CASE1 ジェットばばあ5

本日2話目。


本日2話更新です。


**********



「ちょっとぉ、無駄に怖がらせないでくださいー」


 ひばりが怜の肩を叩いた。


 その彼女の声で、音々の中に生じていた恐怖は一瞬で霧散した。


「ごめんごめん、つい雰囲気出したくなっちゃって」

「ここで雰囲気出す意味がわかんないんですけどぉ」

「いや、何かそれっぽい感じにしたくて」


 わざとか。


 まんまと引っ掛かってしまった。


「まぁ要はね、理屈じゃ説明できない人の思いの強さっていうのがあるってこと。その思いが怪異を実体化するんだ」

「話は何となくわかりましたが、その、正直、ちょっと信じられないというか……」

「うん、大丈夫だよ。こればっかりはね、自分で見ないと」


 自分で見る。恐ろしい話だ。


 やはり本当に実在するのか。


 あまりにも怜の言い方が自然で、信じてしまいそうになる。


 しかし、あんな怪物たちが実在するわけがない。というか、実在していては、たまったものではない。


「とりあえず今は、一般の人たちが都市伝説の怪異に出会わないようにするのが、僕らの仕事ってことを知ってもらえればいい。内々に怪異を処理して、噂として片づけ、風化させる。実体化したものさえいなくなれば、人間の性で噂はいずれ消滅するからね」

「それは、理解できました」


 残念ながら内容は理解はできてしまった。もちろん、くどいようだが信じる信じないは別である。


 だが、ようやく仕事の詳細が見えてきた。


 要は、実在する都市伝説の怪物たちを秘密裡に処理する仕事というわけだ。


 だが、肝心のところがよくわからない。


「ちなみに処理ってどうやってするんですか?その、え~と、怪物の近くに行ったりするんですかね?」

「行くよ。近づかないと処理できないからね」

「え?それって、危なくないんですか?」

「…………あ、危なくないよ」


 嘘だ。


 妙な間に加え、声は震えて、目は泳いでいる


 音々もすぐ嘘がばれてしまうタイプの人間だが、この人ほどわかりやすくはないだろう。


 やはり危ない仕事のようだ。


 漫画やアニメのように、怪物と切った張ったをするということだろうか。


「だ、大丈夫だよ。危なくないように注意すれば危なくない」

「それは当たり前では……」

「それに命の危険になるような事件はそうそうないから安心して」

「命にかかわるようなことがあるんですか!?」

「まぁ警察の仕事とそう変わりないですよぉ、相手取るのが人か怪異かってだけでー」

「うぅぅぅ」


 最後の望みであるひばりも、そちら側に行ってしまった。やはり彼女もこの処理班の一員、変人の一派なのだ。 


 しかし、怪物も怖いが、無職も怖い。


 それに一日で仕事を辞めるような人間を雇ってくれるところは、ほとんどないだろう。更には父の顔を潰すことになる。


 やるしかないのか。


 しかし、ここで音々はふと重大な事実を思い出す。


 そういえば、自分は庶務として雇われたはず。いわゆる事務方、バックサポートである。


 ならば現場で怪物の相手をすることはないのではないか。


 もしかしたら光明が見えてきたかもしれない。


「え~と、私って、庶務で採用されたんですよね」

「え?うん、そうだよ。パートさんが辞めちゃって大変だったから来てくれて嬉しいよ」

「その、庶務ってことは、現場に出ることはないんですよね?怪物と対面することってないですよね?だって事務の仕事ですもんね?」

「え?出るよ?」


 怜が少し驚いた表情で恐ろしいことを言った。


「ど、どうしてですか?」

「だって、庶務とか総務って何でも屋みたいなものでしょ?」


 そうだったのか。


 一般社会の知識が乏しい音々にとって衝撃の事実だった。


 庶務とは、そんな苦しい激務の仕事だったのか。


「ちょっとぉ、語弊がありますよー。全国の総務庶務の人を敵に回すつもりですかぁ?」

「でもほらよく権田橋さんが言ってるじゃない」

「あの人はちょっと特別ですからぁ。庶務に現場の仕事をさせるところって、普通あんまりないと思いますー」

「そうなのか。でもほら奏さんも、音々ちゃんに素質はあるって言ってたし、事務の仕事だけじゃもったいないよ」

「まぁそれはそうですけどぉー」


 やはり音々の認識は間違ってなかった。


 この職場がおかしいだけだ。


 ここにいる以上、どうやら怪物との出会いは避けられないのだろう。


 怪物が実在するというのが、彼らの妄想であることを切に願う。ただの妄想に付き合うだけなら、何とか我慢できるだろう。


 それにしても何やら父が余計なことを言ったらしい。素質があるだと?数多の企業に落ちた自分に何の才能があるというのか。


 父は何としても娘を就職させるため、話を盛ったに違いない。職場の人たちに妙な期待を持たせないでほしい。ハードルが上がってしまうではないか。


「大丈夫だよ、体を張るのは僕らだし、音々ちゃんのメインの仕事は事務。それに、音々ちゃんが現場に出る時は僕らがしっかり守るから。あんまり心配しないでほしいな」


 怜は少し申し訳なさそうに言った。


 とりあえず今度は嘘はついていないようだ。


 とにかく怪しさ100%だが、根は良い人というのは間違いなさそうだ。


「だからよろしく頼むよ。来てくれて本当に嬉しい。僕らは音々ちゃんが来るのを今か今かと待っていたんだよ」

「は、はい。こちらこそ」


 流されやすい自分をどうにかしたいが、とりあえずどんな状況でも頼りにされるというのは嬉しい。


 この人たちは本当に自分を頼りにしている。


 常識的な部分に目をつむる必要はあるが、新入社員に対してクラッカーまで鳴らして歓迎してくれる会社はあるだろうか。


 たとえ変な人たちだろうとも、その優しさは、社会の荒波に心を傷つけられた音々にとって染みるものがあった。


「どれほどお力になれるかわかりませんが、がんばります」

「うん、こちらこそ!いやぁ良かった。不安げだったから心配したよ。ねぇ?ひばりちゃん」

「班長がもっとまともな人だったら、不安にならなかったと思うんですけどぉ」


 それは確かである。


 不気味なビルに、クラッカーの出迎え。加えて荒唐無稽な話の数々。


 この状況で不安にならない人間がいたらお目にかかりたいものだ。


 せめて班長がもっとしっかりした人間だったら多少は不安が緩和されたに違いない。 


 しかし、現実は不安を助長するのみの班長。ままならない。


「車回してきたっすよ!あれ?」


 入り口から大きな声が聞こえた。


「おぉ、虎、ありがとう。こっちこっち」

「そっちにいたっすね、あ!」


 黒のジャージを着た背の高い坊主の男が現れた。


 目が合ったが、びっくりしたこともあり、思わずすぐにそらしてしまった。


「虎、ありがとう。ところで総務の権田橋さん、何か言ってた?」

「あぁ、俺が行った時にしてた電話の相手、班長だったっすね。ちょっと怒ってたっすよ」

「やっぱり怒ってたかぁ」

「新年度だし、これから厳しくするって言ってったっす。とりあえず申請書や領収書は早めに出さないと処理しないって」

「うわぁ、本当かい?まいったなぁ」

「班長ー、普通のことだと思うんですけどぉ」

「でもまぁ、音々ちゃんが来てくれたし、これから事務関係は大丈夫大丈夫」


 怜がこちらにガッツポーズを向けてくる。


 変人で、だらしなくて、部下からの尊敬もなさそうなこの人は何かできるのだろう。


「あ、新しい人っすね!」


 はきはきとした発声でスポーツマンさながらの爽やかな出で立ち。インドアで引っ込み思案な音々とは対極に位置する人種である。


 一見、業者の人間のようにも見えるが、話しているのを聞く限り、どうやらこの人も処理班の班員のようだ。


「初めまして、俺は円禅寺虎之丞っす。よろしくお願いしゃっす」

「木林音々です……え、円禅寺、虎之丞さん、ですね?よろしくお願いします」


 ずいぶんと仰々しい名前である。いいところの出だろうか。


 だが、眩しいほどに賑やかで元気な様子は、良家のお坊ちゃんという感じもあまりしない。単に名前だけだろうか。


「虎でいいっすよ!確か同じ年齢っすよね?」

「え?そうなんですか?」

「はい、俺は高校出てすぐ働いたっすけど」


 職場に同じ年齢の人がいるというのは正直嬉しい。


 ただ、音々は短大卒なので、同じ年齢といっても社会人としては二年先輩である。社会の一年は大きいと聞く。気軽に振る舞う事はできない。


「え~と、じゃ虎さんで」

「はい、お願いしゃっす、音々さん!」


 手を差し出してくる。握手を求めているのだろう。


 距離の詰め方がえぐい。


 特に音々のような日陰の人間にはつらいスピード感だ。


 しかし、握り返さないわけにはいかないだろう。おずおずと控え目に握る。


「じゃ、私もー」

「え?」


 何故か握手に便乗してくるひばり。


 もしかして少し羨ましくなったのか。それならかわいすぎる。


 だが、そんな感想よりもギャルの手を握ることに緊張してしまう。手汗は大丈夫だろうか。


「……はぁ~」


 白魚のような手とはこのことか。思わず変なため息が出てしまった。


「ひばりさんは俺らより二つ上っす。ひばりさんも高卒からここにいるから四年目っすね」

「ちょっと虎ぁ、人の年齢言わないでくれるー?」

「あ、すんません。でも最初はこういうのって大事だと思うっすよ」

「だからぁ、あんたが言わなくてもそのうち自分で言うからぁ」


 ひばりは少し不満げだが、正直助かった。


 新人にとって、誰が何歳で社歴がどうというのは意外と大切なのだ。虎之丞のファインプレーである。


「ちなみにね、僕は二十九だよ」


 話に入りたかったのが、怜が強引にカットインしてきた。


 二十九の割には、見た目も言動も若く見える。落ち着きのなさがそうさせるのだろう。


「同じ年代の人が来てくれて嬉しいっすよ!」 

「うんうん、全くだね」

「アラサーの班長はこっち側じゃないと思うんですけどー」

「え?まだ二十代だし、僕も入れておくれよ」

「ってかぁ、年齢以前の問題だと思いますけどぉ。パソコンとスマホを使えるようになってから言ってくださいー」

「う、それを言われると……まぁとにもかくにも、みんな仲良くできそうで良かった」


 自分への仕打ちは大して気にしていないのか、怜は微笑ましいといった様子で、うんうんと頷く。


 どこを見てそう思えるのだろう。音々のちょっと引き気味の様子は目に入っていないのか。


「音々さん、元気ないっすね、緊張してるんすか?」

「へっ?」


 虎が大きな体を曲げて、顔を覗き込んでくる。


 来てすぐというのに、意外と人をよく見るタイプなのかもしれない。音々がわかりやすいという可能性ももちろんある。


「い、いえ、大丈夫です!」

「知らないことたくさんだったからぁ、カルチャーショックってやつだと思うー」

「そうすか、大変すね。確かに奏太郎さん、出社するまで何があるかわからないから、本人に内情は話さないって言ってったすね。俺らのことが外にばれたら少しまずいっすから」


 なるほど、父が話さなかった理由がようやくわかった。


 音々が土壇場で、やっぱり行くのやめると言いかねないと危惧していたのだ。


 さすがは父親。憎たらしいがよく読んでいる。娘は今現在も逃げ出したい気持ちでいっぱいです。


「でも大丈夫っすよ、ここ、良い人ばっかだし、すぐ慣れると思うっす」


 ここの人がどうこうではない。虎之丞の言う通り、変な人たちだが悪い人ではなさそうなのはわかってきた。


 ただ、怪物相手というわけのわからない仕事が嫌なのだ。


「まぁ初めてのことだらけで不安はあるよね。うんうん、わかるわかる」


 怜がしたり顔で言う。


 絶対にわかっていない。


 そして、不安の一因でもある張本人が何を言っているのか。


「まずはほら、百聞は一見にしかずっていうし、まずは現場を見てみようか。今日はちょうどいい検体がいるから」

「え?」

「僕らの言っていることが本当か知りたいでしょ?実体化した怪異、見たくない?」


 見たいか見たくないかで言ったら。


 そりゃ見たい。

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