7-siete:斬る、そして、殺す

「何? ラグリーニヤの連中が来てる?」

「はい……間違いないです。周囲を固めていた連中との連絡が途絶えました。最後に報告が入ったのは血に染まったような紅いスーツの男……ラグリーニヤのカルロ・グロッゾと思われます」


 デ・ピート地区を支配しているマフィアの本部──六層からなる建物の最上階。そこでハットを被った小太りの頭領が高級ソファに腰を掛けながら酒を煽っていた時のことだった。唐突に駆け込んできた部下から報告を聞いて、小さく舌打ちをした。


「野郎……最近勢力を伸ばしてラグリーニヤを支配したと聞いてはいたが、いよいよウチにまで来るとは、だいぶ調子に乗ってるなぁ……」

「迎撃の準備をします」

「おう。一人も逃すなよ。俺たちの怖さを骨の髄まで叩き込んでやれ」


 はいっ! と部下が景気よく返事をした直後、機関銃の火を噴く音が階下から聞こえてくる。

 機関銃や散弾銃を手に取り、部下が部屋にいた仲間数人に声をかけて扉の外へ雪崩れ込む。

 頭領はその様子をソファに座りながら眺めていた。


「ま、せいぜいここまで来れるもんなら来てみな……このビルには二百人の部下を待機させている。兵器の数はその倍だ。生半可な戦力で落とせるとは思わないことだ──」


 上ってくるたびに敵兵の数は減るだろう。しかも彼の持つ戦力は五階から上が全員軍人崩れであり、歴戦の猛者を配置している。最上階まで来ることはない。

 そう、高を括って愛用の葉巻に火を点けた時だった。

 銃声が、すぐ扉の外まで聞こえてきた。


「──あ? おい、そこまで来てんのか? っつか、いくらなんでも早すぎねぇか?」


 報告があったのは二分ほど前だ。

 連絡が途絶えてから自分に伝わるまでの時間差を考慮しても、ラグリーニヤの連中が襲撃を掛けてから五分程度しか経っていない。

 たった五分で、五階までの部下が全滅したのか。

 ぴくり、と彼の左眉がわずかに跳ねる。


 それと同時だった。


「がっ──なんだ、この女……ッ」

「撃てッ! 撃て撃てッ! 一斉にかかればこんなメイド……ッ」

「嘘だろ、銃が効かねぇッ! 全部斬り落とされ──ぎッ!」


 斬、と刃物によって鋭く切り裂かれる音がした。部下たちの悲鳴に近い叫び声が、電源の落ちたテレビのように途切れる。

 開いた扉に鮮血が飛び散った。床に向けてゆっくりと垂れていくのに合わせて、一人の人間がずるりと姿を現した。


 いや──それは果たして人間だったのか。

 頭領である彼には、現れた人間が悪魔のように見えていた。


「メイ、ド……?」


 白と黒を基調にした、伝統的クラシカルなロングスカートのメイド服……だろう。だが、今は見るも無残に鮮血で汚れていた。すべて返り血だ。彼女はかすり傷一つ負っていない。漆黒のヴェールを頭から深くかぶっており、目は黒い帯で覆われていた。

 そして、腰にはあまりにも違和感の強い黒鞘の刀──。


「なんだ、テメェ……。まさかテメェが、俺の部下を一掃したってのか」


 メイドは何も答えない。

 代わりに、背後から現れた男が答えた。


「やぁ。デ・ピート地区を仕切る、メキシコ屈指のマフィア様……こんな不躾な訪問の仕方で誠に申し訳ない。ここに非礼を詫びさせてもらおう」


 頭から血を浴びたかのように紅いスーツの男──カルロ・グロッゾ。 

 恭しく頭を下げる。心から滲み出る謝罪は、まさしく本物だろう。

 だが、この状況でそれを行うことが何を意味するか──。


「白々しい……ッ! そのメイドはなんだッ!」

「私は彼女の主だ──しかし、少々コミュニケーションが下手でね。代わりに私がお答えしましょう。彼女は殺害に特化した戦闘兵器です。私以外の人間が彼女に近づけば、敵味方問わず皆殺しとなります。ご注意を」


「はぁ……?」

「しかし、私もできれば穏便に済ませたかった。私はあくまで協定を結ばないか、という話し合いに来たのですから。だが、入り口付近にいたあなたの部下が、彼女の魅力的なプロポーションに惹かれて暴行を働こうとしたのです。今この状況は故の結果だ。ご理解いただけましたかな?」


 どの口がほざくか。

 彼に遅れて背後で集団を作る部下たちも、半ば呆れた表情で自分たちのボスを見つめていた。


 カルロはアジトの周りで警備するマフィアを確認した瞬間、メイドを連れてあろうことか「この子を買わないか」と言い出したのだ。疑いながらも品定めをしようと男たちがメイドに近付き──。


 話し合いをする気など、皆無だっただろうに。


「ところで……今吸っている葉巻はどこのメーカーのものかな?」

「ああ……?」

「お教え願いたい。こう見えて私は葉巻に目がなくてね……コレクションしているんですよ」

「……モンテクラストだ」


 答えを聞いた瞬間、カルロは嘲るように鼻で息を吐き、


「道理で。醜い男が吸う葉巻もたかが知れてるな──臭いぞ」


 その一言が、撃鉄を起こした。


「ふざけんな、ふざけんなよテメェッッ!」


 当然、デ・ピート地区のボスは顔を真っ赤にして激昂する。

 叫びを合図に、部下たちがメイドとカルロ目掛けて銃口を向けた。


「行きなさい」


 だが、カルロは不敵な笑みを浮かべたまま、メイドの背中を押して前進させた。


「殺せぇッッ!」


 激怒に震えた指で引き金を絞ろうとするデ・ピート地区のマフィアたち。

 その指が動く刹那──よろけたメイドが、彼らに近づく。


 距離。

 半径、

 二メートル。


 ──血祭りが幕を開けた。


 一人の男の腸が大量の血と一緒にまろび出る。

 呻き声を上げる間もなく、男が倒れた。


「この……ッ」


 もう一人の男がメイドの頭に銃口を向ける。


 その腕を──。

 斬、という音がした。

 ──切断した。


 跳ね上がった銃口が男の方を向く。斬り落とされたことに気づかない指が脳の命令を全うした。引き金が絞られる。腕を斬り落とされた男の頭蓋に風穴が開く。

 脇を通り過ぎたメイドに脳漿がこびりついた。しかし、それでもメイドは見向きもせずに死地を闊歩する。鮮血の垂れる刀身が、薄暗い部屋の光をぎらりと反射させていた。


「う……ッ」

「ば、馬鹿野郎ッ! 怯むな! 遠間からハチの巣にしてやれッッ!」


 距離を取って集中砲火を浴びせるために、二人の男が銃を構えた。

 だが、彼らはメイドが放つあまりにも強烈な存在感のせいで見落としていた。


 敵は彼女だけではない。

 ドドドッッ! と銃声がいくつも鳴り響く。


 メイドを襲撃する音ではない。

 彼女の背後で佇むカルロと、部下たちの銃声だ。


「ク──クソッッ!」

「ひっ──来るんじゃねぇッ!」


 残りは頭領を入れて三名。仲間が次々と殺されていく惨状に、猛烈な恐怖がデ・ピート地区のマフィアを襲った。

 横断歩道を渡るかのようにゆっくりとした足取りで近づくメイドに向けて、同時に発砲する。

 だが、弾丸がメイドに命中することはなく、

 並ぶ二人まとめて、一刀の下に体を両断された。

 屠殺場を彷彿とさせる光景になった部屋の中で、メイドが最後の一人に向けて歩み寄る。


「なんなんだよ……なんなんだよ、テメェはァッッ!」


 背後は壁と窓。前には死。

 逃げ場などどこにもない。自分の最期を悟った頭領はせめて理不尽だけでも解明しようと咆哮を上げるが──。


「やれやれ、醜いと頭まで悪いか。そのメイドは何も言わない。言うわけがない。なぜなら兵器なのだから──もう一度尋ねよう。理解してもらえたかな?」


 返答を聞くよりも早く。

 メイドが刀を振り抜いた。


 無感情に、無感動に。そうすることしか知らない機械のように。

 首が飛ぶ。刎ねられた首が窓に当たり、カルロの足元まで転がってきた。


 鮮血の噴水を浴びながら、カルロが葉巻を取り出した。

 祝い事など特別な時にしか吸わない──彼をメイドの主たらしめた運命の葉巻。

 シガーカッターで葉巻の先端を、丸みを持たせながら切り落とす。

 ターボライターで切り口の周囲を炙るようにして火を点ける。


 立ち上る煙は、勝利を告げる狼煙だった。


 薫りを肺で堪能し、ゆっくりと吐き出す。メイドの首が彼の方に向いた。

 カルロは血だまりで汚れることも厭わずに、生首となった頭領の許で膝をつく。


「──分かるか? これが本物の味だ。よかったな、おまえは至高を味わって逝ったのだ」


 開いた口に葉巻の吸い口を当て、吸わせるような動作をした。

 彼なりの──同じ嗜好を持つ者への弔いだった。

 それが合図となった。

 扉の付近で事の成り行きを見つめていた部下たちから鬨の声が上がった。

 勝利の美酒ならぬ勝利の芳香を愉しみながら、カルロは腰を上げて部下の許へ戻る。


「すげぇ……なんなんですか、そのメイド! 最強じゃあないですか!」

「こりゃあ、メイドを怪しんだ俺たちが悪いですね……アイツが死ぬのも当然か」

「そう言って、おまえだってアイツに同意してたじゃねぇか」

「言うなよッ! でもまぁ、こんな半端じゃねぇところ見せられたら、認めるしかねぇな」


 わいのわいの、とそれぞれでメイドが見せつけた剣鬼っぷりを称賛する。

 そんな様子に頬を緩めたカルロが葉巻を吸いながら、


「そうだろう。彼女はこれから私が管理し……勢力を広げる際の強力な武器として待遇する。異論ある者はいるか?」


 いるはずがない。結果に満足したカルロがメイドの方へ振り返る。

 頭に手を置き、慈しむように撫でながら、


「私以外近づくことのできないのが勿体ないがな……、まぁいい。君は私の傍に置こう。光栄に思いたまえ。メキシコの王の側近だ。相応しい待遇でもてなそう」


 そう呟いた。

 瞬間、だった。





「あなた──私が壊れているとでもお思いですか?」





 心が壊れているはずのメイドから、そんな声が聞こえてきた。


「……え?」


 時間が凍る。世界が停まる。

 誰も彼もの心臓が停止した。


「あなたのような屑が、この世に蔓延っているから……」


 この場の全員が、目の前で佇む死を見つめることしかできなかった。




「よくも──私の主を殺したな?」




 ぐちゃり、と。

 メイドの口に歪な笑みが浮かんだ。




「──あ」


 今度は幻聴でも、幻覚でも、なかった。

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