第6話 2
辻馬車から降りてくるフランとロイドの姿を確認し、俺は視線を後ろに向けた。
「いいか? 絶対に二人の背中以外は見るんじゃないぞ」
俺がそう声をかけたのは、姿変えの魔法で耳と尻尾を隠し、髪を長い金髪にしたユリアンだ。今は町娘のような格好をしている。
香水でもつけてるのか、スローグ領の慰労会でも嗅いだ、森のような良い匂いが、ユリアンからした。
俺もまた、リステロ魔道士長に姿変えを掛けてもらって、茶髪の平凡顔に姿を変えている。いわゆるお忍びモードだ。
今日の俺はオリーで、ユリアンはジュリーと互いを呼び合うことにしている。
「あの人、気配察知がすごいもんね。隣の部屋の人数を気配だけで当てたり」
「アイツだけじゃない。もう片方もだ。アイツも近衛で要人警護叩き込まれてるから、気配察知がやべえ」
俺達は路地に身を隠しながら囁き合う。
雑踏に紛れて、聞き分けられないとは思うんだが、フランの奴は隣の部屋の会話を聞き取れるほどに耳が良い。
なるべく固有名詞は出さないようにしている。
「でも、本当にやるの?」
今日のユリアンには、敬語を使わないように言ってある。
あくまでお忍びだ。庶民は普段、敬語なんて使わない。
俺は不安げなユリアンにマジメな顔でうなずく。
「当然だろう? 大事な部下と暗部次期当主。間違いがあったらどうする?」
「でも、二人ともいい大人なんだし……」
「いい大人だからこそ、間違いが起こるんだ。
そもそもこんな面白いこと――」
「――そっちが本音じゃない。
でも、確かに気にはなるよね」
ユリアンはフランに暗部技術を習っているので仲が良い。
そうなれば当然、その恋の行方は気になろうというものなのだろう。
なんだかんだで、コイツも年頃の女子というわけだ。
停留所に降りて、なにか話していたフランとロイドは、やがて路地を指差して歩き出す。
十分に距離が空いたところで。
「よし、行くぞ」
俺達は雑踏に紛れてその背を追った。
今日、ユリアンを連れてきたのは、尾行のためだ。
獣属のユリアンは人より鼻が利く。
万が一見失っても、彼女なら見つけ出せるというわけだ。
「あ、あの、オレ――オリー!?」
手を引かれて、戸惑ったような声をあげる。
「こうしないとはぐれるだろ。いいから集中しろ」
「――は、はい」
昼間の通りは人混みでごった返している。
この目抜き通りはいろんな領の商人が行き来し、彼らを相手にしようと様々な屋台や商店が立ち並んでいるので、平日でも行き交う人が多いんだ。
幸いな事に、人混みの中にあっても、ロイドの赤毛は目立つ。
ふたりが話していた喫茶店に入るまで、俺達は二人を見失う事はなかった。
俺達は屋台を覗くフリをして、あのふたりがウェイトレスに案内されて、テラス席に着くのを確認する。
それからユリアンの手を引いて喫茶店に入り、テラスが見渡せる店内席に案内してもらった。
店内はレンガ造りの温かい雰囲気で、紅茶に興味のない俺でも、辺りに漂う紅茶の香りに、心が落ち着くのを感じた。
カウンターに置かれた魔道器が、ゆったりとしたバイオリンの曲を奏でる。
比較的、女性客が多いのか、時折、賑やかな笑い声があがった。
「……どうだ? ここからで聞こえるか?」
俺がユリアンに尋ねると、彼女はうなずいて、肩から下げたポーチから手帳とペンを取り出す。
『フ:今日はお誘いいただき、本当にありがとうございました』
と、ユリアンは書き記す。
なるほど。名前を言えないから、筆記でというわけか。
魔法で隠しているが、ユリアンの狼耳は頭の上にある。
鼻同様に人より優れた聴覚を持つ彼女は、ここからでも十分、あの二人の会話は聞き取れるようだ。
ユリアンは真剣な表情で、手帳に文字を書き起こしていく。
『ロ:いえいえ、こちらこそお付き合いいただいて』
などと、差し障りのない会話が続く。
<地獄の番犬>隊の連中と、風俗談義でゲラゲラ笑う、あのフランとは思えない奥ゆかしい内容だ。
俺さ、アイツの事だから、肉食獣みたいにもっとこう、ぐわーっと行くと思ってたんだよなぁ。んで、そうなる前にフォローしてやろうと思ってたんだ。
あんなんでも、姉貴みたいなもんだしな。
ロイドも大事な部下だし。
ふたりがうまく行くなら、それは良い事だと思ってるんだよ。
けれど、ユリアンが書き起こしてくれる内容は、ケーキがうまいだの、お茶がどうだのといった事ばかりで、一向に進展を見せない。
俺はだいぶ飽きてきたのだが、ユリアンはというと。
「はぁ~、素敵だねぇ。大人だよ~」
顔を紅潮させて、そう呟く。
実際に聞くのと、文字で読んでいる差なのだろうか? わからん。
その後、二人は喫茶店を後にすると、小物屋なんかをぶらぶらと談笑しながら覗き歩き、しばらくすると辻馬車に乗って城に帰って行った。
「……マジで茶ぁ飲んだだけじゃん」
二人が乗った辻馬車を見送り、俺が呟くと。
「初デートだしね。こんなものじゃない?」
「お、ユリアン、詳しいな? そんな経験あるのか?」
俺がからかうように尋ねると、彼女は顔を真っ赤にして首を振った。
「そ、そんなわけないじゃない! わたしは領でも剣の稽古で忙しかったし!
ア、アリア姉さんがその……」
あー、なるほど。
「おまえが詳しいのも納得な理由だ。
――それじゃ、俺達も帰るか?」
「あ、あのね。もし良ければなんだけど……」
俺の問いに、ユリアンは両手の指を絡めて、もじもじし始める。
「もし良ければ、もうちょっとだけオリーとジュリーで、お店見て回らない?」
「ん? 別に構わないが、欲しいものでもあるのか?」
よく見れば、ユリアンの顔は真っ赤だ。
そこまで興奮して欲しいものなのか?
ユリアンは俺の返事を聞いて、コクコクうなずくと、恐る恐るといったように俺の手を握って、人混みを歩き出した。
先程のフラン達と同様、小物屋を見て回り。
ユリアンは、兄貴とアリアに送るのだと、それぞれ対になったカップを買う。
日頃、世話になっているからと、<地獄の番犬>隊の騎士達用に防具屋で鎧磨き粉の缶を買い、エリスとシンシア用に喫茶店まで戻って茶葉を買った。
本屋でソフィアへ贈るのだと、ロマンス小説を選び始めたところで、俺は首をげる。
「おまえ、自分のものは良いのか?」
「え?」
「いや、人のものばっかり選んでるからさ」
俺に訊かれて、ユリアンは苦笑した。
「わたしは特に欲しいものはないから」
「……ふむ」
思えばこいつ、宿舎でずっと性別を偽って生活してたんだよな。
今はもう女と隠す必要も無くなったんだから、もっと飾ればいいのに、訓練の邪魔になるからと、変わらず飾りっ気がない。
「……よし。次に行く場所が決まった」
これまでの荷物が詰め込まれた紙袋を取り上げ、俺は彼女の手を引く。
やって来たのは、先程兄貴とアリアのカップを買った小物屋の向かいにある、アクセサリーショップだ。
俺は店員に言って、ショーウィンドウに飾ってあった一品を持ってこさせる。
アローヌ地方で採れる、銀晶の粒を縫い留めた黒いチョーカー。
ユリアンがカップ選んでる時に、小物屋の窓から見えて、ユリアンに似合うんじゃないかと思ってたんだ。
「これなら訓練の邪魔にもならないだろ。
おまえ、銀狼姫なんて呼ばれてるんだから、もうちょっと着飾るべきだぞ」
そう言って俺は、店員に代金を払って包んでもらった小箱をユリアンに手渡す。
「い、いいのっ?」
手に小箱を乗せられた体勢のまま、ユリアンは顔を真っ赤に、目を潤ませて、俺を見上げてくる。
「あー、アレだ。今日手伝ってくれた礼だ」
なんとなく気恥ずかしくなって、言い訳めいた事を言ってしまう。
「ありがとう! 大事にするっ。オリー、本当にありがとう」
「お、おう。喜んでくれたなら、それでいい」
両手で小箱を捧げ持って、ユリアンは色々な角度からそれを見つめる。
本当に嬉しそうだ。
マジメなこいつの事だ。今までアクセサリが欲しくても、訓練の邪魔だと自分に言い聞かせて、買わずにいたのだろう。
今は俺のお墨付きだ。今後は自由に付けられるだろう。
俺達は買うものもおよそ買ったし、そろそろ王城に戻ろうかと、辻馬車の停留所に向かった。
「だから、困ります!」
と、通りかかった路地の奥から、若い女の声がした。
覗き込むと、若い男二人が学園の制服を着た少女をナンパしている。
紫水晶のような透き通った不思議な髪色をした少女だ。
あんな珍しい髪色を俺が知らないという事は、今年入った新入生だろうか。
「……はぁ」
見てしまったものは仕方ない。
俺はユリアンに紙袋を手渡し、路地に向かおうとする。
「オリー、対処ならわたしが――」
「別にケンカするわけじゃないから、おまえはそこにいろ」
そうして俺は、少女に声を掛け続ける男二人の肩を叩いた。
二人とも着ているものは、比較的整っている。
きっと商家の小倅かなにかだろう。
「なんだ? おまえは?」
「いや、知らずに声かけてるようだったから、教えてやろうと思ってな」
俺は少女の制服を指し示す。
「彼女の服を見ろ。王立学園の制服だ。つまり彼女は貴族だぞ?」
二人の顔が青に染まった。
そんな彼らの肩を抱き、俺は畳みかける。
「そもそもだな。よく考えてみろ。どーせおまえらの目的なんて、一夜のロマンスだろ?
いや、否定しなくていい。男なんてみんなそんなもんだ。
だが、ナンパが上手く行ったとして、そこまで辿り着くのにいくらかかる?
結婚目的じゃないなら、そんな事にかける金があるなら、娼館行け娼館」
二人が目から鱗と言うように、目を見開いた。
「娼館は良いぞ。まず心を癒やしてくれる。なんなら身体だってすっきりだ」
アイシャに心を救われた俺にはわかる。
誇り高い夜の蝶である彼女達は、その道のプロなんだ。
ナンパ男達だって、きっと癒やしてくれるはずだ。
「な? わかったら、さっさと行った行った。
好みの娘が他の客の相手を始めてしまうかもしれんぞ」
男達は生唾を呑み込み。
「わかった! 助かったぜ、兄弟!」
「ああ、気にするな、兄弟」
俺達は親指を立て合って別れる。
取り残された少女は、ぽかんとして俺を見ていたが。
「助けてくれて、あ、ありがとうございます?」
ペコリと頭を下げる少女に、俺は手を振って笑った。
「気にするな。無駄な事をしようとしていた連中の道を正してやっただけだ。
君も暗くなる前に寮に帰るんだな」
そう言い残して、俺は路地を出てユリアンの元に戻った。
途端、彼女はなぜか怒ったような顔をしていて。
「ねえ、オリー。ずいぶんオリーは娼館に詳しいんだね?」
耳の良い彼女には、会話が聞こえていたようだ。
「ああ。前にグレシア将軍に連れて行かれたからな」
それにしてもなにを怒ってるんだ? こいつ。
俺が疑問に思いながら答えると。
「もうっ! もうもうっ!」
ユリアンは俺をぽかぽか叩いてきた。
「もう、絶対にそんなとこ行っちゃいけないんだからね!」
目に涙まで浮かべて言い募るユリアンに、俺は帰りの辻馬車の中で、必死に娼館の素晴らしさを説明する事になった。
……なぜか理解はしてもらえなかったが。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます