CASE1 ジェットばばあ9

「本当にいたんですね」

「どう?僕らの話、信じられた?」


 特殊技術を疑う気持ちもわずかに残っているが、自分一人騙すためだけににここまでやらないだろう。


 信じざるを得ない。


 音々は気持ちを落ち着かせるために、深呼吸をした。


「信じました。疑ってすみませんでした」

「いいよいいよ。信じられないのは当然さ。うん、良かった。やっぱり百聞は一見に如かずだね」 


 怜がニコニコと頷いている。


 音々はもう一度、落ち武者を見た。


 何をするでもなく、ただ恨めしそうにこちらを見ている。


 怖い。しかし、怖さもあるが、どこかワクワクする気持ちもあった。


 多分余裕があるのは、怜と虎之丞がいたって平静だからだろう。二人のおかげで音々も何とか落ちつけている。


 間違いなく、音々は今、新しい世界に飛び込んだ。


 同時に、都会派OLへの道は閉ざされた。


 さようなら、都会派OL。こんにちは、お化けたち。


「音々さん、もうしっかり見たっすか?」

「え?あ、はい」

「じゃ、処理しちゃうっすよ。処理するところを見たら、もっと信じると思うっす」


 怪異の処理。


 そういえば、どうやって処理をするかまだ聞いていなかった。


「これを使うっす」


 虎之丞は背負ってたリュックの中から木箱を取り出した。


 木箱の形は正方形で、大きさは手に乗るくらいだ。


「木の箱?」

「怪異を封じ込める箱っすよ。これに怪異を入れて、神職の人の力で昇華してもらうっす。音々ちゃんのお父さん、奏太郎さんもよく協力してくれるっすよ」

「言われてみれば、家でこんな箱を見たことがあります」


 父がこの箱を前にして、何やら祝詞のようなものを唱えていたのを見たことがある。


 実体化してしまった怪異は、そうやってこの世から消すのか。イメージだと霊を成仏させるような感じに近いのかもしれない。


「音々ちゃんも怪異の昇華をできるはずだよ」

「え?本当ですか?」

「うん、奏さんが言ってたからね。音々ちゃんが昇華をできるようになれば、いちいち神社とかに持ち込まなくてよくなるから助かるよ」


 怜は本当に嬉しそうだ。


 どうやら自分が思っている以上に、この職場で期待されているのかもしれない。きっと父の信用から来るものなのだろう。


 期待されていると思うと嬉しいが、同時にプレッシャーでもある。


 悲しいかな、これまでの人生、期待というものにほとんど縁がなかったのだ。


「どうやって使うんですか?明らかに小さいですよね?」

「見るのが早いっすよ」


 虎之丞が、無造作に落ち武者へ近づいた。怖かったが、音々も虎之丞に付かず離れずついていく。


「無念なり」

「ひぇっ!」


 何やら恨み言を呟いている。


 近くで見ると、ますます怖い。そして同時に、この世の物ではないのがよくわかる。


 何と言えばいいのか難しいが、あえて言うならば存在感がおぼろげだ。実体化はしているものの、有機物とは違う何か。


「ここまで近づいても何もしないっすね」

「……ただここにいるだけですか?」

「そうっす。ここの怪異はただ出没するだけで、襲ってくるとかの噂はほぼないっすから。いつも通り、危害を加えないタイプっすね」

「本当に噂の通りなんですね」


 確かに、恨み言を呟くだけで、何かをしてくる様子はない。


 人間が噂をする通りの生態で実体化し、それ以上にもそれ以下にもならない。


 人に翻弄されていると思うと、恐ろしさと同時に、少し可哀そうにも思える。


「じゃ、やるっすよ」

「虎、ちょっと待って」

「え?どうしたっすか?」


 怜が口に手を当て、何かを考え込んでいる。


「……あの三人組、多分ここに来るよね?」

「はぁ、来ると思うっすよ。ここが一番の撮影スポットっすから」

「ちょっと待とうか?」

「え?」

「あそこの茂みがちょうど良さそうだ。あそこに隠れよう」


 怜は意図を説明しないまま、音々たちを茂みに誘導する。


 もちろん、落ち武者はそのままである。


 さっきまで一緒にいたのに、暗闇に一人佇む様は、置いてきぼりを喰らったようにも見え、少し悲しげだ。


「班長、どうしたっすか?」

「いや、ほらね。彼らにも、何て言うのかな、怪異の怖さというか、世間の厳しさというか、そんなものをね」


 何やら、もごもごと煮え切らない態度だ。


「はぁ……俺知らないっすよ」

「虎だって不快な思いしただろう?」

「だからってこんなことしようと思わないっす」

「彼らのためにもなる。大丈夫だ」


 音々の勘が正しければ、もしかしたらこの人は何やらダサいことをしようとしてはいないか。


 そっと怜の横顔を窺うと、どこか楽しげである。

 

 しばらくすると、若者たちの大きな声が聞こえてきた。


「さぁ~、いよいよ今日の見せ場。城跡の広場へやってきました!」

「ここでは落ち武者や女性の霊が多数目撃されています。戦国時代に殺された人々の恨みなのでしょうか」

「何かとんでもないものが映るかもしれませんよぉ!こうご期待!」


 彼らの声が少しずつこちらへ近づいてくる。


 もうまもなく落ち武者の姿を見ることになるだろう。


 音々は自分の心拍数がどんどん上がっていくのがわかった。


 何のドキドキなのか。


 とうとう、こちらからも若者たちの姿を見えた。


「え?」


 若者一人が間の抜けた声を発する。


「え?何、何?なんかいるんだけど」

「……落ち武者じゃね?」

「う、うそだろ。し、仕込みじゃなくて?」


 三人の若者は、一旦立ち止まり、思い思いの感想を述べている。


 しかし、すぐに逃げ出そうとはせず、カメラを回したまま近づこうとしている。


 怖がりの音々からしたら、見上げた撮影根性である。


「しーっ」


 怜は唇に人差し指を当て、音々の方を向く。静かにしろということだろうが、すでに静かだし、声を出す気など毛頭ない。


 何のためだろう。


「カメラは?」

「う、映ってない……」

「マジか」


 若者たちは恐る恐るだが、一歩ずつ近づいてくる。


 音々は落ち武者が動くことはないと知っているが、彼らはそれを知らないのによく近づけるものだ。


 その時。


「があぁぁぁぁぁっ!」


 大きな叫び声。 


「ひっ!」


 音々はあまりの驚きで悲鳴を上げることもできず、ただ息を飲んだ。


「うわぁぁ!」

「や、やばいって!」

「ちょ、待ってっ」


 叫び声に驚いた三人が、一目散に逃げて行く。おそらく落ち武者が声を上げたと思ったのだろう。


 こんなことになったら誰でも逃げる。音々が彼らの立場だったら、本気で失神していたかもしれない。


「あっはっは!驚いてたねぇ」


 叫び声の主が楽しげに笑っている。


「班長……結構あいつらにムカついてたんすね」

「違う違う、興味本位でこんなところに来たら危ないよって警告さ」

「だからって」

「それに彼らだって馬鹿じゃない。先に僕らがここに来ていたのは知っているはずだから、落ち着いて考えれば僕らの仕業と考えるのが道理だよ。人を脅かすのが趣味の怪しい奴らいるって噂が出るかもしれない。そうすれば怪異の噂は相殺されるだろうし、噂のコントロールになる」

 

 怜はしてやったりと言った様子である。

 

「もしそういう意図があったとしても、ひばりさんに知られたら怒られるっすよ」

「あ!それはしーっだ。内緒だよ、虎」

「報告書に書かないわけにいかないっすよ」

「じゃ、じゃあ、怖い物知らずの若者に、少しお灸を添えて、かつ噂のコントロールをしたって上手く書いておくれよ」

「それでもひばりさんはわかっちゃうと思うっすけど」


 とんでもない上司だった。


 いろいろ理屈を述べてはいるが、恐らくあの若者たちに一泡吹かせたかったのだろう。


 そういう音々も、虎の物言いに合わせ、困ったものだ、という表情を作っていたが、正直いい気分だった。


 音々たちを外で卑猥なことをいたすような変態扱いしていたのだ。しかるべき罰である。


 待っているときに感じたドキドキは、肝試しの脅かし役の時に感じたドキドキと同じものだったのに気づく。


 楽しんでいた音々は怜を非難することはできないだろう。


「あ、ところで彼ら、ビデオ撮ってましたけど、大丈夫なんですか?怪異の実在を知られない方がいいんですよね?」

「え?大丈夫大丈夫。基本的に怪異はビデオには映らないから」

「そうなんですか?」

「うん、簡単に言うと、実体化した怪異は人の念が作り出したものだから、人はその念を感じ取って視覚化できるけど、カメラやビデオはただ写すだけで、念を感じ取ることはできないからね」

「はぁ」

「じゃなきゃあんなことしないよ、証拠に残っちゃうもん」


 説明がちゃんとわかったわけではないが、とりあえず映ってないのなら良かった。


「さ、彼らが戻ってくる前に片づけちゃおうか。虎、頼むよ」

「了解っす」


 そう言って、虎之丞は無防備に落ち武者に近づいていく。


 もう完全に落ち武者の間合いである。


「だ、大丈夫なんですか?」

「大丈夫大丈夫。ここのは本当に無害だから」


 心配する音々をよそに、虎之丞は慣れた様子で、持っている木箱を落ち武者の体に当てる。


「おうま、ふれん、いっさ、おうま、ふれん、いっさ……」


 木箱を落ち武者に当てたまま、虎之丞が祝詞を唱える。


 しばらく唱え続けると、まるで煙が吸い込まれるかのように、落ち武者の体が木箱に吸い込まれた。


「うわぁ、あんな風になるんだ」


 そもそも、木箱の大きさから考えても、絶対に入ることはない。


 それがまさしく煙のように、中へ消え去ってしまった。はっきりとあの落ち武者が、我々人間とは違う物体ということがわかる。


「箱から出ることはないんですか?」

「そうだね、箱が激しく損傷したりしなければ、出ることはないよ」

「でも処理って意外とあっさり何ですね。なんか、もっと激しいバトルみたいなものがあるのかと思いましたよ」

「あぁ、それもあるよ」

「え?」


 気軽に言うものではなかった。やはり怪異と戦うようなことがあるのか。


 自分で自分を不安にさせるようなことになってしまった。


「無害な怪異はこういう風に、箱に入れて昇華する。彼らだって生まれたくて生まれたわけじゃないからね。できるだけ丁重にお引き取り願ったほうがいい。それに昇華させた方がちゃんと念を散らせるから、次に発生するのが遅くなるって利点もある」

「じゃあ有害な怪異は……」

「そう、人に危害を与える危険な怪異は、ああやって大人しく木箱には入ってくれないからね。いわゆる斬った張ったして処理する。こっちは排除って言い方をするね」

「ひぇっ」

「まぁそういう危険なのは意外と数少ないから心配しないで。それに音々ちゃんが戦うようなことにはならないように注意するよ」


 ということは、注意しなければあり得るということなのか。


 何となくブラック気質を感じる職場なので、無茶ぶりとかがありそうだ。


 危険そうな怪異だけでも、事前に知っておいたほうがいいかもしれない。


「お父さんからもらった祝詞集は大切にした方がいい。音々ちゃんの身を守ってくれると思うよ。それから、いざという時のために、使えそうなのは暗記しておいたほうがいいね」 

 

 いざという時のために。


 さらっと言ったが、恐ろしい。


 この口ぶりでは、やはり危険な目に遭いそうだ。


 そういえば、祝詞を唱えられる神職の人間をありがたがっていたことを思うと、戦場に出されることも十分にあり得る。


 気楽な気持ちで受け取った冊子が急に重大さを帯びてきた。


 暗記は苦手だが、本当に命の危険があるならば覚えなければならない。


 家に帰ったら父に聞こうと心に誓う。


「でもまぁ、音々ちゃんは事務の仕事がメインだからね。色々不得手な僕としては、そっちこそ頑張ってほしいよ」

「パートさんやめちゃって、班長困ってたっすからね」

「じ、事務がんばります!」


 そうだ。


 よく考えれば、自分は庶務採用なのだ。


 事務で活躍すれば、現場に出ることはないのではないか。


 事務仕事も得意とは言えないが、斬った張ったと比べれば頑張れる。


 一日も早く仕事を覚えて、事務のスペシャリストになろう。


 祝詞を覚えるよりそちらが先だ。


 ばりばり仕事をこなしてやろう。


 しかし、仕事ができればできるほど、新しい仕事が降ってくるという社会の恐ろしき構造を音々はまだ知らない。

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