5-cinco:運命の葉巻

 ──夜。網膜を焼くような色とりどりの光線が降り注ぐ街を避け、昨夜メイドと遭遇した道にカルロはいた。


 彼は情報の真偽を確かめたかった。


 カトリーヌの情報を疑っているわけではないが、やはり自分の目で確かめたい──。

 頭で昨夜の映像を再生しながら、金で装飾された腕時計を見る。

 あのメイドと遭遇した時間まであと少し。


 時間と場所は再現しているが、足りないものがある。

「ボス……こんな人気のないところでどうしたんですか」

「ああ、呼び出してすまないな。ちょっと大事な話がしたくてね」


 彼は黒スーツの部下を一人呼び出していた。

 何のためか。そんなもの、言うまでもない。


「君は今日──ミスをしたな。我々に金を借りている企業から、回収できなかったそうじゃないか。おかげで今月の稼ぎが10%マイナスだ」

「あ、……すいやせん。でも、あそこは老夫婦で……従業員を食わせるために自分たちの身銭を切ってるって知っちまって、ウチのじーちゃんばーちゃんもそんな感じで農場やってっから、どーにも強く出れないんすよ……」

「そうか。身内を思いやる気持ちは大事だ。君はマフィアにしては優しい人間だな」

「来月。来月にはまとまった金が入るそうなんす。そん時キッチリ回収しますんで……ボス、どうか時間を与えてやってはくれませんか」


 丁寧な所作で頭を下げる。誠心誠意、心から老夫婦を思いやって懇願している。

 優しい人格である部下の真剣な姿を見て、カルロの口元に笑みが浮かんだ。


「分かった。君に免じて待ってやろう。ただし、必ず回収しろよ」

「必ずッ! ありがとうございます!」


 カルロの言葉を聞いた部下は一気に表情を明るくした。


「そうだ──一つお使いを頼まれてはくれないか?」

「あ、はい……お使いですか?」

「ああ。この道の奥を行ったところに自販機がある。ちょっとコーヒーを買ってきてくれ。金は渡す。無糖だ。私はここで待っている」


 わかりました。そうハッキリと返事をして部下はカルロから離れて道を走る。

 カルロは腕時計を見る。

 時間に寸分の狂いはない。

 男が走っていった道の先に自販機などない。



 刀を提げたメイドが一人、いるだけだ。



 どしゅ、という音がした。

 湿った肉が切り裂かれる音だった。

 どちゃ、という音がした。

 水分を含んだ大きな塊が、地面に倒れるような音だった。


「────」


 古いのだろう。今更ながら街灯が点いた。不規則に点滅している。

 その下で、返り血に濡れたメイドが佇んでいた。

 黒スーツの部下が彼女の脇を通り過ぎようとし、刃圏に入ってしまったのだ。


「悪意がなかろうが、近付く者は皆殺し──情報に偽りなしか。さすがカトリーヌだ」


 ごろんごろん、と固いボールが闇の中で転がる音がした。

 だが、それは本当にボールだったのだろうか。確かめる者はいない。


「昨夜、返り討ちにしたとはいえ襲われ掛けた地点に時間の狂いもなく現れる……ナイトルーティーンにしては不自然だ。なるほど、正気の沙汰ではない、か」


 懐から携帯を取り出す。特殊な電波を介する、組織内でしか傍受できない機器だ。


「私だ。あの老夫婦から回収できていない金を今すぐ回収しろ。……ああ、殺しても構わん」


 了解、という声だけが返ってきた。

 通話を終え、カルロはメイドに向けて正面から歩み寄る。刃圏に入らないように、慎重に。


「やぁ、初めまして。私の名前はカルロ・グロッゾ。この街の治安維持を担当している。あなたの剣技は素晴らしい……ぜひとも、その力を治安維持のために貸していただけないだろうか」


 まずは挨拶──無論、治安維持など詭弁も甚だしい。しかし、この場はそれでよかった。メイドが自分を認識すること。それが重要だった。


 だが、メイドは全く反応しない。声など聞こえていないとでも言わんばかりに、首を垂れたままふらふらとした足取りで血だまりを踏みしめ、カルロの方へ歩み寄る。

 気が狂っている。心が壊れている。


 なるほど、思考すら破綻しているとするのなら、応答も怪しいか──カルロはそう判断し、次なる手段に移った。


「──止まり給え」


 ちゃき、と命をあまりにも軽々しく扱う鉄塊を構えた。


「これは本物だ。命が惜しければ……今すぐ立ち止まれ」


 撃鉄を起こす。あとは指に掛かっている引き金を絞れば銃弾が火を噴く。

 人間の命など容易く吹き飛ばす、暴力の権化がメイドを襲う。

 しかし、カルロ自身分かっていた。昨夜の絶技を見た後では、銃など脅しにもならない。

 よって、彼が見たいのは反応だ。メイドが銃を目にし、どういう反応をするかで認識の仕方を探っていく。明確な反応があればそこからアプローチを仕掛ける──。

 だが、それでもメイドは無反応。

 ふらふらと。相変わらず一定の速度でカルロと距離を縮めてくる。


「────ッ」


 彼は導火線に火の点いた爆弾の前にいる気分だった。

 敵意に対し敏感かもしれない──カトリーヌと話した内容を思い出す。

 この銃口から放たれる、敵意という弾丸が彼女を貫いた時、彼の首は胴と泣き別れになる。

 それが分かっているから、恐怖に喚く心臓を抑えられないのだ。

 メイドが迫る。確実な死を携えて。

 彼女の姿が死神のように見える。


「なるほど……こんな緊張、まるで初恋の相手を前にした時のようだ……」


 恋と恐怖は似る。

 吊り橋効果という言葉があるように、人は恐怖の緊張を一緒にいる異性への恋心と勘違いすることがある。今のカルロはまさにその状況に陥っていた。

 昨夜見た凄絶なる剣技──見る者を惹きつける危険な魅力が、彼の心を奪ったのだ。


「欲しい……君が欲しいんだ……ッ」


 メイドの耳も目も、機能しているか定かではない。

 心は破綻している可能性が高い。

 それでも──、


「君という刀を、私に握らせてくれ……」


 引き金を絞る。

 敵意が明確な形となり、メイドのヴェールを掠めていった。

 だが、しかし。

 メイドは、歩みを止めない。


「……嘘だろう?」


 当てるつもりは最初からなかった。

 その心すら見抜いていたのか、メイドは全く反応すらしなかった。

 銃を突き付けられ、銃声が鳴り響き、銃弾が顔の横を通っても。

 メイドは──鋼の刀であり続けた。


「確定だ……このメイドは壊れている。目も耳も機能していない。心も感情もない──純粋無垢な……殺戮するためだけの兵器だ」


 銃を下ろす。もうじき彼女の刃圏に入ってしまう。

 腕の長さも考慮して、二メートルは確保しておかねばならない。

 距離を取って、また手なずける方法を考えねば──、

 そう考え、大きく後退しながら葉巻を取り出す。

 思考を回すために一服しようとし、火を点けて薫りを漂わせる。


「──おっと、私としたことが」


 だが、立ち上る薫りは特別な時にしか吸わない、貴重な葉巻のものだった。

 メイドの存在に中てられたか──冷静ではない自分を恥じる。しかし、火の点いたこの葉巻を消すのももったいない……。


「さて、どうしたものか」


 メイドと葉巻。両方の意味を込めて呟いた時だった。



 メイドが、目の前に出現した。



「なっ……」


 いつの間に──。

 思わぬ反応にカルロの足が止まる。しまった、と思ったがもう遅い。


 半径二メートル、ここは死の半径だ。

 殺される。具現化した終わりが突き付けられる。


 ぞぁッッ! とこれまで感じたことのない悪寒が心臓を締め上げるが──予定していた未来は訪れなかった。

 メイドは顔を上げたまま、足を止めていた。

 黒い帯で覆われた目が、カルロをまっすぐに見つめていた。


「────、……斬られ、ない……?」


 手を伸ばせば届く距離、つまりここは即死圏内であるはずだ。

 だが、メイドはいつまで経っても彼を斬らなかった。

 それどころか、永く探し求めていた恋人を見つけたかのように、彼女はカルロを見つめる。


「どうして……」


 なぜ、メイドは自分を殺さないのか。

 カルロには全く心当たりがなかった。条件を洗い出そうとしても、決定的な証拠にはなりやしない。仕組みもカラクリも分からないまま、彼は望んだ結果を得た。


「──目は、どうしたんだ」


 震える声で尋ねても、メイドは何も答えない。

 小さく高い鼻。血色が悪く、薄紫色になった唇。真一文字に閉じられた口が開く気配はない。全体的に小顔だ。もしも彼女の目が帯で覆われていなければ、猫のように大きく開かれた瞳を見ることができただろう。

 間違いなく素顔は美人に属する部類だ。

 実にもったいない──とカルロは率直に思った。


「主を殺されさえしなければ……君は幸せになれていただろうに」


 呟いた瞬間だった。

 ふわり、と指で挟んでいた葉巻から薫りが漂う。


「────」


 カトリーヌが褒めたこの薫りがカルロの鼻腔を擽るのと同時に、彼の思考に電撃が走った。


「待て。そうだ……このメイドは確か……」


 主を殺されて、心が壊れた。

 今では近付く者を主の敵とみなし、皆殺しにする殺人鬼。

 持っている刀は、おそらくだが主の形見。

 つまり。


「……このメイドは、亡くなった主に執着している……」


 ならば。

 今、この場で殺されないということは。


……?」


 それしかありえない。彼女がこの世界で殺さない人間は、彼女の主だけだ。

 だが、どうして。なぜそう認識されたか。

 理由はすぐに思いついた。

 これしかなかった。


「──葉巻、か」


 どこを探しても見つからない、謎の葉巻。薫りは今まで嗅いだことのないくらいに洗練されたもので、これまで吸ってきた全ての葉巻が霞むほど上品なものだ。

 カトリーヌが言った。まさか自家製かと。

 まさしくその通り──この葉巻は、彼が仕事で殺した男の自家製であり、世に出回ることのない幻の一品だったのだ。


「……そうか、。君は、他の感覚より嗅覚が研ぎ澄まされているのか」


 光を失い、耳も聞こえているか定かではない。

 ゆえにこのメイドは──嗅覚を頼りに生きているのだ。

 生前に覚えた主の匂いこそが、この葉巻の薫りだったということだ。


 そういえば、とカルロは思い出した。

 昨夜、初めてメイドと遭遇した時のこと。

 彼女が一瞬だけ自分の方向を見た。

 あれは自分ではなく──地面に落とした例の葉巻を見つめていたのだ。


 漂う薫りを嗅ぎ取って。


「つまり、私がかつて殺した男が……このメイドの主だったのか」


 すなわち、彼女が真に殺すべきは自分であるということ──。

 そう理解した瞬間、



「よクも──私ノ主を殺シたナ?」



 ぐちゃり、と。

 メイドの口に歪な笑みが浮かんだ。

 


「…………ッ」


 ──気がした。

 体の中心を氷の槍が貫いたような悪寒が走った。

 今のは幻聴で、幻覚だった。目の前のメイドは相変わらず鉄面皮を貫いている。


「……ぁ、は……ッ! そう、か……そういうこと、か……」


 このメイドは心が壊れており、現実を正しく認識できていない。

 唯一彼女が動く理由は、主のため。


「──これは、僥倖だ……」


 メイドの真実を悟った彼は、冷や汗を浮かべながら笑みを作る。


「やはり私は、王に相応しい器ということなのかもしれない」


 なぜなら、神に愛されているから。


「こんなことがあるか……? 彼女にとって私は仇だ。彼女が壊れてまで追い求めた、怨恨の権化そのものだ。なのに……彼女は私を殺さない。殺せない。主を殺すことなど──できないのだから」


 手を伸ばす。葉巻を持っていない方の手を、彼女の頬に。

 指先が触れる。冷たい──血が通っているかも定かではない。

 まさしく殺戮兵器。殺人の人形。人殺しの兵器と成り果てた存在。


「ふふふ……ふははははははははははッ!」


 こんな容易く、最も焦がれたものを手に入れてしまった。


「いいだろう……私が主だ。君が殺すべき存在は私が用意しよう……」


 そんな呆気ない結果に戸惑いを隠すことはできなかったが、すべてが思い通りに進んでいる今の状況に浮かれないでいることなど、さすがのカルロもできなかった。


「善は急げだ。今すぐデ・ピート地区を支配しているマフィアに抗争を仕掛ける」


 殺戮兵器──もとい、殺人メイドを手に入れた彼は、いつもより弾んだ声で部下に電話を掛けた。

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