不幸は続くことがありますが、辛かったですね。(T_T)夢でも会えてよかった。
私も両親の死や姪の死を乗り越えてきましたが、年数が経てば経つほど悲しみは増すばかりです。(一年の間に起きた不幸ではありませんが……。)
私は亡くなった人の夢をよく見る方だと思います。とくに急性骨髄性白血病で僅か2ヶ月で亡くなってしまった母の夢はよくみます。
姪は数回しかありませんが、夢に現れた時は号泣してました。夢なのに抱き締めて。
愛する家族や親族には、今でも夢でもいいから会いたいと思います。
作者からの返信
こんばんは~コメントありがとうございます。
こちらまで読んで頂いて、ありがとうございます。
父は多発性骨髄腫でしたが、ayaneさんのお母さんは急性骨髄性白血病でしたか。骨髄やリンパの病気は恐ろしいです。解った時点でもう手遅れのケースが多いです。
2017の一年間はメチャクチャえらかったです。夜勤もしてたから、寝不足の日もあり仕事のミスも幾度も……。
亡くなった人の夢は見た事は無かったです。この夢を境に、たま~に見る様になりました。最近は3ヶ月に1回ぐらいは両親の夢を見るようになりましたけどね。
病気で両親を失ってしまったけど、もう少し優しい言葉をかけてあげれば良かった。と今でも後悔してます。
丁寧なコメントと、評価ありがとうございます。
<(_ _)>
甲斐さん、長いお話を読み終えて余韻を楽しみながら幾時間が過ぎました。
サチコちゃんの辛かったお話が心に残り、払拭する為には次の作品に行こうと思ってこの作品を選びました。
なのに、サチコちゃんの物語と同じように、甲斐さんご自身にも次から次と思いがけない大変な出来事が続いてしまったお話だったとは思いもしませんでした。
本当に踏んだり蹴ったりという言葉そのものという感じで。
何と言うことだろう、ととても切なくなりました。
その辛い出来事はもう全て終わりましたか。
まだ続いているものもおありなんでしょうか。
何もかもお一人で・・と思うと他人事ながら胸が締め付けられるようです。
夢の話ですが、私も20年以上も前になりますが、亡くなった次兄の夢をみたことがあります。
遠くから自転車に乗った兄がニコニコ笑いながら近づいて来て、自転車の荷台をさして「乗るか」と聞きました。
「うん」と答えてまたがって座る寸前に「やっぱり今は行けんわ」と言いながら、急いで自転車から離れました。
兄は寂しそうに笑って「そうか」と一言。
そして自転車の来た方へ向かって消えて行きました。
いつも夢は起きるとすぐに忘れるのに、この時ははっきりと覚えておりました。
いつまでも忘れられない夢となりました。
夫が家を建てたので、引越やお祝いやらで疲れていたから。こんな夢をみたのでしょう。
身体を大切にしろよ、と言ってくれたのだと思いました。
作者からの返信
こちらも、お読み下さりありがとうございます。
そうなんです。不幸ネタを書くから、自身の身に不幸が襲って来たのかもしれません。取り合えず、2017は、酷かったです。鬱の一歩手前まで追い込まれていました。鬱になる暇もなく次から次へとやってきました。💧
その後、2019年8月は母逝去。2020年5月義母、膵臓癌で逝去。2021年7月義父逝去。と、まぁ、両親が他界し手続きや法事などで大変でした。
現在は、なんとか落ち着いていますが……。(;´∀`)
なんと、ローバさんも不思議な夢を見られたのですね。亡くなったお兄様が自転車で迎えに来てくれた。って、ジックリ読むと、何だか怖くなりました。
よく自転車の荷台に乗るのを踏みとどまりましたね。うっかり乗ると、帰って来れなくなりそうな気がしました。新築の事で心労が溜っていたのでしょうか、体が不調な時は検査が必要ですね。
(スミマセン変なコメントで、以前誰かも同じような夢の話をしていた事を思い出したので……)
丁寧なコメントと、評価ありがとうございます。
<(_ _)>
大変なことが怒涛の如く押し寄せた一年だったのですね。
ほうとうに体が二つ三つ欲しいような日々だったのではないでしょうか?
サバイバーという言い方を思いだします。
お父様、そんな息子さんに会いに来られたのでしょうか。
気が付いたらここにいた、いつまでいられるかわからない
そういう言葉がお父様の気持ちを代弁しているようです。
甲斐央一様もお父様に再会できて、肩の力がふっと抜けたのではないでしょうか。
さて、「金縛り」のコメントにも書かせてもらっていますが、拙作「思い出語り」というエッセイでちょっとだけホラーな思い出をいくつか書いています。
2月5日にも母にまつわる思い出を公開予定なのですが、こちらの作品のURLをお借りしたいのですが、かまいませんか?
よろしくお願いします。
作者からの返信
こちらも、お読み下さり、ありがとうございます。
祝い事ならいざ知らず、負の連鎖はメチャメチャきつくて、辛かったです。
正直、鬱になりかけて泣いていた時期もありました。(T_T)
自作に「ソウルカード」というのが有るんですが、この話は負の連鎖が主人公に襲い掛かる内容なんです。まさか自分が創作の物語の主人公になったのか?って錯乱しかけました。(内容を知らないので分からないですよね?^^;)
前世の業が今に至るのなら、払いのける事も出来る!って思いました。
今思えば、父は母が気がかりだったと思います。余命宣告の前から、認知症が二人とも発症し、父が入院後には母が壊れていきましたから。💧
残された母が気がかりなのは、長年連れ添った夫婦ならそう思うでしょうよ。
夢に出てくるくらいだから、そうなんでしょうね?
「金縛り」同様にこちらも、リンクの件は使って貰って大丈夫です。
コメントありがとうございます。
甲斐さん。
なんと次々と想像を絶するような辛い一年でしたね。
ご心痛、お察しします。
私のエッセイで私の気持ちに寄り添うお言葉をかけて下さったのは、ご自身も辛いご苦労をされていたからなんですね。
奥様がパニック障害が出ていたとなれば、尚のこと全てお一人で、何もかも乗り切っていかなければならない、怒涛の日々でしたね。
お父様が夢に出てこられたのは、頑張っている甲斐さんに感謝の気持ちとこれからもよろしく頼むとの思いを伝えたかったのではないでしょうか。
奇遇ですよね。
甲斐さんの誕生日にお父様が亡くなられたり、夢枕に立たれた日がお父様の誕生日だったり、お母様がお盆に亡くなられたり……。
人生は苦あれば楽あり。
辛いことばかりではないはずです。
甲斐さんが実家にも定期的に足を運び、実家を管理していることも含めてお父様も、天国できっと喜んでおられると思います。
心に沁みるエピソードでした。
ありがとうございます✨
作者からの返信
のこさん、こちらまでお読み下さりありがとうございます。
2017年は凄かったですね。その前の2016年に父の余命の告知を聞いてから、母が壊れました。2016年の春先に、どうも両親の様子がおかしいと思い、病院へ連れて行ったのですが、頭のMRIと問診で、二人とも認知症と診断されました。父が夏に県南の病院へ行ってから、母の妄想が激しくなりました。
それから、父の他界から始まり、妻、義父、長男、母と一度にヤラレました。
まさに、怒涛の展開の中、母の妄想劇場によって振り回されました。通帳やお金が無くなって、毎日5分おきに母から電話。軽い鬱になりましたよ。
母も、父が居なくなってしまったから、寂しかったんだと思います。それを分かっていながら、ついつい冷たい態度をとってしまった。もう少し、優しくすればよかった。いたわりの言葉をかけてあげれば良かった。と反省ばかりが残ります。
でもね、不思議なのは父が他界したのが、私の誕生日、1月1日。父が枕元に立ったのが、父の誕生日。そして母が他界したのが、8月13日。なんか、因縁めいていますよね。少し、怖いです。生きていれば不思議な事も起こりますね。
お☆様と、丁寧なコメントありがとうございます。
m(__)m
こちらのエッセイを読んで、つい失礼ながら自分に重ねてしまうものがありました。
何故か不幸事は重なってやって来る事があります。あれは本当に何なんでしょうかね。
ウチの父がやっと退院して、再び介護施設に戻る介護車輌の中で、母が脳梗塞で入院したという連絡を受けた時は、なんのネタだと思いました。
母は命の代わりに視力を失い、急激に認知症が進んだ事だけが、申し訳ないですがせめてもの救いに思えました。
こちらも後に父が亡くなった事まで母はわからない状態になりましたが、
目まで見えなくなったと嘆かれることが無くなったからです。
これには1人介護していた私も心が一番折れてました。
お父様がふいと夢に現れたご様子、まったく自然で、迷われている感じが一切ないですね。
体も軽く自由だし、ふと思い出して家に帰って来たというふうに感じられました。
庭の剪定にも喜ばれているのが、とても良い親孝行をなされたと思います。
再び夢に出て来られないのは、おそらく穏やかに平和に過ごされている証拠かもしれませんね。
何やら上から目線な表現しか出来ず申し訳ありませんが、
最後には穏やかな気持ちを頂き有難うございました。
作者からの返信
そうなんですよね、不幸事は連鎖するんですよね。あの一年は重く辛い一年でした。
本作には遠慮して書かなかったんですが、当時妻がパニック症になってまして、車の運転が出来なくなっていました。義父の脳梗塞の見舞いなど、衣類の着替えを持っていくのに、私が全てやっていましたね。義父と実母の入院先が真逆で、それぞれ自宅から30分掛かってました。義父の見舞い・実母の見舞い・自分の仕事・家事・もうシンドイの通り越していました。(泣)
後悔も勿論あります。両親にもっと優しい声を掛けてあげればよかった。もうすこし、気遣ってあげれば良かったとか……。
「親孝行、したいときには親は無し」とは良く言ったものです。
お☆様と、丁寧なコメントありがとうございます。感謝!
<m(__)m>
十分、親孝行じゃないですか…
ご両親ははとても頼もしく思われているに違いありません。
こんなに大変なことが続いて、ご自分が普通に生活されるだけでも大変でしょうに、お庭の心配まで…
お父様はお母様を心配された同時に、とても感謝されたのではと思います。
ほんの少しでも、会えてお話ができたこと、とても素敵な出来事ですね。
しんみり、心が洗われるようでした。
作者からの返信
こちらまでお読み下さり、ありがとうございます。
その年は、本当に酷かったですね。病院の見舞いをハシゴしてましたから…。
鬱になりそうでしたけど、何とか乗り越えました。(^_^;)
夢って、不思議ですよね。亡くなった人が夢枕に立つのは、やはり何かを伝えたかったのでしょうね。両親は仲が良かったから、父は母を心配していたんでしょう。母も認知症が進み、亡くなった父に会いたがっていましたから。
子供にとって当たり前のように両親から受けていた日常が、とても大きく感じるのは、親が亡くなってから気が付くんでしょうね。いなくなってから気付く親の偉大さ。両親には感謝しかないです。
コメントと評価も、ありがとうございます。
(*´ω`*) 感謝です!
大変な一年だったんですね。想像も及ばないご苦労だったと思います。
そんな中、夢にお父様が出てきたこと、じわっと沁みました。
実家の換気やお庭の手入れ、忙しい中でもちゃんとやっていた甲斐さんの心が嬉しかったのかもしれませんね。
素敵なエピソードでした。
作者からの返信
2017年は、本当に不幸がギュギュっと詰まった一年でした。
多くの試練を課せられ、かなりメンタルを遣られました。
夢は不思議です。父が夢枕に立ったのが、父の誕生日なんです。
それで、父が亡くなった日が1月1日で私の誕生日。数年後、母が亡くなった日が8月13日。まさかの正月とお盆です。何か因縁めいたモノが有るのかも知れません。
居なくなってから気付く、親の心、子知らず。
子供を持つようになって気付く親の偉大さ。親の思い。
両親には、感謝ですね。
コメントと評価ありがとうございます。
(*´ω`*) 感謝!
甲斐央一様
とても大変な日々をお過ごしだったのですね。
家族が入院すると本当に大変ですよね。それがご家族が次々となんて、とても心配でいらしたと思います。
きっとそんな甲斐様を、お父様がご心配して、そして感謝の気持ちを伝えにいらしてくださったのでしょうね。本当にお疲れ様でした。
作者からの返信
お心遣い、ありがとうございます。
2017年は、本当に大変な事のオンパレードでしたね。妻が一時期、パニック症になっていて、義父や息子の見舞いや、普段の買い物まで、私が全てやっていましたから。(^_^;)
父が、夢枕に立ったのは、皆様仰る通り、心配していたと思います。夢で怨み事を言われたら、それこそ寝れなくなっちゃいますから……
夢は不思議。いつか、良い正夢を見たいものです。
コメントと評価ありがとうございます。
(*´ω`*) 感謝!
辛い年でしたね。
夢って不思議ですよね。
父への想いが素敵です。
作者からの返信
お心遣いありがとうございます。
その年はバタバタでしたね。1年中、特に夏場が……(汗)💦💦
過ぎた事ですから、こうやって話せますが。そりゃ、もう…まるで、自作の「命の値段=慈愛の心」の由香里みたいでした。次から次へ試練が襲ってきました。その試練を乗り越えて、今があるわけで……今年は何か良い事があるかな? (゚д゚)!キット アルサ!
母も、病気で2019に亡くなったんですが、あいにく母は夢には出て来ませんね。本当に夢って不思議ですね。以後、亡くなった人の夢は見ていません。
ありゃりゃっ……さかいれいなさんの名前がついに、怪し気な文字に乗っ取られましたね。(^^;)
コメントと丁寧なレビューありがとうございます。
(*´ω`*)
コメント失礼します。
ご苦労の絶えない日々であったとお察しします。
私も数年前に母を亡くしましたが、一度も夢には出てきてくれません。
お父様に夢でお会いできたことを羨ましく思うとともに、夢でも会ってしまったら、また未練が残ってしまいそうで、このまま会えなくてもいいかもという気持ちもあったりはします。
まさに、心震えるようなお話、ありがとうございました。
作者からの返信
丁寧なコメントありがとうございます。
そうですね、夢枕に立つなんて中々起こらないかと思います。亡くなった方への想いは後悔は色々と有りますが、それはもう仕方ないモノとして、諦めた方が良いかと……。
仰る通り、あまり強く想えば未練が残るかと思います。
この話で不思議な事は、父が亡くなった日は、私の誕生日1月1日(お正月)で、父が夢枕に立った日が父の誕生日12月7日なんです。記念日に何かが起こるって……
因みに、その後母も病気にて他界しましたが、その日は8月13日。な、なんと、お盆でした。
正月とお盆。まるで、命日を忘れ無いように!って感じでしょうか?勿論、忘れませんが……(汗)💦💦
コメントありがとうございます。
<m(__)m>
その一年は本当に壮絶な一年でしたね。
きっと、心身ともにお疲れでしたでしょう。
その頑張っている姿を天国から見たお父さんが『ありがとう』と伝えに来てくれたのかなと思いました。
家の掃除や換気を毎週行い、庭の木の剪定まで。そして、何よりお母さんの病院に付き添ったり着替えを届けたりと……
もうすでに、十分親孝行されたと思いますし。きっと、お父さんも立派に成長してくれた息子だと嬉しかったことでしょう。
今年が良い年になることを祈念しています。
作者からの返信
お心遣いありがとうございます。
これは決して不幸自慢じゃありません。もう、過去の事ですし、こうやって話せるだけで……
まぁ、当時は、そりゃあ酷いもんでした。泣いてばかりの日々で、半分鬱病の状態でしたね。誰かに話し出した、すぐから泣いてました。心の整理も中々つかなかったです。でも、底を覗いてみたら人間は結構、丈夫なんだって思う様になりました。打たれ強くなりました。
実際、亡くなった方の夢は今まで見た事が無くて、当時は驚きました。夢も普通ならすぐに忘れてしまうのに、シッカリ昨日の様に今も覚えています。
親は、本当に有り難い。ですね。今年は、良い年にしたいものです。
いつもありがとうございます
<m(__)m>
大変で、さぞかし辛かった事でしょう。
きっと、これからは、良いことばかり来ると思います。
頑張って下さい。応援、してます。(>_<)
作者からの返信
もうすでに過去のことですから、こうやって誰かに話す事もできたのでしょう。当時は、夜勤も有りましたから……クタクタでしたね。
これから来る良い事に期待します
(;^ω^)
いつも応援ありがとうございます。
<m(__)m>
大変な御苦労をなされていたのですね……。
(´;ω;`)
きっとお父様はお母様と甲斐さんの両方が心配だったのではないでしょうか……。妻は病が心配で、息子は苦労が心配だったのかもしれません。
実は……私もここ数年酷い状態です。親が脳梗塞で倒れ認知症になりその介護を始めたのが三年前……今は介護で睡眠も四時間程度になってしまっています。目を離せないので自宅介護も夜眠れないんですよねぇ……。
もう片方の親も何かと病が発覚したり怪我をしたり……入院と怪我の繰り返し。今年はつい三日前に愛犬が急死……本当に呪われてると思えるレベルです。
とまあ、少し愚痴が出てしまいましたが……確かに亡くなった家族は滅多に出てこない気がします。ただ、全く出てこない訳ではなく何かの節目にはポツリポツリと夢で会います。
何か助言などではないので私の『会いたい』という願望から来てるのかなぁ……と考えています。
でも、甲斐さんの話は何となくお父様が心配で見に来たのかなぁ……と。
お伊勢参りもなさったとあったのできっと良き年になると信じましょう。
作者からの返信
赤村さんも大変でしたか。私の母も認知症も酷く自宅介護は出来ない状態だったので、病院に入院する前には施設に入居していました。妻の父も同様で、脳梗塞で認知症が進み、やはり施設に入居する羽目になりました。施設ってかなり高いんですよね。双方とも、親の年金でギリギリだったのが救われました。
夢の話のコメント、たいへん嬉しい言葉でありがたいです。心救われます。
いつも感謝しております。ありがとうございました。
今年はいい年になるんじゃなくて、良い年にするぞ~!
又、来週に閑話上げます。宜しくお願いします。
<m(__)m>
編集済
大変な一年を過ごされたんですね。
あまりにも悪いことが続いていたのでびっくりしてしまいました。
枕元に現れたお父様。
きっと甲斐さまに感謝の気持ちを伝えたくて現れたのでしょうね。
作者からの返信
こちらまで足をお運び、ありがとうございます。
この一年は大変でした。生きた心地がしなかったです。スマホの着信に日々怯えていました。2019に母が、2020に義母が、2021に義父が立て続けて亡くなりました……。誰かに呪われているんじゃないかと疑心暗鬼になったりと……。
と、まぁ不幸が続きましたが親が亡くなるのは避けては通れません。バタバタの中、悲しむ暇もありませんでしたね。
夢の件は驚きでした。親と仲は良かったので夢でも逢えて嬉しかったですが、もう少し優しい言葉をかけてあげればよかった。と反省ばかりです。
コメントとお星様ありがとうございます。
<(_ _)>