CASE1 ジェットばばあ7

「着いたっすよ」

「ど、ど、どこにいるんですか?」

「あははは、まだジェットばあさんは現れないよ」


 どうやら車は一件のビジネスホテルの駐車場に入るらしい。


「え?」


 もしかしたら貞操の危機かもしれない。


 音々は思わず、体を抑えてしまう。


 男二人組に何をされてしまうのか。


 まさかこんな別角度から危険が迫ってくるとは思いもよらなかった。


 しかし、怜はそんな警戒心マックスの音々に全く気づかず、言葉を続けた。


「じゃ、夜まで休もうか。音々ちゃんも初日で色々気が張って疲れたでしょ?夜まで休んでいていいよ」

「へ?」

「ジェットばあさんが出るのは夜だからね、それまでは休憩。寝ないとあとで眠くなるから、ゆっくり休んでね」

「あぁ、そういうことですか。良かった……」

「あはは、疲れてたんだねぇ」


 とりあえず貞操の危機は去った。


 しかし、すぐさま別の懸念が出てくる。


「もしかして、今日って深夜に働く感じですか?もしかして、残業というやつですか?」

「そうだよ~」

「え?班長、音々さんに言ってなかったっすか?」

「あ」


 入社初日から深夜残業。


 これはいわゆるブラック企業というやつではないか。


 そもそも、もし深夜働くのであれば、普通はそれに合わせて、午後出勤などになると思うのだが。


 もしかしたら遅番や夜勤などの概念がない職場なのか。


 確かに言われてみれば、怪物には昼より夜の方が似合う。


「ご、ごめんね、音々ちゃん。言ってなかった……時々、時々なんだけどこういうことがあるから。まぁほら夜働くっていうのも楽しいよ、普段見られないものが見られるし、深夜のハイテンションもなかなか良いものだよ」 


 全く励ましになっていない。何と人を励ますのが下手な人なのか。


 今日一日だけで、数々の洗礼を次々と受けている。情報量の多さも相まって、もはやフラフラ、ボクサーで言えばグロッキー寸前だ。


 しかし、自分が父を頼った結果、そして最後には自分がこの職場を選んでしまったのである。とりあえず限界まではがんばるしかないだろう。


「わかりました。大丈夫です。でも、できれば事前に教えてもらえると助かります」

「そうだよね!これからは気をつけるよ」

「班長、ちょっと抜けてるんで、すいませんっす」

「いえ、そんな」

「いやぁ、ごめんねぇ」


 虎が申し訳なさそうに謝ってきた。当の本人も申し訳なさそうにしているがどこか軽い。


「あ、休む前にさ、昼ご飯を食べに行こうか。ちゃんと説明してなかったお詫びも兼ねて、ご馳走するよ」


 怜が名案といった様子で両手を合わせる。


 昼ご飯ぐらいで帳消しにできるかと言うと、音々はできる。基本的に安い女なのだ。


 ホテルの近くにあったファミリーレストランに入る。低価格が売りのレストランだが、問題は全くない。


「好きなもの食べてね」

「ありがとうございます」


 怜がメニューを渡してくる。


 緊張していても食べられるタイプの音々は、すでにお腹はがっつりすいていた。


 しかし、どのくらい値段のものをどの程度の量、頼めばいいのかわからず、結局わかりやすいオムライスにしてしまった。虎之丞は和風御膳、怜はピラフにしたようだ。


 注文してから食事が終わるまでは、他愛もない話で盛り上がった。


 とりあえず、怜の趣味が一人キャンプというのは妙に似合っている気がした。明るい人格だが、変人ゆえ大人数で行動することができなそうだという失礼な分析からである。


 そして意外にも虎之丞の趣味はクラシック鑑賞だった。イメージだけで言えばスポーツのイメージだが、やはり良家のお坊ちゃん説が有力かもしれない。


 こうなってくると、ひばりの趣味も気になるところだ。もう少し仲良くなったら聞いてみよう。


「さぁ、今日はスムーズに終わるといいんだけど」

「すぐに現れてくれればいいっすね」

「うん、できれば明るくなる前には家に着きたいよ」

「この後は夜まで休んだら、ジェットばあさんの処理に行くんですか?」 


 食後の飲み物が来たところでようやく仕事の話に戻った。


 さらっと朝方まで働く可能性が垣間見えたが、もはや気にしないことにした。この程度のことをいちいち気にしていたらこの職場ではやっていけないだろう。


「いや、ジェットばあさんの前に、一件寄るところがあるんだ」

「どこへ行くんですか?」

「H城址。心霊スポットで有名なんだけど、聞いたことない?」


 インターネットで見たことがあった。


 確か、戦国時代の城の跡地で、落ち武者や戦で亡くなった女性の霊が出るということで有名な心霊スポットだったはず。


 友人たちとどこかで肝試しをしようかという企画が一瞬持ち上がったが、出不精の人間が多く、結局立ち消えた。その時に調べたのだった。


「そうそう。ここはものすごい有名だから、すぐに実体化するんだよ。だから近くまで来たら定期観測に行くんだ。いつ出てもおかしくないからね」

「幽霊の処理ってことですか?ちなみに幽霊も都市伝説の怪物なんですか?何か、幽霊を怪物とかって言うとちょっと違和感があるような……」

「ふっふっふ、いいところに気づいたね」


 怜がにやりと笑う。


 そしてコーヒーを一口含んでから話し始めた。


「いきなりだけど、音々ちゃんは、幽霊ってなんだと思う?」

「え?幽霊……死んだ人が化けて出てきたものじゃないんですか」

「じゃ、妖怪は?都市伝説の怪物と違う感じする?」

「……違う気がしますね。なんでしょう、妖怪は古いものというか、昔の怪物、化け物って感じです」

「うんうん、逆に都市伝説の怪物は、現代の雰囲気がするよね」

「はい、知っている限りですが、怪物の見た目も現代風のものが多いような」

「そうだよね。でもね、都市伝説処理班では、これらは全部同じものだと考えているんだ」

「え、同じものですか?」


 音々の思う限りではあるが、どれも違うもののように感じる。


 もっとも、どう違うのか明確には答えられない。あくまで言葉のイメージである。


「うん、言葉のイメージって大切だよね。でも例えば、幽霊って昔は妖怪の下位カテゴリだったんだよ。妖怪の一種みたいな扱い。今みたいに幽霊ってものが、妖怪と肩を並べるような、一カテゴリになったのは比較的最近なんだ」

「はぁ~、それは知りませんでした」

「実は妖怪って言葉は、かなり汎用性が高いんだよ。少し乱暴な言い方になるけど、人の理と一線を画した異形のものや不可思議な出来事は、全て妖怪という言葉に集約できると思う。少なくとも昔はそういう言葉として使っていたみたいだね」

「妖怪ってキャラクターありきだと思っていました」

「うん、言葉って変化するからね。特に現代じゃ、漫画やゲームの影響が強いからキャラクターが先行するのも当然だ。ちなみに都市伝説処理班も昔は名前が違ったんだよ。江戸時代なんかは『妖退治所』って言われてたみたいだし」

「え!?」


 名前が違ったことに驚いたのもあるがそれ以上に、江戸時代からこういった組織があったことに驚いた。


 想像以上に歴史の深い組織のようだ。もしかしたら、由緒正しい歴史あるところに就職できたのか。


 それならば多少の不満にも耐えようではないか。


「明治になってからは『迷信啓蒙隊』、戦後に『流言処理課』、それから今の『都市伝説処理班』になったんだ。前にも言った通り、都市伝説=妖怪や不穏な話ってわけじゃないんだけど、恐らく名づけた人が流行に乗ったんだろうね。口裂け女が流行ってた時期だから。でもまぁわかりやすさは大切だしね」


 やはり脈々と続いてきたちゃんとした組織のようだ。


 ただ、少しずつ組織の規模名が小規模のものになっているのが少し気になるところだが。


「そんな風に言葉が変化してきたから、今の処理班では妖怪ではなく、便宜上『怪異』という言葉でくくっているんだ。僕個人で言えば妖怪の方が好きだけど、情報過多の現代じゃ怪異っていう、意味の広い言葉の方が使い勝手がいいんだろうね。だから音々ちゃんもこれからは怪物じゃなくて、怪異って言葉を使うといいよ」

「わかりました」

「まぁそんなわけでH城址の幽霊も怪異の一種ということだ」

 

 話がようやく戻った。


 幽霊=妖怪というのは、まだ実感としてつながらないが、とりあえず幽霊も処理対象ということがわかった。


 ということは、これから私は幽霊を見るのか。


「あはは、大丈夫大丈夫」

「で、でも」

「大丈夫っすよ、ここの怪異は、ただ姿を見せるだけで実害は全くといっていいほどないっすから」

「うん、実害がないから肝試しにちょうどいいんだろうね。天然のお化け屋敷だ。こちらとしては困るけど」


 実害があろうがなかろうが、落ち武者の幽霊など怖いではないか。


 そもそもこの人たちと自分の感覚が全く違う。


 音々もそのうち慣れるのだろうか。しかし、そっち側に行ったら、人として何か大切なものをなくしそうだ。


「いわゆる心霊スポットっていうのは、俺ら処理班としてはありがたくない存在っすね。実体化が早まるし、たくさんの人に怪異を見られる可能性があるっすから」

「そうそう、人間は話を盛る癖があるからね。例えば、落ち武者が人を襲うなんて話がたくさん語り継がれちゃったら危険だね」

「そうっすそうっす。作られた噂がただの噂で終わればいいすけど、どんどん一人歩きして、凶悪な都市伝説として実体化したら本当に危ないっすよ」


 怪異がどのように実体化するかは、結局のところ人々の話の内容による。


 良くも悪くもその噂話通りに実体化してしまうから、話の中身によって危険度が変わるということか。


「ち、ちなみに人が死んでしまったみたいな話はあるんですか?」

「あるよ。ごろごろね」

「ひぇっ」


 怜はいつもの調子で言ったが、それがかえって恐怖を増した。


 聞かなければ良かったかもしれないが、聞かないわけにはいかないだろう。


「噂の広がりや混乱を抑えるため、怪異によるものって言うのは隠して、違う理由で亡くなったことになってるけどね。そんなに珍しい話じゃないよ」

「え、えぇ~、そんなことが……」

「大丈夫大丈夫、音々ちゃんが危ない現場に出ることはまずないよ」


 それが信用できない。


 現に、父から預かった祝詞の書いた冊子を大事に持つよう言っているではないか。もしかしたら、それを使う場面があるという証拠だろう。


 だが、不安や恐怖と同時に、処理班に対する新しい感情が音々の中に芽生えた。


「危険ですけど……世の中の人たちを守る大切な仕事なんですね」

「お、わかってくれた?そうそう、僕らの都市伝説処理班は重要な組織なんだよぉ。だから音々ちゃんも早く処理班を誇りに思うようになってほしいなぁ」


 これでもかと誇らしげに笑う怜。


 褒めがいのない男である。

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