第4話・トラ猫のティグ

 その時、確実に魔獣に不意を突かれたと思った。もうダメだと半分諦めて、ギュッと目を摘むった。騎士や剣士とは違って魔法使いの装備では、大型魔獣の直接攻撃は耐えられない。


 でも、目を開いた時、なぜかジークは無傷だった。彼の背後に立ち、鋭い爪で襲い掛かろうとしていた魔獣は居なくなっていた。否、居なくなったというよりは、消し炭へとその姿を変えていた。何が起こったのか、理解できない。


「にゃーん」


 代わりにジークの前に姿を現したのは、初めて見る小さな獣。簡単に抱えられるほどの大きさのそれは、茶色の縞模様の毛を纏っている。彼のすぐ足元で、細く長い尻尾をくるりと前足まで回してちょこんと座っている。どこかで見た覚えがあったが、実際に目にするのは初めての生き物だった。魔獣の一種では無さそうだが、どういった種類の獣なのかが分からない。


「助けてくれたのは、君か?」

「にゃーん」


 他に誰がいるんだとでも言うように、鳴いて返事をされる。その茶色の縞々は静かに立ち上がると、尻尾をピンと伸ばしてジークに近付いてくる。敵意は無さそうだけどと見ていると、彼の脚にその縞々模様は擦り寄って来た。フワフワとした毛に纏わり付かれながら、ジークは必死で考える。


 ――これは、虎の子供か? いや、違うような……。なんだろう、この獣。


 じっと見つめるジークの匂いを嗅いだりと、縞模様のモフモフは彼の周囲を気ままに動き回っている。そして、ふいっと上を向いたかと思うと、背中の大きな翼を広げて頭上の木の枝へと飛び乗ってみせた。


 上からジークを見下ろして、また「にゃーん」と一鳴きしてみせる。この姿を見せれば分かるだろ、とでも言うかのように。


「えっ、猫?!」


 翼を生やし、長い尻尾を持ち、丸い顔の獣。それは経典でも描かれている、聖なる獣とされていた猫の姿そのものだ。空想上のものではないが、ここ何百年も領内では確認されたことが無い、幻の獣。経典の絵図で見覚えのある毛色とはまた違うが、おそらく間違いないだろう。


 まさかとは思ったが、魔獣を倒したのは聖獣の使う光魔法だったと考えると、ちゃんと説明がつく。ジークの放つ炎の魔法では焼け焦げさせることはできても、完全な消し炭まではならない。

 ただ、想像していたよりも猫が小さい獣だったので、それには驚いた。聖獣と呼ばれるくらいだから、もっと大きく逞しい生き物かと思っていた。翼を折り畳んでいる状態だと、虎か何かの子供にしか見えない。


「おいで」


 しゃがみ込んで手を差し出すと、乗っていた木の枝からストンと降りて寄って来る。伸ばされた指の匂いを興味深げにしばらく嗅いでいたが、ゴロゴロと喉を鳴らし始めた。


「ありがとう。君が居なかったら死んでるところだった」

「にゃーん」


 小さな頭を撫でてやると、嬉しそうにその手に頬を押し付けてきた。艶のある毛は柔らかくて、ふわりと暖かい。


「お腹は空いてない?」

「にゃーん」


 今日の依頼は全て終わったことだし、もう急ぐ用はない。手持ちの軽食を猫にも分けてやり、適当な倒木に腰掛けて自分も遅めの昼食にする。

 ジークの足元で、貰ったパンをあむあむ、と小さく唸りながら食べている様に吹き出しそうになる。


「盗らないから、ゆっくり食べなよ」


 誰かと食べる食事は、随分と久しぶりな気がする。日替わりの即席パーティからはぐれるようになって以来、ずっと独りで行動していたし、他人と話す機会も減っていた。誰かと一緒に居るのもいいもんだな、とジークはトラ猫の頭にそっと触れて、シャーと威嚇されてしまう。


「ごめんっ、盗らないからっ」


 食べてる時のお触りは厳禁のようだ。猫はパンを全て食べ終わると、器用に前足を使って毛繕いを始める。よっぽど美味しかったのだろうか、口周りは特に念入りに手入れしているようだった。


「君は、森に住んでるのかい?」


 ジークの問いかけに、トラ猫は「にゃーん」と鳴いて答える。広い森だ、聖獣ぐらい住んでいてもおかしくはない。古代には竜もいたという話なのだから。領が把握できているのはまだ一部でしかなく、森のほとんどが未開だ。


「じゃあ、またね」


 危うく命を落としかけたりもしたが、楽しいひと時だったと、食事を終えてから猫に別れを告げる。荷物をまとめて立ち上がると、猫は毛繕いを止めて顔を上げた。そして、ひょいと軽い身のこなしで、ジークがそれまで座っていた倒木に飛び乗った。


「にゃーん」


 横たわる太い木の上から、猫はジークの身体によじ登ろうと前足を伸ばして来る。片手で抱き抱えてやると、ゴロゴロと喉を鳴らしながら彼の顎に小さな頭を擦り寄せて来た。


「一緒に来る?」

「にゃん」


 嬉しそうに返事をすると、トラ猫は抱えられていた腕からするりと抜けて、ジークの隣に並んで歩き出す。


「そうだ、名前はどうしようか?」


 街への戻りがてら、ジークはずっと頭を悩ませていた。相手が猫だろうと、名前を付けるという経験がこれまで無かったから、何を基準に決めたら良いのか分からない。途中の休憩時に確認したところ、どうやらこの猫は雄のようだった。呼びやすくて雄猫らしい名をと、しきりに首を傾げる。そして、街の石壁が見てくる頃、ようやく一つの名が浮かんだ。


「君の名前は、ティグ。……どうかな?」

「にゃん」


 横で軽快に歩いていた猫が、ジークを見上げて鳴いて返事する。縞模様の尻尾を空に向けて伸ばしてご機嫌そうにしているところを見ると、OKということだろうか。


「これから、よろしくな。ティグ」

「にゃーん」

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