CASE1 ジェットばばあ8
寝ることなどできないと思ったが、ホテルの部屋に戻ると、お腹がいっぱいだったこともあり、ぐっすりと寝てしまった。
思った以上に気疲れしていたのか、あるいは意外と自分は図太いのか。
おかげで体調はばっちりである。
そのため集合時間まで、ひばりから言われた報告書のデータ書き起こしを全て片づけてしまった。意外とこういう単純な事務作業は向いているのかもしれない。
集合時間は午前0時。
日付が変わって、すでに4月2日である。
実はこの時間に働くことに、今はあまり嫌な感じをしていない。どちらかと言えば、前向きな気持ちだ。
たっぷり寝たこともあるのだろうが、もしかしたら自分は、これから実体化した怪異を見ることができるのを楽しみにしているのか。
見てしまったら最後。
この一日で、音々は怪異の実在を多少信じつつあるが、まだ疑っている。
しかし、見てしまったら100%信じることになるだろう。これまでの自分とさようならだ。
新たな扉が開くと言えば聞こえが良いが、その扉は本当に開いていいものなのだろうか。
「ゆっくり休めた?」
ホテルのロビーで、にこにこと怜が手を振っている。
「はい、何とか」
「それは良かった。ここからは体力勝負だからね」
「あの~、私って今日はどんなことをすればいいんですか?」
「そうだね、今日は基本見学で大丈夫。でも、もしかしたら祝詞をお願いするかもしれないから、一応その心構えだけお願いね」
これが二重の意味で恐ろしい。
まずそもそも祝詞に本当に効果があるのか。そして祝詞を唱えるような危険があるのか。
「は、はい。父からもらった冊子はちゃんと持ってきました」
「オーケー!よろしくね」
祝詞を読むだけなら何とかできるだろうが、本当にこれで役に立てるだろうのか。
「じゃ、行こうか」
駅から少し離れたところにあるホテルだが、繁華街ということもあり、こんな深夜でも人が出歩いている。
昼から引き続き天気が良く、空には星が瞬いていた。
こんな時間に遊びではなく、仕事で知らない街にいるのが、何だか不思議な感じがする。自分は少し大人になったのかもしれない。
「じゃ、まずH城址の幽霊確認に行こう」
大人になったのは気のせいだったようだ。
大人が仕事で幽霊を見に行くことなどまずない。
しかし、悲しいかな、それを大真面目でやっている一派に、音々も片足を突っ込んでいて、この後の状況によってはどっぷり両足まで入ることになる。
「こっちっすよ~」
虎之丞がすでに車をホテルの前に回してくれていた。
フットワークの軽い気の利く男である。ぼんやりとした上司の下には、こういった部下が集まるのだろうか。
平日の夜ということもあり道路はすいていた。時々、派手な車やバイクが通る以外は静かなものである。
「到着っすね!」
この辺り一帯が公園になっており、昼間は普通の観光スポットのようだ。確かに天気の良い日の散策にはちょうどいいかもしれない。
観光地ということもあり、車を止めるところはたくさんあった。
心霊スポットというので、おどろおどろしい雰囲気を想像していたが、入り口付近は思いのほか普通である。
奥を見ると、暗さと深い木々が怖さを感じさせるが、それは別に心霊スポットに限るものではない。暗闇と森は普通に怖い。
「あ、車があるね、先客がいるのかもしれない。まだ春先なのに肝試しかなぁ」
「今は肝試しって言っても別に夏だけってわけじゃないみたいっすよ。もしいるなら、作業中は見られないように注意しないとっすね」
二人ともこの場所に慣れているようで、特に迷うことなく進んでいく。定期観測というだけのことはある。
音々は置いて行かれないように必死で二人について行く。というか、正確には二人の間を歩いていた。
前も後ろも怖い。
だが、二人とも音々の気持ちを察してか、しっかり前後で挟んでくれている。優しい。
少しずつ奥に進むと、道路を走っている車の音が小さくなる。それが妙に心細い。
遊歩道なので歩きにくくはないが、暗いので気をつけなくてはならない。後ろの虎之丞が足元を懐中電灯で照らしてくれている。
「どこへ行くとかあるんですか?」
「怪しいところはざっと回るけど、とりあえず城跡の中心部は絶対だね。一番出るところだし」
確かに、以前インターネットで見た時も、そこが一番霊の目撃例が多いと書いてあった。
その中心部へ向かう途中、小路に人影らしきものが見えた。
「ひっ!」
「大丈夫っす、あれは普通の人間っすよ」
後ずさった音々の肩を、虎之丞が優しく支えてくれる。
確かに普通の人間のようで、近づくと声が聞こえてきた。
若者三人組がカメラを持って、場違いなほど大きな声で何やら会話をしている。恐らくネット動画の撮影をしているのだろう。
中心部に向かうためには、その前を通る必要があるのだが、撮影が一段落するまで待った方が良いのだろうか。
「こんばんは~」
しかし我らが班長は、撮影など一切気にせず懐中電灯を当てながら挨拶をした。
「あ~もう、はいストップ~!……困りますよぉ」
ビデオを構えていた一人が、眉間にしわ寄せて言う。
しかしストップと言ったわりに、ビデオは降ろさずこちらに向けている。もしかしたら何かハプニングを期待して撮影し続けているのかもしれない
「今撮影中だったんですよ~、見てわかりません?」
「あ、すみません。僕、そういうのに疎くて。テレビの人ですか?」
「Yチューブ撮影ですよ。こんな少人数でテレビなわけないじゃないですか」
「わ、わい?よくわかりませんが、今はテレビ以外にもそういうのがあるんですねぇ」
「Yチューブ知らないってマジすか?珍しい人だなぁ」
「ってか、ビデオ回してないっすか?俺らのこと勝手に撮らないでほしいんすけど」
虎之丞が少し凄味を利かせて、一歩前に踏み出す。
がたいのいい男に詰め寄られて、カメラを持っていた男は怯んだ様子で慌ててカメラを止めた。
これまで虎之丞の優しく気のいい部分しか見ていなかったので、自分が言われたわけではないのに音々も心臓がきゅっとなる。
「とにかく、ここ、夜は危ないですよ?何を撮っているのかわかりませんが、あんまり撮影場所として適してないと思います」
「はぁ?だから来てるんですよ。心霊スポットの撮影」
「あぁ、なるほど、そういう撮影ですか。でもほら、心霊スポットとか言われている場所で不用意にそういうことをするのは……」
「ってか、あんたたちは?あんたたちも肝試しに来たんじゃないの?」
三人組の他の男が、口を挟んできた。少し苛ついているようにも見える。
虎之丞に比べ、怜は言いやすいのだろう。確かに強そうには見えない。
「いや、僕たちは、肝試しというわけじゃなくて……」
「こんな時間に肝試し以外で何しに来るの?」
「え~と、何と言えばいいかな、でも違うんですよ」
「あ、女の子いるし、三人でエロいことしに来たんじゃん?」
もう一人の若者がにやにやと言い、他の二人が笑い声を上げた。
こちらはれっきとした仕事だ。音々自身もどんな仕事かよくわかっていないが。
しかし、変なことをしに来たと思われたのが恥ずかしく、音々はつい顔を伏せた。
「あぁ、それいいですねぇ。良ければ俺らも撮らせてもらってもいいすか?」
「違います違います。そんなことしませんよ。いやぁ困ったなぁ」
怜がへどもどと言葉に詰まる。
言われたい放題だが、怜は特に不快な表情を浮かべることもなく、ただ困った素振りを見せるだけである。
口下手な上に、押しも弱い。それが彼らを増長させているのだろう。確かに、はたから見たら怜はからかい甲斐がありそうだ。
「班長、行くっすよ。もう気にしない方がいいっす」
「あ~、うん。でも君たち気をつけてね。ビデオも良いけど、こういう場所は本当に危ないことだってあるんだから」
「わかりましたわかりました」
「プレイが始まったら教えてくださいね~」
「あはは、お前やめとけって。こいつ馬鹿なんで、すんません」
若者たちの笑い声を尻目に、小路を進んでいく。
しばらく何となく無言のまま歩き、若者たちの声が聞こえなくなったところで音々から口を開いた。
「もう!嫌な感じでしたね」
「う~ん、まぁ彼らが楽しんでいるところを邪魔しちゃったのは確かだからね、仕方ない」
「でも班長は、もう少し言ってやっても良かったと思うっすよ」
「そうですよ~、きっと言われっぱなしだからあいつらも図に乗ったんです」
「そうかも、ごめんごめん。二人にも嫌な思いさせちゃったね」
素直に謝られると、虎之丞に便乗した自分が急に悪者になった気分になる。
すぐさまフォローの言葉をつないだ。
「で、でも班長は大人ですね。全然怒らなくて。優しすぎますよ」
「え?大人じゃないよ。ただ臆病なだけ」
臆病というのは少し違う気がする。
確かに困った素振りは見せていたものの、怯えた様子は全く見られなかった。
むしろ怯えていたのは音々のほうだった。陽キャというのか、ああいう人種には思わず引け目を感じてしまう日陰者の音々である。
「でもああいうことをしていて、いつか危ない目に合わなきゃいいけど」
「ああやって心霊スポット巡ってれば、いつか実体化したのに当たりそうっすね」
「そうだね。いっそのこと早いうちに危険が少ない怪異に出会って、怖くなってやめてくれたらいいなぁ」
「どうすっかね。逆に本物を見たって、続けちゃうかもしれないっすよ」
「確かに。いやぁ個人の発信が簡単にできる世の中になったから、秘密裡に片づけるってどんどん難しくなるね。とにかく危ない目には遭ってほしくないぁ」
あそこまで言われたのに、怜はまだあの若者たちの心配をしている。
自分にはこんな懐深い対応はできない。
事実、まだ音々の怒りは収まっていない。社会人になったものの、まだまだ子どもということを自覚する。
そのまま言葉少なめに歩き続け、ようやく城跡の広場に出た。
「着いた着いた」
怜が気の抜けた声を上げ、周囲をウロウロし始める。あまり離れてほしくないのだが。
しかし、虎之丞は動かず、音々のそばにいてくれる。恐らく音々のためを思ってのことだろう。
ここが一番霊の目撃例が多いらしい。
ゆっくりと首を動かす。
城の残骸なのか、新たな建造物かはわからないが、暗闇にうっすら木造の何かが浮かぶ。今にもその後ろから何かが出てきそうだ。
霊が出る場所など言われてから見ると、一つ一つのものが不気味に見えてくる。音々は思わず、虎之丞のそばへ一歩近寄る。
また、ここでは女性のすすり泣く声が聞こえるとも言われていた。
そんなもの聞きたいはずはないのだが、つい無意識に耳を澄ましてしまう。
風で木の葉がこすれ合う音が違うもののように聞こえる。
春先の夜の風は肌寒い。
シチュエーションも相まって、音々はひどく寒気を感じ、思わず身震いをした。何か羽織るものを持ってくるべきだった。
まさしく幽霊が出るにはうってつけの場所。本当にいるのだろうか。
間近で本物を見たら、緊張も相まって、精神をおかしくしてしまいそうだ。
どうか、いませんように。
心の中でそっと呟く。
「あ、出てる出てる!」
しかし、音々の願いは呆気なく破られた。
暗闇の中で、怜の陽気な声が響く。
まるで好きな漫画の新刊が出ていたのを見つけたかのようだ。
「うそっ……本当に?」
思わず声が出てしまった。
虎之丞が少し心配そうにこちらを見ている。
ちょうど物陰になっていて、音々のいるところからでは見えない
怜の待つところへ行けば、本当に幽霊がいるのだろう。
もう疑う気持ちはほとんどなかった。
少し歩くだけで、幽霊を見ることができる。あるいは、見てしまう。
自分の気持ちがポジティブなのかネガティブなのか、もはやわからない。
ただただ動悸が激しい。自分の心臓の音が聞こえてきそうだ。
静かな暗闇によって、鼓動の音が増幅されているような錯覚になる。
「音々さん、大丈夫っすか?行けるっすか?」
「……行きます」
覚悟を決めた。
仕事だから。逃げたら恥ずかしいから。こんなに歩いたのだから。
色々な理由を考えるが、根底にはシンプルな感情しかない。
見たい。
ただの好奇心だ。
もちろん怖いがそれ以上に、都市伝説の怪異とやらが本当に実在するならば見てみたいという、純粋な興味が勝っている。
音々はゆっくりと歩き出した。
「ほらほら!ここ、ここ」
シリアスに決めている音々の気持ちを挫くかのような、怜の素っ頓狂な呼び声。
わかった。
多分、黄ノ蔵怜という男は、鈍いうえにデリカシーがないのだ。
横を歩く虎之丞は今も音々の顔を心配そうに覗き込んでいる。彼のほうが若いのに、よっぽど気遣いがあった。
だが、おかげで気持ちが少し楽になった。
多分この程度のこと、彼らにとっては日常なのだ。
そう思うと、緊張している自分が馬鹿馬鹿しくもなる。
音々は歩くスピードを速めた。
「ほらほら、じゃじゃーん!」
昔のギャルが写真を撮る時にしていたようなポーズに腹が立つ。
しかし、その腹立ちも一瞬で消え去ってしまった。
鎧武者。
怜が両手を手を差し出したところに、一人の鎧武者が佇んでいる。
兜が取れ、髪の乱れた頭には矢が刺さり、多くの人間が想像するであろう落ち武者の姿だった。
血にまみれた恨めしそうな顔が、暗闇だというのにはっきりと見えた。
「ひえぇっ!」
覚悟を決めても怖いものは怖い。
思わず虎之丞の腕にしがみつく。
本物か。本物なのか。
「し、仕込みとかじゃないんですか?ほ、ほら、あの若い人たちとグルだったとか」
「あははは!何でそんなことする必要があるのさ」
「で、でも誰かが扮装しているって可能性も……」
「ないない。よく見てごらん」
よく見るのも嫌だが、このまま捨て置くこともできない。
虎之丞の腕を掴んだまま、音々は落ち武者の姿を見る。
「透けてる……」
「でしょ?こんなこと普通はできないよ」
向こう側にある木々が、落ち武者の体を透ける形で見えている。風で葉が揺れるのまで確認できた。ペイントではないことは確実だ。
確かに、まず普通の人間を使ってこんなことはできない。
「幽霊って本当に透けてるんだ……」
「逆っすよ。みんなが幽霊は透けてるものだって思っているから、透けてるものとして実体化したっす」
「噂話が先?」
「そうっす。透けてるのは噂の産物っす」
多くの人に語り継がれ、人々のたくさんの思いが怪異を実体化する。
怜が話していたことは、このようにつながるのか。
半信半疑だった話のピースが一つはまったような気がした。
「ようこそ、こちら側へ」
怜が満面の笑みで大袈裟に両手を広げる。
今度は某寿司屋の社長がマグロを見せる時のポーズだ。
ムードもへったくれもない。不快である。
だが、そんな彼の横には確かに幽霊がいる。
実体化した怪異。
本当に見てしまった。
怜の言う通り、木林音々は本当の意味で、都市伝説処理班に入ってしまったようだ。
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