3-tres:殺人メイド
──カルロが明るいネオンの照らす大通りから外れ、誰も近づかないだろうという道に差し掛かった時のことだった。
「ん……? なんだ、あれは」
点滅する街灯の下。マフィアと悪党と売春婦が跋扈するこの街の雰囲気とはかけ離れた存在が浮き彫りになっていた。
「メイド……? こんな時間、こんな場所に?」
白と黒で構成された
その理由として一つ目。足取りが覚束ない。
千鳥足……というほどではないが、明らかに正気な人間の歩く様子ではない。ゆっくりと、ゆっくりと。首をだらりと下げたままふらふらと歩いている。
二つ目。頭のヴェール。
メイドカチューシャの代わりに、結婚式で花嫁が被るようなヴェールが頭に乗っていた。しかも黒色。顔の部分がどうなっているかは分からないが、おそらくは目元あたりまで深く覆われてしまっているだろう。
そして三つ目。
カルロの目が最も釘付けになった点。
刀。
メイドの腰には、黒鞘に収まった刀が存在していた。
「……なんだあの出で立ちは。この街に、あんなメイドはいたか……?」
こんな治安の悪い街、治安の悪い時間にメイドが一人で歩いているという違和感。
肥溜に白鳥が佇んでいるような光景に、思わずカルロの足が止まった。
すると、
「あれぇ? おいおい見ろよおまえら。こんなところでメイドちゃんが歩いてるぜ」
道の脇から、三人の酔っぱらった男が、酒瓶片手にメイドへ近付いた。
メイドは気付く様子もなく、相変わらず覚束ない足取りで歩き続けている。
周りを囲うように、男たちが酒気を帯びた息を巻きながら話しかける。
「もしもーし、メイドちゃん聞こえてますかー? ちょっと僕たちとお話ししませんかー?」
「すげぇ……ケツもおっぱいもエッチだなぁ。こんな夜更けに君みたいなエロい女が歩いてたら危ないよ~? しかも一人で~。ご主人様はどうしたの~?」
「俺たちがご主人様になってやろうか? 朝から晩までペ〇スのご奉仕、っつってな!」
ギャハハハ、と下劣な笑い声を上げる男三人。カルロの存在には気付いていない様子だ。
「やれやれ……まったく、品に欠けるな」
この程度のゴロツキは、明日になれば水道にでも浮かんでいるだろう……カルロは自分が手を下すまでもないと判断し、踵を返す。
せっかくの葉巻の味が台無しだ──メイドの安否よりも堪能していた葉巻を気遣う。
「ん? このメイド、剣持ってるぜ。かっこいいね~。君の?」
「これアレじゃね? ジャパニーズカタナ。サムライとかニンジャが持ってるっつー」
「え? ってことはメイドちゃんはニンジャ? 顔を隠してるのもそゆこと?」
背後でつまらないやり取りが続いている。聞く価値もないなと思考を切り替えようとした。
その、
瞬間だった。
「──ぎゃあああああああああああああああああああ……ッ」
夜の虚空を、断末魔が引き裂いた。
「────ッ」
カルロが振り返った瞬間だった。男のものだった。
目を剝いて再度振り返り、今の絶叫の正体を知ろうとし……、
「──」
彼が見たのは、酒瓶を持っていた腕を吹き飛ばされ、地面に蹲る男の姿。
そして、刀を振り抜いた姿勢でいるメイド。
血に濡れた刀身が──ぎらりと街灯をはね返していた。
「な、あ……」
「え……何……」
残る男二人も、どういう状況か全く理解できていない様子だった。
時間が止まったかのように停止している。
パリン。とカルロの背後で瓶の割れた音がした。
吹き飛ばされた男の腕が、カルロの頭上を超えて地面に落ちたのだ。
その音が合図となったのか、地面に蹲る男の胴体が──上下に分断された。
「────」
再度、カルロは驚愕する。
メイドが刀で切断したことは分かるが、その手際が凄まじすぎる。
太刀筋どころか、動く気配すら感じられなかった。
絶命した仲間を見た二人の顔から、見る見るうちに血の気が引いていく。
「ひ、ひぃいいいいいいいいいいいいいいッ!」
一人の男は腰を抜かして、この死地から少しでも遠ざかろうと地面を這いずる。
「こ、この野郎ッッ!」
もう一人の男は懐から一丁の拳銃を取り出した。
銃声が轟く。至近距離からの一撃だ。まず回避は望めない──。
だが、
「嘘、だろ……?」
メイドは無傷だった。理解できない男の瞳が大きく揺らぐと同時に、キン、という小さな金属音が彼の足元から聞こえた。反射的にそちらを向くと、形の歪んだ弾丸が地面に転がっていた。
防いだのだ。メイドが刀の柄で。至近距離からの銃弾を。
「馬鹿な……」
掠れた声でカルロが呟く。メイドの背後からでは詳細に分かったワケではないが、発砲音と男の反応から銃弾は防がれたのだということは十分伝わった。
メイドは相変わらず何も言わない。動く気配すらない。
「ば、化け物──」
どしゅ、と斬線一閃。銃を撃った男の頭が水平に斬られ、
「い、いやだァッ! 死にたく──」
ゾン、と逃げ惑っていた男の首が飛んだ。
「…………」
カルロが断末魔を聞いてから僅か五秒のことだった。
瞬きもせず、一部始終を見届けた。最後の一撃だけは辛うじて見えた。
ただし、メイドが腕を動かしたほんの一瞬だけ。
太刀筋など、全く見えやしなかった。
「何者だ……あのメイドは……」
全く喋らず、メイドは淀みない動作で刀を鞘に納める。そして何事もなかったかのように夜道を歩こうとする。
どこまでも穢れない純粋な殺戮に──カルロの喉が干上がった。
殺す。ただそれだけ。強奪も、強姦も、快楽も何もない、殺害という一点に特化した斬魔。
澄み切った殺意に息を吞み……彼は葉巻を地面に落としてしまった。大事な葉巻だったはずだが、そんなことすら思考から消し飛ぶほど、鮮烈なメイドの姿に目を奪われた。
「────」
葉巻が地面に落ちてしばらく経った後だった。メイドの足が止まった。
予想外の動きに、カルロの心拍数が上昇する。
頼むから、振り向くな──。そう願うのは、あまりにも強い恐怖を覚えていたから。
ヴェールに覆われた視線に一度でも射抜かれたら、それが最期となりかねないから。
メイドが、僅かに首をカルロの方に向けた。
「う……ッ」
ここで彼が悲鳴を上げなかったのは、この街の王であるが故の矜持か。
体の内側から溢れ出す絶叫を押し殺し、カルロはヴェールに覆われたメイドの顔半分を見据える。どうやら、鼻から上は黒い布で塞がれているようだ。
失明しているのか──恐怖と格闘しながらそう思ったカルロを他所に、メイドは僅かに首をカルロの方に向けたままで停止していた。
「…………」
しかし、何をするでもなく、すぐに首を戻して再び闇に向けて歩き出した。
メイドの姿が闇に消え、街灯が鮮血に彩られた地面と死骸を照らしていた。
最悪の恐怖が立ち去った安堵にカルロの膝が笑う。脂汗が噴き出る。
まるで──今日殺した二匹の鼠のような様子だった。
「はは、は……こんな姿を部下に見られたら、笑われてしまうな……」
数々の修羅場を潜り抜けてきたカルロだったが、あのメイドはそのすべてを掛け合わせても遠く及ばない脅威であると感じ取っていた。
「何だったんだ……あの化物は……」
メイド服に黒いヴェール、さらには刀という奇妙な出で立ち。
そして、神業ともいえる剣術──。
この街の情報は握っているはず。それでも知らない存在。
少しでも情報を整理しようと必死に思考を回す。
彼が頭を落ち着けるために地面を見ながら髪をかき上げた。
「そういえば……あのメイド……」
首を向けた時、彼女は何を見ていたか。
カルロは思った。
あのメイドは、自分ではなく別の何かを見つめていたのではないかと。
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