第13話 6
モルテン領都まであと少しというところで。
わたし達は獣騎車を降りました。
殿下に同行するのは、わたしとステフ先輩、ライル先輩にフランさんです。
獣騎車を守る為に、パーラ先輩とメノア先輩、そして監督としてロイド様が残る事になりました。
そうです。
わたし達はお忍びという形で、領都入りする事にしたのです。
ことの始まりは先日のステフ先輩のお話です。
「――モルテン領が廃れてる?」
獣騎車の客室で殿下が首を傾げ。
「……と言っても、以前に比べてって事なんだけどねぃ」
ステフ先輩は肩を竦めて返しました。
わたしもまた、不思議に思って首を傾げます。
「……モルテン領からの税収は変わってないはずだぞ?」
殿下はロイド様を、そしてフランさんを交互に見つめ、ふたりがうなずいたのを見て、再度、首を傾げました。
「――先日の報告でも、税率は改易前より微増しておりますが……適正値ではありました」
ロイド様は記憶を辿るように天井を見ながら答えます。
するとステフ様はフフンと鼻を鳴らし。
「――だからなのサ」
と、人差し指をわたしに向けます。
「セリスちゃん、以前のモルテン領――コンノート領時代の領都って、どんな感じだったネ?」
「……恥ずかしながら、わたしはあまり屋敷の外に出してもらえなかったのです……」
王太子妃になるわたしになにかあったらと、お父様がそうなさったのです。
ですから、領都の様子を良く知りません。
「……より正確に申し上げますと……庶民の暮らしに興味を持っていなかったのです」
「じゃあ、聞き方を変えよっかネ。
貧しい庶民は見かけたかイ?」
そう問われれば。
屋敷から馬車で移動する際の町並みを思い出して。
「貧しい方というのは……王都のスラムの人々のような方ですよね?
それなら見かけた事はありませんね」
路地裏まで訪れたわけではありませんので、断言はできないのですが、少なくともわたしが見た範囲では、そういう方はいらっしゃいませんでした。
「それが、今はそういうヤツで溢れカエってんのサ。
全部じゃない。
一部の者は以前より羽振りが良くなってる。
……どういう事かわかるかイ?」
問いかけは殿下に向けられたもので。
「……貧富の格差があるって事か?」
「そ~だねぃ。
そして多くの商会が領都を去ってる。
だから雇用がなくてますます、貧しい者が増えてく……」
「……実際に見ないと、判断できないトコだな」
「あったまわりぃナぁ。オレアちん。
こんだけヒント出してわかンね~のかよぅ」
「おまえやソフィアと一緒にすんなよ……」
殿下は苦笑して、頭を掻きます。
わたしにもわかりませんでした。
こう言ってはなんですが。
お父様は強欲な方でした。
民は駒だと、常々語っていたような方です。
そんなお父様が治めていた時より、ひどい状況になるなど、ありえるのでしょうか?
「とりあえず領主屋敷に行く前に、街の様子を見てみるとするか」
――こうして。
わたし達が先行して、領都入りすることになったのです。
先行する全員で旅装して、街道を歩きます。
そこで気づいたのですが。
「……ずいぶんと放置された畑が多いな」
以前は領都の周りは麦畑や野菜の畑があって。
当時はあまり気にはしていませんでしたが、それでも夏休みを終えて王都に戻る時など、馬車の窓から見える、黄金に波打つ麦畑の美しさには感銘を受けていたのです。
それが今はどうでしょう。
かろうじて麦畑とわかる跡地は、枯れた雑草に覆われて当時とは別の色に染まってしまっています。
今の時期なら、冬撒きの麦が背を伸ばし始めているはずなのですが。
「だから、百姓も逃げ出しちまってんダヨ。作付けできねーモンだかラ」
「――逃げるってどこに?」
わたしも修道女になってから知ったのですが。
基本的に領民は領を跨いで移住はできません。
いえ、さらには生まれた街や村を離れる際も、領主や代官の許可が必要なのです。
これは戸籍管理の面から生まれた法律なのだそうで。
許可なしでの移住は、けして軽くはない罪なのです。
それを押してまで移住するというのは……
「そこまではわかんねーけどねぃ。
そこまでしなきゃならないって状況なんだロ」
頭の後ろで腕を組みながら、ステフ先輩は寂しそうに笑いました。
殿下は黙り込んでしまって。
フランさんはなにか考え込んでいるのか、手帳のページを行ったり来たりさせています。
ライル先輩もステフ先輩の言葉について考えていたようですが。
彼は政治の話にはうといようで、すぐに考えるのをやめて護衛に専念しようと思ったのか、周囲に視線を巡らせ始めました。
そうしてわたし達は街道を進み、やがて領都に辿り着きました。
……街の変化は一目瞭然でした。
まず、出歩いている人が少ないのです。
当然、彼らを当て込んだ、屋台などもありません。
以前ならば、都門の東西に伸びる目抜き通りには、屋台がひしめき合っていたものですが、今は見る陰もありません。
「……商業都市として栄えた領都が、見る陰もねえな……」
殿下が思わずといったように呟きます。
そうです。
以前はコンノート商会と取引する為に、多くの商人が行き交っていた都だったのです。
この街を訪れて、揃わないものはないと、お父様は自慢げにお話されていました。
街灯には蜘蛛の巣や鳥のフンが付いたまま放置され、道にはゴミが放置されています。
いえ、その道さえもが、石畳が割れたり穴が空いているのを放置されています。
宿を求めて目抜き通りを進めば。
空き店舗が多く、ずいぶんと放置されているのか、軒先には埃が溜まっていました。
「宿は庶民向けはもうないらしくてネ。
あたしも以前来た時は、仕方ないから高級宿に泊まるハメになったのサ」
そう告げて、ステフ先輩は案内を始めます。
宿は、ステフ先輩が言うように、それまでの街の様子とは打って変わって、高級感溢れるものでした。
「旧コンノート商会と取引できるレベルの商人向けの宿だからねぃ」
そうして男女別に二部屋とった後に、わたし達は殿下の部屋に集まりました。
これからを話し合う為です。
「とりあえず、わたしは情報収取して参ります」
庶民風の衣装に着替えたフランさんが、そう告げて出ていき。
殿下はわたしを済まなそうに見つめます。
「……なんと言って良いか……おまえに故郷を見せてやりたかっただけなんだがな」
「お心遣い、ありがとうございます」
もはやこの地の領主の娘ではなくなったとはいえ。
いいえ。
そうではなくなったからこそ、今の領民達の様子は気になっていたのです。
より幸せになってくれていたら良いと――いえ、あの強欲なお父様から解放されたのですから、きっとそうなっているのだと――そう、願っていました。
「これからなんだが……どうするか?」
「……もしよろしければなのですが……」
わたしは少しだけ迷いながら、殿下に願います。
「――祖父母のお墓参りをさせて頂きたいのです」
お父様とは反目しあっていた祖父母ですが、わたしの事は幼い頃からひどく可愛がってくださったのです。
殿下の婚約者に選ばれた際も、我が事のように喜んでくださって。
そんな祖父母に、わたしはなにも恩返しできないうちに――いいえ、当時は恩返しなんて発想もありませんでしたね。
可愛がってくださった方の死が、ただただ悲しくて。
結局のところ、自分を愛でる人が減ったという事実が悲しかったのでしょう。
今ならばそうだとわかります。
だからこそ。
せめて、墓前に立って、祖父母を悼みたいのです。
「――先代のコンノート卿かぁ。
おっかねえ爺様だったなぁ……」
殿下の言葉に、わたしは思わず微笑みます。
お祖父様はわたしをたいそう溺愛なさってましたので。
殿下とはいえ、婚約者の男性に素直になれなかったのでしょう。
何度かお茶会に同行した際、むっつりとした表情で殿下を見つめていたのを覚えています。
「よし、ふたりで行ってみるか。
ステフとライルは適当に時間潰しててくれ」
ふたりは頷いて。
そうして、わたしと殿下は街外れの墓地に向かったのです。
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