第1.9話 * 夜行列車にて *

***


 車窓を滑っていく景色は依然として真っ白で、ただ帝国北に聳える万年雪だけが、徐々に速度を上げてゆるやかに確実に視界から遠のいていた。

 ここからは見えぬ帝国のお屋敷も、いまは遥か。次にこの目で見られるのはいつになるのだろうな、などとぼんやりと考えていた。


「兄ちゃん、帝国からか?」

見やると、狭い通路を行きがかった見覚えのない30代半ばほどの男が「そのカッコはそうだよな?」と続けて問うてきた。戸惑いつつも私は頷いた。

 男の黒い髪はやや伸び、口には無精髭が生えていた。人がまばらな夜行列車内には、男と似た装いをした大きな荷物を抱えた人間が幾人もおり、それぞれが空いた座席にもたれてうたた寝をしていた。だらしなく見えるが、どうやら別段珍しい様相ではないようである。


「どこに行くにしろ、そのカッコじゃ余所では暑いぞ。着替えたほうがいい」

男は私の座っていたボックス席の対角へと当たり前のように腰を下ろすと、その背に負っていたパンパンに膨らんだ荷も座席へ置き、首を傾げた。

「行くの、春か? 秋か?」

「秋のお国へまいります」

「そうか。いいところだぞー、向こうは。行くのは初めてか?」

「はい」

 まともにしたことのない世間話が始まってしまった。やや緊張を覚えた私をよそに、男は話をしながらはちきれそうになった荷をほどき、中に詰められていた服をポイポイと寄越してきた。受け取りつつも、慣れぬその手触りに戸惑う。

 どれも安価な品で、おまけに使用品に違いない。

 丁寧に畳まれているが、小綺麗な物からややヨレている物まで、状態はさまざまであった。どう見てもこの男とはサイズの合いそうにない服ばかりである。なぜこんなものを大量に持ち歩いているのか。


「ほれほれ、遠慮すんな。あてがってみな」

 なぜ?

 促されるまま、困惑しつつ男に向けて広げてみた。

「なんで俺にあててるんだよ兄ちゃんにだよ、意外とひょうきんだな」

笑って言われ(違ったのか……)と思いつつ、自分にあてがってみた。あてたものの、その善し悪しがわからなかった。私の中では個人的な好き嫌いがまだ育っていないのだ。

 一庶民の衣類はこのような生地なのか、と、ぼんやりと思うきりであった。

「サイズはそれでちょうどよさそうだな。

 他にもいっぱいあるから、せっかくだし色々見てってくれ。満足のいく品が見つかるまでとことん付き合うからな。兄ちゃんは好みの色とか服はあるか?」

「特にはございません」

……私はなにを問われ、

「こっちも合うんじゃねぇか」

そしてなぜさらに渡されているのか。


 困り無言になった私に、男は明るい声を出した。

「あっちの国はなー、とにかく飯がうまいぞ。いろんな国に行ったが、なんだかんだで秋の飯が一番うまかったな。景色ものどかでいいところだ」

「さようでございますか。それは、楽しみなことです」

ほらあてがえあてがえと促されるままに、形ばかりあてがう。

 男は私の気持ちを置いていったまま、いいねぇだのこっちのがいいんじゃないかとあれこれと言い出した。

「着てる服もまだまだ新しそうだし、それに全部わりといい店の品だろう? 洗濯替えもいっぱい選んでいいぞ。あ、こっちのボディバッグもつけてやる! これは見た目よりずっと入って使い勝手がいいから、新しい土地で住処が決まるまで重宝するはずだ」

快活に話す男に、いよいよ訳がわからなくなった。私は、なにを言われているのだろう。


「――失礼ながら」

「お? あぁ……、悪いなもしかして買うつもりなかったか? でも困るぞその服じゃ、あっちのお国は朝晩でもなければわりと過ごしやすい気候なんだ。その服だと汗だくになって倒れちまうよ」

買うつもりとは。私は商売をされていたのか。

「恥ずかしながら、初めて列車に乗ったものでまだ勝手がよくわかっておりません。これはいったいなにを」

あ~~、と謎の納得を見せた。

「なんだ、いまいちノってこないなと思ったらわかってなかったのか?」

「はい、私の勉強不足だったようです」

「いやいや言えよ、いきなり服渡されて訳わかんなくて怖くなかったか? なんで言われるがままなんだよ素直なもんだな」

しかし、よく話すものである。これは帝国の出じゃないな、と内心思う。

 推測の域を出ないが、髪も瞳も黒いので秋のお国か夏のお国の者だろうと思った。


「ご親切な話ぶりでしたので怖くはなかったのですが、やや戸惑ってはおりました。そのうちこのように話が進みまして」

「危ないぞそんな調子じゃ。強引な悪いやつだっていっぱいいるんだから、もっと気を付けないとさ」

 男が言うには、みな列車内で彼らのような行商人から着替えを買い、そして脱いだ服を彼らに売り、身軽になって新しい土地へと出ていくらしい。

 よくない行商人にあたると、売れ残りを無理矢理押し付けられたり、手持ちの品を捨て値で買い取られたりしてしまうらしい。もちろん皆が皆そんなとんでもない商売をしているわけではないし、お客に少しでも満足してもらえるように色んな工夫をしているやつもいる、と男は言った。

 客は着ている服を売れば支出が少なくすむし、荷物も増えない。行商人も荷物は増えないし減らない、だが利用者が増えれば手数料ぶん実入りがある。

 本来は、お互いにとって良い取引なのだそうだ。


「なるほど。うまく回っているものですね」

「そうだろうそうだろう。その帽子もブーツも、向こうじゃそうそう使う機会ないぞ。替えたいもんがなけりゃ買い取るしさ」

相場以上を出してやれるようできるだけ努力する、と男は慌てて付け足した。

「助かります、確かにこれらは向こうでは出番がなさそうです」

なにせ毛皮でできているのである。極寒の地である帝国特有の品といえよう。

 列車が帝国から遠のくにつれ、電車内が徐々に暖かくなっていることにようやく気が付いた。私は鼻まで上げていたニットの裾を下ろし、目深に被っていた帽子を外した。凍っているのではと懸念していたが、幸いなことに車内の温度で帽子やブーツに付いた雪も融けかけていた。しっとりと濡れそぼった靴紐に手を掛けながら、男にユーズド加工がバレねばよいがと思う。

 ふと視線を感じ顔を上げると、男は息を呑んで固まっていた。待たせるのも悪いか、と思った。先に帽子を差し出した。

「では、こちらの買取りをお願いできますか。ブーツは他国の靴と交換でお願いします。いま脱ぎますのでお待ちください」

 男は絞り出すかのような声を出した。


「……。――その色、あんた春の貴族令嬢か?」

一瞬、全身に殺意が滾りかけた。

「まさか。私は男性です」


 これで誤魔化せなければ、殺すか死ぬしかないと思った。幸いここは夜行列車、客も少なく行商人も大半が夢の中にいた。この男一人なら、悲鳴の一つも上げさせず始末して窓から捨てられるだろう。

 平静を装う私の顔を見つめ、次いで男はこの姿を上から下まで見直すと、なにやら頷いて神妙な顔になった。

「……いくらなんでもないか、貴族様はさすがに。

 帝国にもそんな見目の娘がいたんだな。でも娘に男モン着せて出すしかないなんて、親はさぞ心配だろう」

 ――はい??

 男は深刻な顔をして私を見、重々しく口を開いた。

「俺も国に娘がいてよ。いやまだ小さいし、あんたほどの年齢じゃないが、……それでも他国に一人でやるなんてとてもじゃないが考えられん。

 ……でもそうか、そうだよな。色んなお屋敷がどんどん没落してんだから、娘を出稼ぎにやるしかない場合もあるのか……」

男の想像は、私の想像の斜め上を遥かに越えていったに違いなかった。

 私に親なぞいないし、大旦那様のお屋敷も帝国の旦那様のお屋敷も安泰であるのだが。そして出稼ぎに行くわけでもないのだが。

「なにやら誤解があるようです」

「いい、いい。みなまで言うな、わかってる。

 こっちも客商売だからな、色んなやつに会うからどうしたっていくらかはわかっちまうんだ。嬢ちゃんにも、のっぴきならねぇ事情があるんだろう」

”嬢ちゃん”とは、私のことか……?

 男の突拍子もない発言に、意識が宙に飛びかけていた。もはや妄想に等しいとんでもない誤解と、いまだかつて言われたことのない呼称に頭がクラクラした。


「――偽りなく、私は一般男性です」

「わかったわかった、そりゃそうした方が暮らしやすいもんな。苦肉の策ってやつだよな、わかるよ」

わかったと繰り返しながら、その実、男はなにもわかっていなかった。

 だが、幸か不幸かお嬢様の御身に危険が及ぶようなものではなかったようである。私は静かに胸を撫で下ろした。

 よくよく考えてみれば、他国間の国境でお嬢様のお顔を知る者が存在するわけがないのだ。

 普段から扇子で隠され、色々なご事情から社交界にももうほとんど顔を出しておられない。そしてそのまま、帝国へと嫁がれたのだ。

 素顔をご存じなのは大旦那様と帝国の旦那様、側仕えとほんの幾人かのご友人のみであった。


「よし、それならこの辺のはどうだ。似合うぞきっと、ほら」

私にあれこれと話しかけながら、男が取り出してくる服の色が目に優しい淡く明るい色調になってきた。お嬢様は確かにこのような色合いをお好みだったが、あいにく今の私が着るべきではなかった。

 この調子ではいつか女物の服を出されてしまう。

「黒ですとか紺ですとか、男物でそういったものはございませんか」

「どんな色だってあるぞー。黒でも紺でも赤でも白でもなんでも」

こんなのもあるぞ、と渡された鮮やかな赤を見て、私の口からは間の抜けた声が漏れ出た。

「……。絹、ですか」

先ほどとはうって変わって、慣れ親しんだ肌触りだった。

 ただこれは縦横1~2メートルにも渡る長方形の絹地だった。このサイズの絹となると、なかなかの額になるはずである。どこの貴族が、なぜ夜行列車になぞ乗ったのか。

 しかし想像とは違う返答が飛んできた。

「珍しいだろ。夏のお国の出身だっていう踊り子が交換してくれたんだ。イカついお供をぞろぞろ連れててな、壮観だったぜ」

「踊り子が……。このような品は初めて拝見しました」

踊り子とはそこまで羽振りのいい職なのか。

 ただただ大きな赤い絹地に、金糸だろうか、ところどころに施された刺繍の鳥はいまにも羽ばたかんばかりに写実的であった。どこかの職人の品だろう。同じ物を作らせようと思ったら、もはやどれだけかかるかわからない。

「そんなもん滅多に売れやしないが、たまぁに物好きな金持ちがとんでもない額で買ってくれるもんでな。

 だけどあんまり見事だから、誰にやるのもなんだか惜しくなっちまってなぁ。

 ――で、嬢ちゃんこれ買わないか? あんたくらい品のある人間に渡るなら俺も納得いく」

めちゃくちゃである。買えるわけがないだろう。

「とんでもない。持て余してしまいますし、私の路銀ではとても足りません」

だよなぁ、と男は肩を落とした。

 行商人にとって、このような死蔵品は致命的であろう。特に品物が高ければ高いほど、捌けなければ利益にならない。


 ただの布柄としてみれば、確かに美しい。これに負けぬほど明るい女性か、踊り子のような派手な者なら見劣りせず似合うのだろう。

 だがどう見ても私には必要がなかった。

 女性の恰好をしなくなった云々もあるが、そもそもこのような華美なものをお嬢様はお好みでなかったから触れる機会もなかったのだ。ちらと見るにはいいが、手に入れたいとは思わなかった。

 どこかの屋敷に飾られていても不思議じゃない見事な出来だが、あまりにも派手なのでどんな豪華な一室でもこの布の存在感に負けてしまいそうであった。

「これは、……どのような用途を想定して織られた品なのですか? このように刺繍がありますと、何かに仕立てるのも難しいかと思うのですが」

「どうも、衣装の上から被るらしい」

被る? 布をか? 顔に疑問が浮かんでしまっていたのか、男は続けた。

「俺もよく知らんが、あっちじゃ服の上から布を被るんだとよ。

 踊り子が言うにはこれは上等なもので、普通の民はこんないいものは持てないし使う機会もないと胸を張ってたな」

「それはそれは」

まぁ事実であろう。夏のお国は、砂漠地帯の広がる貧しい土地だ。さぞや太いパトロンがついていたに違いない。

「そう言ったわりに、その踊り子ももったいなくて使えなかったらしいけどな。新天地に持って行ってもきっとしまい込むことになるだろうからって、ずいぶん破格で譲ってくれたんだ。パトロンのもとに嫁ぐとかで国を出てきたって話でな」

やはりな。

 しかし、こんな品をよく譲ってもらえたものである。男もそれは重々承知していたのか、言葉をつづけた。

「どうも嫁ぐ相手とは違うパトロンにもらった品らしくてな。さすがにどこかで手放そうと思ってたんだってよ。

 でも、おいそれと買い取れるようなもんじゃないからな。

 気に入ったやつ全部持ってっていい、それでも満足できなければ諦めるって持ってるもんぜんぶ見せたら意外と喜んでな。上等な品はほとんど持って行かれちまったけど、なんだかんだ珍しいもんが手に入って嬉しくてな」

あっちも他国のなんでもない品をずいぶん楽しそうに見てたな、と男は懐かしそうに目を細めた。

 視界の先で乗客が目をこすり伸びをするのが見えると、男は私を促しその派手な絹地を速やかに畳み直した。他の服の内側へと滑り込ませるとまた畳み、まとめて荷物の底へとしまい込んだ。

 なるほど、それなら一見ただの庶民的な服を持っているようにしか見えない。高価な品を持っているとは、そうそうバレやしないだろう。


「――あんたもここまで色々あったろう。

 これからだって大変なこともあるかもしれない。でも人生はいつでもそのときから始まるんだ、どんな所でも住んじまえばそのうち良さも見つかるから安心しな。

 もし見つからなかったら、その時はとっとと逃げ出しちまえばいい。逃げるのだって別に悪いことじゃない。逃げる元気をなくしちまう前に逃げ出すのが、生き抜くためのコツだ」

特に庶民はな、と言われ頷く。

「勉強になります」

どうも、男の目に私はよほどの世間知らずと映っているらしかった。勘違いがすさまじい。

 こちらを気にすることなく、でもな、と男は言葉をつづけた。

「でも自棄になっちゃいけないぞ。自棄っぱちになっても、いいことなんか一つも起こらないんだからな。少なくとも俺は、自棄になって人生がよくなったやつなんて見たことがない。たまには不貞腐れたっていいが、自棄にだけはなるなよ」

「ご助言、痛み入ります」

なぜか説教をされはじめた。お喋りな男は、何かを勘違いして熱く語り続けていた。

 ……少々面倒ではあるが、きっと悪意のある人間ではないのだろう。訂正を諦めて私は黙って頷くことにした。

 行商人の一人になにか勘違いされたとて、列車を下りればもう会うこともないのだ。困ることもなかろう。


「国境にはこういう仕事が沢山あるんだ。もし困ったら、危ないことや悪いことする前にやってみな。コツさえ掴めば、暮らしていくのに困ることはないからな」

人生色々あるだろうが頑張るんだぞ、きっとなんとかなるから、と目を見て力強く頷かれ、私は勢いに気圧されつつも頷いた。


 男の説教がひと段落したところで、私は腕に抱えさせられていた淡い色合いの山をやんわりと返却した。

「どれも素敵ですが、用途に少々そぐわぬようです。動きやすく、多少汚れても気にならぬものだと助かります」

これから、私は小間使いをするのだから。つまりはただの下働きになるのである。小綺麗な服を着ていたって仕方がなかった。

「そうだな。そうだなそうだった。

 大丈夫だ、ちゃんと男に見える服を見繕ってやる。絶対に女の子に見えないやつを考えてやるからなんも心配いらないぞ」

どうもまだ少女だと信じ込まれているらしい。しかしそれより興味がわいた。


「男性にしか見えないなどと、そのようなことが可能なのですか」

男はしたり顔で頷いた。

「服の力はすごいぞ。スラムにいるガキだって、小綺麗にして貴族の服着せて堂々と胸張らせてやれば、パッと見はどっかの貴族の子に見える。

 反対にどんないい身分のやつだって、小汚くして俺らみたいな安い服着せてだらしなく座らせちまえば、そこらの誰とも変わんなくなる」

それは、身をもってよく知っていた。

 私のような者ですら、貴族令嬢の装束を身に纏い静かに微笑んで座っているだけで、蝶よ花よとちやほやされたものだ。中身はただの名もなき男子であったのに。

「そりゃ、服さえちゃんとしてたらいいってもんじゃないけどさ。

 装いってのはこうありたいこう見られたいって言う、自分でできる一番わかりやすい意思表示だろ」

こんな無精髭生やしていうことじゃないけどさ、と男は頭を掻いた。

 彼ら行商人のだらしない恰好は、スリや強盗対策らしかった。確かに大金を持っているようにはとても見えないが、うまく稼いで自国で家を建てたような者も少なくないのだそうだ。わからないものである。


「嬢ちゃんも、立派な坊ちゃんに見えるよう仕立ててやるから任せときな。

 これでもその手の見立てにはちょっとばかし自信がある。戦争のあれこれで親父の代で潰れちまったけどな、うちだって昔はお国の一等地に店構えて、貴族様の屋敷にだって出入りして服を誂えてたんだ」

どこの国の何等家の貴族屋敷と取引があったのだろう、と内心思う。これはもはや私の職業病だ。

「それは頼もしいことです。ただ、できればごく一般的な男性に見える服をお願いしたく。下働きをする予定ですので」

わかってるちょっとだけ時間をくれ、合う服を探すからと言いながら、男は真面目な顔をして荷物をひっくり返し首を捻りだした。


 どうやらこの男の頭の中では、どこかの没落屋敷の娘が右も左もわからぬなか、出稼ぎのため国を出たことになっているらしかった。

 なんとまぁ、想像力の豊かな勘違いであろう。迷惑を通り越していっそ微笑ましくなってきた。


 宣言通り男はしばらく黙って悩んでいたが、ふと一つ頷くと数枚の服を残し、残りを改めて丁寧に畳んでまた綺麗に詰め直した。私に向き直ると黒と黄色とベージュのトップスを座席の背もたれに並べ、黒い服を指さした。

「さっき黒とか紺とかって言ってたがな、男らしく見せようとしてこういう暗くて強い色の服ばかり選ぶのは悪手だ。それに、男なら黒や紺って発想もちょっと短絡的すぎるぞ。

 嬢ちゃんの場合は顔の作りに柔らかさと上品さがあるし、体もまだ華奢だからな。

 そういう人間が黒みたいな強い色を着ると、逆にかけ離れた印象になっちまう。よくある間違いだ」

服の色形の強さの反動で、嬢ちゃんにはよりか弱く大人しそうに見えちまうんだ、と言った。

「なかなか難しいものですね」

そんなことは考えたこともなかった。

 お嬢様と同じ服を同じように着ればそれでよい人生であったし、与えられた衣服に関し疑問を持ったことすら一度もなかった。それを、これから自分で一から考えていかねばならないのだ。私には少々難度が高いかもしれない。


 男は続いて黄色を指さした。

「かといって、こういう色もよくない。ただこっちは黒とかとは真逆の理由だ。あんたにはまず間違いなく似合うが、この色だとたぶん可愛く似合いすぎて女の子にしか見えないからな。

 どうしても男のカッコで着たいときは、……そうだな、同じ黄色でももっと明度や彩度を落としてみるといい。あと、服の形と生地の質感を気にして取り入れな」

行商人の男の話はなかなか興味深かった。

「で、この先『絶対こいつを落とす!』ってやつが見つかったら、淡くて優しい色を着な。生地は絶対柔らかくてシルエットもふわっとしたやつな。嬢ちゃんには一等似合うぞ」

 そういえば、お嬢様はまさしくそのような服を着ていらしたなと思った。特に、帝国の旦那様にお会いするときはそうだった。

 きっと、お嬢様はご自分に一番似合う物をずっとご存じだったのだと今さら知る。さすがである。


「嬢ちゃんが男のカッコをするなら、そうだな……。例えばこう、ちょっとくすんだような色だろうな。白いシャツ辺りもおススメだが、汚れが気にならないやつって話だったもんな。

 くすんだ色なら、嬢ちゃんの顔には落ち着いて見えるだろうからおススメだ。それに上着やら他の服で、それこそ黒や紺を着ればいい。そうすりゃきっと違和感なく装えるぞ」

独り言のようなトーンで、淡々と話し続ける男の顔は真剣だった。

 父親の代で店はなくなったと言っていたが、親身に接客をする良い仕事ぶりだったのだろう。残念なことだ。


「勉強になります。くすんだ色というのは、こういった色のことでしょうか」

着ていたニットをつまんで見せると、

「そうそう! 嬢ちゃんがいま着てるそのニットみたいな色だな。特にそれは色も形もちょうどいい。そういうのを選ぶといい」

それは親御さんが選んだのか? 絶妙だな、と頷いた。

 無論、いもしない親なわけがなかったが、これを選んだであろうお屋敷の誰かを褒められ、私はほのかに誇らしい思いを抱いた。職務が違えど、皆それぞれが精一杯成果を出してきた証だった。

 そういえばこの男も、最初は私を男だと疑いもしていなかった。服の力は侮れないのだなと思う。

「そのニットは売らずに向こうでも使うといい。ニットなら帝国製が一番だ。安物でも他国の品とは比べ物にならんし、木枯らしが吹くころに絶対重宝するからな」

親切なことである。私は素直に頷いた。


「あ! あとそうだ! 早めに髪も整えな、バッサリ切っただけだろそれ。そっちは俺には畑違いだが、髪型の印象だって大きいぞ。向こうの国に行ったら、早めに男に見える髪型にしてもらえ」

そうだ髪型変えたらたぶんこの辺も似合うぞ! と言いながら、さっきしまい直したばかりの荷物をまた引っ張り出し始めた。


 行商人の男は最後まで私を娘子と思い込んだまま、国境に到着するギリギリまであれやこれやと見繕ってくれた。


続.

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