中学校時代

僕は父親の転勤に伴っていくつかの場所に住みましたが、どこも良い所でした。

もちろん、どこに引っ越すときもそれまでの友人と別れるのは悲しかったです。が、それでもやはり、裕子さんのいた長野が一番離れ難い場所だったと、今でも思います。


僕は時折り想像します。

あのまま長野に住んでいたらどうだっただろう?と。


家は近所だったから、きっと同じ中学校に通うことになっただろう。

引っ越すことになったから手紙で告白され、自分も好きだと自覚したけれど、長野に住んだままだったら、そうはならないだろう。

でも、きっといつかは自覚したはず。そのとき、どうするだろう?


でも、長野を離れた後に出会った友人達も、かけがえのないものでした。

それを考えると、長野に住み続けるという選択も躊躇してしまうものがあります…。


・・・


僕の今の仕事はプログラマーです。

仕事はもちろん大変なことも多いものの、自分には合っていて、まさに天職だと思っています。

嫌々仕事をする人々も多い中、これはなんと幸せなことでしょう。


長野の後に引っ越した場所ではちょうどファミコンが発売されてブームが始まり、僕も友達の家でゲームに熱中しました。

そんな中、そのとき一番仲の良かった友達がパソコンを買い、見せてくれたのがプログラマーへの第一歩でした。


中学に入ってまた別の場所に引っ越しました。

親はファミコンは買ってくれませんでしたがパソコンは買ってくれたので、ますますプログラミング(やゲーム)に熱中しました。

そして、中学でパソコンに詳しい友人が出来たのも素晴らしい幸運でした。僕は彼から色々教わりました。


高校では数学部に入りました。(同学年は自分1人しかいないというマイナーな部でした)

名前と違って数学を勉強するわけではなく、パソコンでプログラミング(やゲーム)をする部でしたが、いずれにしても自分にぴったりでした。


大学では、コンピューターを専攻する学科に入りました。

独学でプログラムを学んでいた僕にとっては、既に知っていることや知らなかったことも両方あって、とても充実していました。


・・・


こういった暮らしだったので、彼女は出来ませんでした。


中学生のとき、友人たちが、思春期を迎えた男子中学生らしく「この学校の女子で誰が好き?」なんて話をしていることもありましたが、僕の答えは「いない」でした。

そういう質問をされると、僕の心に浮かぶのは、いつも裕子さんの名前でした。

あれ以来一度も会っていないどころか連絡すらとれないけれども、それは変わりませんでした。

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