第16話 7

「――セリス様、こちらでございます」


 初老の侍従長に案内されて、わたしとメイド姿のユメ様が案内されたのは、屋敷の横にある城砦で。


 ザクソン先輩のお父様のザック伯爵は病が家人に伝染るのを恐れて、現在、城塞の一室で療養中なのだそう。


 殿下は今もザクソン先輩と会談を続けていて。


 当然、ミレディさんもザクソン先輩のそばを離れられずに、今もあの応接室で一緒にいる。


 ルキウス帝国時代に建てられたという城塞の回廊は、当時を思わせる堅牢な石造りをしていて。


「王都のお城とは違う感じだね」


 ユメ様が辺りを見回しながら、ぽつりと呟く。


 彼女が言う通り、この城塞の回廊は窓が少なく細い造りになっている。


「この城塞は王城より古く、戦の防衛を目的に造られたのだそうですよ」


 王太子妃教育で習ったから覚えているわ。


 この城が建てられた頃はまだ、この辺りには魔属や獣属、ルキウス帝国に従わない部族の集落があったそうで。


 この城塞は、彼らからホルテッサ領の民を守る為に建てられたのだそう。


 何度か増改築や補修が成されているそうだけれど、基部となるこの辺りは王城の回廊と違って、窓がまるで無くて地下道を歩いているような気分になってしまう。


「こんなトコじゃ、治るものも治らないんじゃないかなぁ」


 ユメ様が仰る事はもっともだと思う。


「……古い造りですから、空気も良くないですしね」


 こもったような淀んだ空気は、ほのかに腐臭のようなものまで感じられるわ。


 こんなところに病人を置いておくのは、本当にどうかと思ってしまう。


「んー、空気が悪いのは、場所の所為だけじゃないんだけどね」


 ユメ様はそう告げて、どこからともなく鉄扇を取り出して、パタパタとご自身の前を仰ぐ。


 鉄扇に付けられた、ふたつの小鈴が小さく鳴った。


 やがてわたし達は、ザック伯爵が療養中だという部屋の前までやってきて。


「それでは旦那様をよろしくお願い致します」


 侍従長が一礼して、そう告げる。


「おまかせください」


 と、わたしもお辞儀を返そうとしたところで。


「――フッ!」


 鋭いユメ様の呼気が石造りの回廊に響き、わずかに遅れて金属音。


 驚いて顔を上げると、手を弾かれて仰け反った侍従長の姿があって。


「ふふーん。女二人と思って油断したかな?」


 開かれた鉄扇を前に突き出したユメ様が、勝ち誇ったように笑みを浮かべている。


「――ユ、ユメ様!?」


 驚くわたしに、ユメ様は後ろ手を差し出し。


「セリスちゃんはそこで待っててね」


 パチンと、ユメ様の指が打ち鳴らされて、わたしの周囲に虹色に輝く結界が張り巡らされる。


 その間にも侍従長は一歩退いて――大理石のような光沢を放つ両手を、手刀にして身構えた。


 ユメ様もまた、頭上に鉄扇を掲げて身構える。


 侍従長が初老とは思えない体捌きで貫手を放ち。


 迎え撃つユメ様は、ひどく自然な――ゆったりとした動作で頭上の鉄扇を振り下ろす。


 鈴の音が連続して、侍従長の腕を打った鉄扇が閉じられて――次の瞬間には、侍従長の腕が砕け折れた。


「――ひっ!」


 わたしが思わず悲鳴を上げる間にも、ユメ様は鉄扇を左手に持ち替え、まるで舞うように身をひるがえすと、侍従長の懐に滑り込む。


 ユメ様の周囲が陽炎のように揺らぎ――あれがステージというものなのかしら。


 わたしがそんな事を考えた次の瞬間には、ユメ様の手が侍従長の胸に添えられて。


 揺らぎはユメ様だけではなく、侍従長をも包み込んだかと思うと、彼の胸にあてがわれたユメ様の手に収束した。


「――ハッ!」


 ユメ様の気合の声と共に……文字通り、侍従長の身体が吹き飛んだ。


 殿下がアベルに<王騎>を振るったあの晩にも、人が吹き飛ぶのを見せられたけれど。


「ええぇぇ……」


 まさかわたしより小柄なユメ様が、その身ひとつで同じことをするなんて……


 吹き飛んだ侍従長は、回廊の先で二、三度痙攣したかと思うと、まるで糸が切れた操り人形のように動かなくなり――不意にその体表が黒い粘液質となって崩れ落ちた。


 あとに残ったのは、大理石のような光沢を放つ無貌の人形。


「……ふぅ。

 なまってるなぁ。最初の一撃で停止させるつもりだったんだけど……」


 残心を解いて、そう呟くユメ様に、わたしは思わず駆け寄って。


「ユ、ユメ様。

 これはいったい……」


 人形とユメ様を交互に見ながらわたしが尋ねると。


「……ダストアでは外道傀儡って呼んでたかな。

 ローデリア帝国が生み出した、鬼道傀儡のパクりだってアーティちゃんは言ってたよ」


 アーティちゃん――ダストア王国の第二王女の愛称ね。


 確か彼女は<兵騎>好きが高じて、魔道や鬼道に精通しているのだと聞いたことがある。


「なんかね、鬼道傀儡の疑似魔道器官を再現できないから、人の魔道器官を強引に同調させてるんだって。

 それでその姿を奪って、工作活動するんだって言ってたかな。

 たぶん、ミレディちゃんの仕業だろうね」


 そう説明しながらも、ユメ様はわたしの手を取って、倒れた人形のそばまで歩み寄る。


「……ローデリアではさ、魔物を使っていろいろとヤバい事やってるみたいでね。

 これもそんな研究で生み出されたもののひとつみたい」


 人形の周囲に流れ落ちた黒い粘液が、石畳を汚染していくのがわかる。


「侍従長だけじゃなく、たぶんお屋敷にいた使用人みんなが入れ替わられてると思うんだ」


「では、使用人の皆様は……」


 最悪の事態が脳裏をよぎり、わたしは思わず息を呑む。


 けれど、ユメ様は首を横に振り。


「まだ殺されてはいないと思うよ。

 これって、なりすました人の魔道器官が動いてる必要があるモノだからね。

 ……きっとどこかに捕まってるんだと思うよ」


 そう告げて、ユメ様は再び鉄扇を打ち開く。


 凛と鈴の音が響き渡り、人形の周囲が揺らめいて、ステージが開かれると。


「あ――」


 澄んだ高い声で単音の唄を奏でた。


 ステージの中に精霊光が無数に飛び交い――黒い粘液が、瘴気が浄化されて消えていく。


「ユ、ユメ様は浄化もできるのですか?」


 驚いてそう尋ねると、ユメ様はいつものほんわかした笑みを浮かべて。


「ナデシコの基礎技能なんだよ。

 わたしの地元だと、魔物退治と浄化はセットだったからね。

 でも、わたしのやり方じゃ、サティリア教会の人達みたいに広範囲はできないからねぇ」


 そう言いながら浄化を終えたユメ様は、鉄扇を閉じてわたしに微笑むと、ザック伯爵がいるという部屋のドアをおもむろに押し開いた。


 途端、強い香の匂いと腐臭が入り混じった、なんとも言えない嫌な香りが漂ってくる。


「これは……瘴気ですか?」


 修道女のお務めで、何度も嗅いだ事のある匂い。


「そう。さすが聖女だね。すぐわかるなんてさ」


 寝台とテーブルがあるだけの質素な部屋。


 その寝台の上に、ザック伯爵は横たわっていて。


 額に汗を浮かべて時折呻くザック伯爵の顔色は悪い。


「使用人と違って、お父さんは傀儡と入れ替えさせられなかったんだろうね」


 外道傀儡というのは、簡単な受け答えはできても、長い会話だと違和感が出てしまうのだとか。


「さてさて、ここかな?」


 軽い口調で寝台の下を覗き込んだユメ様は。


「――あった」


 そう告げて、鈍色の塊を引っ張り出す。


「――未浄化の魔物の外殻……」


「そ。こんなのの上で寝てたら、そりゃあ良くならないよね」


 浄化されていない魔物の残骸は、周囲を汚染して瘴気を発生させる。


 それは人の魔道器官をも侵して、やがて死に至らしめるもの。


「わたしの感覚だと、この城塞のあちこちに同じようなのが仕掛けられてると思うんだ」


 それで回廊にも重苦しい空気が漂っていたのね。


「だからさ、セリスちゃん」


 ユメ様は部屋の隅に魔物の残骸を放り投げると、わたしの手を取ってにこりと笑う。


「ここは一発、どーんとお城まるごと浄化しちゃおうか!」


 そうして彼女は、まるで疑ってない目でわたしを見上げる。


「――できるよね?」


 そんな風に言われたら……できないなんて言えないじゃない。


 ……だから。


「やってみせます」


 わたしは深呼吸して、そう応えて見せる。

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