思い出の修理屋さん

みけねこ

1.突然の異世界

 まるで漫画やアニメで見るような魔法陣が、足元に突然描かれた。え、と声を漏らすこともなく目の前が眩く光り咄嗟に目を細める。唐突に乗り物酔いのようなものに襲われ、恐らくそこで一度気を失ったんだと思う。

 まぶたを持ち上げてみれば、目の前には見知らぬ場所に見知らぬ人たち。一斉に注がれた視線に身体は勝手に硬直した。

「待ちわびていたぞ、『聖女』!」

「……え?」

 きらびやかな服装で、仰々しく両手を広げた如何にもな人はよく響く声でそう告げた。まるで中世のような建物に鎧姿に聖職者のような格好の人々。目を閉じる前に見た魔法陣のように、目の前に広がる光景もまるで漫画やアニメのような世界だった。

「ま、待ってください。聖女? どういう意味で……」

「危機に陥ろうとしているこの国を救う聖女だ」

「は、はい……?」

「詳しい話は神官に聞いてくれ。おい、案内しろ」

「はい。では聖女様、こちらへ」

「え、え?」

 突然訳の分からない世界に来たかと思えば、目の前の偉そうな人にろくな説明を受けることもなく勝手に移動させられる。少し不親切だと思いつつも白い衣装を身に纏い穏やかな佇まいをしている人から促され、分からないまま後ろを付いて行くしかない。恐らくこの人があの偉そうだった人が言っていた神官なのかもしれない。

「突然のことでさぞ驚かれたことでしょう」

「は、はい、もちろん……あの、ここどこですか?」

「貴女様からしたら、『異世界』ということになるかと思います」

「異世界?」

 尚更SFじみてきた。本当に漫画やアニメの世界だ。けれど異世界だと言われると、すぐに信じてしまいそうな、まだ疑ってしまうような。

 だってここが日本ではないということは、それならばなぜお互いに言葉が通じあっているのだろうかという疑問が生まれる。ここに来てまだ文字を目にしていないため、異世界であるという確証が得られない。

 でも目の前にいる人の服装は、決して普段見るようなものではない。それに建物の装いだって、まるでどこか別の国のようだ。一体どっちに判断していいのかわからず頭が混乱する。

 そうして付いて行った先にたどり着いた場所は、本などがたくさん置かれている部屋だった。廊下や最初にいた広場のようなきらびやかさはまったくない。寧ろ、どこかの仕事部屋のような雰囲気だ。

「すみません手狭のように感じてしまうかもしれませんが、掃除はしっかりしていますのでどうぞ席にお座りください」

「は、はい」

 確かにこれだけ本などがあるにも関わらずまったく埃っぽくない。こまめに換気がしてある証拠だ。言われるがまま席に座るとさっき入ってきたドアからまた別の人が入ってくる。机を挟んで椅子に座った人と同じような服装をしているため、この人も神官なのかもしれない。

 その人は手に持っていたカップを私と、そして目の前の人の前にも置く。何かを言うこともなく小さく会釈すると、またひっそりと部屋から退室した。カップからはふんわりとした湯気が立っている。

「申し遅れました。私は神官のセシル・シトリンと申します。お名前をお伺いしても?」

「わ、私は榊原紗綾と言います」

「サカキバラ……異世界の名は少し、発音がしづらいですね」

「あ……サヤ、と呼んでください」

「申し訳ございません、では、サヤ様と」

 様なんて付けられるほど立派なものではないんだけれど。でもそう言ったところで目の前の人……セシルさんは「聖女様ですので」と引き下がってはくれなかった。

 ところでずっと気になっていたことがある。その『聖女』というものだ。

「あの、その『聖女』って一体何なんですか?」

「……ご説明致しますね」

 どうやらこの『異世界』、そしてこの国は近年霧に覆われつつあるとのこと。その霧は普通の霧ではなく、霧が濃くなるほどそこから異形の者『魔物』が現れるそうだ。

 もう見事なファンタジーっぷりに開いた口が塞がらない。夢ならすぐに覚めてほしい。でも私がそう思ったところで真剣な顔をしているセシルさんは言葉を止めることなく続ける。

「霧が濃くなる原因は、各地に配置してある結界の役割を果たしている碑石が風化しているせいです。聖女様にして頂くことは、その碑石を元に戻してほしいのです」

 聖女にはその力が宿られている、という言葉で一旦話は締めくくられた。

「……え? あの、それって……聖女である必要が、あるんですか?」

 どうやってその風化している碑石を元に戻るのかはわからないけれど、今のところ話を聞く限りそれをわざわざ異世界から人間を呼び出してやる必要があるのだろうか。

 戸惑っている私にセシルさんは手を組んで、気まずそうに視線を少しだけ外す。

「……我々神官にもできないことでもないのですが。何せ、風化の進行が早く我々の力が及ばないところまでいってしまっているのです」

「聖女ってそんなに力を持っているんですか? 今のところ私にその自覚はまったくないですけど」

「それは間違いこざいません」

 そこだけはハッキリと言われてしまい、思わず言葉が喉の奥に引っかかった。どこか感じる違和感に、まるで喉の奥に魚の骨が刺さったような違和感を覚える。

「突然このようなことを言われて戸惑いがあると思います。ですがどうかお願いします、魔物が蔓延ればそれは人を襲い放置すれば国は滅んでしまう。貴女にとって見知らぬ場所でも、我々にとっては大切な場所です。どうかご協力をお願いします」

 こんなにも深々と頭を下げ頼んでくるセシルさんを足蹴にするなんてこと、中々できやしない。私にとって突然呼ばれてこの国のために働いてくれというわけのわからないことでも、彼らにとってはそれこそ死活問題なのだろう。魔物なんて、ファンタジーだし聖女だって言われても自覚なんてものはない。

 ところで、その霧というものを発生させないために設置していた碑石というもの。それが風化していたとなれば、風化する前に何か手を施すことができたと思うんだけども。

「あの……なぜその碑石を風化する前に、何とかしなかったんですか?」

「碑石の修復は聖女がするものだと決まっておりまして……以前聖女がいらしてから百年経っておりますから……」

「百年?!」

 ということは百年前にも私と同じように誰かが異世界から召喚されたということだろうか。それにしても、だからと言って百年放置したままなのだろうか。

 いやでも、聖女が修復すると決まっているとは言ったけれど、さっきのセシルさんの話では神官でもできないことはないと言っていた。ならば百年放置することなく、風化しないように神官が少しでも修復すれば問題なかったのでは。

 チラッとセシルさんの方に視線を向けれみれば彼は小さく首を傾げるだけ。そういう考えに及ばなかったのだろうか。そもそも百年経っているにも関わらずなぜこうも『聖女』の話が浸透しているのか。その疑問を素直に口にしてみれば、セシルさんは「伝承がある」のだと教えてくれた。

 席を立って一つの本を手にすると戻ってきて、それを私に手渡してくれた。表紙は日本語でないにも関わらず、なぜか読める。もしかして聖女としての補正でも掛かっているのだろうか。

 ペラリとめくってみればそれは子どもの絵本のように、聖女の存在とその行いについて書かれていた。これは本当にお子様向けの本なのだろう。もう一冊渡された本には、さっきの本に比べて堅苦しい文字で聖女について綴られている。

「この国は他国と違って聖女を召喚できる術を持っています。なので霧が濃くなった際には代々聖女を召喚していたものだと思われます」

「……そうなんですね」

「この部屋は歴代の聖女が使われていた部屋です。今後はサヤ様の部屋となります。何かご入用があれば何でも仰ってください」

 ありがとうございます、と素直に礼を言うことができない。だってこの国の都合で勝手に召喚され、勝手に聖女として働けと言われているのだ。

 私の都合なんてまったくお構いなしだった。

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