赤き女王と「お祭り」
――グリム同盟国 防衛代表国「シャプロン」にて。
『……議題は以上?』
「あぁ、今ので最後だ」
日々、行われる国営業務の締めくくりにあたる、軍事会議及び国内外情勢の報告会議を終えたルージュが、椅子の背もたれに沿って、大きく伸びた。
天井目掛けて伸ばされた腕が、弛緩して垂れ下がる様子は、いつもよりも疲労の色が濃い。
「今日はかなりの量だったね」
普段よりも多く上がった議題に加え、元々デスクワークがさほど得意ではないルージュを気遣ったルドルフがそう添えると、ルージュは苦笑いをこぼした。
『問題提起が多いのはいい事さ。より良い国作りに繋がる』
同盟国に〝赤き女王〟としてその名を轟かせているルージュとて、まだ子供。
どうしても人生の経験値として足りない部分は、国民たちに支えて貰わなくてはならない。
ならば、一つでも多くの声を拾い上げ取り入れ、自分の中へ落とし込むのが、女王としての勤め。
そんな必死な思いが、ルージュを苦手な会議へと掻き立て続けていた。
『今日の問題だって、文句と言うよりはアドバイスに近い。皆には本当に感謝しかないよ』
山積みになった書類の頂上を手で愛おしそうにふわりと撫でると、ルージュは柔和に微笑んでからその場に立ち上がり、マントを翻した。
『悪いけど少し休むよ。さすがに疲れた……』
「大丈夫? ルー?」
『ん、心配ないよ』
緋色の狼耳をペタリと倒して、主人の顔を覗き込むルドルフをルージュがそっと撫でる。
その温もりにを細めながら見つめた彼女の顔色は、やはり疲労困憊の様子。
恐らく言葉よりも、相当に疲れが溜まっているだろう。
「後で飲み物を持って行く」
『ありがとう、アルフ……もし寝ていたら冷めても飲むから、置いておいて……』
ルドルフと同じく、ルージュの様子を察したアルフレートがそう申し出るも、返って来た言葉には十中八九、起きて待つことは出来ないだろう。という意志が込められている。
これは相当なものだな、と黙認し合う近衛騎士たちは、パタリと静かに閉められたドアに消えたルージュを黙って見送った。
「ルー、あんなに疲れて……まさか本当に忘れてるのかな?」
段々とルージュの足音が離れ、靴音が遠くで響くようになってところを見計らったように、ルドルフがぽろり、とそう呟いた。
「ルーならあり得るだろうな。基本自分のことには無頓着だ」
「だったら……寝てる間がチャンスだね」
「飲み物を持って行く時に、ルーが寝てるかを確認する。ロロは……」
「わかってるって、先に街に行ってみんなをリードすればいいんでしょ?」
「頼んだぞ」
「任せてよ!」
ルージュの体を心配する傍らで、これを好機と動き出した二人の騎士たちの企みが、俄に動き始めていた。
―――――
『……ん……』
ルージュが自室へと戻り、なだれ込むようにベッドへと身を沈めてからどれだけの時間が過ぎただろうか。
自然と瞼が開かれた時には、先程まで体にのしかかっていた疲労の重さは、すっかりと消え去っていた。
『案の定、寝ちゃったな……』
ふと、ベッドサイドに目をやれば、約束通りに運ばれてきたであろうアルフレートお手製のドリンクが置かれていた。
伏せられたカップを手に取り、ゆっくりとポットからハーブティーを注ぐ。
当然、完全に冷えてしまっていたが、それを気にせず一口含めば。
それはまるで「冷えてから飲む事を前提とした」ような完璧な淹れ具合で、ルージュは口の端を持ち上げた。
『アルフには敵わないなぁ』
有能な近衛騎士に心からの賛辞をこぼしながら、流れるように窓へと視線を移して、大凡の時間を確認する。
『………ん?』
あたりはすっかり夜の帷を降ろしていた。
しかし、ルージュが気になったのはそこではない。
城を囲む森の木々の先、そこにあるのは普段「お散歩」と称してよく出かける城下町。
小さく見えるその場所が、普段からは考えられ無いほどに光に溢れているではないか。
『……なんだ……』
未だ眠さが抜けきっていない目を必死に凝らす。
しかし、元々離れた場所にある上に、背の高い木々の影が重なって殊更に視界が悪い。
窓ガラスに顔を近づけ、さらにピントを合わせようと琥珀色のレンズを細めた……その時。
『……っ』
パチパチ、パチパチッと強い閃光が幾つも走ったのをルージュの瞳が確実に捉えた。
一瞬で吹き飛んだ眠気。
同時にルージュの脳内に最悪のシナリオが駆け抜けた。
『……まさか、敵襲か!!』
慌ててカップを放り出して、護身用のダガーに手を伸ばす。防具を身につける余裕などない。
『アルフレート! ルドルフ!!』
部屋を飛び出して、声を張り上げた。
しかし、広すぎる廊下に響いたのはルージュの声だけ。
彼らの靴音も、返事も、姿も見せる事もない。
『なんで……』
彼らに限って、理由もなく自分の呼びかけを無視するはずがない。
何か理由があるのだ、呼びかけに応えられない……来られない理由が。
『何が起きてるんだ……っ』
考えたくない未来が、凄惨な場面ばかりが、頭の中を駆け巡っては思考を狂わせていく。
ちょっと疲れが溜まったくらいで気を抜いてしまった。
ルージュは、自身の不甲斐なさに歯を食いしばりながら、持てる力を振り絞って城下町へと駆けた。
―――――
『な、なんだ……これ……』
城の警備を狼たちに託し、軽装のままに飛び出してきたルージュが、ようやくたどり着いた城下町で見たものは、彼女が想像していた〝戦場〟ではなく〝祭り〟だった。
花吹雪となった花びらが空中飛び交い、芳しい香りを振り撒く。
煌びやかな電飾は、街の壁という壁を埋め尽くしてキラキラと輝いている。
先程の閃光は、どうやら花火のようだ。
先程も二、三回発射され、その閃光を目の当たりにしたので、間違いはない。
『ど、どうなってるの……? 今日は祭りだなんて、一言も……』
「ルー!」
「やっときたか」
『アルフ! ロロ!!』
一体何が起きているのか、状況の把握しきれないままに辺りを見回していると、先程姿を現さなかった近衛騎士たちがあっさりと現れて、さらにルージュを混乱させた。
『何がどうなってるんだ!?』
「もー、ルーってば本当に分からないの?」
『……な、なにが?』
押さえられない笑い声を上げながら、ツンツンとルージュの頬を突くルドルフに、ルージュが怪訝そうな表情で首を傾げる。
「ルー、今日は国を挙げて喜びを表す日に決まってるだろう?」
国を挙げての喜び? 自分が何か忘れているだけだろうか。
否、いくら疲れていたとはいえ……今日の会議でそんな予定を聞かされた覚えはない。
『アルフ……? 何を言って……』
珍しく柔和な顔つきでこちらを見下ろすアルフレートに説明を求めようとルージュが口を開くと、建物の影から突然、城下町の人々が現れルージュの周りを次々と取り囲んだ。
そして……
「「「ルージュ様! お誕生日おめでとうございます!!」」」
老若男女、様々な声がピタリと重なってルージュに降り注いだ。
『…………あ……』
しばしの沈黙を打ち破るように響いたのは、ルージュの間抜けな声。
そうだ。
あまりの激務に抜け落ちていた。
……今日は自分の誕生日だ。
『まさか、これ……全部?』
「ほとんど街のみんなの準備さ」
「俺たちは諸々の申請書とかをルーにバレないように処理しただけ。ホント、苦労したんだから!」
当初は城でパーティを……と考えた騎士たちだったが、そんな企画をルージュが承諾するはずがない。
『ボクなんて祝わなくていいだろ?』に始まり、最終的には『それよりも毎月一度、その月の生まれの国民を招待して、食事会をするのはどうかな?』などと言い出しかねない。
基本的に、頭の中に〝自分〟がないルージュを祝うなら……これくらいの騙し討ちが必要なのだ。
呆れと慈しみの混ざるため息をついたアルフレートが、口の端を持ち上げながら呆気に取られるルージュの頭をふわりと撫でて、今回の種明かしをした。
「ルー、誕生日おめでとう。ルーと共に年が重ねられること、誇りに思う。これからもずっと、貴女と共に」
『アルフ……』
ルージュの手を取り、跪いてからアルフレートがそっとルージュの甲へと唇を寄せた。
騎士として完璧な振る舞いでありながらも、その蒼い瞳はとても優しくて愛おしい。
「お誕生日おめでとう、ルー! 今もだけどこれからもずっとずーっと、大好きだよ! 俺に出会ってくれてありがとう。俺を救ってくれてありがとう!」
『わっ、ロロ……!』
アルフレートに手を握られたままのルージュに、ルドルフが当然に抱きついてきた。
そのあまりの勢いに、ルージュが体の重心バランスを狂わせれば、咄嗟にアルフレートの手が、ルージュの体を引き寄せて抱き止めた。
そして、反対側の空いた手が、緋色の頭にアルフレートの鉄拳として落とされる。
「いっっっっったい!!」
「何度も言うが、ルーの体の大きさを考えてから動け、お前は」
「そんなこと言って、アルフがちゃっかりルーを抱っこしてる! ズルい!!」
「お前……」
そんな二人の「いつもどおり」のやりとりに、ルージュが堪らず明るい笑い声を上げれば。
まるでそれが合図のように、再び周囲の街の人たちが、今度は花束を抱えてルージュを取り囲んだ。
「ルージュさまー!」
「おたんじょうび、おめでとうー!」
「この一年もいっぱい遊ぼうね!」
「ルージュ陛下、おめでとうございます」
「これからも我々をお導きください」
「いつも守ってくださり……ありがとうございます」
自分を取り囲む街の人たち一人一人の笑顔と言葉が、ルージュの内に熱いものを湧き上がらせた。
それぞれに感謝を返そうにも、どうにも言葉に詰まってしまう。
『………ははっ』
それはきっと、段々にもみくちゃにされ始めて、息苦しくなってしまったからだ。
目頭が熱くなっているのも、きっと息苦しくて涙目になっているだけに違いない。
国を率いて行く立場たるもの。
まさか、嬉し泣きなんて……そんな訳、ない。
『分かった分かった! ボクの負けだ!』
だからこの湧き上がるこの感情も、目頭の熱さも……今日は〝気のせい〟と、言うことにして。
今はただ、この一言を。
最大限の感謝を込めて。
みなに贈ろう。
『……ありがとう。みんな、愛しているよ』
その夜、シャプロンで最も幸福な夜の祭典は、明け方までその盛り上がりが続いた。
【おまけ】
『……なんだこれ』
「師匠からのプレゼントだそうだ」
「クライトさん、何くれたの?」
――Dear ルージュ
口紅の日に生を受けたあなたに、良いことを教えてあげる。
「ルージュ」にはね、無数の〝色〟が存在してるわ。
見つけなさい。あなただけの〝赤き女王〟をね。
お誕生日、おめでとう。
『……ははっ』
「ルー、師匠は何を?」
『空のリップケースだ』
「えー! クライトさん、中身忘れちゃったのかな?」
『……いや、これで正解さ。……ほんっと、腹が立つくらいボクを知ってるよ。あの人は』
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