第16話 4

「――エレノアお嬢様、よろしいですか?」


 部屋のドアがノックされて。


 やってきた侍女が、殿下達の来訪を告げた。


 今はお父様が対応なさっているそうで。


 来訪目的は、ザクソン様の結婚についてですって。


 殿下はザクソン様と仲がよかったものね。


 私も学園で何度かザクソン様と一緒に、お話させて頂いた事があるわ。


 だからこそ、今回のザクソン様の結婚に、疑問を感じてくださったという事かしら。


 ……学園に殿下やザクソン様がいらした、あの幸せだった頃を思うと、知らずに涙があふれそうになるわね。


 ザクソン様と殿下は、休憩と称して生徒会室のテラスでよくお茶をなさっていたわ。


 私と殿下の婚約者であるセリス様は、下級生の状況を知る為という名目で、たびたびその場に呼ばれる事もあって。


 ――本当に皮肉なものだと思う。


 そのセリス様は、殿下が学園から去った寂しさから、勇者なんて愚か者にたぶらかされ。


 私は今、ミレディにたぶらかされたザクソン様に婚約を破棄された。


 なんとなく、殿下に共感を抱いてしまうのは、自分の立場と似ているからだろうか。


 けれど、そんな殿下はセリス様と和解したのだと聞いている。


 どんな経緯があったのか……私もいつか、ザクソン様と和解できる日がくるのだろうか。


 私も呼び出されるかもしれないからと、侍女が着替えの用意を始める。


 そんな中、再びドアがノックされて。


「お嬢様、セリス様がお嬢様とお話なされたいそうです」


 ちょうど彼女の事を考えていたから、私はびっくりしてしまったわ。


 セリス様は……殿下の行程に同行を許されるほどに、赦されてらしたのね。


 侍女に、部屋に招くよう告げて。


 私は急いで部屋着から、来客用の衣装に着替える。


 少し経って、先程の侍女はセリス様を連れてやってきたのだけれど。


「……セリス、様……ですよね?」


 私の問いに、やって来た彼女は、困ったようなはにかんだ笑みを浮かべる。


 私が知っているセリス様は、美しい白金の髪を丁寧に巻いて、華美な衣装に包まれたお姫様のような方よ。


 けれど、今の彼女は……質素な町娘のような衣装に、髪も巻かずに腰の辺りで紐でまとめているだけ。


 ……でも。


 それでも――今の彼女は、以前よりさらに洗練された美しさを感じるの。


「ご無沙汰しております。エレノア先輩。

 ――このような姿で失礼致します」


 そう告げて腰を落とす姿は、王太子の婚約者であった時のままに美しくて。


 学院にいた頃の――殿下の婚約者であった時の彼女は、どこか高慢さがあって。


 殿下達とお茶の席に同席していても、彼女が私の名を呼んだ事は一度もなかったわ。


 侯爵家の彼女と騎士爵家の娘である私とでは、それが当たり前だと思っていた。


 それなのに、今の彼女は私を『先輩』とまで……


 平民に落とされたとはいえ……彼女はいまや王都の大聖堂で聖女とまで崇められる立場にあると聞いていたから。


 私は衝撃のあまり、彼女に席を勧めるのすら忘れて立ち尽くしてしまったわ。


「……あの……先輩。

 傷心の先輩にお聞きするのは心苦しいのですが、ザクソン先輩との間になにがあったのか、お伺いしたいのです」


 私の気持ちを考慮してか、セリス様はゆっくりと、言葉を選ぶようにしてそう告げた。


 ……こんな心配りまでできるように……


 いつも殿下の気を引こうと、必死に頑張っていた彼女を……私は不敬かもしれないと思いつつ、妹のように感じていたの。


 彼女が私なんて視界にも入れていないのは知っていたけれど、殿下の為に奮闘する彼女の事を、私はどうしても嫌いになれなかったのよね。


 だからこそ、婚約破棄の原因となった、あの勇者の事は赦せなかったわ。


 年下の彼女に気を遣わせてしまった事を反省して、私は侍女が用意してくれたテーブルセットの席を彼女に勧める。


 騎士爵家の我が家は、決して裕福ではないから、私の部屋にまで応接セットはないのが心苦しい。


 小さな丸テーブルを挟んで、私もセリス様の正面に腰をおろした。


 侍女が用意してくれたお茶で、そろって一息ついて。


 セリス様は再び言葉を探すように宙に視線を走らせる。


「……セリス様、お気遣いありがとうございます。

 けれど、言葉を選ぶ必要なんてございませんわ」


 私の言葉に、彼女は困ったような微笑みを浮かべる。


「それではエレノア先輩、わたしの事もどうぞ呼び捨ててください。

 今のわたしはただのセリスなのですから」


 侯爵家のお姫様であった彼女が、そう言えるようになるまで……どれほどの経験があったのだろうか。


 私には想像する事すら難しいのだけれど、決して容易な道のりでなかった事は理解できるわ。


「では、セリスさん、と」


 私がそう応えると、彼女は微笑みを浮かべた。


 ただそれだけなのに。


 やはり今の彼女は――かつてと比べ物にならないほどに、美しくなっているように思えたわ。


 思わず顔が熱くなるのを感じながら、私はもう一口お茶を含み。


「……私の婚約破棄の件についてでしたわね」


 吐き出すように切り出すと、セリスさんは申し訳なさそうにうなずく。


 本当に、人の心の機微に敏くなられたようね……


「厳密には婚約破棄についてというより、ミレディさんについてお伺いしたいのです」


「彼女の事?」


「ええ、わたしも学園時代の彼女を知っていますが……とてもザクソン先輩がなびくような方には見えませんでした」


 その言葉に、私もまた同意する。


 多くのシンパに囲まれて、耳障りの良い言葉ばかり口にする女。


 良く言えば理想主義者。


 けれど、実際のところは現実が見えていないお花畑とでも言うのかしら。


 ――どんな諍いも話し合えば解決できる、なんて良く口にしていたわね。


 殿下やザクソン様達、旧生徒会の殿方にも秋波を送ってらしたけど、お家を継ぐ為に現実を見据えてらした皆様は惑わされる事などなかったのよ。


「……それなのに、なぜ今になってザクソン先輩は彼女との結婚に踏み切られたのでしょうか?

 それもエレノア先輩との婚約を破棄してまで……」


 彼女はつい先日まで、今回の結婚は私とのものと信じていたらしいわ。


 だから、お相手がミレディさんと知って驚いたのだとか。


「……彼女がザクソン様のお屋敷を訪れた時は、私、本当に同情しましたのよ」


 旅装というのもはばかられるような……着の身着のままの格好で。


 お家を無くした彼女は、鞄ひとつで王都から各地を放浪したのだそうよ。


 養女だった彼女は頼れる親戚もなく、せめてもの繋がりを求めて、ザクソン様のお屋敷に立ち寄ったのだと語ったわ。


 そのお顔には、かつての爛漫さは微塵もなくて。


 ひどくくたびれたような顔をしていて、本当に哀れに思ったの。


「だから、私はお屋敷への逗留をザクソン様にお願いしたのよ」


 ザクソン様は街に部屋を用意すると仰っていたから、あの段階では彼女に懸想していたとは思えないわ。


「学園に戻るまで、私は一緒に過ごしたのだけれど、ミレディさんもザクソン様をお慕いしているような気配はありませんでしたの。

 だから……きっとお二人が親密になったのは、私が学園に戻った後なのでしょうね……」


 あの時の、今にも死んでしまいそうな顔をなさったミレディさんを引き入れた事が間違いだったとは、今でも思えないの。


 私は思わずため息をついて、それから首を振る。


「でも……でもね。

 ザクソン様がお選びになった方ですもの。

 きっと私にはない魅力があって……彼女もまたザクソン様を幸せになさってくださるはずですわ」


 途端、セリスさんの顔から表情が消える。


「――ザクソン先輩はエレノア先輩になんと言って、別れを切り出したのですか?」


 まるで怒っているような低く静かな口調で。


 彼女はまっすぐと私を見て、尋ねてくる。


「……学園の春待ちの休暇に入って、卒業後に備えてお屋敷を訪ねたのですが……

 その……私とは一緒になれなくなった。すぐに実家に戻るように、と……」


 ……ダメね。


 諦めたつもりなのに、あの日の事を思い出すと、涙が出てきでしまうわ。


「――学園にではなく、実家に、と言われたのですね?」


 念を押すような問いかけに、私は首を傾げる。


「え、ええ。どのみち卒業式まで、もう授業もないのだし――」


 私は言われるがままに、実家に戻ってきていたのだけれど、そんなにおかしい事かしら?


「春待ちの休暇では卒業後にご結婚なさる方は、式に備えて帰省なさる場合がほとんどですが……」


 考えをまとめるように、セリスさんは顎に手を当ててテーブルに視線を落とす。


「ご結婚なさらない方は、春の社交界に備えて寮で過ごすはずです。

 そしてザクソン先輩がそれを知らないはずがありません。

 なのに、なぜ実家に帰るように言ったのでしょう?」


「……それは……婚約破棄は醜聞ですもの……お優しいザクソン様は、私が好奇の目にさらされるのから守るために……」


 するとセリスさんは、小さく鼻を鳴らした。


「……エレノア先輩。

 男性って、自分が捨てられたならともかく、捨てた女にはそこまで優しくはないのですよ?」


 顔は笑っているのに……なにかしら? セリスさんから伝わってくる迫力がすごいわ。


「――わたしはザクソン先輩に、なにか思惑があるように思えます。

 ……ただ……」


 そこで言葉を区切り、彼女はカップのお茶を一気に飲み干す。


「――やり方が気に食いません!

 エレノア先輩は、こんなにもザクソン先輩を想ってらっしゃるのに!」


 ああ、この娘は……こんなにも人の為に感情を露わにする娘だったかしら。


 自身を殿下の目に止まらせようと、必死な姿は見た事はあったけれど。


 今のように誰かを想って怒っている姿は、学園では見たことはなかったわ。


「エレノア先輩、このまま黙っていてはいけません!」


「で、でも、どうしようもないじゃない。

 もう、式の日取りまで決まっているのよ?」


「――それは……わたしもすぐには思いつきませんけど……」


 口ごもるセリスさんに、私は諦めのため息をつく。


 けれど彼女は立ち上がって、不意にわたしの手を取った。


「でも、今、このお屋敷には、あの方達がいらっしゃいます!」


「あの方達?」


 首を傾げる私に、セリスさんはそれはそれは美しい笑みを浮かべて見せたわ。


「――学園を恐怖のどん底に叩き込んだ、あの方達ですよ!」

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