裕子さんへ ~二度の初恋~

真田 了

小学校時代

僕が裕子さんと出会ったのは、小学3年生の春。

父親の転勤で長野の小学校に転校してきた時でした。


裕子さんとは同じクラスになりましたし、家も近所でした。


その小学校ではグループ登校の制度があって、近所に住む小学生が集まって毎朝一緒に登校することになっていました。

当然、裕子さんも同じグループだったのですが、しかし、裕子さんはクラブ活動の朝練の為に毎日早く登校してしまっていて、一緒に登校できたことはほとんどありませんでした。


・・・


他にもうひとつ裕子さんとの共通点があって、それは同じスイミングスクールに通っていたことでした。

そのスイミングスクールでは習熟度に応じてクラス分けがされていて、裕子さんは以前から通っていたので、上級クラスでした。

引っ越してくる前の所でもスイミングスクールに通っていた僕はそれなりに水泳が得意でしたが、新しく通うそのスイミングスクールでは飛び級は許されず、一番初級者のクラス(水に顔をつけられたら偉い!と褒められるレベル)からスタートすることになってしまいました。


一度、裕子さんに、上級クラスではどんなことをやっているのか聞いてみたことがあります。

1キロメートルくらいの遠泳をしているとのことで、すごいなぁ!と思ったことを覚えています。


そんな状態からのスタートでしたが、毎月の昇級試験を順当にクリアして、僕はひとつずつクラスを上がっていきました。

そして、次に昇級すれば裕子さんと同じクラスになれる!というところまで来ました。

しかしその試験では裕子さんも合格して、裕子さんは次のクラスに上がってしまったので、同じクラスにはなれませんでした。


そして、次の昇級試験で、僕は初めて昇級に失敗しました。

クロールのクイックターンの練習が始まり、上手く出来なかったからです。

手と壁の距離感、手で水を掻くタイミング、水中で前転すると同時に体をひねる、鼻に水が入らないようにする、壁を強く蹴る。全てが揃わないといけないので、クイックターンはとても難しいのです。


そして、これがタイムリミットでした。

小学4年生の終わり。父親が再び転勤することになったからです。

裕子さんとスイミングスクールで一緒に泳ぐことはありませんでした。僕は今でもクイックターンが出来ません。


・・・


クラスのみんなから、お別れに当たって、原稿用紙に書かれて作文集のようになっている手紙を貰いました。

新しい場所へ向かう飛行機の中で、僕はみんなの手紙を読みました。


僕は算数が好きだったのですが、そのことに言及している人が多くて、ちょっと驚きました。

特に隠していたわけではないけれど、吹聴していたつもりも無かったので。


そしてその作文集の、裕子さんの手紙には。

「わたしは君のことがすきでした。顔はともかく、すきだったんです。ちょっとわるいかな」

と書かれていました。

なにせ原稿用紙に書かれた文章ですから、「わるいかな」をどんな表情で書いたのかは分かりません。でもきっと、ちょっと悪戯っぽい笑顔だったんじゃないかと思います。


そしてこの文章を読んだ瞬間、僕は、

「ああ、僕も裕子さんのことが好きだったんだ」

と、脳裏に閃く天啓のように自覚したのでした。


・・・


もしこのとき裕子さんの住所を知っていたら、僕は間違いなく裕子さん宛ての手紙を出していたでしょう。

「僕も好きだった」と。


でも僕は裕子さんの住所を知りませんでした。


長野から引っ越した先で、一度、クラスのみんなに宛てて手紙を出したことがあります。

担任の先生の住所は分かっていたから、手紙は先生宛てに送りました。


このとき、裕子さん宛ての手紙をこっそり先生から渡してもらおうか、とも考えました。

でもそんな事をしたら、僕が裕子さんを特別に想っていると、先生に思われてしまう。幼稚な小学生だった僕には、先生に知られてしまうのはとても恥ずかしいことでした。

だから結局、この案は実行しませんでした。

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