ではなく先代の王だから、リクもこの国で騎士をしているのかもしれない。こう言ってはなんだけど、この短い間でリクのすべてを知っているわけではないけれどリクの性格にこの国は合っていないように感じる。
帰りは行きと違って魔物が現れるかもしれない場所に行くわけではなく、城に戻るだけだから神官の人たちも随分とリラックスしている。擦り傷があったらお互いに治してあげているし、談笑しながら歩いたりと割りと和気あいあいとしていた。
私も巡礼前にほんの少しだけ魔法を教わっていた。セシルさんが言うには聖女も魔法が使えないわけでないけれど、その力を別の人間に悪用されないために碑石を元に戻す力と攻撃を受けないための防御の魔法、そして癒やしの魔法だけを覚えて欲しいと頼まれた。確かに聖女が攻撃魔法なんてイメージと違うしなんだか恐ろしいな、と思いつつ私も納得した。
「サヤ様、お怪我はありませんか?」
「はい、大丈夫です。セシルさんも付いてきてくれてありがとうございます」
「私が巡礼の責任者ですので。リクさんもわざわざありがとうございます」
「お礼を言われるほどでも。魔物の討伐は我々の仕事ですので」
三人で横に並んで朗らかに会話が進んでいく。言葉だけ聞いたら社交辞令のように聞こえるけれど、二人共お互い深々とお辞儀をしていたから心からのお礼だろう。その間に挟まれている私はどうすればいいのかわからなくて、多分周りから見たら妙な光景になっていたとは思うけれど。
「数日ずっと巡礼に行きっぱなしでさぞお疲れでしょう」
「でも、怖い思いしている人たちたくさんいますから」
濃くなっていく霧にいつ魔物が出てくるかわからない状態で暮らさなきゃいけない人たちに、心休まる時間なんてきっとない。聖女だからって大きな力で一気に物事を解決できるわけではなくて、コツコツと時間を掛けなければならないことが心苦しい。今どこの霧が濃くなっていて危機的状況に陥っているか、セシルさんがいつも調べてくれてそしてそれを元に優先順位を決めなければならない。効率性を求めたくても、現状今はそれが一番効率のいいやり方だった。
それは私だけではなく代々の聖女がそうしてやってきたのだと、彼女たちが書き記した本に書いてあった。きっと彼女たちもこんな気持を抱えていたに違いない。
少し気落ちした状態で歩き続ける。今回少しだけ城から離れていたため一泊しなければいけない。つまり野宿。野宿する場合騎士であるリクは周りを警戒するために一睡もしていない。セシルさんも防御壁を張れるため休んでくださいとは言っていたものの、「サヤの手伝いで疲れているでしょうから」と彼は笑顔でサラッと断りを入れた。柔な作りではないからと。
王やまた騎士たちがもっと協力的だったら、神官の人たちやリクにここまで無理強いをすることもなかったかもしれない。そんな考えをせずにはいられなかった。
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