CASE1 ジェットばばあ6

「ち、ちなみにどんな怪物なんですか?」


 悲しいかな、少しずつ実在を信じ始めてもいる音々である。


もし本当に実物を見てしまったら、その時は都市伝説処理班の立派な一員となってしまうのだろう。 


「今日はね、ジェットばばあの処理だよ」

「班長ぉ、ジェットばあさんですよー」 

「あぁ、そうだそうだ。もう、呼び方くらい現場の自由にさせて欲しいなぁ」

「時代は変わってるんですよぉ」

「う~ん、僕だけ取り残されてしまいそうだ」


 ばばあでもばあさんでも正直どちらも良い。


 ジェットばばあ。


 馬鹿馬鹿しいネーミングだ。


 聞いたこともないし、聞きたくもない。できれば人生で関わりたくなかった。


「それで、どんな怪物なんですか?そのジェットばあさんって」

「まぁ行きの道中で話すよ。どうせ車内で時間はあるから」


 行くのは決定のようだ。行きたくないとごねる勇気もない。


「この先も、こうやって現場に出ることがあるから、少しずつ慣れてくれたら嬉しいな。あ、でも音々ちゃんのメインの仕事は事務だから安心してね」


 そんな言葉で安心などできるわけがない。


 本気で音々を安心させたいなら現場に出さないでほしい。


「あんまり乗り気じゃない?」

「い、いえ、乗り気じゃないわけじゃないんですが、ちょっと不安というか」


 この発言がすでに、怪物の存在を信じつつあるということを音々は気づいていない。


「初日だし、本当は社内で仕事っていうのもいいんだろうけど、まずは現場を見てもらった方が僕らの仕事をわかってもらいやすいと思って。音々ちゃんも都市伝説の怪異が本当に実在するのか、確認したいでしょ?」 

「それは、まぁ」


 本当にいるなら見てみたい気持ちは、もちろんある。


 だが、怖いのだ。


 できれば当事者ではなく、動物園の客のようなスタンスで見てみたかった。


「今日は気軽な気持ちで見学してもらえばいいから。それにほら、移動先でも仕事ができるように、パソコンは、このノートパソコンっていうのにしてもらったんだよ」


 怜が音々の机に置かれたノートパソコンを指差す。


 薄いピンクのかわいらしいデザインだ。


「このノートパソコン、私が使っていいんですか?」

「もちろん。音々ちゃん専用のパソコンだよ。持ち運び用のケースだってある。ひばりちゃんがね、たくさん悩んで選んでくれたんだよ」

「そういうの言わなくていいですからぁ」


 ひばりが照れたように髪をいじる。


 これは少し嬉しい。


 自分専用の仕事パソコンを持つなんて、まさしく社会人のようではないか。


 だが、ノートパソコンを持たされることで、どこでも仕事をやらされるという過酷な現実を社会人一年目の音々は知らない。

 

「じゃあ、そろそろ出発しようか」

「も、もう行くんですね」

「大丈夫、危ないことないよ。でも念のため、奏さんからもらった冊子は持っていくようにね。持ってるでしょ?」

「え?あ、はい、これですか?」


 音々はかばんの中から、紐で綴られた少し古びた冊子を取り出す。


 今朝、家を出る時、父に持っていくよう渡されたものだ。


 この薄い冊子には、色々な祝詞とその効果のようなものが書いてある。


 書いてある言葉は古めかしく仰々しいが、内容だけで言うと、ゲームの魔法設定集のようなことが書いてある。


 父が、齢四十五にして中二病に冒されたのかと思ったが、これを渡す時の父は普段あまり見せないような真剣な表情だった。


 確か、これがお前や仲間の身を守ることもあるだろう、と言っていた。


 しかし、もしこの冊子に書いてある祝詞の効力が本当で、今日の現場がこれを必要とするならば……。


「え!?やっぱ危険があるんじゃないですか?本当に安全なんですか?さっき気軽に見学って言いましたよね!?」

「あはは、大丈夫大丈夫。大船に乗ったつもりでいておくれ」


 怜は満面の笑みでサムズアップ。


 憎たらしいことこの上ない。


 音々の悪しき感情を気にすることもなく、怜は口笛を吹きながら、デスクの横に置いてあった黒いリュックサックを持った。


「はい、これー」


 ひばりがノートパソコンをケースに入れて、クリアファイルとともに音々に手渡してきた。


 クリアファイルには結構な量の紙が入っている。


「あ、ありがとうございます。このファイルは?」

「少しずつでいいからぁ、この手書きの報告書を、データに書き写してもらえるー?」

「あ、はい、わかりました」

「デスクトップに『報告書 雛形』っていうのがあるからぁ、それに書いてー」

「ごめんね、僕がパソコン使えないから」

「パソコン苦手なんですか?」

「苦手じゃなくてぇ、全く使えないー。ってか事務仕事のほとんどは班長の書類補佐だからねー」

「いやぁ、面目ない」


 衝撃の事実である。


 庶務と言えば、会社を支える屋台骨のイメージがあったが、まさかのパソコン要員。


 悪い方悪い方に期待が裏切られる。


「というか、何で書類を何でもかんでも全部パソコンにするかなぁ。手書きでもいいじゃない。そのせいで困っている人がたくさんいると思うなぁ」

「班長ほどできない人はいませんよぉ。それに時代はペーパーレスですーって、そんなことはいいから、いってらっしゃーい」


 ひばりがひらひらと手を振る。


「え?み、三車さんは行かないんですか?」

「ひばりー」

「え?」

「三車じゃなくて、ひばりねー、私は音々ちゃんって呼ぶからぁ」


 どうやら名前呼びを所望らしい。


「あ、で、ではひばりさんで」

「あははー、じゃ音々ちゃん、いってらっしゃーい」


 ひばりが満足げに手を振る。

 

 そんなに嬉しいことなのか。彼女も彼女で不思議な空気感の持ち主である。


 ビルの外に出ると、通りに黒の車が止められていた。


 すでに運転席には、虎之丞が座っている。


「音々ちゃんは後ろへどうぞ」

「あ、ありがとうございます」


 運転席に虎之丞、助手席に怜が座る。


 新人の自分が運転しなくていいのだろうかとも思ったが、免許を取ってから一度も運転したことがない超絶ペーパードライバーなので、運転してと言われても正直困る。


 万が一、音々が運転する際は、こちらに命を預けてもらうしかないが、他人の命など欲しくない。おそらく相手も音々に命を預けたくなどないだろう。


 要は音々が運転することは誰の得にもならないとうことだ。それが避けられたことは幸いだった。


「では出発するっすよ!」

 

 虎之丞の運転は、キャラの勢いとは違い、思った以上に丁寧な運転だった。


 車は快調に道路を走っていく。


 天気がいいことだけが幸いである。


 まさしくドライブ日和であるが、音々の気持ちは曇天。ドライブを楽しむ余裕などない。 


「あの~」

「何だい?」

「どこへ行くか聞いていもいいですか?」

「もちろん。あ、うちはね、気になることがあったらとにかく聞けがモットーの一つだから。疑問があったらすぐに聞いてね」

「はぁ」


 正直、疑問は山ほどあるが、どれも失礼な疑問ばかりでさすがに全部は聞けない。


「都内だから安心して。H市って聞いたことあるでしょ」

「あぁ、Hですか」


 区外のエリアだが、広くて人が多く栄えているイメージがある。


 それほど近くもないが、遠くもない。一応知っている場所で一安心である。


「そこの高速道路でね、ジェットばばあが実体化しちゃったんだよ」

「ジェットばあさんっすよ、班長」

「あぁ、そうだそうだ。虎も順応が早いね」

「その、ジェットばあさん?ですか、私知らないんですけど、どんな怪物なんですか?」

「いいねいいね、未知との遭遇っていうのはいつでもわくわくするものだもんね」


 大層な感想を発し、嬉しそうな怜が饒舌に説明を始めた。


 ジェットばあさん。


 要は、高速道路を走っている車に並走してくる、ものすごいスピードの老婆型の怪物だそうだ。


 絵を想像すると不気味だが、どこか滑稽でもある。


「この手の怪異は、高速並走型って言ってね、結構いろんな種類がいるんだ。おばあさん型だけでも100kmばばあとかターボばばあとかいるね。三輪車ばばあなんてのもいたなぁ」

「さ、三輪車ばばあ……あのぉ、おばあさん型だけでもって、それ以外の種類もいるんですか?」

「いるよ~、おじいさん型もいるし、ハイハイする赤ちゃんとか自転車に乗ったサラリーマンとかミサイルにまたがった女子高生とか。共通するのはどれもすごいスピードで並走してくるってことかな」


 言葉だけを聞くと、どれもなんとも馬鹿馬鹿しいものばかりというのが正直な感想である。


 だが、実際に目撃したら恐ろしいだろう。


「まぁ高速道路って単調な道が多いし、長距離ドライバーの中には睡眠不足の人もそれなりにいるだろうから、幻覚を見やすいシチュエーションと言えるよね」

「俺の知り合いのトラック運転手は、ミサイルが飛んできたと思って避けたら、実は壁が迫っていて、避けたおかげで間一髪助かったって言ってたっす。ちなみにこの人みたいに、怪物型じゃなくて、ミサイルや飛行機とか現実的なものを見る人もいるっすね」

「その人は幻覚って気づいた珍しいパターンだね。事故にもならず、運が良かった。大半は幻覚だと思わずにどんどん話が広がっていく」


 怜の言葉を借りるならば、最初は幻覚として見たものが噂として広がり、人の念を糧に実体化したということなのだろう。


「ちなみに、そのジェットばあさんにせいで被害は出ているんですか?」

「いや、まだ大きな被害は出てないよ。高速並走型はその大半が、不可思議なものがただ並走してくるってだけの話だから、たちの悪さで言うとそれほどひどい怪異でもないんだ。でも驚いたドライバーがいつ大事故を起こしてもおかしくないから、すぐに対応しないといけない」


 自分だったら見た瞬間パニックになって、運転技術不足もあいまり大事故を引き起こしてしまいそうだ。


 これでそれほどたちが悪くないのか。


 ならば、たちの悪い怪物というのはどれほど悪いのだろう。知りたい気もするが恐ろしくて、今はまだ聞けない。


「ジェットばあさんみたいな高速並走型の話は、薄く長く色んなところで語り継がれるから、単体ではそれほど早く実体化はしないけど、色んな場所で定期的に実体化するんだよ」

「薄く長くですか。じゃあ例えば、口裂け女みたいに爆発的に話が広がるのとかとはまた違うんですね」

「そうそう、イメージとしては、人の念が集まって、大きなバケツの水が溢れたら実体化みたいな感じだから、実体化には早い遅いがあるんだ。うん、理解が早いね」

「へ、へへへ、そうですか?」


 褒められるのは素直に嬉しい。

 

 これまでの人生で褒められたことが少ないので、つい必要以上に喜んでしまう音々である。


 だが褒められた内容が何とも怪しい話についてなので同時に悲しくもなる。


 それにしても少しずつ怪物の実在を信じている自分がいる。


 怜が当たり前のように話すからだが、本当に見てしまったら信じるしかないだろう。


 その時が極めて不安だ。自分はどうなってしまうのか。


 悶々とする音々を尻目に車は無事、目的地であるH市に到着した。

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