第7話 誰かが囁く

ヴォルティガンは会場へと戻る。

出入り口へとゆっくり回ったのではない。

裏庭から、ひょいと飛び跳ねた。

行く先は会場の窓、木で出来ている格子がついているそれをするっと抜けて会場へと入り込む。


軽業師でも見たならば、引退を考える人間の動きなものか、と騒ぎ立てそうな光景。

だが、外から見ている者はいない。


勿論、会場の中には人がいる。

いきなり窓から入って来た黒い革鎧を着た男ヴォルティガンに女給は叫び声を上げそうになる。

しかし、ヴォルティガンがしーっと口に指を当て、片目をつぶって見せると静かになった。

王城で働く人間なら、女王の護衛ヴォルティガンの顔は知っている。


またお坊ちゃんパーシヴァルが見たら文句を言い出しそうな真似しちまったな。

しかし、こんな窓際から会場を眺めるのもたまにはいい。

姫さんの後ろにいるのとは違った視線で見る事が出来る。


護衛兵士どもは相変わらずのボンクラ。

入り口と会場の四隅に貼りついてはいるが、窓から気配を隠して入って来た革鎧の男ヴォルティガンに気づいてすらいない。

いくらボンクラでも給料分の働きくらいはしてくれんかな。


んんんん。

やはりこの場所からだと分かるモノもある。

不自然な女中の動き。

1人女中が徐々に主賓席に近付いていく。

主賓席側にいたなら気付かなかったかもしれない。


「おいっ!

 お坊ちゃんパーシヴァル

 その女、捕まえとけ!」


間違いなくお坊ちゃんパーシヴァル女王クリスに聞こえる声で叫ぶ。

その横のメイドにも聞こえたハズだ。


本来なら即座に姫さんの横に馳せ参じる、それがヴォルティガンの仕事。

しかし。

誰かがヴォルティガンに囁くのだ。

現在、窓際から離れるんじゃねぇ。

それは女王専属護衛ヴォルティガン自身の声。


はたして。

窓が激しい音が鳴り響く。

何か硬い物がガラスにぶつかって音を立てている。

この勢いでは。


「兵士ども!

 窓だ、全員窓に集まれ!」



ヴォルティガンが言い終わる前に。


人間の神経を逆なでする音を立てて。


窓ガラスが割れていた。




お坊ちゃんパーシヴァル

 その女、捕まえとけ!」


その声を聞いて、18歳の青年パーシヴァルは目の前の女給の腕を掴んでいた。

しかし女性は慌てたりはしない。

自分の腕を掴んだパーシヴァルを見て。

まぁ、摂政様、何をするんですか?!

と言わんばかりに目を見開くのである。


えええ、え。

この女給のコトで良いんだよな。

僕間違ってる?

関係無い女性の手を掴んでしまった?


護衛ヴォルが言ったのは別の女性?

摂政パーシーは目の前の女給がキレイだと気を取られていたので勘違いしたのか。

まずい、後ろでは女王クリスが見ている。

キレイな女性の腕を強引に掴んだ。

そんな18歳の青年パーシーの事をどう見てるんだ?


パーシヴァルが思わず、女給の腕を離そうとすると。

「摂政様、そのまま捕まえていてください」


メイドが言う。


「その女給。

 顔も体格も見覚えが有りません」


何だ、そのセリフは。

この王城で働く女給の顔を全て記憶していると言うのか。

数えられる様な人数では無いはずだぞ。

摂政パーシヴァル暗殺者エスクラードは同時に呆れる。


女給の姿をした人間エスクラードは身体を翻す。


摂政パーシヴァルは再度女給を掴む腕に力を込めようとしたが。

するっと対象エスクラードは手を滑り抜ける。

身体がクルリと一転したかと思うと。

その女給の左手には。

何処から取り出したのか。

鈍い金属の光が握られていた。


暗殺者エスクラードはマチェットナイフを取り出していた。


可能なら、標的クリスティーナまで近づき一瞬で仕留めてそのまま立ち去りたかった。

女王クリスティーナさえ殺せば、エスクラードの仕事は終わる。

他に犠牲を出す必要は無い。

死人は少ない方が良い。

それでも。

仕事を邪魔するのなら。


エスクラードはその胴体目掛けてマチェットナイフを振るう。

胴体が刺されたなら、即死する事は無くても、ショックで身動きは取れなくなる。

貴族のお坊ちゃんなら猶のこと、自分の肉体が傷付けられるのに慣れてはいないだろう。


ナイフの刃先を正面に、まっすぐ細身の胴体を狙う。

その刃は豪華な衣服を貫いて、摂政パーシヴァルの胸元に刺さるはずであった。


ところが。

受け止められる。

何に。


宙に浮かぶ幾何学的な文様。


摂政が右手で自分の身体を守る。

腕で胸元を隠すのでは無い。

指を伸ばし、胸の先へ。

その手から文様が発生しているのだ。


防御魔法!

独力で、どうやって?


一瞬で暗殺者エスクラードの頭を駆け巡る思考。


有り得ない。

魔法と言えば数人の魔道士によって成立する異界の法則。

十人の魔道士は千人の兵隊に匹敵すると言う。

その威力は凄まじいが、一人で簡単に使えたりするほど便利なシロモノでは無い筈だ。


暗殺者エスクラードの目が捉える。

摂政の指先に光る石。

そこから幾何学的文様は発生しているように感じられる。


魔宝石の指輪。


聞いたことが有る。

有能な魔道士が魔法力を宝玉に込め、その宝玉をアクセサリーとして使用する。

しかし。

それこそ国宝ものの存在。

女王その人ならともかく、いくら摂政であってもこんな若い文官が持っている品ではない。


さすがパーシヴァルと言う事か。

あまり暗殺者は気にしていなかったが、宰相の一人息子パーシヴァル。

若いが万能の天才少年、色んな手腕を持っていると聞く。

文官としては有能なのだろうが、暗殺者の邪魔になるとまでは考えなかった。



うひゃぁ、危機一髪。

あの人たちに殴られながらも叩きこまれた護身の術。

なんだって僕が国一番の軍人にボコボコにされなきゃイケナイの。

そう思ったけど、特訓受けといて良かった。

そうじゃなきゃ今頃、自分の身体にはナイフが刺さってる。



「パーシー?!」


女王クリスの声がする。

自分を案じるような響き。

女王クリスからは刃物までは見えていない。

何か起こったくらいは感じられたのだろう。


「来るな!

 クリス、兵士たちの所へ行け」


専属の護衛ヴォルティガンはどうしたんだ?

こんな時に居ないなんて、意味無いじゃないか。


刃物を持った女給は摂政パーシヴァルの防御魔法陣に驚いていた。

それも束の間素早く身を翻し、脇を通り抜けようとする。

行く先は当然、女王クリス


「行かせないよっ」


パーシヴァルとて男だ。

相手は刃物を持ってはいるけど小柄な女給。

取り押さえてやる。


しかし、パーシヴァルの手は空を切る。

その身体がスっと沈み込む。

と。

同時に自分パーシヴァルの身体がバランスを崩す。


女給に足を払われた。


そんな事を理解出来たのは一瞬後。


跪いたパーシヴァルの前には。

刃物を持った人間がクリスティーナ・ローランドに駆け寄る。

そんな光景が繰り広げられていて。


「クリス!!!

 護衛!

 クリスを助けて!!」


しかし、女王の側には専属の護衛ヴォルティガンの姿は無く。

クリスの横にはメイドだけ。

護衛の兵士たちはやっと何か起きたと理解したみたいだが。

その位置はまだ離れている。


「クリス!!!」

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