幕間「スーパームーン/バックムーン」

――と、ある日の事。

 朝から国内各所を巡るルージュ一行は、シャプロン国内の警備偵察と、国民からの近況報告による情報収集に明け暮れていた。

 そして夕刻。徐々に長くなりつつある陽が、ようやく傾き始めた頃に訪れたのは、いつも鍛錬などで使用する森の中であった。


「ルー、こっちは問題ないようだ」

『ん、ありがとうアルフ』


 広い森の中を二手に分けて巡回していたアルフレートが戻ってきた。ルージュは、未だ視線を森の奥から外す事なく、短い言葉だけでアルフレートにそう返した。


『前回のような事があるからね。偵察とは言え、気は抜けないよ。〝木を隠すなら、森の中〟……なんて、ホント上手く言ったもんさ』


 少し前に自国を狙った「ジャックと豆の木」。被害は最小だったにも関わらず、相手の初動に気づけなかったのは自分の落ち度だ。と、ルージュは軽く奥歯を噛み締めながら後悔を滲ませる自嘲を見せた。


「ルー……全部背負い込んだり、あまり気を張りすぎるな」


 ルージュの琥珀色の瞳が僅かに翳るのを見たアルフレートが、そっと手を伸ばしてルージュの小さな頭へ触れる。


「……一人じゃない。俺たちがいる」


 優しい手付きで撫でてくるアルフレートの手は温かい。無意識にその温もりへと意識を委ね、緊張感を溶かしている自身に気付いたルージュは、小さく笑ってから、照れ隠しに眉を下げた。


『……全く……アルフレートはボクに甘いなぁ』

「こうでもしないとルーは誰にも甘えないだろ」

『……そんな事はないよ……でも、ありがとう。アルフ』


 なおも動きを止めることのないアルフレートの大きな手を素直に受け入れるように、ルージュは自然と目を細めた……その時。



――ガササッ



『「…………っ!!」』


 突如森に響いた音にルージュが振り返れば、目の前には背中。既に帯刀するサーベルへと手を伸ばし、ルージュを背後へと押し込んだアルフレートが蒼い眼光を光らせ、身構える。

 その直後、森の奥から黒い影が飛び出してきた。


「ルー!! 見て見て! すごいの見つけた!」


 飛び出してきた黒い影の正体は赤髪の人狼。もう一人の偵察メンバー、ルドルフであった。二人のしっとりとした雰囲気を、ピリッと切り替えた、あの緊張感からの脱力。アルフレートはサーベルから手をダラリを垂らしながら、ひどく痛み始めた自身の頭を抱えた。


「ロロ……お前……」

『ははっ、ロロは元気だなぁ……どうしたの?』

「見てよ! これ!」

『……ん? これは……』


 両手をめいっぱいこちらに伸ばして、自慢げにルドルフが見せてきたのは、乳白色でいくつも枝分かれしている長い物体であった。


『ツノ……?』

「……鹿のツノだな」

「向こうの木の根元に落ちてたんだよ」


 自分がやってきた方向を指しながら、獲物を主人に自慢しようとするその姿は……やはりオオカミと言うよりはイヌのようで。ルージュはルドルフから鹿のツノを受け取りながら、クスリと笑った。


『珍しいものを見つけたね』

「でしょー! でも、他の骨とかはなかったんだよ」

「それは敵に狩られた鹿じゃなくて、生え替わりで抜けたツノだからだろうな」


 アルフレートがそう解説すれば「あぁ、そうか」と何かを思い出したルージュが、降り始めた夜の帷へと目線を上げた。


 7月の満月は別名「バックムーン」。

 鹿のツノは年に一度生え変わり、古いツノを森の中へと落としていく。抜け落ちた鹿のツノが見受けられる様になる時期に登る満月だから、バックムーン牡鹿月と名付けられたのだ。

 登りかけた今宵の満月を見つめながら、自身でそう確認する様に言葉を紡げば、ルージュの手に持つツノをジッと見つめるルドルフが感嘆の声をあげた。


「そーなんだ……立派だなぁ」

『生命力を感じるよね……あ、そうだ』


 満月と同じ色の瞳を丸く見開いてから、八重歯を覗かせたルージュは嬉々としてツノを撫でた。


『これ、持ち帰って街の工芸職人に依頼して、ボクらのお守りに加工してもらおうか』


 鹿のツノは古来よりお守りとして重宝されている事が知られている。こんな生活をしている自分達だ。己の命、女王と騎士の絆、国の繁栄。それらを祈って。願掛けしようと言う考えだ。


「みんなでお揃い!? いいね!」

『家族って感じがしていいでしょ?』

「……いや、いくらなんでも色んな事を祈りすぎだろ」


 願掛けにしては欲が深いと呆れるアルフレートではあったが、その微笑みは決してまんざらではなさそうで。ルージュはそんな素直ではない近衛騎士に微笑んだ。


「いいじゃないか。今日はただのバックムーンじゃないんだよ? 一年で最も大きな月……スーパームーンだ」


 そう言って少し角度を上げた満月を全員が見上げるように促す。


「ボクたちの願いも大きく行こうよ」

「お月様に負けないようにしないとね」

「さすがボクのロロだ。分かってるね」

「わーい、褒められた!」

「いよいよ月に呆れられないといいけどな」

『ははっ、そこは大目に見てもらおう。なんせ今日の特別な満月は、年に一度なんだからさ!』



――さぁ、帰ろう。ボクたちの家へ。



 今年一番大きな満月が照らし出す三人の家路は、特段明るい。それはまるで、この国の行先を明るく照らし出しているようにも見えた。

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