第5話 6

「だぁら、女ってヤツは信用できねーんだよぅ!」


 下町の安酒場。


 俺はグレシア将軍相手にくだを撒いて、べろべろに酔っていた。


「――こんな時は呑みましょう!」


 なぁんて言ったのは、将軍だ。


「おまえは最後まで俺の話に付き合う義務がーる!」


「存じてますよ。ですが、いささか呑み過ぎでは?」


「呑めつったのは、おまえらろ!」


 俺が将軍の顔を指差せば、その指先がゆらゆらと揺れる。


「目の焦点も合ってないではないですか。

 ――女将、勘定だ!」


「俺はまだ呑めるぞー」


 拳を突き上げて叫ぶが、将軍は取り合ってくれない。


「わかってます。良い所へ行きましょう。もっと楽しい所です」


 俺は将軍に肩を組まれて、そのまま酒場から連れ出される。


 やたら夜風が気持ちよくて、見上げた月が綺麗だと思った。


 覚えているのはそこまでで。


 気づけば、俺は知らない部屋のベッドの上で、知らない女に膝枕されて、髪を撫でられていた。


「――っ!?」


 え? なんだ? どこだここ。


 身を起こして窓を見れば、まだ夜のようだが。


「おはよぉ」


 俺を膝枕してた女は、甘ったるい声でそう告げる。


 よく見れば、彼女は中身がスケスケの真っ赤なシュミーズといった格好で。


 俺は慌てて彼女から顔をそむけた。


「お、おまえは誰だ? ここは?」


「わたしはアイシャ。ここ――高級娼館<女神の泉>のナンバーワンだよ。

 みんなには、癒やしの女神ぃなんて二つ名もらってるの」


 小首を傾げて告げるアイシャに、俺は飛び上がる。


「しょしょっ、娼館だって?」


「そうだよ」


 アイシャは綺麗に整えられたピンクブロンドをいじりながら、俺にうなずいて見せた。


「なんかねぇ、常連の赤毛のおじさまが、お兄さんを癒やしてやってくれって。

 でも酔い潰れてたから、起きるまで膝枕してあげてたんだぁ」


 アイシャはふんわりした喋り方で、ベッドから足を降ろすと、自分の隣を叩いて座るように俺に促した。


「それで? どうしたの?」


 俺の肩に頭を乗せて、アイシャは尋ねる。


 薔薇の香りだろうか。


 彼女の喋り方同様の、ふんわりと香る香水の匂いに誘われるように、気づけば俺は、昼間にあった事を話していた。


 アイシャは時々、相槌を打つ以外は、黙って俺の話を聞き続け。


「アイツは違うと思ってたんだ。昔から一緒だったからな。俺、もう女が信じられねえよ。

 ――なにが真実の愛だ! あんなクズみたいな男にキスまでして、見せつけやがって!」


 俺が吐き出すように締めくくると、アイシャは頬に人差し指を当てて、小首を傾げる。


「んー、わたしが聞いた感じじゃ、違うと思うけどなぁ」


 ふと、アイシャの雰囲気が変わった。


 俺の目をまっすぐに見て、心の中を見透かすような目で続ける。


「お兄さん、知ってる? 覚悟を決めた女はね、いくらでも身体くらい汚せるんだよ。

 そうやって心や、身体を汚す以上に大切なモノを守り通すんだ」


「おまえもそうなのか?」


 思わず聞いてしまって、俺は顔をしかめる。


 娼婦なんて、進んでなりたい女なんていないだろうに。


「いや、余計な事を聞いた。済まない」


 途端、アイシャは先程までの、ふんわりした表情に戻って首を振る。


「ぜんぜんだよぉ。

 わたしはね、好きでこの仕事やってんの。

 毎日、いろんな悩みや苦しみを抱えた人を、一時だけでも忘れさせてあげられるお仕事。

 お兄さんは、そんなわたしを汚いと思う?」


「――いや。

 いいや。そんなわけない」


 そんな事、思えるはずがない。


 彼女はこんなにも娼婦という職業を誇り、美しく咲き誇っているのだ。


 そんな彼女を汚れているなんて思えるはずがない。


 俺の返事に、アイシャはふにゃりと微笑みを浮かべた。


「よかったぁ。時々居るんだよね。わたし達を抱きに来たのに、娼婦風情がとか見下してお説教してくる困ったちゃん」


「それは……本当に困ったヤツだな」


 俺が苦笑すると、アイシャもまた嬉しそうに微笑み。


「あ、やっと笑ってくれたね。

 お兄さん、そうしてた方がいいよ。

 それでさ、そのお姉さんともう一度、お話するといいと思う。

 きっとお姉さんは、なにか大事なものを守ろうとしてるんだよ」


 アイシャの言葉に俺がうなずくと、アイシャはふふっと笑って、ベッドに寝転がる。


「さてさて~、それじゃ悩みもすっきりした事だし、下の方もすっきりする?

 お代は赤毛のおじさまからもらってるよ」


 俺は首を振って苦笑する。


「――俺は噂になるほどの『へたれ』らしいからな。据え膳だって怖くて食えん」


 そう告げて、俺はシャツのカフスを外してアイシャに手渡す。


「礼だ。なにか困った事があったら、それを持って城に来い」


「え? え?」


「カイにもらったと言えば、いつでも俺の元に連絡が来るはずだ」


「……城って、お兄さん何者?」


 そんなアイシャの呟きを聞きながら、俺は部屋を後にする。


 大理石張りの廊下を歩き、階段を降りてロビーに出ると、女の子にお酌させて楽しんでいるグレイス将軍の姿。


「――ずいぶん、スッキリされたようですな」


「ああ」


 と、俺はうなずきかけて、ふと考える。


「将軍、いまのはどっちの意味だ?」


「さて……」


 グレイス将軍はくっくと笑って答えてはくれなかった。


 城に向かいながら、アイシャが言っていた事を考える。


 ソフィアが守りたいなにか。


「……国だろうな」


 自身が汚れても国を守りたいと、あのバカはそんな事を考えているのだろう。


 思い出すのは、『心の兄貴』こと、スローグ辺境伯の言葉だ。


 兄貴も言ってたじゃないか。キスくらいは許すって。


 いや、そもそもソフィアのキスがどうとか、俺にはそんなの全然関係ないわけだが……


「俺の片腕が奪われたままってのは、どうもに気に食わん」


 明け始めて、紺と茜色のグラデーションに彩られる空を見上げて、俺は呟く。


 夜が明けたなら、もう一度、クレストス家に行こう。


 そこでもう一度、ソフィアの意思を確認するんだ。


 そう思って居たのだが。


 その思惑は、数時間後――


「――殿下! ソフィアお嬢様が連れ去られました!」


 俺の寝室に飛び込んできた、フランによって潰された。

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