第9話 4

 魔境<深階>のあるオルター領までは、およそ二時間ちょっとの予定だ。


 俺は改めて<風切>の速度に感心する。


 ホルテッサ王国の東北部にあるオルター領までは、早馬を飛ばしても一週間はかかる。


 スローグ領での大侵災以降、辺境伯領から優先して魔道伝信網を導入したお陰で、辺境との情報伝達はしやすくなったけれど、移動の問題はまだまだ残っている。


 <風切>は現在、コラーボ婆が生み出してくれた仔竜によって制御されて運用されている。


 けれど、仔竜はそうそう数を増やせるものではないらしく、飛行船は今の所、二隻目建造の目処は立っていない。


 代替案として街道整備と並行して、<狼騎>の狼型のような、移動用の兵騎を造れないか工廠局と検討しているところだ。


 俺はリリーシャ殿下達に船内を案内して回り、最後に向かったのは、この船の中枢部。


 ドアを空けると、赤と黒のまだらな鱗を持った仔竜が、笛の音のような鳴き声をあげて俺達を出迎える。


 まん丸い胴と頭に小さな手足。


 背中の一対の羽もその腕より小さく、それなのに飛べるのが不思議でならないのだけれど、竜とはそういうものだと言われてしまえば、納得するしかない。


 なにせ、この大きな船さえ飛行させているのだ。


 そこに理屈を求めて答えられたところで、俺はきっと理解できないだろう。


「これがこの船を飛ばしてる仔竜のミニコラだ」


 命名者はユメだ。


 風切が良かったので任せてみたのだけれど、あいつのセンスはダメだな。


 ぶっ壊れてるんじゃないかと思う。


 まあ、本人――本竜がそれで覚えて気に入ってしまったから、もうそれで通す事にしている。


 部屋の中央には床に固定された机が置かれていて、その上には船の主要部と繋がった魔道伝信器や、外部伝信器が置かれている。


 机の中央に立てられた板は、スローグ辺境伯の協力によって生み出された遠視表示盤で、船の外の景色を映し出している。


 まだ人語を喋れはしないが、ミニコラは恐ろしく賢くて、地図で場所を示せば、そこまで迷わず船を飛ばしてくれるのだ。


「――というわけで、実質、この船の船長はこいつって事になるのかな」


 俺が苦笑交じりに、リリーシャ殿下とゴルダ殿に説明すると、ミニコラは胸を反らした。


 両腕を必死に伸ばしているのは、腕組みしようとしているんだろう。


 ……できてねーけどな。


 コラーボ婆が言うには、竜の幼体には雄雌の区別はないそうなんだけど、このお調子者っぽい感じ。


 俺はこいつは雄だと思っている。


「この子はひとりでこの部屋にいたようですが、指示などはどう出しているのですか?」


 リリーシャ殿下の問いかけに、俺は耳に付けたイヤーカフを見せる。


「この小型伝信器で」


「ホルテッサはここまで小さな伝信器を作れるのですか?」


 驚くリリーシャ殿下。


 そうだ。すごいだろう。


 宮廷魔道士達とケイン兄貴の努力の結晶だ。


 褒められて、俺は思わず嬉しくなる。


「これらの魔道器は、遠視と伝信の魔法の付与――器物にということは、晶石による……いや、それを砕いた粒子による刻印術かな?」


 さすがは学者――それも多岐に渡る分野を研究している統合学者なのだというゴルダ殿は、ひと目見て概要を理解したらしい。


「もし興味があるなら、王城に戻ってから宮廷魔道士に説明させよう。

 俺もリステロ魔道士長から説明は受けたんだが、正直、よくわからなかったんだ」


 使い方さえわかれば良いというのが、俺がコラーボ婆から学んだ、道具に対するスタイルだ。


「おや、良いのかい? これらの技術はホルテッサが占有してしまえば、他国に対して大きなアドバンテージになるだろうに」


 ゴルダ殿の言う事は一理ある。


 けれど。


「我が国はすでに紙幣制度の導入で、他国に厳しい目で見られている。

 これ以上、痛くない腹を探られるくらいなら、技術提供くらいどうってことない」


 それらの交渉も行うように、叔父上に同行させた外交官達には言い含めてある。


 余計な欲をかかれるくらいなら、安価で技術提供するようにと。


 うまく行けば、毎年春先にある連合諸国の合同会議を移動なしで行えるようになるかもしれないんだ。


 アレ、大変なんだよ。


 関係閣僚から官僚から商会主やらまで集めて、護衛も含めると千人規模での旅になる。


 体力的にも経済的にもきつい行事なんだ。


 開催地は毎年持ち回りで、主催国は外貨獲得できて良いんだけどな。


 さすがにその人数だと<風切>も使えないし、遠視伝信器はぜひ各国に導入してもらいたいもんだ。


 それらを説明すると、ゴルダ殿は顎を撫でて、「ふむ」とうなずいた。


「紙幣制度導入による好景気ゆえに、外拡より内治に重きを置くという事かな?」


「紙幣制度がなくても、ウチは昔からそうなんだ。

 なんせ魔境が多くて侵災国だ。

 よそを攻めるくらいなら、魔境を減らしたいんだ。ホントに……」


 ホルテッサが国を挙げて戦争したのは、<中原大戦>くらいのものだ。


 その後の五十年、時々パルドスが示威行為的に国境侵犯をしてきたが、戦争というレベルまでは行っていない。


 先のパルドス戦役にしたって、王都直撃で一日で終わったしな。


 戦争で民に被害が出るのに対して、魔境開拓で出る被害は主に騎士や兵士だ。


 元々、それを目的に鍛えている彼らは、その被害に不満を持つことはない。


 為政者として、どちらが楽かは考えるまでもない。


「――その魔境なのですが……」


 リリーシャ殿下が尋ねてくる。


「知識としては、魔物が徘徊する地と理解してはいるのですが、具体的になぜそうなっているのでしょうか?

 幸いなことにミルドニアには魔境は無いもので……」


「ああ、まだ学園で習ってないか」


 これから向かう<深階>や黒森もそうなのだが、一般的に魔境とは、侵災が起きやすい土地を指して用いられる言葉だ。


 小規模な侵源なら、辺境伯軍や冒険者によって発見され次第調伏されている。


 侵災を研究している学者が言うには、魔境の奥地には過去の大侵災で発生した大侵源があるとされていて、それらが魔境内に侵源を生み出し、侵災を引き起こしているのだという。


「つまり、現状としての魔境対策っていうのは、そういう侵源を潰して回るイタチゴッコ状態ってわけだ。

 いつか奥地の大侵源を潰せたらいいんだろうが、まだまだそこまでは力が足りない」


 圧倒的な武を誇っていた初代ホルテッサ王でさえ、現存する魔境は調伏できなかったのだ。


 歳月をかけて地道に外縁から開拓していく他ない。


 そんな話をしている間にも机の上の遠視表示盤に、魔境<深階>が見えてきた。


 東に都市を臨み、その周囲を森に囲まれたクレーター。


 その中央には紡錘形の建築物が斜めに傾いて建っている。


「――あれが<深階>の入り口だ。

 まずはあの街で、オルター辺境伯に挨拶する予定だ」


 俺の言葉に、リリーシャ殿下は頷き。


「あそこに……」


 彼女は食い入るように、画面の紡錘形を見つめていた。

 

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